帰郷した少女は思いを馳せる
現在、番外編を木日の週2日更新予定です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
私はきっと――あの冬の経験を、想い出を、冒険を、忘れることはないだろう。
ピピ――
ガバッ!
ケータイのアラーム音に身体が反応し、音源を即座に止める。
咄嗟に周囲を見回し――
「そっか……家だ」
ほっと胸を撫でおろす。
母と2人暮らしの私の家の、私の部屋だ。
警戒態勢を緩めて窓際に近付き、シャっとカーテンを引く。
眼下に見えたのは、アスファルトとコンクリートに囲まれた住宅街。
幼少期から、ずっと見てきた街並みだ。
早朝の薄暗さの中、まだ家々は寝静まっている。
……以前はこの光景に、何かを思う事なんてなかった。
何かしらの感慨が湧くこともなかった。
けれど今は、少し違う。
……ああ、帰って来たんだ。
戻って来られたんだ。
当たり前の光景だったそれに、私は安心感を抱く
日は徐々に昇り始め、冬の澄んだ空気を柔らかく照らし始めた。
……私が帰って来て、早1週間程たった。
摩訶不思議なことに。
奇妙なことに。
ルング君たちの世界で過ごした3ヶ月もの時間は、私の世界ではなかったことになっていた。
……けれど私は知っている。
あの想い出は、決して私の妄想なんかじゃない。
チラリと押し入れに――その中に隠してある相棒たちに視線を向ける。
私の身に付けていた鎧と剣。
それに最後受け取った魔道具は今、あの中に入っている。
私が帰ってきた直後に魔道具が輝き出し、トラちゃんの声が急に聞こえたのはビックリした。
それ以来、基本的に向こうの世界からの手土産たちは、基本的に押し入れに隠している。
……トラちゃんとは、偶に連絡を取っている。
魔道具から聞こえる言葉数は、いつも少ない。
それに話題は必ず「調子はどうだ? 元気か?」から始まる。
けれど、やっぱり馬が合う。
私がトラちゃんの質問に答えると、クールな口調が少し柔らかくなるし。
私が近況を話したら、短く相槌を打ちつつ聞いてくれる。
そんな時は不思議と、黄金の目を細めて微笑む可愛らしい銀髪の少女の姿が、瞼の裏に浮かぶのだ。
……そういえば。
次はリッチェンさんの声も聞かせてくれると、トラちゃんは言っていた。
どうやら「私と話したい」と、彼女がトラちゃんに直訴してくれたらしい。
……嬉しい。
私が異世界にいたのはたった3ヶ月程だったけど、リッチェンさんたちもまた私に友情を感じてくれていたみたいだ。
胸に温かな気持ちが灯ると共に、私の魔力が膨らみ始める。
それをどうにか制御し、ゆっくり周囲に留める。
……武器や防具、魔道具だけでなく。
剣術や魔術に言葉といった、向こうで身に付けた技能もまた、ちゃんと私の中には残っている。
そうして魔力を制御しつつ、軽く体を伸ばしていると――
「五十鈴! ご飯よ!」
「……はーい、今行く!」
母の温かい声が、扉の外から響く。
……何はともあれ。
私はこの世界に、どうにか帰って来られたのだ。
「行ってきまーす!」
「いってらっしゃい!」という母の声を背に受けて、私は学校への道を歩み出す。
……舗装された道路って、歩きやすいなあ。
「ふふっ!」
そんなことを考えて、笑いが堪えきれなくなる。
……普段の道が歩きやすいなんて、考えたこともなかった。
小さい気付きが嬉しい。
これもまた、向こうに行っていた影響なのだろう。
私の靴裏を、堅いコンクリートが押し返す。
……もう少し時間が経ってしまえば。
この感覚も失われていくのだろう。
それがほんの少しだけ、寂しかった。
歩いていると、次第に学校が見えてくる。
残り数ヶ月で、あの学校も卒業だ。
……ちなみに私は、進学することに決めた。
母に説得されたというのもあるが、やはりルング君たちと出会った影響が大きい。
魔術師。
騎士。
貴族家嫡男。
聖女。
聖騎士。
既に一人前の社会人として活躍する友人たちを見て、気付いたのだ。
私はまだまだ、色々な意味で足りていなかったのだと。
……勿論、実力もそうだけど。
それ以上に、そもそもの積み重ねが、私と彼らとでは全く違った様に思う。
旅路のルング君が、分かりやすいだろうか。
彼は私と旅をしながらも、常に魔術で何かしらの――私が理解できない様な――魔術を発動し、実験や研究を続けていた。
……ルング君本人にとっては、ついでの行動だったのかもしれない。
しかしその姿を見て、痛感してしまったのだ。
……私の考えは、甘かったのだと。
私の年齢で、社会に出て働くには。
一人前としてやっていくには。
少なくとも、ルング君たちの様な準備が必要なのだろう。
魔術師や聖女として働くのなら魔術を。
騎士や聖騎士として働くのなら剣術を。
言葉にすると簡単だけど、私の友人たちはその実力を高める為の努力を、幼少期から続けてきたのだ。
その長期間の積み重ねが、彼らの活躍に繋がっているのだと思う。
……それに対して――
私は彼らの様に、その準備が――社会に出る準備が、出来ているだろうか。
「ふっ――」
そんな自問に、自嘲の溜息が出る。
「出来ている」だなんて、間違っても言えない。
言えるはずがない。
私の「お母さんを支えたい」という気持ちに嘘はない。
だからこそ、母を支えるには――母の負担にならないようにするには、出来る限り早く就職すべきだと考えていた。
……でも。
今の私が。
気持ちだけは一丁前で、しかし何の準備もできていない私が働こうとしたところで。
本当に母の助けとなることが出来るのだろうか。
……働けるのなら、まだ良い。
どうにか食らいつけて、今の暮らしが多少楽になるのなら上出来だ。
けれど異世界の友人たちの蓄積を見ていたからこそ、簡単にどうにかなるとは思えない。
……だから私は、進学しようと思った。
進学して、ルング君たちに倣って社会に出る準備を、学生の期間にしようと決めたのだ。
そしてその間に考えようと思ったのだ。
「母を支えるには、どうした方が良いのか」を。
「何をすれば、多くの人の役に立てるのか」を。
……もう向こうの世界に行く機会は、ないかもしれないけれど。
それでも「丸井さん」と同様に、いつか彼らにも胸を張って再会できるように、私はこの世界で頑張っていこうと思う。
……そういえば。
私の将来について思いを馳せていると、ふとルング君との別れの時の事を思い出す。
……彼が私に向けた言葉は、確かに日本語だった。
あの世界を訪れた当初、私の日本語を彼が理解できていた事にも驚いたけど、それ以上の驚きだった。
……まさかあそこまで流暢に日本語を話せるだなんて!
「ルング君は本当に凄いなあ」等と呑気に考えたところで――ほんの少しの疑問を抱く。
私がルング君たちと初めて話した時、彼はこう言っていた。
「聖教国ゲルディで、似た言語を学んだ」と。
でも私が聖教国で訓練していた時、日本語を聞いたことは1度しかない。
「光合成」という言葉を、教皇様から聞いただけだ。
……そんな場所で。
彼はどうやって、日本語を学んだんだろう。
そこまで考えた時に、ある考察に辿り着く。
私が「向こうの世界の言葉」をあんなに速く習得できたのは、「転生」の能力によって前世の経験が、魂に残っているからではないかという話だった。
……であれば、こう考えることもできるのではないだろうか。
ルング君の魂に「日本語を話していた経験」が残っていたから、彼はあんなに流暢な日本語を話せたのではないかと。
つまり彼の前世は――日本人だったのではないかと。
……そして私への激励の内容を考えると――
とある可能性に辿り着いて、しかし首を振る。
飛躍が酷すぎる。
それに彼が亡くなったのは最近だ。
対して、ルング君は私と同い年。
時期が合わない。
……けれど。
もしそうだったのだとすれば。
そこまで考えて、頬が緩む。
そうだったら……嬉しいな。
……まあ流石にそれは、都合が良すぎると思うけど。
そんなことを考えながら、軽い足取りで歩いていると、学校の正門が徐々に近付いてくる。
門は私の来訪を歓迎してくれているかのように、冬の陽光でキラキラと輝いていた。
――少女は異世界での冒険を胸に、自身の進む先を決めたのでした。
阿部さんの後日談となります。
多少銃刀法違反が気になりますが、そこはお許しいただければありがたいです。
魔力も扱えるし、剣術も身についたままなので、ひょっとするとここからまた阿部さんの新しい物語が始まるのかもしれません。
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう。