41 少年はもう。
火木土日の週4日更新予定です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
……姉さんの魔術は繊細だ。
輝く球体に、目を向ける。
……尋常ならざる出力に目を奪われがちだが。
膨大な魔力に忘れがちだが。
少女の魔術の神髄は、それだけではない。
……その証となるのが、この球体魔法陣である。
計算された、幾万もの術式の重なり。
緻密な演算によって組まれた、文様の集積。
この魔法球は、針の穴を通す様な術式組成によって、成立している。
……だからこそ。
ミシリ
球体魔法陣が、甲高い悲鳴を上げる。
奇跡の様な球体魔法陣には今、指先程度の穴が開いていた。
俺の魔術によって穿たれた、小さな穴だ。
……通常の魔法円であれば。
この程度の欠損は、大した問題にならない。
穴の開いた部分の術式を再構築すれば、魔術の継続は可能だろう。
しかし――
……この魔法球では、それが出来ない。
論理の究極とも思える何重もの術式は残念ながら、1度損なってしまえば術者すら修復不能な、複雑極まりない魔術となっている。
つまりこれっぽっちの穴でも、穿たれた段階で――
バキバキバキバキッ――バキンッ!
魔法球は自身の有した膨大な出力により、砕け散る。
「ルンちゃん、何やってるの⁉」
ガシッ!
呆然としていた姉は、球体魔法陣が砕ける音に我を取り戻し、勢いよく俺の両肩を掴む。
「見ての通りだ。
姉さんの魔術は、破壊させてもらった」
……「俺の上級魔術を破った仕返しだ」とは、流石に言わない。
姉はユサユサと、俺の身体を強く揺する。
「ルンちゃん! ダメだよ!
『世界を越える』は、ウバダランの魔力ありきの魔術なんだよ⁉」
……姉さんの必死な声色は珍しい。
その蒼白の顔には、険しい表情が浮かんでいる。
目は鋭く細められ、眉間には深いしわ。
ファン垂涎のレアな顔だ。
……画像は残しておくべきだろうか。
そんなことを考えているとは露知らず、姉は必死に訴えかける。
「聞いてるの⁉
もう、ウバダランの魔力は使い切っちゃったんだよ⁉
2度と発動できないんだよ⁉
帰れないんだよ⁉」
「帰れない?」
真面目な顔から紡がれる荒唐無稽な言葉を、思わず繰り返す。
……分かっている。
姉さんが俺の為に――無論、阿部さんの為でもあるのだろうが――長年、この魔術の準備をしてくれていたのは、理解している。
色々な心情を胸に、この魔術を生み出したのは、想像に難くない。
気持ちの強さは――その想いの深さは、本当にありがたく思う。
俺が姉を大切に思う様に。
姉もまた俺を大切に思っている。
そんな事実が、嬉しくて仕方ない。
きっと俺は、一生姉に頭が上がらないだろう。
しかし――
……俺が姉さんの長年の悲願を知らなかったのと同様に。
姉が俺を、完全に理解しているとは限らない。
「……姉さん」
「今なら、まだ再構築が――」
「姉さん!」
どうにか修復しようとしている姉に、声を張り上げる。
すると少女は動きを止め、砕けた魔法球からこちらに視線を移した。
「ルンちゃん……大きい声出せたの?」
元々大きな目は更に見開かれ、口はポカンと開いている。
「……どこに驚いてるんだ」
少女の顔を占める大きな漆黒の瞳の中には、愛想の良い少年の呆れた顔が映し出されている。
……ズレている。
眉目秀麗。
才気煥発。
王宮魔術師の弟子にして、将来を嘱望されている魔術師。
しかし、そんな姉でも。
或いはそんな姉だからこそ、分からないこともある。
間違える事もある。
……俺に関しては、割と鋭い姉だが。
今回は完全に見当違いをしている。
……まあ。
言うまでもなく、姉のそういう所も愛らしいのだが。
……仕方ない。
おそらく今回は、きちんと言葉にしなければ伝わらないのだろう。
「姉さん……1度しか言わないぞ」
ゴクリと生唾を呑む。
鼓動は一気に高鳴り、顔はほんの少し熱を持つ。
……不思議だ。
敵と対峙した時も、上級魔術を発動した時も。
こんなに緊張することはなかったのに。
スゥ――
一呼吸置いて……覚悟を決める。
「俺は……この世界が好きだ。
姉さんがいて、父さんと母さんがいて。
友人たちがいて、守りたい人たちがいて。
そんな世界が好きなんだ」
俺の告白に、姉の目が限界まで見開かれる。
「確かに俺の魂は昔、阿部さんの世界にいたのかもしれない。
けど、もう俺の故郷はこの世界――姉さんたちがいる世界なんだ。
だから――」
俺の肩を掴む姉の手を取る。
……華奢だ。
この細腕を、どれだけ酷使してきたのだろう。
寝食を惜しみ、血と汗と涙を流して。
想像を絶する苦難を乗り越えて、少女は球体魔法陣に辿り着いたに違いない。
……俺はそんな努力家な姉さんと――
皆とこの世界で生きていきたい。
「だから、俺が向こうに――『阿部さんの世界』に帰るだなんて、言わないでくれ。
俺は姉さんたちと一緒に居たいんだ」
……この世界はもう、俺にとって異世界ではない。
この世界こそが、俺の世界であり。
俺の帰る場所――故郷なのだ。
姉は静かに顔を伏せる。
数年前まで見上げていた少女の背は、既に追い抜いてしまった。
……背を抜いた時には、嬉しかったものだが。
今は姉の表情を見られないことが、もどかしい。
「じゃあルンちゃんは……向こうに行かないの?」
ポツリと少女から言葉が零れる。
「……ああ」
「急にいなくなったりしない?」
「ああ」
きゅっと、姉の手に力が籠る。
冷たかった手が、少しずつ熱を帯び始める。
「また一緒に研究できる?」
「ああ。魔術だろうと農業だろうと、何だってできる」
……姉さんの顔が――
徐々に見えてくる。
その顔には赤みが差し、漆黒の瞳には柔らかな光が宿っていた。
「元気でいてくれる?」
「ああ」
「また一緒にご飯食べられる?」
「ああ」
「毎日作ってくれる?」
「あ……それは当番制だ」
……姉さんは目の端に涙を浮かべながら、温かく微笑む。
安心した様に。
肩の荷が下りた様に。
憑き物が落ちた様に。
その顔から、強張りが取れていく。
「そっか……。
じゃあ私、ずっと幸せなんだね」
「俺がいるだけで、姉さんは幸せなのか?」
「うん!」
揶揄うつもりだった言葉に、満面の笑顔で即答される。
……少し、照れ臭い。
「ルンちゃんも、私がいて幸せでしょ?」
自信満々のその顔は、本当に幸せそうだ。
「……まあ、否定はできないが」
「照れちゃって! 可愛い!」
スルリと首の後ろに両手を回され、抱き付かれる。
「重い、離れろ。
そして俺は、照れてない」
「もう、分かってるって!」
……そのしたり顔は、小憎らしいが。
離れる気配がないのは、腹立たしいが。
しかし目前にあるその笑顔は、とても眩しい。
……気まずい。
こんな至近距離で見つめないで欲しい。
「じゃあ……姉さん、そろそろ――」
むず痒さに耐え切れなくなって、俺がそう呟いたところで――
ドオォォォォン!
天空から轟音が落ちてくる。
……同時に。
姉弟に向けて、一陣の風属性魔術が吹く。
「ちょっと! そこの呑気な弟子たち!
姉弟でいちゃついてないで、早く師匠を手伝いなさあぁぁぁい!」
「「あっ」」
姉との諸々で、すっかり忘れていたが。
師匠はどうやら、未だ龍と戦っていたらしい。
雲1つない空を見上げるも、対峙する怪物たちの姿は見えない。
どうやら肉眼では捉えられない遥か上空で、攻防中の様だ。
「そういえばいましたね……。
まだ終わってなかったんですか?」
……まったく、空気の読めない師匠である。
「何て言い草ですか! 弟子2号!」
「でもルンちゃんの言う通り、先生にしては珍しくない?
魔物が相手なら、いつも即仕留めにかかってたのに。
もしかして……腕鈍ったの?
そんなんだと、シャイ先生に叱られるよ?
仕事サボって来たんだよね?」
「師匠に妙な煽りをしないでください、弟子1号!
腕前が落ちたんじゃなくて、相性! 相性の問題です!
大体、私は仕事をサボって来たわけじゃなくて――」
そんなやり取りをしながらも、爆音は轟き続けている。
……このまま師匠を放置して帰っても良いが。
それをしてしまうと、今後が怖い。
「……仕方ない。手伝うか」
そう呟くと、首にぶら下がったままの少女が微笑む。
「じゃあ、私はこの特等席で観戦してるね!」
「いや、当然姉さんも手伝え。その方が早く帰れる」
「ええー」と言う姉をぶら下げたまま、風の魔術で飛び立つ。
蒼穹の彼方では、強大な魔力がぶつかり合っている。
……おそらくあそこに、師匠と魔物がいるのだろう。
「仕方ないなあ……じゃあ、さっさと倒して一緒に帰ろうね」
「ああ。面倒だが……師匠の尻拭いをして、さっさと帰ろう」
「ちょっと! 口を動かしてる暇があったら、急いでこっちに来なさい!
師匠命令です!」
「「はいはい」」
こうして姉弟は、輝く大空へと飛び立った。
――ルングにとって今いる世界は、もう異世界ではなくなっていたのでした。
異世界から転生した少年はそのまま残り、勇者から転生した少女は帰って行ったというお話。
そして、姉弟にすっかり忘れられていた師匠。
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう。