2 少女騎士は従う
現在、番外編を木日の週2日更新予定です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
剣が宙に糸を引く。
私の頭部を狙った横薙ぎの剣閃に対し、腰を落とすことでどうにかやり過ごす。
ヒュッ
……良くないですわね。
頭上を剣が通過するのを感じながら、嫌な汗をかく。
敵の剣は捉えられている。
問題は自身の身体と思考の連携が、取れていないことだ。
……無様極まりないですの。
無理矢理腕を振り上げ、上段から返しの一太刀を放つ。
ぎこちない動きだ。
剣の振りに、普段のキレも速度もない。
ガギンッ!
十分に体重の乗り切らなかった私の斬撃は、乾いた金属音と共にあっさりと受け止められた。
「……これはいただけないですね」
立ち合いが終わり、私と向き合っていた剣士――女騎士が丁寧な口調で告げる。
陽光に輝く金の短髪に、意志の強そうな瞳。
顔以外の全身に鎧を纏った、芯の強そうな女性である。
「やっぱり分かりますの? 団長」
公爵家に仕える騎士――その頂点。
アオスビルドゥング騎士団団長――ルーマリー様だ。
「勿論、分かりますよ。
見切りはともかく、握りの甘さ、重心のブレ、剣速、動きのキレ、読み合い。
どれをとっても、普段のリッチェンでは、有り得ない反応でしたから」
騎士は精悍な顔つきから一転して、優しい笑顔をこちらに向ける。
……気付かせない様、意識して動いていたつもりだったのですが。
やはり騎士団最高の騎士。
私の状態など、お見通しらしい。
「体調は悪くなさそうですが……何か悩みでも?
私で良ければ、話を聞きましょうか?」
首を傾げつつ微笑むその顔は、騎士には決して見えない。
これが実際は歴戦の古強者だというのだから、つくづく人は見た目で判断できない。
……さて、どうしましょうか。
本来なら選択肢の1つであるアオスビルドゥング騎士団の長に、進路相談をすべきではない気もする。
しかしこの騎士団長の人柄をよく知っている身からすれば、これ程頼りになる相手もいない気もする。
「では……よろしくお願いしますの」
「はい。どうぞ」
少々悩んだが、結局心の天秤は騎士団長に頼る方向に傾いた。
……まあ、とはいっても。
言えない――言いたくないこともありますが。
こうして私は、ルングのことを省いて、団長に事情を告げた。
「――なるほど」
生真面目な表情を崩し、団長はコクリと頷く。
「『どの騎士団に所属するか悩んでいる』というわけですね。
私の立場としては、貴女には是非ウチの騎士団に入って欲しいものですが……。
選べる立場というのは、また難しい」
……うん?
団長の他人事の様な物言いが、妙に引っ掛かる。
「……団長は、私以上に引く手数多だったのでは?」
騎士団所属の騎士たちは、屈強な猛者ばかりだ。
……けれどその中においても。
この金髪の騎士の力量は群を抜いている。
隔絶し、卓抜している。
未だに私は、団長を相手取って勝ち越したことがない。
そんな彼女なら、私以上に誘いがあったはずだが。
「ふふ……」と団長は淑やかに微笑み、私の思い込みを否定する。
「私は別に、優秀な騎士候補ではなかったので。
騎士学校での成績も、大したことなかったんですよ?
だから、騎士団からの誘いは一切ありませんでした」
「ええっ⁉ こんなに強いのに⁉」
「ええ」
団長は過去を思い返しているのか、ゆっくりと目を細める。
「……あんな時代もまた懐かしい。
アオスビルドゥング騎士団に入るのも、死に物狂いでした。
未熟過ぎて……それこそ何回か死にかけたくらいです」
団長はこともなげに言ってのける。
しかしその表情には、確かに当時の覚悟の様なものが見え隠れしていた。
ズキッ――
そんな騎士を見て、鋭い痛みが胸に走る。
……団長からすれば。
必死に――一途に追い求めたアオスビルドゥング騎士団を、ふるいにかけている私の姿は、醜悪に思えるのではないだろうか。
罪悪感から伏目がちに団長の様子を窺うと、彼女は私の反応を知っていたかのように微笑む。
「安心してください。
リッチェンみたいに――まあ、リッチェン程スカウトされてる騎士は、初めてですが――複数の騎士団で悩む者は、決して少なくない。
各騎士団の色も違いますしね。
就職活動と考えれば、好条件の騎士団を選ぶのは必然と言えましょう」
「ですから」と、団長は茶目っ気たっぷりの言葉を私に向ける。
「リッチェンが、色々目移りしても構いませんよ?
最終的に、本命の元に帰って来てくれるのであれば」
「怖い怖い怖い!
怖すぎるんですのよ⁉
もう少し圧を抑えて欲しいですの!」
……普段優しい人の方が、いざという時怖いのは何故ですの?
美しき騎士の背後から、剣呑な圧力が見える気がする。
「……冗談ですよ。
だからリッチェンがどんな選択をしようと、どうのとはなりません。
貴女は学生の身なれども、多大な貢献をしてきました。
公爵家にも騎士団にも……私にも。
そんな貴女が他の騎士団を選んだところで、責める様な者はウチにはいませんよ。
悲しむ者は多いでしょうが」
「私も含めてね」と騎士は柔らかい笑みを向ける。
……ありがたい話だ。
団長たちはきっと、私の選択を尊重してくれるのだろう。
安心感に頬が緩む。
……しかし、唐突に。
そんな温かい騎士の姿に、疑問が浮かんできた。
……柔和な団長が、どうしてそこまでアオスビルドゥング騎士団に拘ったのだろう。
団長から騎士団への愛を感じることはあっても、そこまでの執念を――それこそ命を懸けるまでの妄執を、私は感じたことがなかった。
「団長……1つ良いですの?」
「どうぞ」
挙手した私に、団長は快く頷く。
「どうして団長は……そこまでしてアオスビルドゥング騎士団に入りたかったんですの?」
……うん?
私の問いに――団長は目を大きく見開く。
感慨と驚愕。
懐古と親愛。
そして何よりも――
……照れ臭そう?
複雑な感情がないまぜになった団長の顔が、そこにはあった。
「……そうですね。
貴女に教えるのは少し毛恥ずかしいですが、端的に言えば――」
そう言うと団長は――
「憧れの人が、ここにいたんですよ。
その人の背中に焦がれて。
どうしてもその人に追い付きたくて、私はここを目指しました」
少女の様に可愛らしい笑みを爆発させる。
……えっ⁉
高潔で精悍で、しかし優しい騎士。
団長に抱いていたそんなイメージが、一連のやり取りでひっくり返される。
そんな驚愕の渦に囚われた私を見て、団長はコロコロ笑う。
「そういう意味では……私に大義があったわけではありません。
ただ、自身の求めに従っただけ。
望むままに進んできただけ。
それが正解だったのか不正解だったのかは、未だに分かりません。
ひょっとすると、これから先も。
私が死んでも、その成否は出ないかもしれません。
けれど――」
乙女は――騎士は力強く拳を握る。
「全力で理想を――憧れの人を追い求めた。
真剣に騎士を目指した。
そんなこれまでの人生に、悔いなどありません。
きっと私はこれからも、そうやって生きていくのでしょう。
そしてそれで良いと――幸せだと思っています。
だから、リッチェン――」
団長は握った拳を解き、自身の腰に帯びた剣の柄に置く。
「たとえどれだけ身勝手であろうと、貴女は貴女の心に従うべきだと私は思いますよ」
先達の騎士はそう言うと、私の答えも聞かずに立ち上がる。
「さて……少し話が長くなりましたね。
そろそろ、訓練に戻りましょうか」
そこに乙女の姿は最早なく、いつもの生真面目な騎士団長がいたのであった。
訓練も終わり、帰宅の途につく。
「心に従う……」
団長の言葉が――話が、頭から離れない。
「憧れの人を追いかけた結果、アオスビルドゥング騎士団に入った」
団長は確かにそう言った。
成否は分からずとも、決してそれを後悔してはいないとも。
「……ひょっとして、団長は気付いていたのでしょうか?」
私の葛藤に。
私が幼馴染の事を、気にしていることに。
だから誰かを追いかけて騎士団を選んだ話を、してくれたのだろうか。
……だとしたら、食えない人ですの。
公爵様もそうだが、高い地位の人たちはどうしてこうも腹芸が上手いのか。
……まあ、考え過ぎても仕方ありませんわね。
目下のところ。
結局のところ、私自身の問題なのだ。
トボトボと歩を進める。
日は沈み始め、少しずつ影が伸びていく。
そこはかとない不安を覚えたところで――
「おい、リッチェン」
聞き慣れた声が、私を呼び止める。
その声の主に顔を向けると……そこには件の幼馴染が立っていた。
「……どうした? 体調でも悪いのか?」
黒髪の少年と、隣同士で歩く。
私の表情を見たのか、或いは魔術師に見える魔力を見たのか。
あるいは両方か。
どれにせよ、幼馴染は私から何らかの異常を察したらしい。
「いえ……別に元気ですけど」
「そうか? そうは見えんが」
無愛想に。
無遠慮に。
ルングは私の顔を覗き込む。
そのせいで、私たちの足が止まる。
その瞳は濁りなく――迷いなく美しい。
宝石の様に輝く視線を、私に集中させている。
……普段なら、頼もしいですけれども。
今に限っては、その眼力が少しだけ憎たらしい。
……どうせなら、私の考えまで読んでくれればいいのに。
そんな理不尽なことを、考えてしまう。
しかしこのモヤモヤを彼に知られるのも、絶対に嫌だった。
「心に従う」
幼馴染の顔を前に、再び団長の言葉を思い出す。
……今の私の心に――気持ちに従うのなら。
この少年にさっさと尋ねるのが、正解なのだろう。
「貴方は、進路どうしますの?」でも「今後どうするつもりですの?」でも良い。
そうすればきっと、彼はすぐに応えてくれるはずだ。
けれど――その簡単な一言が、喉元から出るのを拒む。
……何故ですの?
ルングを前にして、目を合わせられない。
震えそうになる身体を抑えつけるのに必死だった。
……ああ、そうですのね。
事ここに至って、ようやく自身の感情を自覚する。
私は……怖かったのだ。
私の問いに答えた彼が、何の興味も示さないことが怖かった。
私が彼から離れる選択を採った時に……彼が何も思わないことが、怖かったのだ。
日は更に沈み、銅貨の首飾りが冷えていく。
その硬質な感触が、冷たさが、怖くて仕方ない。
そんな私の心情を知ってか知らずか、ルングは「……まあ、君がそう言うのなら良いか」と告げると、思い出した様に続ける。
「そういえばリッチェン。これを」
ルングは先程と同様に。
無愛想に。
無遠慮に。
ローブの懐から、見覚えのある筒を取り出す。
「……朝の水筒ですの?」
「ああ」
ルングはそれ以外何も言わない。
ただただ。
水筒を私に差し出し続けている。
……何なんですの?
分からない。
ルングが何をしたいのか、まるで分らなかった。
「で、では……」
妙な緊張感の中、恐る恐る水筒を受け取る。
外観にあまり変化はない。
しかし――
「……軽い?」
朝、受け取った時も、決して重くはなかった。
しかし明らかに、重量が減っていた。
「おお! やはりリッチェンなら、気付いてくれるか!」
ルングは声を弾ませ、目を輝かせる。
そして嬉々とした様子で、水筒について語り始めた。
「その通り!
この水筒は、朝の水筒を更に改良し、軽量化を成功させたのだ!
見た目はほぼ変わらず、それでいて腰への装着機能が魔術によって――」
ルングは先程の無愛想が嘘の様に、捲し立てる。
頬は上気し、拳を強く握りしめ、少年は熱く語り続けている。
そんなルングを見て――
……ふふっ。
肩の力が抜ける。
あんなに緊張していたのが――怯えていたのがバカバカしくなるくらい、いつも通りだ。
……まったく。ルングはまったくですの。
私の様子が変な事に気付いた割に、今はもうそれを忘れたかのように、水筒の説明を続けている。
あの緊張感を、返して欲しい。
この少年は、いつだってそうだ。
魔術や発明品の事ばかり。
人のことなど二の次なのだ。
置いてきぼりにするのだ。
しかしそれでいて――
「――さて。
そういう訳で、この魔道具付き最新水筒を――リッチェン。
君にあげよう」
偶にこちらへと振り向くのだ。
「えっ……?」
少年の瞳を真っ直ぐ見返すと、彼は私からほんの少し視線を逸らす。
「……遠征の時、そういうのがあったら便利だって聞いたからな。
だから、作ってみたのだが」
……ズルい。
ズルいズルいズルい。
いつもそうやって、人の心をかき乱す。
魔術やお金の事ばっかり見てるくせに。
クー姉や両親の事ばっかりのくせに。
なのに偶にこちらをチラリと見るのが、ズルくて仕方ない。
「……ひょっとして、いらなかったか?」
無表情のくせに。
もう私よりも背が高いくせに。
小動物の様に小さくなっている姿が、少し可愛らしく見えるなんて、始末に負えない。
……本当にもう、この人は。
どうしようもない幼馴染だ。
所在なさげに立っている少年に告げる。
「……そう言うなら、遠慮なく貰いますわよ?
後で返せって言われても、返しませんのよ?」
私の言葉に、少年の目が爛々と輝く。
「勿論だ。
むしろ、使用感を教えてくれ。
その情報を元に、更に改良して提供しよう」
「……まったく、いつも私を実験台にして」
「ふっ……俺の最高の実験台がリッチェンだからな」
いつもなら「嫌ですのよ!」と返すところだが。
「……まあ、悪くはないですわね」
……今日は少しだけ。
ほんの少しだけ、自分の気持ちに素直になろう。
正直になろう。
心に従おう。
ルングの人生の中に、当然の様に私がいる。
そのことが、嬉しかったから。
ルングは私の言葉に、目を丸くする。
どうやら、少しは鼻を明かすことに成功したらしい。
「……本当にどうした? 何か変なものでも食べたのか?」
「食べてないですの」
「じゃあ……熱でもあるのか?
それなら、この改良した丸薬を――」
「それは絶対に嫌ですの!」
「……何故だ。
味も多少進化したというのに」
「その進化が、1番信用ならないんですのよ!
これまでも『進化だ』などと抜かして、何度私を酷い目に合わせてきたと思ってますの⁉」
「進化の歴史は、失敗の歴史でもあるのだ」
「知りませんわよ! そんなの!」
2人で再び帰路を進み始める。
楽しくて温かかった日常が、ようやく帰って来た気がした。
……それにしても、我ながら単純ですの。
ルングから発明品を貰っただけで、こんなに心が軽くなるのだから。
チャリチャリン
胸元の首飾りが大きく揺れる。
「まあ……良いですの。
それより貴方、進路どうするつもりですの?
魔術師? 発明家?
出来れば、私が逮捕しないで済む方向でお願いしたいですけども」
「おい、君は幼馴染を何だと思っている。
ちゃんと真っ当に稼げる職に就くつもりだぞ?
まあ、当分は学校を中心に、もっと活動の種類を広げていくつもりだが。
リッチェンは進路、どうするつもりなんだ?」
「私は――」
日はすっかり沈み、夜の帳が下りる。
各家には、煌びやかな光が灯っていく。
更に夜が深まれば、その明かりもまた寝静まるのだろう。
……しかし、それでも。
また朝はやって来るのだ。
――少女騎士は、こうしてまた1歩成長していくのでした。
主人公は……成長しているのでしょうか?
していると良いなと思います。
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう。