21 どうして彼女は異世界に来ることになったのか。
火木土日の週4日更新予定です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
仕事終わり――酷い頭痛に襲われた、薄暗い夜。
肩を落とし、足元もおぼつかない様子で歩いていた少女。
息を切らし、懸命に追いかけた少女。
……あの少女こそが、阿部さんだったのだ。
心優しい少女は、車に轢かれた俺を見て願ったのだろう。
自身を助けた男に、生きていて欲しいと。
その願いを叶える為に彼女は、生まれ持った能力――『転生』を無意識のうちに発動させた。
その結果生じた現象が、俺の異世界での転生だったのだ。
「丸井征生」
少女が前世の俺の名を告げたことを切っ掛けに、積み重なってきた考察が、納得を伴いながら事実へと変換される。
……良かった、無事だったのか。
積年の疑問が氷解していく中、始めに訪れたのは安堵の心情だ。
15年前、手を伸ばした少女が元気に生きていること。
その事実が、純粋に嬉しかったのだ。
しかし――
助かったはずの少女の顔は今、悲哀の形に歪み、湧き出る感情を無理矢理抑え込む為に、彼女は目を瞑っている。
その姿は、まるで聖職者の様だ。
耐えるように。
祈るように。
願うように。
少女はしばしの間、沈黙を貫く。
焚火の灯を纏うその姿は神々しく、純粋で、神聖だった。
パチッ
弾けた火の音を合図として、ゆっくりと少女の深い漆黒の瞳が顕わになる。
揺れる漆黒に先程までの悲しみはなく、代わりに自虐の色を宿しながら、少女は自ら沈黙を破った。
「丸井さんが亡くなって……投げやりになって。
ご飯も喉を通らなくなって。
暗い部屋の中で、独り引きこもり続けて。
ずっと泣いていました。
『私のせいで』って。
……そのまま、死んでしまえたらって。
毎日そう思っていました」
少女の悲痛な声が、否応なしに俺のバカさ加減を自覚させる。
……命を懸けて、人を助ける。
その行動自体は、尊いものだ。
素晴らしい事だと言えるだろう。
だがそれは、命の価値を――重みを知っている者がするからこそ尊いのだ。
命の重要性を知り、自身の命を大切にしながら、心底生きたいと願う者。
その者たちが誰かを生かす為に、自身の存在を懸けるからこそ。
覚悟を以て、誰かを救うために手を伸ばすからこそ、格別に美しいのだ。
きっとそれが出来る者たちのことを、人は英雄――或いは勇者と呼ぶのだろう。
……しかし断言できる。
当事者だからこそ、言い切れる。
俺は英雄でも、勇者でもない。
あの時の俺に、そんな覚悟など無かった。
自身の命の価値など知らず、生きたいとも思わず、後先も考えずに飛び出してしまった。
その考えなしの結果が、少女の悲しみの顔だ。
彼女が助かったかどうかは、気にしていたかもしれない。
しかし助けられた少女の気持ちなど、まるで頭になかった。
俺が死ぬことで偶然救われた少女が、どれほど傷付くのか理解していなかった愚か者。
自身の無価値に酔い、自身を軽んじ、薄い自己満足に浸った滑稽者。
それが俺――丸井征生だったのだ。
顔から火が出そうだ。
羞恥心で頭を抱えたくなる。
俺が自身を軽んじていたとしても、他者が俺を軽んじる理由にはならないのに。
そんな事も失念し、阿部さんに俺の命という荷を無断で背負わせた過去の自分を、殴りたくなる。
しかし――
「泣き続けていたある日、病院の人――看護師さんが、私の家に来たんです」
涙を堪えるように眉根を寄せていた少女の表情が、一転して和らぐ。
「看護師さんは……丸井さんを最後まで助けようとした人でした。
その人が、教えに来てくれたんです。
丸井さんが、最後まで私の身を案じてくれていたことを。
ずっと『あの子は助かったか』って、呟いてたって。
それを聞いて、苦しくなって、また泣いて。
それから、ひたすら考え続けました。
……私は、このまま死ぬべきなのかって。
私を助けてくれた丸井さん。
あんな立派な人が助けてくれた命を、そのまま失くしていいのかって。
考えて考えて、昼夜も忘れて考え続けて。
私は私なりの答えを、決めたんです」
少女の声に、力が籠る。
漆黒の瞳には光が戻り、その顔には生気が満ちていた。
「私は……丸井さんみたいに誰かを助けたい。
誰かの役に立ちたい。
誰かを支えるために生きるって、決めたんです」
……ああ――
阿部さんの無鉄砲な在り方。
自己犠牲を厭わない、あの価値観の原因は天啓でも何でもない。
俺が少女を助け、死んだこと。
それが元凶だったのだ。
軽々しく命を代償にした、無遠慮な救済。
それが責任感の強い少女の世界を、歪めてしまったのだ。
「そんなことは望んでいない」
「せっかく生き残ってくれたのだから、幸せになって欲しい」
「命を無駄にしないで欲しい」
そう告げるのは簡単だ。
だがそれを口にする資格は、俺にはない。
あっさり命を手放した俺には、少女の決意に介入する権利などないのだ。
しかし――
そんな矮小な俺の考えを、阿部さんはあっさりと飛び越える。
安心させるように微笑み、俺の心情を見透かしたかのように告げる。
「……大丈夫ですよ、ルング君。
安心してください。
私は生き続けます!
生きて! 生きて! 生き抜きます!
長生きして、丸井さんの分まで多くの人を助けて――自分の人生を全うします!
私の命はもう――いえ。
最初から、私だけのものじゃなかったんです。
亡くなった父や、多分今も心配してくれてるお母さん。
楽しい学校の友だち。
前世から、私を待ってくれていたトラちゃん。
ルング君や、クーグルンさん、リッチェンさんに、レーリンさんみたいに――
この世界で出会えた人たち。
そして……助けてくれた丸井さん。
沢山の人たちに支えられて、私は生きていられるんだって、わかったから。
だから私、どんな事があっても生き抜きます!
限界まで生き抜いて、孫とかひ孫の顔まで見ます!
それでいつか天国にいる丸井さんに、伝えたいと思います。
私、頑張りましたよって。
貴方のおかげで、生きられたんですって。
ありがとうございましたって。
胸を張って、堂々と――伝えたいんです」
白銀の手甲が、拳の形に握られる。
少女の漆黒は今、絶対の意志によって、煌々と燃え盛っている。
……眩しいな。
彼女は自身の命の価値を、よく理解している。
命を大事にしたいと思っている。
前世の俺なんかよりもはるかに強い意志で、彼女は今を全力で生きている。
……これでは――
どちらが大人か分からない。
そんな生の煌めきに彩られた少女を見て、ようやく気付く。
……前世の俺の命もまた、無価値ではなかったのだと。
亡くなった両親が育ててくれて。
薄かったかもしれないが、それでも沢山の人と関わりがあって。
そして最後に少女を――阿部さんを支えるために生きたのだ。
無味無臭ではなかったのだ。
無機質ではなかったのだ。
無駄ではなかったのだ。
丸井征生の人生にも、意味はあったのだ。
少女の意志の炎に呼応するように、胸の内が温かくなる。
「な、なーんて、格好つけちゃいましたけどね」
「えへへ」と少女は照れ臭そうに笑う。
どうやら少女の言葉に沈黙した俺を前に、羞恥心が出てきたようだ。
「……俺には、阿部さんの気持ちは分かりません。
阿部さんの人生は、阿部さんだけのものですから。
でも……その阿部さんを助けた人――丸井さんも、阿部さんが精一杯生き抜いて会いに来てくれるのを、楽しみに待っていると思いますよ」
そんな少女に冷やかしのない言葉を贈り、俺はある決意を新たなものにする。
……俺が「丸井征生」だった事。
それを少女には隠しておこうと、心に刻む。
話せば、真面目で意志の強い少女のことだ。
命を懸けて、俺に恩を返そうとするだろう。
自身の命の重みを知りながら、俺を助けるためにその命を捧げるのだろう。
前世云々関係なく、今の阿部さんもまた、曇りなく勇者なのだ。
……しかし俺は――
助かった阿部さん――「丸井征生」の命を受け止めてくれた少女には、幸せに生きて欲しい。
故に少なくとも俺が任務を終えるまで――危険が無くなるまで、この事は秘しておこうと誓う。
「はい、そうしてくれてると……嬉しいです。
まあ……そういうわけで。
私は怖くても、魔物相手に必死になって戦っているというわけですよ!
生きるために!」
少女はそう言って、照れ臭さの残った穏やかな笑みを浮かべたのであった。
――精神的に強い少女。
実は前世の主人公の影響を、もろに受けていたのでした。
さて、物語はどんどん加速していきます。
ルングと阿部さんの冒険はどうなるのでしょうか?
次話以降もお楽しみに!
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう。