2 貴族の少年の休憩時間
現在、番外編を木日の週2日更新予定です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
「では、午前の講義はここまで。
次回は術式の変換効率理論を進めるから、予習しておくように」
「「「ええ~⁉」」」
「おい、不満を漏らすな。
私の研究時間を奪っているのだから、それくらいはやって来い」
魔術の鐘の音が響き、先生が講義の終わりを告げる。
生徒たちの声がぽつぽつと増え始め、徐々に大きくなっていく。
「昼、どうする?」
「確か今日、学食で超大盛りメニュー出るんじゃなかったか?」
「購買は……混んでますよねえ?」
「あら……貴女、今日はお弁当じゃなくて?」
「内緒の話ですが、今日は購買で新作スイーツが発売なんですよ」
「えっ⁉ 本当に⁉ それなら早く行きましょうよ!」
そんなクラスメイトたちの例に漏れず、私も「昼食は何にしようかな。偶には甘いものでも食べようかな」などと呑気に考えていると――
「アンスカイト――今、時間はあるか?」
落ち着いた低音ボイスによって、呼び止められる。
威厳の溢れた、威圧感すら覚える声だ。
飛び級の関係上、当然ながら私のクラスメイトは年上が多いけれども、その中でも特段低い声色である。
「はい、時間なら問題ありませんよ。
どうかされましたか? 殿下」
そう告げながら、声の主へと体を向ける。
「アンスカイト」という私の呼称。
そしてこの活力に満ちた低い声となると、該当者は1人しかいなかった。
そこにいたのはやはり私の想定通り、赤みがかった金髪を持つ美貌の貴公子だった。
真っ白できめ細やかな肌に、綺麗に整えられた眉。
その下に陣取る深紅の瞳には、強固な意志の光が宿っている。
アーバイツ王国第5王子――フーリン・デア・アーバイツ殿下だ。
王族ながら火属性の魔術に覚醒した、陽炎の魔術師である。
「ああ……ちょっとお願いがあってな」
殿下はバサリと橙のローブを翻しつつ、周囲をキョロキョロと見回す。
どうやら目立たないように気を付けているつもりらしい。
……しかし残念ながら。
その配慮は無意味だ。
私は殿下の目を盗んで、コッソリ周囲を確認する。
すると、多くのクラスメイト――貴族家の子息令嬢たちの意識が、こちらへと向けられていることが、手に取るように分かった。
……クーグルンさんとルングの姉弟の出現まで――
平民の魔術師は、存在していなかった。
姉弟の出身であるアンファング村も、今でこそ魔術に目覚めた子どもたちが多数いるが、あの子たちの魔術学校入学はまだ数年程先である。
……つまり現時点において。
魔術学校の生徒たちは、貴族家の血を引く者かそれに連なる者しかいない。
そうなると人間関係は良くも悪くも、各家門を中心として形成されることになる。
……私に構ってくれる人が多いのは――
私が公爵家嫡男であること。
王宮魔術師の弟であり、弟子であること。
飛び級で高位クラスに所属できたこと。
以上の3点がルングという妙な特異点を経由したことで、奇妙な変化を遂げた結果なのだ。
……さて、そうなった時に。
私以上に注目を集めて然るべき存在が在る。
それこそがアーバイツ王国王家の血を引く方々――王族なのだ。
つまり――
チラリと思考を進めながら、金髪青年の様子を窺う。
……殿下がいくら周囲を気にしたところで、意味はない。
存在自体が既に目立ってしまっている殿下が、次に目立つ私に接触している時点で、クラスメイトたちの耳目はもうこちらへと集まっている。
視線を殿下から、騒いでいたクラスメイトたちへと向ける。
クラスメイトたち――貴族家の者たちは、やはりこちらの様子を固唾を飲んで見守っていた。
……厄介だなあ。
好奇の目を、煩わしく思う。
けれど気持ちも少し分かる。
もし殿下が私以外の誰かと似たようなやり取りをしていたのなら、私もまた周囲と同じ好奇の視線を彼に向けていただろう。
「……お願い?」
そこまで考えて、ようやく殿下の言葉に辿り着く。
……第5王子殿下から、公爵家嫡男への「お願い」?
思考がそこに触れた途端、警戒度合いが跳ね上がり、一気にきな臭くなってくる。
……殿下――フーリン様は、王族の中でも有名なお方だ、
しかしそれは、能力の高さだけからくるものではない。
……野心。
その名誉欲の強さも込みで、彼は名を馳せているのだ。
第5王子という、現王族の中では比較的王位から遠い身でありながら、「王位を狙う」と常々彼が明言していることは、こちらの耳にも入っている。
……そんな殿下からの「お願い」。
良い予感は全くしなかった。
「殿下、本日は炎暑お見舞い申し上げ――」
「何故、改めて時候の挨拶を挟む?
私とお前の仲ではないか」
殿下は心外だとでも言わんばかりに、その目を見開く。
……いやいやいやいや。
勝手に無二の親友かの様に振る舞うのを、止めて欲しい。
「私とお前の仲」などと、意味深なことを殿下は言っているが、決して私と殿下の仲は親密なものではない。
入学当初は何かと目の敵にされ、最終的に彼と魔術戦まで演じたというのに。
どうしてこんな風に、気さくに振る舞うことができるのだろう。
不思議でならない。
現在、殿下との関係性は当初と比べて落ち着いている。
加えて公爵家嫡男という責任ある立場上、他の高貴な方々との付き合いに偏りがない様、私――アンスカイト・フォン・アオスビルドゥングは、調整に調整を重ねているのだ。
……その苦労話を、ルングは笑っていたが。
しかし私は私なりに、バランサーとして頑張っているのである。
故に殿下との関係も、あくまで1クラスメートに過ぎない。
「ええ……殿下とは今後とも丁度良い距離で接していきたいと思っています」
そんな私の一生知人宣言を、殿下は「やれやれ……慎み深い奴め」とあっさり受け流し、話を続ける。
「それで……私の『お願い』は、聞いてくれるのか?
どうなんだ? アンスカイト」
ズズイと殿下は、こちらとの距離を詰める。
その様はまるで、獰猛な肉食獣だ。
どうやら私がその「お願い」とやらの話を聞くまで、彼に引き下がる気はないらしい。
「……殿下。
その『お願い』とやらを聞こうにも、内実が分からなければ聞けませんよ」
……そして話を聞いて欲しいのなら、もっと距離を取って欲しい。
物理的にも心理的にも。
そんな私の願いが届いたのか――
「……それもそうだな」
殿下は軽く頷いて、ようやく私から距離を取る。
異様な圧が遠ざかり、ほんの少しだけ気が楽になる。
しかし、嫌な汗は引かない。
当然だ。未だ危機は去っていないからだ。
……さて。
「お願い」とは何だろうか。
厄介なことでなければいいけど。
「あのだな……えっと、その……」
殿下の御言葉を待ち構えていると、彼は言い淀む。
その赤眼は落ち着きなく揺れ、心なし頬は薄っすら上気している。
そんな青年らしい様子に、異様な衝撃を受ける。
第5王子フーリン殿下。
魔術学校に通いながらも、国政の一部を既に預かっている王候補の青年。
その野心を発露させながらも、国民たちの為に奔走し、議論を交わし、手練手管を尽くすその姿を英雄視する民も、少なくないと聞いている。
そんな人が、まるで思春期の少年さながらの反応をしているのが、妙に新鮮だった。
……これではまるで、普通の男の子みたいじゃないか。
先程までの直截な――聞きようによっては多少高慢にも聞こえる物言いが嘘の様に、しどろもどろな態度である。
「えっと……もし、国政に関わる様なことであれば、遠慮願いますが」
大袈裟に周囲を見回しつつ、先手を打つ。
「私は不穏な何かには、一切加担しません」というのを、聞き耳を立てている皆に態度で示す。
すると殿下は私の言葉の意図に気が付いてくれたのか、落ち着きを取り戻す。
「……安心するがいい。
今、お前にそんな頼みをするつもりはない」
「あの……それっていずれ私は、何かしらに巻き込まれるってことになりませんか?
安心できないんですけど」
素朴で真面目な私の物言いに、王子殿下は「ふっ……」と口の端を歪める。
……うーん、まるで信用できない。
外見は全く異なるが、その人を食ったような態度はどこかルングに似ている気もする。
……仕方ない。
もし危険なことに巻き込まれそうになったら、あの友人も抱き込んでしまおう。
そうすれば的が分散され、私の生存率は上がるはずだ。
「今一度言うが……安心しろ。
今回はそのだな……私用だ」
殿下はチラチラとこちらの様子を窺い見ている。
……私用。
殿下のその言葉を信じるのなら、私が政治的陰謀に巻き込まれるようなことにはならなさそうだ。
……面倒ごとを押し付けられる可能性は、否定できないのだが。
「私用……ですね。分かりました。
悪事を働く気はありませんが、お話は伺いましょう。
殿下のお願いを聞くかどうかは、その後決めるという事で」
……まあ、多少の面倒があったとしても。
それで王族に恩が売れるのなら、悪くはない。
ごくり
そんな心持ちで殿下からの沙汰を待つ中、青年の喉が鳴る。
すると彼の口から、緊張感に溢れた声が紡がれた。
「お願いというのは、他でもない。
お前の友人にして、大位クラスの先輩――ルング先輩を紹介して欲しいんだ!」
一瞬の静寂。
予想だにしていなかった「お願い」
……それに対して――
「えっ?」
私は思わず声を上げたのであった。
――高位クラスと大位クラスでは、やはり空気感が異なる模様。
そして王族がルングを先輩扱いしていることに、アンスはそこはかとない違和感を抱いたようです。
さて、殿下はどうしてルングを紹介して欲しいのでしょうか。
次回以降もお楽しみに!
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう。