37 姉の裏事情。
火木土日の週4日更新予定です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
「私、戻れるんですか?
元の世界に……日本に、帰れるんですか?」
異世界出身の少女――阿部さんの声が震える。
……彼女がこの世界にやって来て、約3ヶ月程。
勇敢だったり、不安そうにしたり、色々な阿部さんを見てきたつもりだったが、こんなにも呆然としている彼女を見たのは、初めてかもしれない。
しかし姉はそんな彼女の様子にもお構いなしに、話を進める。
「うん! 帰れるよ!
『いっちゃん帰還魔術』は、もう開発できたからね!」
……そういうことか。
ウバダラン行きが決まって以降――
姉とほとんど会えなかったのは、彼女がその魔術を開発していたからだったのだ。
……勿論――
俺はザンフ先輩と共に、旅に備えて魔道具の開発・調整をしていたし。
阿部さんは同行条件を満たす為に、学校や聖教国で鍛えていた。
それ故に、顔を合わせる機会が少なかったのもある。
だが、姉と会えなかった最大の理由は、彼女が研究室に籠り続けていたからだ。
昼夜問わず研究三昧。
偶に遭遇したかと思うと、ご飯をおねだりされ、食べ終わればすぐに研究室に戻ってしまう。
我が姉は、そんな上げ膳据え膳生活を送りつつ、魔術研究に打ち込んでいたのである。
……そんな彼女の研究内容は、俺にも黙されていたが――
どうやら研究の主目的は、阿部さんを彼女の世界に帰す魔術――『帰還用魔術』の開発だったらしい。
「ほらっ!
いっちゃんに渡した、ルンちゃん作の魔力制御用魔道具があるじゃない?
あれでいっちゃんの魔力をこっちに送ってたのって、実はいっちゃんの――異世界転移者の魔力を解析するためだったんだよね!
おかげで、『いっちゃん帰還魔術』が誕生したんだよ!」
……阿部さんは常に膨大な魔力を、展開している。
1ヶ月の修練によって、ある程度の制御は利く様になっていたが、更にその魔力量を微調整していたのが、魔力制御用魔道具である。
そこに刻印された魔術は『転移』。
魔道具を通じて、阿部さんの魔力を『転移』することで、物理的に彼女の魔力を減少させて、少女の魔力量を制御する魔道具だったのだが。
……『転移』を魔道具に刻ませた真意は「魔力調節」ではなく――
「阿部さんの魔力」を姉の下に運ぶことにあったらしい。
……阿部さんの魔力。
すなわちそれは、異世界転移者の魔力だ。
その魔力を解析し、研究を進めた結果、どうやら姉は阿部さんの故郷――「俺の以前いた世界」に到る魔術の開発に成功した様だ。
しかし――
……怪しい。
ニコニコと胸を張り、笑顔を浮かべている姉を訝しむ。
……無論。
姉が『帰還魔術』を開発したというのは、疑っていない。
常人ならともかく、姉は天才だ。
彼女なら時間さえあれば『帰還魔術』を――『異世界に移動できる魔術』を開発したとしても、不思議はない。
……腑に落ちないのは――
開発期間が、短すぎることだ。
3ヶ月。
それが研究と開発に費やせた時間のはずだ。
だが共同開発した『雷化魔術』も『転移魔術』も、開発期間は少なくともその倍以上かかっている。
……まあ。
この姉の場合、共同研究より個人研究の方が捗るという可能性も0ではない。
しかし、そうだと仮定しても――
……早すぎる。
まるで、以前から異世界転移者が来るのを予見していたかのような。
そんな周到さすら感じさせる、開発速度である。
怪しむ俺の隣で、阿部さんは驚愕のあまり絶句している。
いや、それは彼女だけではない。
周囲の友人たち――いつもは騒がしい友人たちも、今度ばかりは珍しく黙りこくっている。
……彼らの沈黙する気持ちも、非常によく分かる。
姉は軽く言い放ったが、彼女は自身のしでかしたことへの理解がまるで足りていない。
異世界転移。
それは女神の特権であり、権能のはずだ。
……まあ、女神の実在に関しては、未だ議論の余地があるのだが。
何かしらの超自然的現象によって、異世界転移者――この世界の外の人――たちが、こちらに召喚されているのは間違いない。
阿部さんもその前身である勇者も、初代聖女も。
皆、何某かの――おそらく女神と目される存在の――力によって、異なる世界間を渡って来た存在なのである。
……そんな女神によって召喚された阿部さんを――
「元の世界に帰すことができる」と。
姉は今、そう言った。
……力に対抗するには、同程度の力が必要になる。
聖教国で師匠の上級魔術『世界は燃える』に抗う為に、トラーシュ先生の『世界は寡黙だ』を用いた様に。
強大な力に対応するには、当然強大な力が必要となる。
……それを念頭に置くと――
「阿部さんを帰す」魔術には「阿部さんを呼ぶ」能力と同等の力が――少なくともそれに近しい力が、込められていることになる。
……それはすなわち姉さんが――
女神に匹敵する――或いはその一端に届く力を持っていると、言えるのではなかろうか。
「……お姉ちゃん、やっぱりクーグルンさんって、聖女認定した方がいいんじゃ?
やってること、ほぼ女神様よね……?」
「同意しますが、女神様への信仰は力に対してのものだけではないので、そこは忘れないように。
……残念ながら聖女認定は、私の一存ではできません。
教皇様に、確認を取らねば。
……今、ここを抜けて確認を取って来てもバレませんかね?」
「いや、バレますよ。絶対やめてください。
ルングも俺たちを見てますし」
沈黙の中、敬虔な女神の信徒たちが、コソコソと画策し始める。
やり取りの気軽さの割に、彼らの表情は大真面目だ。
……まあ聖女認定は、冗談半分にしても。
彼らがそう考えてしまう程の所業――人智を越えた、神懸かり的な所業であることに、変わりはない。
しかし――
「ふふふ……大変だったんだよ!
研究を始めて幾星霜!
魔術の完成もそうだけど、王宮魔術師総任から使用許可を貰うのも苦労したんだよ!
今回の件の犯人の身柄確保が、条件だったんだから!」
当の少女は、自身の偉業をまるで理解していないかの様に、子どもっぽく胸を張っている。
「……だからあの男を、シャイテル様の元に送るのに拘っていたのか?」
俺の言葉に「その通り!」と、姉はピースサインをこちらに向ける。
……胸中に広がるのは、薄い敗北感だ。
裁判にかけ、普通の人間として今回の件の責任を問う。
ウバダラン復興の情報源にする。
王宮魔術師総任との交渉材料とする。
「男の生存」という1手で、姉は3つの目的を果たしていたらしい。
……姉さんは、どこまで読み切っていたのだろうか。
感心する様な、呆れる様な。
ここまでくると、全てが姉の掌の上の様な気がしてきた。
前世も含めれば、俺の方がずっと年上の筈なのに、全く敵う気がしない。
そんな底知れない姉によって「帰ることが出来る」と告げられた阿部さんは、何も言わない。
ただ、この場にいる人たちの顔を静かに見回す。
……その横顔が表す心境は複雑だ。
日本への郷愁。
故郷に帰れる嬉しさ。
しかしその裏に必然的に付随する、この世界との――友人たちとの別れの寂しさ。
……我ながら冷たいと思うが――
正直な話、俺としてはどちらでも良かった。
少女がここに残ろうが、帰ろうが。
どの選択をしようが、構わないと思っていた。
彼女が納得できるのなら。
幸せであるのなら。
どちらでも問題ないと考えていた。
……どの選択をしようとも、別離の寂しさは必ず彼女についてくるのだから。
友人たちも、決して口は出さない。
ただ彼女に視線を向けられると、一様に柔らかい笑顔で返している。
皆、察しているのだ。
この選択が、阿部さんの人生の転機になると。
そしてそんな重要な選択を、自分たちの感情だけで歪めてはならないと。
少女は笑顔を浮かべる友人たちと視線を交わし、最後にその漆黒の瞳で俺を捉える。
……真っ直ぐな瞳だ。
この世界に来た頃の、怯えきっていた彼女の面影はもうない。
命懸けで鍛錬して、旅をして。
少女はもう、以前の少女ではないのだ。
阿部さんに軽く笑みを向けると、彼女は嬉しそうに、満足そうに1度頷く。
そして――
「私……決めました。
故郷に――日本に、帰ろうと思います」
強い意志の籠った、それでいて穏やかな言葉で、少女は姉にそう告げたのであった。
……どうやら姉の開発した魔術は――
人に見せるのを、禁止されたらしい。
……まあ、よくよく考えれば納得だ。
ポンポン周囲の魔術師たちが使用するから忘れがちだが、上級魔術すら本来なら人目に晒されること自体少ない、魔術の奥義なのだ。
女神の力を再現する新魔術への対応としては、当然といえば当然なのかもしれない。
「……それでは、仕方ありませんね。
ここでお別れするのは、残念ですが。
イスズ様――貴女の未来に、女神様のご加護があらんことを。
クーグさん、ルング。イスズ様をよろしくお願いします」
「ありがとうございます……マイーナ様」
「私の事、忘れないでね! イスズ様!
ずっと友だちだからね! 元気でね!」
「はい、絶対に忘れません! ハイリン様!」
「俺の事は忘れても構いませんが、ハイリンとマイーナ様の――」
「お姉ちゃん」
「……ハイリンとお姉ちゃんの事は、忘れないでやって下さい」
「勿論、ゾーガ様の事も覚えておきますね!」
聖教国の3人組はやはり忙しい中、助っ人に来てくれていたらしい。
阿部さんとの別れを惜しみながら、彼女たちは姉の魔法円を通って帰っていった。
「イスズ様、お元気で!
ルング! この働き分は、ちゃんと私に払いなよ?」
「色々とありがとうございました、アンス様!」
「いえいえ! どういたしまして!」
アンスもまた同様に多忙だった様だ。
さっぱりとした調子で冗談を言いつつ、少年は足早にさっと魔法円を潜り、アオスビルドゥング公爵領へと戻った。
「イスズ様、貴女と居られて本当に良かった。
……とても――とっても楽しかったですの!
たとえ離れ離れになっても、私の剣は貴女と共にありますの!」
「はい。リッチェンさんも、元気でね!」
少女騎士と阿部さんは、ぎゅっと抱きしめ合う。
しばし2人は互いの温かさを確かめると、名残惜しそうに離れた。
「ところで……クー姉?」
そろそろ帰ろうかというところで、リッチェンは足を止める。
「どうしたの? リっちゃん?」
キョトンと首を傾げる姉を、リッチェンはじっと見つめた。
……何だ?
幼馴染同士の沈黙の睨み合いが、何故か始まっていた。
微笑む姉に対して、リッチェンの目は真剣そのものだ。
空気は張り詰め、一触即発の緊張感が場に満ちる。
「えっと……」
友人たちとの別れに涙ぐんでいた阿部さんは、突如発生した視線の交錯に、ハラハラした様子で2人を見守っている。
……どういうつもりだ?
何故この2人は、こんなタイミングで睨み合っている?
リッチェンの研ぎ澄まされた視線を、姉は穏やかな瞳で受け止めている。
「……いえ、何でもないですの」
リッチェンは根負けした様にそう言って、姉への視線を切ると――
「ルング! 寄り道したとしても、必ず戻ってくるんですのよ?」
俺に軽口を叩く。
「俺は子どもか」
「貴方、まだまだ子どもでしょうに」
「俺が子どもなら、君もまた子どもだろう。母さんか、君は」
……いつも通りの軽口だ。
しかし先程のリッチェンの真剣な瞳が、どうにも頭にちらつく。
……何かを覚悟しているかのような。
強い意志を宿したような瞳が、瞼に焼き付いて離れない。
「あのですね……この位で母親を名乗ったら、ゾーレ様に叱られますのよ?
大体、貴方もクー姉も、いつもいつも――」
「ええっ⁉ 私も⁉」
リッチェンの矛先が姉にも向き、姉は慌てた様子で否定する。
……それは確かに俺たちの日常だ。
普段通りの、ありふれたやり取りだ。
しかし、いつも通りではあるのに。
その口調ややり取りが、普段の何倍も優しく温かく感じられたのは――
……阿部さんとの別れが、リッチェンにとって寂しいからだろうか?
リッチェンの真意は掴めない。
幼馴染の表情からは、何も読み取れない。
……それどころか彼女は、俺に問う暇すら与えてくれない。
少女騎士は一連のお説教を終えると――
「それでは、お先に失礼しますの」
何かを振り切る様に、輝く魔法円の中へと駆けていった。
――友人たちとの別れ。
そして姉が見送りに来なかったのは、阿部さんを帰す為の魔術を開発していたからなのでした。
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう。