7 王宮魔術師は微笑む。
火木土日の週4日更新予定です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
「おい……レーリン。
お前、私の領域に何しに来たんだ?」
円形に開けた場で、銀髪の少女がその黄金の瞳を不快そうに細める。
トラーシュ・Z・ズィーヴェルヒン。
魔術学校学長にして長命種の歴戦の魔術師が、ドスの利いた声を突き刺す。
「何をしにきたと問われると……哲学的ですね。
人とは移ろう存在ですから」
鋭い言葉の切っ先を煙に巻こうとするのは、桜色の髪と瞳を持つ王宮魔術師だ。
漆黒のローブはボロボロに擦り切れ、所々が焦げや砂に塗れている。
「ところで、私は悪い事してませんよね?
新しい仕事のために、クーグとルングを探していただけです。
いやあ、見つけられて良かった! 非常に苦労しましたよ!」
「……阿部さんは兎も角、俺たちは魔力抑えていたよな?」
「うん。残存魔力を視認できない程度には抑えてたはずだよ?
それにこの森は、トラ先生の魔力が満ちているから、私たちを探せるはずないんだけど……」
……あらゆる点で人間離れしていることは知っていたが。
感知能力すら、この人は普通ではないらしい。
慄く姉弟には目もくれず、師匠は言い訳を続ける。
「魔力を探してたら、この部屋の前に辿り着いたんです。
中からは弟子たちと、おばあちゃん、それに見知らぬ魔力。
これはチャンスだと思って……」
「チャンス……ほう、何のだ?」
「おばあちゃんへの――あっ」と師匠は口元を手で覆う。
銀髪の魔術師は、そんな桜色の魔術師を見下ろす。
「トラ先生、そんなの決まってるじゃない?」
2人の会話に、姉のクーグルンが割って入る。
ニヤリといたずらっ子のような可愛らしい笑みが、その相貌には浮かんでいた。
「あんな魔力で乗り込んできたんだから、トラ先生を倒そうとしてたんだよね?
だって先生、いつも言ってたもんね!
『チャンスがあれば、トラ先生とシャイ先生をこてんぱんにする』って!」
「しー! しー!」と、人差し指を唇に当てて、正座をさせられている桜色の魔術師は、どうにか隠蔽を図ろうとするが無駄だ。
既に俺たちに侵入意図が見透かされている以上、トラーシュ先生を誤魔化せる道理はない。
「……あわよくば、俺たちも参戦させようとしてましたよね?
協力者なのか、囮にするつもりだったのかはわかりませんが。
トラーシュ先生に挑むなら、1人で挑むのが筋でしょうに」
師匠は俺の言葉に頬を膨らませる。
それが少し様になっているのが、尚の事こちらの感情を逆なですることを、師は理解した方が良い。
「クーグ! ルング! あなた達はもっと師匠を庇うという心意気を見せなさい!
私が侵入して早々に、私を迎撃するなんて弟子の風上にも置けませんよ?
そんなんだから、特にルングは友だちが少ないんですよ?」
「師匠にだけは、言われたくないです。
友だちがいなくて、王宮魔術師の中でもハブられてるくせに。
魔術師会名誉出禁のくせに」
「違いますうぅぅ。
ハブられてませえぇぇぇん!
出禁は食らいましたが、私を理解できないあの人たちが悪いんですうぅぅぅ!」
……襲撃犯の分際で。
目前の魔術師から、反省の色は見えない。
正座した下半身とは対称的に、その上半身は両手を頭の後ろで組み、拙い口笛を吹いている。
「トラーシュ先生……処理しましょう。
なんなら俺が、どこかに沈めてきても良いですよ?
世の為人の為俺の為に」
「そうだよ、トラ先生!
こんなことが二度と起こらない様に、燃やしちゃおうよ!
後顧の憂いは絶っておいた方が良いよ!」
姉弟の願望に、トラーシュ先生は珍しく躊躇う様な声を出す。
「気持ちは理解できるが、一応こんなのでも王宮魔術師。
シャイテルを敵に回すのは面倒だ」
王宮魔術師総任シャイテル・ドライエック。
トラーシュ先生と並び立つ、最強の一角。
……個人的には、どちらが勝るのか見てみたい。
しかし長命種の魔術師に、その気はない様だ。
「ううぅぅ……誰も私の心配はしてくれないんですね」
メソメソと、師は憐れになるくらい下手な嘘泣きを披露する。
……本気で許される気は、あるのだろうか。
姉もそうだが、突飛な発想を持つ者の思考は読み切れない。
「お前がここに来た目的は『私を倒すため』ということで良いんだな?」
凍てつく様な黄金の瞳にしかし、師は恐れる様子を見せない。
「それが第1でしたけど……他の用件もできました」
じっ
その桜色の視線を、他所に移す。
「その子は――その子の異様な魔力は何ですか?
弟子たちとトラーシュ先生に、どんな関わりがあるんですか?」
師匠は辛さも見せず正座を維持したまま、好奇心に輝く瞳を制服の少女――阿部さんへと向けたのであった。
「へええ。勇者の転生……良い魔力してますね。
どうですか?
人でなしの弟子たちと協力して、私の仕事を手伝ってくれませんか?」
阿部さんについての説明を聞いた師匠は、下からその手を、制服の少女に向けて差し出す。
「阿部さん、労働環境最悪だから、止めた方が良いですよ?
そして師匠はどうして正座状態で、勧誘できるんですか?」
「見直しちゃいました?」
「見損ないました」
「辛辣ですねえ」
師匠は視線を阿部さんから外さずに、そう答えると――
「それに――転移して――元勇者――。
観測現象と照ら――」
阿部さんに差し出した手を口元に遣り、何事かをブツブツ呟き始める。
「先生?」
「遂に狂いましたか?」
スッ
師匠は俺たちに応えず、滑らかな動作で立ち上がる。
それと同時に――
「いっちゃん!」
「阿部さん!」
「えっ⁉」
姉と共に、阿部さんを守る様に、その場を飛び退く。
鼓動は大きく胸を叩き、冷や汗が全身から染み出す。
その場に吹き荒れ始めたのは――魔力だ。
師匠から噴出した、桜色の魔力である。
高出力で吹き出すそれはみるみる濃縮され、密度を増す。
炎の様に――血の様に――甘やかな桜色は毒々しい紅色へと染まっていく。
色が濃くなればなるほど魔力は禍々しさを増し、その圧を高める。
「トラーシュ先生」
最年少王宮魔術師が、長い歴史を生きる魔術師へと問う。
「トラーシュ先生。
現在、アーバイツ王国、獣極国、聖教国及びその他の国々にて、魔物の急激な増加が観測されました。
それはこの子――」
師は話を区切り、チラリと阿部さんを見つめる。
「アベイスズさん――異世界転移者が原因ですか?
或いは元勇者という存在に、何かしらの関わりがあると思いますか?」
先程までとは打って変わって、真剣味の強い声。
寒気すら走る、冷徹な声色だ。
殺気の籠った瞳は、長命種の魔術師を捉えている。
……魔物の増加だと?
近年、魔物が増加傾向にあったことは把握している。
それが理由で、師匠と聖教国ゲルディを訪れたのだから。
……あの時は――
師匠の魔術によって、原因と思しき巨大な魔物を滅ぼした。
聖教国周辺に存在する魔物を、師匠が領土ごと一掃したのだ。
その結果、俺たちはこちらに戻ってきた。
……しかし師匠の深刻な口ぶりから察するに。
あの時以上の魔物の増加が、起きている。
我が国でも、姉が訪れた獣極国でも、聖教国でも、他の国々でも。
……それは――
各国存亡の危機。
そう言って、差し支えない大問題のはずだ。
……だからこその、この殺気か?
もしも阿部さんが原因なら、この場で排除してしまおうと。
師匠は――この魔術師は、そう考えているのだ。
たとえ姉弟や、トラーシュ先生が敵に回ろうとも。
それでも国益を取ると。
桜色の王宮魔術師は、魔力でそう告げている。
「……原因ではない。
しかし、関わりはあるかもしれないな。
この子たちにはもう話したが、勇者アンビスが私たちの世界に来たのは、魔王の能力――『召喚』の影響が大きいという説が主流だ」
「そして――」とトラーシュ先生は、王宮魔術師の圧に屈さず続ける。
「そして勇者の生きていた時代も、同様に魔物の増加は観測されていた。
勇者の召喚前も後もな」
「では、この子をどうにかしても――」
「今、観測されている『魔物の増加』という事態が、収拾する可能性は低い。
他の可能性を模索することを、お前には勧めよう。
それでもこの子をどうにかしたいと言うのなら――」
トラーシュ先生はその黄金の瞳を閉じる。
瞬間――
「私が相手になろう」
桜色の嵐に、黄金と白銀の暴風が拮抗する。
「クーグルン、ルング。
あなた達は、どうしますか?」
刺すような殺気が、こちらに向けられる。
それは決断を迫る声。
生死の選択を迫る、刺々しい声だ。
「先生! そんなの決まってるよ!」
「そうですよ、答えはすでに出ています。師匠」
しかし俺たちは屈しない。
……舐めてもらっては困る。
阿部さんと出会って、経った時間は然程多くない。
未だ謎は多く残っている。
しかしそれでも。
少ししか接していなくても、分かることはある。
背後に庇う制服姿の少女に、目を遣る。
彼女は良い子だ。
遠慮がちで、少し不安そうにしていて。
それでも俺たちの邪魔にならない様に気を遣う、普通の良い子だ。
前世が勇者なだけの、ごく普通の学生だ。
そんな子を、魔物増加の原因である可能性があるからといった薄い理由で排除するのは、俺の信条に反する。
人は宝であり、大きな資源だ。
人は可能性に溢れている。
金、権力、力。
俺がそれらを求めたのは、身近な人たちを守りたかったからだ。
家族を。
村を。
友人を。
学友を。
先輩を。
社員を。
時の経過に伴ってその輪は広がり、今では国外にすら守りたい人たちが存在する。
その人たちを。
その人たちが切り開いていく未来を、俺は守りたいのだ。
阿部さんはもう――その輪の中に入っている。
そんな人を粗末に扱うつもりは、俺にはない。
ぐっ!
考えは違えども結論は同じだった様で、姉もまた阿部さんを庇いながら、臨戦態勢に入る。
師匠はそれを見て――
「そうですか」
嬉しそうに微笑み、桜色の殺気を消した。
「もう……トラーシュ先生、怖いですよ?
早く魔力、しまってくれません?」
「……良いだろう」
黄金と白銀もあっけなく消え、森は瞬く間に静寂に包まれる。
少しの不安と、気まずさ。
しかし師匠はそれを感じていないかのように、静かに切り出す。
「しかし流石に、アベさんの事は報告しなきゃいけません。
なのでアベさん――」
じっと優しそうに輝く桜色の瞳を、制服の少女に向ける。
「総任――私の上司と会っていただけませんか?
その後、私たちの国を、世界を、見てみたくありませんか?」
大義を背負いながらも、大らかで温かい声。
1度差し出された手が、再び王宮魔術師から差し出される。
「えっと……その――」
キョロキョロと所在なさそうに、周囲を見回す少女に、前世からの友人が告げる。
「イスズ、お前が自分で選ぶべきだ。
怖ければ私と一緒に居ても良い。
人の短い一生程度、いくらでも共にしてやるぞ?」
長命種の言葉に少女は頷き、姉と俺の顔を見て、もう一度頷く。
「ありがとう……トラちゃん。
でも私、沢山知りたいです。
前の私の事も、今の私の事も。
どうして私が、この世界に来ることになったのかも。
だから私……行きたいです!
この世界のことを知りたいです!」
そう言うと少女は俺たちの背後から飛び出して、王宮魔術師の手を取る。
彼女と出会って、初めて見る強固な意志。
その声に便乗しようとして――
「ちなみに言っておきますけど、クーグとルングは同行しなさい!
私の分まで働くの、確定ですからね?」
師匠に先手を取られる。
……やれやれだ。
どうやら姉弟の思考など、師匠には筒抜けだったらしい。
「当たり前だよ! まあ、先生の仕事はやる気ないけどね!」
「……当然だ。
後、仕事に関しては、師匠が相場より高めに金を寄越すのなら考えても良い」
「弟子たちからの尊敬が、足りない……」
姉弟の照れ隠しと師匠の悲し気な声が、森を満たしたのであった。
――こうして主人公たちは、王宮魔術師総任の元に行くことになったのでした。
ちなみにトラーシュ先生は、本気で阿部さんと過ごすことを画策していた模様。
さて、魔術師たちと元勇者の今後は如何に。
次回をお楽しみに!
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう