34 特別とは何か。
火木土日の週4日更新予定です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
「な、何だ⁉ 何が起きている⁉」
闇に染まった世界に、逆上した叫び声が虚しく響く。
先程までの魔物たちの喧騒は闇に呑まれ、世界はすっかり静寂に満ちていた。
だが変化したのは、闇と静けさだけではない。
「どうして、僕の魔物たちが、動かない⁉
動け! 奴を殺すんだ!」
周囲を埋め尽くしていた魔物たち。
大小数多の魔物たちが、その動きを止めていたのだ。
……正確に言えば――
完全に静止しているわけではない。
少しずつだが、動いてはいる。
しかしその動きは鈍く、まるで水中にいるかの様に遅いというだけだ。
加えて――
ボグッ!
魔術は新たな段階へと移行する。
くぐもった音が一斉に響き渡ったかと思うと――
「うわあっ⁉」
周囲の魔物たちが、一様に潰れ始める。
魔力の薄い手足の先からぐしゃりとひしゃげ始め、その肉体はボコボコと凹み、圧縮されていく。
「な……何をした、貴様!」
「見ていれば分かるだろう?」
潰れゆく魔物を見ながら、男は震える。
その震えは自身の手駒が減りゆく怒りからくるものか、得体の知れない現象が生じている恐怖からくるものか。
……どちらにせよ――
こちらには関係のない話だ。
「くそっ! 止めろ!」
男は掌をこちらに向ける。
おそらく能力を――世界魔力を用いて、俺を魔力に変換しようとしているのだろう。
男の周囲には、世界魔力が漂っている。
しかし先刻とは異なり、その世界魔力は男の命に従わない。
男は必死の形相で、掌の開閉を繰り返す。
だがやはり、先程まで男に応じていたはずの世界魔力が、それに応える気配はなかった。
「やはり貴様を素材にするのは無理か!
だが、僕にはまだ力がある!」
男は魔力が見えない故の勘違いを続けたまま、両手を己の正面に向ける。
「来い、戦力たち!」
しかし――
「な……どうした⁉
何故『召喚』も出来ない⁉」
その呼びかけに、魔物が――能力が応えることはない。
……現在、発動している魔術。
水属性上級魔術――『世界は沈む』。
それは、黄金と白銀の長命種の魔術師――トラーシュ・Z・ズィーヴェルヒンの魔術『世界は寡黙だ』を、改良・発展させた魔術だ。
その根幹を成しているのは、全てを呑み込む深海。
音もなく光も届かない底なしの海を、自身の魔力と世界魔力で再現する、上級魔術である。
……通常の海と異なるのは――
深海に適応した生物ではなく、魔力に適応した生物のみが生きられる空間ということだろうか。
魔力の少ない生物の動きは、空間内に満ちた魔力によって制限され、魔力密度の低い部位から潰れていく。
深く潜れば潜る程、気体が圧縮される深海の様に。
魔力の薄い存在から圧縮されていく空間を、魔術によって創造したのだ。
「ど……どうしてだ! 僕の戦力たち!
奴を素材にできないにしても、どうして『召喚』できない⁉」
そんな深海空間の構築には、俺が掌握した世界魔力が用いられている。
……この男がその能力を使えないのは――
世界魔力が俺の制御下にあるからだ。
能力の発動――魔物の創造に必要となる世界魔力を、供給できていないのである。
……そうなるのも、当然といえば当然だ。
そもそもこの魔術は、師匠や王宮魔術師総任、トラーシュ先生や姉といった、世界魔力を手足の様に操る、強大な魔術師を相手に想定して、組んだ魔術だ。
その魔術空間の前に、能力任せの魔力制御が、通用するはずもない。
「どうして⁉ どうして⁉
来い! 来い! 来いよ!」
男の焦りをよそに、魔物たちは為す術なく潰れていく。
……結局男は――
全ての魔物が圧縮し消滅するまで、その場で声を上げることしかできなかった。
「さて――」
魔術空間内の全ての魔物が滅びるのを見届け、視線を男に向ける。
「ど……どうして僕の『召喚』が使えない!」
「さあ? 無くなったのでは?」
……勿論嘘だ。
男が今、能力を使えないのは、俺が能力発動に必要となる世界魔力を支配しているからである。
しかし俺の嘘に、男の顔はさっと青ざめる。
「そんな馬鹿な事あるか!
特別な僕の……僕だけの才能なんだぞ⁉
そう簡単に、無くなるものか!」
……特別な僕。
当然の様に吐かれた言葉が、思いの外癇に障る。
……「特別」とは何だ?
強いことか?
才があることか?
血筋が良いことか?
美しいことか?
聡いことか?
優しいことか?
そんなのは、人による。
「特別」なものなど、価値観の数だけ――それこそ人の数だけあるのだ。
まあそういう意味では、この男が自身を「特別」だと考えるのも、別に悪ではないのかもしれない。
だがそれは、裏を返せば。
俺がコイツの事を無価値だと考えるのもまた、悪ではないのだ。
「じゃあお前は、『特別』じゃなかったんだろう。
……現に今、お前は能力を使えない。
ただの人に過ぎない」
……それは勿論、悪いことではない。
しかし男の青ざめた顔からは、更に色が失われる。
「ふ……ふざけるな! そんなはずはない!
有り得ない!
僕は、ウバダラン王国の王だぞ!」
……ウバダランの人々の命を奪ったことから考えれば。
その王位もまた簒奪したものだろうに、よくもぬけぬけと言えたものだ。
「王など……ただの呼称だろ。
大事なのは『王になって何を為したか』であって、『王になること』ではない」
「ぼ、僕は王として、いずれ功績を残すんだ!」
男に向けて歩みを進めると、男は1歩後退する。
未だ肌寒い季節にも関わらず、男の顔には冷や汗が玉を作っていた。
「お前が功績を残す? 笑わせるなよ。
残念ながら、それは無理だ」
「貴様、不敬だぞ!
僕には、その為の力がある!
僕はこれから、ウバダランの国是を広めるために打って出るのだ!」
……先程から「いずれ」だの「これから」だのと。
バグンッ!
「ひいっ⁉」
意図せず魔力の籠った足が、大地を踏み砕く。
顕現していた魔物は全て滅び、新たな魔物も創造できないこの状況下で。
男は目を覚ます気配がない。
その事実が、更に俺の心をかき乱す。
……コイツが犠牲にした人々には――
「いずれ」も「これから」もないというのに。
「何故お前に『これから』があると思っているんだ?」
意趣返しを込めた疑問に、男は何故か目を丸くする。
「だ、だって僕は特別だから――」
「特別な人間だって、死ぬだろう?
勇者アンビスだって……魔王だって。
互いに相打ったじゃないか」
「あっ」と、今更気付いたかのような言葉が、男の口からまろび出る。
しかし男は諦めない。
「だ、だが、そいつらと僕は違う!」
「そうだな……確かに違うな」
男の表情が、希望を見出したかのように、パッと明るくなる。
……しかし、酷い勘違いだ。
俺がお前を肯定するはずがないだろうに。
「少なくとも彼女らは『特別』に足る力を見せたから、今も語り継がれている。
だが、お前は違うだろう?」
男の顔色は、最早真っ白だ。
「お前はまだ、何も『特別』な資質を見せていない。
能力すら失われ、手駒も滅ぼされ、そんなお前に、何が出来るっていうんだ?」
1歩1歩近付くごとに、男の表情が醜く歪む。
絶望に蝕まれていく。
それとは対照的に、俺の内に宿る世界魔力の想いは、高まっていく。
「生きたかった」
「夢を叶えたかった」
「幸せになりたかった」
……それはあまりにも悲しく。
虚しく苦しい、今はもう戻ることのない、切実な叫びだ。
「た……確かに、僕の戦力は貴様に――君に倒されたかもしれない。
だが、僕はまだ生きてる!
魔物たちが死んでも、まだ生きている!
生きているなら、何だってできるはずだ!」
男はか細い糸に縋る様に、諦めの悪い叫びを上げる。
……いや、諦めるわけにはいかないのかもしれない。
今諦めてしまえば、男の辿る結末は火を見るより明らかだからだ。
「……勘違いしてもらっては困る。
お前が生きているのは、俺が魔術の指定対象から外したからだ。
幸運でも、偶々でもない。
至極真っ当な、必然だ」
男の身体が、ガタガタと震え始める。
「で、でも僕は……特別な――」
「何度でも言うが……そもそもお前は、本当に『特別』なのか?」
ヒュッ
男の喉から、音が漏れる。
「偶々、多少変わった能力を貰っただけで――」
男との距離はもう無い。
拳すら届く距離――射程距離だ。
「お前はお前が『素材』と呼んだ人たちと、変わらないんじゃないか?」
ブチッ
男の何かが切れる音が聞こえる。
「僕は――特別なんだあぁぁぁぁぁ!」
男は拳を大きく振りかぶり、こちらに殴りかかる。
……苦労も知らなさそうな、綺麗な拳だ。
農具を振るったことも、魔術に打ち込んだことも、剣を握ったこともなさそうな、柔らかな拳。
鈍く遅い、つまらない拳だ。
その拳は、運良く俺の顔面を捉える。
しかし――
バキッ
躱す必要すらない。
姉やリッチェンと比較するのも烏滸がましい、軽く脆い拳が通じるはずもないのだ。
「い――痛い! 痛い!」
男は顔面を捉え、反対に砕けた拳を抱え、地面を転げまわる。
じっとその無様な姿を見下ろしていると、涙を浮かべた男の目がこちらに向く。
「わ……わかった!
僕が悪かった! 謝るから、助けてくれ!」
……ああ、本当にバカバカしい話だ。
国中の人々の命を奪っておいて。
この期に及んでコイツはまだ、「なんとかなる」と思っているのだ。
「『特別』でも何でもないお前の命を助ける価値が、本当にあると思っているのか?
人を素材として消費してきた、お前の命が」
拳を構える。
全身から魔力が吹き出し、拳に集まっていく。
「あ……謝る! 心を入れ替える! だから――」
男の言葉を遮り、答える。
「お前の反省にも、価値はない。
せめて大人しく受け入れろよ。
お前の人生は、ここまでだってな」
……この1撃で、終止符を打つ。
間髪入れず拳を放つ。
以前取り込んだ世界魔力――その想いの籠った全力の拳だ。
魔物すら、容易に仕留められる1撃。
この男の肉体強度から考えれば、ひとたまりもないはずだ。
振り下ろした拳は空気を切り裂き、男の胴体に突き刺さろうかというところで――
「っ!」
俺の隣に『転移魔術』の魔法円が咲く。
そして――
「ルンちゃん……ストップだよ」
バシイィィィン!
可愛らしい声の直後に、俺の拳が魔術と農業の染みついた掌によって、受け止められた。
闇に落ちる、刹那の静寂。
その中で――
「何故止めるんだ? 姉さん」
「えへへ……来ちゃった」
美しい少女――姉が、花のような笑みを浮かべていたのであった。
――世界を圧し潰す、圧倒的な上級魔術。
ちなみに主人公は、これを師匠相手に使う可能性が最も高いと考えていた様です。
さて、魔術空間内に現れた姉は、どうして拳を止めたのでしょうか?
次回以降のお話もお楽しみに!
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう。