40 天才魔術師の軌跡。
火木土日の週4日更新予定です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
「……えっ?」
姉の問いを聞き返す。
……一瞬何を言われたか――問われたかが、わからなかった。
ひょっとすると、脳が理解を拒んでいたのかもしれない。
……姉さんは今、「故郷に帰るか」と問うたのか?
血の繋がった、実の弟である俺に対して。
阿部さんの世界に――前世俺が生きていた世界に帰るのかと。
「……何を言ってるんだ、姉さん。
俺の――俺たちの故郷は、アンファング村だろう?」
我ながら白々しい言葉だ。
それを聞いて姉は目を瞑り、一呼吸する。
自身を落ち着かせるように。
はやる気持ちを抑える様に。
深く息を吐くと、少女は応える。
「確かにルンちゃんの身体はそうだけど……でもルンちゃんの魔力は――魂は、違うでしょう?
いっちゃんの世界から、来たんでしょう?
それなら……元々居た世界に帰りたいのかなって」
……魂。
長命種の魔術師――トラーシュ先生は、以前言っていた。
「魂を見れば、異世界出身の者かが判別できる」と。
彼女はその言葉通り、俺が――俺の魂が異世界からやって来た存在だと看破していた。
……この天才もやはり――
あの歴戦の魔術師と同様に、俺の魔力を、識別していたらしい。
「……いつから、俺の魂が異世界のだと分かったんだ?」
姉は静かに微笑む。
「普通と違うっていうのは……ルンちゃんが生まれる前から――お母さんのお腹にいる時からかな?
魔力の色が、村の皆と違ってて。
綺麗で、可愛くて、温かくてね」
……嘘だろう?
呆気なく言い放たれた事実に、絶句する。
俺が生まれる前となると、姉は3歳。
彼女はその時点で、魔力の違いを認識できていた様だ。
……魔術の才に恵まれ過ぎている。
確かその頃には既に、遊び感覚で無詠唱魔術を扱えていたはずだ。
あまつさえそれを、赤ん坊の俺に教授したのも彼女である。
……知ってはいたが、根っから規格外なんだな。
俺の驚愕に姉は気付く気配もなく、そのまま語り続ける。
滔々と。
愛おしむ様に、語り続ける。
「ルンちゃんは生まれてからも、ずっと可愛くて、綺麗で。
そんなルンちゃんといるのが楽しくて。
……何より幸せで。
お父さんとお母さんも、すっごく幸せそうで」
「でも――」と、姉の穏やかな表情が少しだけ曇る。
「でも――あの日。
お父さんがケガして、私たちが世界魔力を扱えるようになった日……気付いたの。
ルンちゃんの魂が綺麗なのは、理由があったんだって。
ルンちゃんは……別の世界からやって来たんだって」
……世界魔力の認識をきっかけとした、知覚拡大。
あの万能感を伴う感覚拡張によって、少女は直感的に俺の魔力の正体を理解したらしい。
「あの日からは……怖かった。
『ルンちゃんが帰っちゃったらどうしよう』って、心配だった。
私が見てない内に、いなくなってたらって」
……思い出されるのは、月下の魔術戦。
師匠――王宮魔術師レーリン様に、俺たちが初めて師事した夜。
俺に「置いていかないで」と告げた、姉の切ない表情だ。
……置き去りにされるのは、こちらの方だと思っていたのだが。
何を的外れな事を言っているのかと、あの時は思ったものだが。
よく分かっていなかったのは、俺の方だったのだ。
「だから……嬉しかったの。
ルンちゃんが私を信じてるって言ってくれたのが。
もし私がルンちゃんより先に行っても、私を追いかけてくれるって言ってくれたのが、本当に嬉しかったの」
俺は姉の魔術の力量を。
姉は俺の魂の在所を。
……姉弟は、互いに異なる地平を見ていた様だ。
「先生から、魔術を習うようになって。
少し寂しかったけど、魔術学校に行って。
私に、そこそこ才能があることも分かって。
魔術を知っていって、ルンちゃんと成長していく内に、こう思う様になったの。
『ルンちゃんの為に、この才能を使いたい』って。
『私がルンちゃんに返せるのって、何だろう』って。
ルンちゃんが、生まれてくれたことが幸せで、本当に楽しかったから」
……ああ――
視界が開けていく様だ。
姉のこれまでの言動が。
行動が。
人生が、俺の中で1本の線として繋がっていく。
「私を幸せにしてくれたルンちゃんの為に、私が出来る事って何だろうって。
そう考えた時に、ふと思い付いたの。
ルンちゃんを……帰してあげようって」
姉は自身の展開した球体魔法陣を――そこから伸びた光を見上げる。
煌々とした光に照らされた横顔にあるのは、爽快感と達成感だ。
「『ルンちゃんを帰す方法』を探して、先生にくっついて聖教国とか獣極国に行ったりして」
「……まさか『雷化魔術』の開発協力も、その一環だったのか?」
「うん……興味もあったけどね。
勿論『転移魔術』の開発もそう。
世界間移動の手段を、ずっと探してたんだ。
無事『転移』が開発できて、後はルンちゃんの居た世界――異世界の座標を見つけるだけってなったタイミングで、いっちゃんが来てくれたのは、運命だと思ったよ」
……運命を感じるのも、無理はない。
移動手段の確保から間を置くことなく、阿部さんが――異世界出身者が、転がり込んできたのだから。
「だから、見送りにも、旅そのものにも――」
「うん、行く時間が惜しかったんだ。
私は私に出来ることを、しなきゃいけなかったから。
……本当は行きたかったけどね?
でもルンちゃんがいるなら、最悪の事態になることはないだろうし」
……3ヶ月という異常な魔術開発の速度も、また必然。
というより――異常でも何でもなかったのだ。
少なくとも、姉が魔術学校に入学してから。
或いはその前から、少女はこの魔術の研究を始めていたのだから。
……ひょっとすると――
姉の魔術開発の期間としては、最長の魔術ですらあるかもしれない。
1人の天才がその才能と時間を費やした結果が、この球体魔法陣であり、異世界への帰還用魔術なのだろう。
少女は穏やかに、微笑んでいる。
どこか切なさを孕んだ笑顔を浮かべている。
その可憐な表情に……胸が潰れそうになる。
……姉さんは今、どんな気持ちなのだろう。
彼女が俺のことを、可愛がってくれているのは、よく知っている。
少女の溺愛っぷりを、俺は心底知っている。
……この世界から、去るかもしれない弟を。
彼女は今どんな心持ちで、見ているのだろうか。
「……大変だっただろう?」
少女はゆっくり首を振って、否定する。
「……全然そんなの、思わなかったよ。
感じたことも、なかったよ。
遊んだのも、喧嘩したのも、イタズラしたのも、研究したのも。
全部大切だったから。
楽しかったから。
ルンちゃんが生まれてくれたのが、私にとって最高の幸せだったから。
だから、ルンちゃんの幸せの為に全力を尽くしたかったんだ。
だって私はルンちゃんの……お姉ちゃんだから」
少女の笑顔は美しい。
触れれば消えてしまいそうな笑顔。
儚く、消え入りそうな微笑み。
……姉さんが、そんなことを考えていたなんて、知らなかった。
天真爛漫で、家族や村が大好きで、頭は魔術で埋め尽くされている。
それが俺の抱く、姉への印象だ。
しかし、そんな少女の根底には、常に俺への献身があったらしい。
……情けない。
人として。
弟として。
情けなくて、仕方なかった。
俺はいつも自身の事で精一杯で、姉の考えを何も分かっていなかったのだ。
不出来で未熟な弟だったのだ。
……だが――
長年一緒に居たからこそ、理解していることもある。
姉は今、確かに笑顔を浮かべているが――
その笑顔が、普段の笑顔ではないことも。
手の震えを、どうにか隠そうとしていることも。
魔力の揺らぎを、必死に制御しようとしていることも。
経験上、理解している。
彼女と過ごした日々が、少女の笑顔の嘘を訴えている。
……強情といえばいいのか、頑固と言えばいいのか。
阿部さんに勝るとも劣らない、意志の強さである。
叫んでもいいのに。
怒ってもいいのに。
泣いてもいいのに。
胸に秘めた激情を、少女は見事に覆い隠そうとしているのだ。
……それはきっと――
俺を悲しませないためだろう。
俺たちが、阿部さんの選択に口を挟まなかった様に。
姉もまた、俺の選択を尊重したいのかもしれない。
……酷い話かもしれないが。
そんな俺の為の気遣いが可愛らしく、嬉しくて仕方が無かった。
「姉さん……ありがとう。そして――ごめんな」
「っ⁉」
瞳の揺れる姉を差し置いて、俺は未だに起動し続けている球体魔法陣へと、足を踏み出す。
……綺麗だ。
異世界まで伸びるこの光はきっと、姉の魂の輝きそのものだ。
思いの強さそのものなのだ。
少女の美しく高潔な精神性を、彼女の魔術は表現しているのだ。
……本当に、申し訳ない。
煌々と輝く光柱を前に、謝罪の気持ちは溢れ続ける。
この罪悪感はきっと……一生消えないだろう。
姉がこんなにも俺を、気にかけていたことに気付けなくて。
姉の人生の中でも、少なくない時間を費やさせて。
そして――
……姉さんの努力を、踏みにじるような真似をして。
心底、申し訳なく思う。
ドクン――
強い鼓動と共に、自身の魔力が燃え上がる。
身体を魔力が駆け巡り、想いを顕現させる力が湧いてくる。
その想いのままに、俺は自身の魔力を解放する。
「えっ⁉」
青天の下、姉の声が響き渡る。
……しかし、もう遅い。
いくら天才といえども、もう間に合わない。
驚愕の表情を浮かべる姉を置いて――
「『水は穿ち運ぶ』」
魔法円が展開する。
最速を誇る水の魔術は、瞬時に顕現すると――球体魔法陣を目にも止まらぬ速さで貫いたのであった。
――長年の姉の想い。
トラーシュ先生と同様、姉はルングの記憶があることは知りません。
しかし彼女は、ルングの魂を見抜き、この判断を下したのでした。
物語も、いよいよ最終盤となります。
ルングの行動の意図は如何に?
次回のお話をお楽しみに!
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう。