1 貴族の少年のある日の朝
現在、番外編を木日の週2日更新予定です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
私の朝は魔術――ではなく剣の訓練から始まる。
ヒュッ――
鞘から抜き放たれた剣は陽光をその身に宿しながら、私の四方八方を飛び回る。
2、3、4――
踏み出す脚に、腰の捻り。
折りたたんだ腕の可動域に、握りの力加減。
剣が舞う毎に、自身の今日の調子が明らかになっていく。
……私の剣術に関する造詣が深いわけではない。
ただ幼少期に学び、同じ動作を積み重ねてきたことによって、剣の訓練を通じてその日の自身の好不調を測ることが出来るようになっただけだ。
剣は滑らかな軌跡を描き、斬撃を宙に刻みつける。
……この分なら体術で、変わり者の友人を凌駕できるかもしれない。
好調のあまり、そんな自画自賛が思わず出てくる。
それほど今日の調子は良かった。
「よしっ!」
自身の成長を噛みしめながら、何度も剣を振る。
決して騎士を目指しているわけではない。
けれど訓練を通じて、自身の調子を――成長を確認できるこの時間が、私は嫌いではなかった。
……今日なら、いけるんじゃないか?
一通りの型を押さえ、思った以上の好調に手応えを感じた私は、今度は自身の体内に宿る光――魔力に意識を巡らせる。
すると――
ぼうっ!
胸元に宿る魔力は更に輝きを増し、凄まじい勢いで膨らみ始める。
……その見た目は、言うなれば炎。
燃料を与えられた炎の様に、私の魔力は大きく燃え上がり、即座に全身を満たす。
……こんな感じだったかな?
ぐっ、ぐっ
その状態を維持しつつ、軽く剣を握り直し――
「はっ!」
魔力の勢いを体現するかのように、再び振り始める。
庭園に改めて煌めく剣閃。
剣が縦横無尽に朝靄を切り裂いていく。
しかし――
「うーん……やっぱり違うよね」
……こうじゃない。
動きを止め、自身の全身に目を配る。
肩、腕、胸、腹、腰、脚。
各部位が、確かに魔力の輝きを宿してはいた。
なんならその魔力量故に、一部が体外へと漏れ出ている状態である。
だが――
「……今日こそは無詠唱強化魔術、できると思ったんだけどなあ」
それだけの魔力を費やしたにも関わらず、「強化魔術の成功」という望み通りの成果は、得られなかった。
「ひょっとして」という思いは捨てきれず、今一度剣を振る。
身体から溢れる魔力は刻一刻と燃え上がり、その輝きは先程の比ではない。
しかし繰り出した斬撃はやはり、普段のそれと変わらなかった。
「……どういう理屈なんだろう」
握った剣を見つめ、首を傾げる。
……友人たち――ルングやリッチェンさんの強化魔術。
それをイメージしてここ数日色々と試行錯誤してみているのだが、どうも上手くいかない。
「魔力量や魔力密度は、多分この位の筈なんだけど……」
燃え広がる魔力の出力を、徐々に下げていく。
溢れ出ていた魔力はその存在規模を縮小し始め、普段の大きさへと戻った。
……身体は好調、魔力量も問題無しと考えるなら。
私の強化魔術に足りないものは何だろうか?
「うーん……」
しばしの時間、唸りながら考える。
しかし残念ながら、そう簡単に改善点は思いつかない。
「仕方ない……どっちかにアドバイスでも貰おうかな」
可能ならどこか手合わせするタイミングまでひた隠し、友人たちに対抗できる切札の1枚としたかったが。
その結果、習得すらできなかったのなら、お話にもならない。
そう考えて、気持ちを切り替える。
……さて。
問題は助言を貰いたい友人たちが、魔術学校か騎士学校にいるかどうかだ。
あの旧友たちの活動範囲は広い。
おかげでどうも動向が読めない。
……特にルングだ。
あの無表情・無愛想・無遠慮の魔術師が、特に厄介なのだ。
幼少期からの付き合いであり、友人たちの中でも最古参のあの少年の思考はしかし不思議なことに。
どれだけ時間を共にしたところで、読めた試しがない。
クーグルンさんを景品とした、決闘式商売。
生じた人脈を利用した、婚約・結婚斡旋商売。
蓄えた魔道具及び魔術知識を利用した、画像データ販売。
他にも奴の読めない所業は、枚挙にいとまがない。
……いや、本当に。
何をどうしたら、あんな発想が出来るのだろう。
根本的な土台の相違が、私と奴の間にあるとしか思えない。
そんな予想外がローブを着て歩いている様な存在の行動を予測するのは、普通の人間である私にとって非常に難しい。
しかし――
「……まあ、なんとかなるかな」
……奴がいなくともリッチェンさんがいるし。
なんなら奴本人を捕まえる「当て」も、ないことはない。
彼女の力を借りることができれば、きっと野生のルングを発見することができるはずだ。
そんなことを考えつつ、今日の予定を修正し始めた自分をふと鑑みて――
「ぷっ」
温かいものが胸に広がる。
……私も随分と柔らかくなったように思う。
昔は――姉上の後ばかり必死に追いかけていた頃は、もっと余裕が無かった気がする。
常に緊張感があり、無力感があり、切羽詰まった感覚があった。
……しかし今はもう――
あの身を焦がす様な、切迫感や苛立ちはない。
ルングという規格外の――或いは常識外の――友人が現れたからか。
姉上――王宮魔術師に師事することになったからか。
他の何かが――包括された全てが切っ掛けとなったのかもしれないが、あの先の見えない焦燥感はもうない。
ガサッ!
「……うん?」
訓練していた庭園――その一角が揺れる。
不思議に思って、音の元へと視線を向けると――
「ぐすっ――ぐすっ」
そこには使用人のメーシェンが、何故かハンカチ片手に涙を流していたのであった。
早朝の薄明りで仄かに輝く、銀の髪。
赤紫の上品なワンピースを上から覆う、可愛らしいフリル付きのエプロン。
胸元で清楚に揺れる白の紐リボン。
そして大きな瞳から流れ出る、宝石のような涙。
……綺麗だ。
何もかもが眩しくて、幻想的だ。
現実離れした少女の美しさに、ほんの少しだけ目を奪われ、直ぐに正気を取り戻す。
「……何してるのさ。メーシェン」
「な、何って、アンス様をびばぼってだんです!」
……いつも朝早いから、私の事は気にしなくて良いと言っているのに。
どうやらこの使用人は、今日も隠れて私を見守ってくれていたらしい。
「それは……ありがとう。
でもそれなら、どうして泣いてるのさ⁉」
……その主人思いな所は、純粋に嬉しい。
私の集中を乱さない様に、気配を消していたその気遣いも素晴らしい。
しかし当然ながら、それらは彼女が泣いている理由にはならない。
私の問いに、少女は泣きじゃくりながら答える。
「だ、だっで……アンス様が、大きくなったのが嬉しくってぇぇぇ」
更に少女の涙の勢いが強まる。
……号泣だ。
涙で顔はすっかりクシャクシャである。
……だけど。
その顔も可愛らしく見えるのは何というか……卑怯ではないだろうか。
そんな事を考えてしまった自身の気持ちを誤魔化す様に、問いを畳みかける。
「いや……やってるのもいつも通りだったし、何なら少し失敗してたし?
そんな訓練のどこに成長を感じたのさ⁉」
……まさかとは思うが。
流石にそれは無いと思うが。
この訓練中の私の心境を、全部読み取ってたという事はないよね?
拭いきれない量の冷や汗をかきながら、使用人に重ねて問う。
すると少女はピタリと泣き止み、晴れやかな笑顔でその細指を3本程立てる。
「身長が……昨日と比べて3ミリ伸びてます」
「えっ⁉」
……想定外の答えに、一瞬頭が真っ白になる。
「……って、何でそんな些細な事、把握できてるの⁉
絶対気のせいでしょ!」
「些細じゃありませんし、気のせいでもありません!
アンス様の事は、メイドなら何でも知ってて当然なのです!
それが常識です! 真理です!
むしろ知らないと、メイドの心得第十条に違反なのです!」
気持ちをどうにか立て直し、至極真っ当な指摘をする私を、メイドが勢いで押し切ろうとする。
……いや、絶対に把握できている方がおかしい。
というかちょくちょく彼女の言動に出て来る、「メイドの心得」とやらは一体何だ!
大きなそして無数の不満を練り固め、抗議の視線をメーシェンに向ける。
しかし彼女は恥じ入ることなどないかのように、堂々と胸を張った。
「メイドの愛を一身に受けておいて、何ですかその目は!
それでもご主人様ですか!
こんな可愛いメイドに、ここまで寵愛されるなんて、アンス様は喜ぶべきでしょう?
『メーシェン、いつもありがとう。だいちゅき!』くらい、言うのが筋です!」
「メイドの寵愛を受けるって、主従関係どうなってるのさ⁉
そして言わないよ?
絶対『だいちゅき』なんて言わないよ⁉」
「はい、今言いましたー。アンス様の負けでーす。
罰として、心を込めて私にちゃんともう1回言わなければいけませーん」
「何の勝負かは分からないけれど、バカにしてることだけは分かったよ!」
私の純粋な指摘が、すっかり明るくなった空に響き渡る。
騒がしくも楽しい、和気藹々としたやり取り。
これが私――アンスカイト・フォン・アオスビルドゥングのいつも通りの朝だった。
――今回のお話の主人公は、とある公爵家嫡男です!
彼の奇妙な日常をお楽しみいただければ幸いです。
番外編ではありますが、こちらも少し長くなってしまったので、もう少し続きます。
※今回、体調不良の為、木曜日の投稿は出来ませんでした。
楽しみにして頂いていた方々は、申し訳ありませんでした。
次回からは通常通り投稿予定ですので、再び楽しんでいただけると幸いです。
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう。