19 月下の不意打ち。
本日2話投稿の1話目です。
次は午前6時台に投稿予定です。
輝く魔力が円と文様――魔法円を形作るために、瞬間的に体外へと放出される。
普段の魔術――無詠唱魔術では、魔力を現象として顕現させるには思考が伴う。
どの属性を扱うのか。
どんな現象を引き起こすのか。
そして魔力を変換した後は、どのように制御するか。
しかし今、発動している魔術にはそれがない。
思考の伴わない軽さが、少し心許なくもあり。
思考の不在によって、視野が広く確保できている。
正面に形成された魔法円は、いよいよ魔力の輝きを宿すと――
王宮魔術師レーリン様から初めて教えてもらった、記念すべき魔術が発動する。
……これが俺たちの今日の成果。
初級魔術『そよ風よ、吹け』だ。
「大成功!
凄く楽だよね! 詠唱魔術!」
ブイっと成功を喜ぶ姉の声色も、いつも以上に明るい。
詠唱魔術は魔法円内部の文様によって、魔術の軌道や規模、出力や発動時間まで設定されており、その通りに魔術が動く。
無詠唱魔術を全て自身で制御する手動制御とするのなら、詠唱魔術は自動制御。
術師が処理する情報量は、詠唱魔術の方が圧倒的に少ない。
……だからこその発動速度の差か。
ただし――
「あれっ! 間違えた⁉」
不便なこともある。
1度放ってしまった魔術は、制御できないという点だ。
実際に今、魔法円の制御を誤った姉の風は、ヴァイの畑ではなく明後日の方向へと放出されている。
「うわわわ! こっちこっち!」
その風を呼び戻すかのように、姉は両腕をバタバタと上から下に振り下ろす。
「……楽しそうだな」
「楽しいよ!
それに、もしこれで風向きが変わったら面白いよね?」
勿論その動きで、風の向きが変わるなんてことにはならないわけだが。
月夜の中、畑の真ん中で一生懸命に手を振る姉の姿は、少しシュールで可愛らしい。
そんな姉のことはさて置き。
放った魔術を制御できないのは、大きな欠点――欠陥ともいえる。
なぜなら誤って他者に向けて発動した場合、取り返しがつかないことを意味するからだ。
今回の『そよ風よ、吹け』くらいの魔術ならいい。
風を浴びるだけで済む。
しかし、これが攻撃魔術だとしたら。
それを考えるだけでも恐ろしい。
例えば俺たちの攻撃を無力化した、レーリン様の詠唱魔術であればどうなるだろう。
姉の炎をかき消し、俺の土の槍を破壊した威力。
人間がまともにアレを食らえば、ただでは済まないはずだ。
その制御を誤れば、敵味方どころか自身の命すらも危険に晒す、諸刃の刃となるだろう。
……魔術への理解を深め、使用する状況とタイミングを考えないとな。
気を引き締める。
詠唱魔術――魔法円展開魔術。
利便性が非常に高く、咄嗟の場面でも間に合う速度を持つ魔術でもあり。
俺たちの魔術――無詠唱魔術以上に、細心の注意を払って取り扱うべき魔術。
そんな印象を受ける。
……だが――
詠唱魔術以上に、俺が注意を払わなければいけない相手は――
「ふふふ……良いこと考えた! 『そよ風よ、吹け』!」
姉だ。
綺麗な顔には今、怪しい笑みを浮かべている。
……絶対に何か企んでいる。
そしてそれは、間違いなくろくでもない事だ。
姉の魔法円が展開し、再び見当違いの方向に風が放たれる。
……しかし、油断してはいけない。
長年の経験が、自身の危機を告げている。
「さあ、曲がれ!」
姉は言葉と共に、右腕を上から下に振り下ろす。
すると――
「やはりか! やってくれる!」
思わず漏れ出る声。
姉の振り下ろしに合わせるかのように、風が空中で折れ曲がり、こちらへと降り注いだのだ。
「応用が早すぎるだろ……姉さん!」
……まだそんなの、レーリン様に教えてもらっていないのに!
腕の振りで詠唱魔術――制御できないはずの魔術――を操ったわけではなく、
「あれ? 軌道の部分いじったの、バレてた?」
敵は魔法円の文様の一部を、書き換えたのだ。
直線軌道の文様を、急角度で曲がる文様に。
後は、タイミングを合わせて腕を振り、それが風を曲げたように見せている。
最初から、俺を驚かせるつもりだったのだろう。
魔法円の展開角度を変更することで、俺に風を直撃させるつもりなのだ。
絶対に何か仕掛けてくるという読みと。
姉の展開した魔法円に違和感を覚えたことで、不意打ちに当たりを付けられたのが幸いだった。
「『そよ風よ、吹け』!」
……絶対にやり返して、ぎゃふんと言わせてやる。
その復讐心の元、姉の詠唱魔術に直撃する風を放つ。
上空から吹き落ちる姉の詠唱魔術と俺の風が衝突する瞬間――
「うわっ⁉ 危なっ!」
声と共に姉の身体が魔力によって輝き、地を踏んで高く跳ぶ。
……ちっ! 仕留め損ねたか!
「ルンちゃんこそ、抜け目ないね!
私の『そよ風よ、吹け』を、無詠唱魔術で撃ち落としておいて、自分の『そよ風よ、吹け』を、私に向けるなんて!」
準備しておいた無詠唱魔術で姉の詠唱魔術を迎撃し、自身の『そよ風よ、吹け』を姉に差し向けたのだが、バレていたらしい。
……というか今、さらっとレーリン様の前で失敗した身体強化で、俺の『そよ風よ、吹け』を躱したか?
いつの間にものにしたんだ、この化物は。
警戒対象は、音もなくその場へと着地する。
互いに睨み合う姉弟。
油断できない時間が、このまま続くかと思われたが――
「ふふふふふ! やっぱり魔術は面白いね! 最高だね!」
姉が朗らかに笑いだす。
その笑みに、警戒を解く。
「……同感だが、不意打ちは勘弁してくれ。
少なくとも、他人にやっちゃダメだぞ?」
姉も重々承知しているとは思うが、魔術によっては被害者が出る可能性もある。
釘は刺しておかねば。
「大丈夫! ルンちゃんと後は……先生くらいにしかやらないし!
危ない魔術なら、誰にもしないから安心して!」
被害者の中に当然の様に俺が含まれているのは、いつものこととして、
「まあ……レーリン様なら大丈夫か。王宮魔術師だしな」
俺たちの無詠唱魔術を同時に捌いたあの王宮魔術師なら、姉の不意打ちくらい華麗に処理してしまうに違いない。
「ねえ、ルンちゃん」
姉は一通り笑い終えると、珍しく凛々しい顔で俺を呼ぶ。
「なんだ、姉さん」
「私を置いていかないでね」
月を背景にした、少女の真っ直ぐな願い。
その瞳は、俺の奥底まで見通す様に輝いている。
……だが、残念ながら。
その言は、的外れも良いところだ。
……姉さんは凄い人だ。
今日覚えた魔術――魔法円を、望み通りの軌道を描く様に書き換え、1度失敗した見様見真似の身体強化を、この場であっさりと使い熟すくらいには。
それが魔術師の中で、どの程度のレベルなのかは分からない。
しかし少なくとも、今の俺には真似できない。
……このままなら、置いていかれるのは俺の方だ。
そのはずなのに――少女の表情や言葉は、真に迫るものがあった。
……分からない。
思考の海にどれほど深く沈んでも、姉がそんなことを言う理由が分からない。
少女の整った顔を見つめる。
その目元は薄く輝いている。
あの輝きは、決して月光や魔力のものではない。
……理由は分からない。だがそれでも――
姉さんを悲しませたくない。
そんな自身の想いだけは、唯一分かっているから。
「俺が姉さんを置いていくなんて、あり得ないと思うが……。
もし置いていくのなら、それは姉さんなら追いつくと信じているからだ。
万が一の時は、必ず追いついてくれ。待っている」
……これは、姉さんの望んでいる答えなのか?
それも分からない。
でも、自身の想いを伝えるのは止めない。
「反対に、姉さんが俺の先に行くのなら、待たなくていい。
足手まといになるなんてごめんだ。気にせず全力で進め。
だが安心していい。それでも俺は……姉さんに必ず追いつくから」
その言葉に、姉は顔を上げる。
……この恐るべき天才の全力に追いつく。
大言壮語もいいところだが、それができるのは俺くらいしかいないだろう。
なぜなら――
「……弟は姉に付いていくものだからな」
「うん、そうだね……そうだよね!」
姉の顔に、ようやくいつも通りの笑みが戻る。
どうやら元気が出たようだ。
……良かった。笑ってくれて本当に良かった。
少女にはその持ち前の笑顔のまま、全速力で進んで欲しい。
そうじゃなきゃ、張り合いがない。
そうやって、抜きつ抜かれつを繰り返し、姉弟で鎬を削り合って高め合っていけば――きっといつか辿り着ける気がするのだ。
王宮魔術師レーリン様にも伝えなかった、もう1つの魔術を学ぶ動機。
今のところ、その手がかりすら見つからない、霞のようなもの。
俺が異世界に来た理由。
……俺が転生した理由に、辿り着けると思うのだ。
――互いが互いを、上だと思っているからこそ、切磋琢磨していける姉弟だと思います。
今後、姉弟の不意打ちを受ける王宮魔術師の運命や如何に。
これにて5歳編終了です。
次回から月日は流れ、9歳編となる予定です!
さらに成長した姉弟の活躍を、楽しんでいただければ幸いです。
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう!