9 聖女は魔術師の姉弟に問う
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次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
「ルング……これ、触ってみてもいいですか?」
窓から入る日差しが、氷の様なものを突き抜け、床を照らす。
それだけなら、殊更特別なことはない。
光が内部を通り抜ける氷も存在するからだ。
しかし私は今、その一般的に十分起き得る現象に、目を見張る。
私が注目していたのは、氷ではなく床だ。
透過した光の映る床。
そこが、ゆらゆらと揺らめいていたのだ。
氷だったもの。
それは今、ルングの膨大な魔力と無詠唱魔術によって、その型を世界に残しつつ、内包する物質を固体から液体――透明度の高い水へとその存在を、変化させているのである。
「触れても問題ないとは思いますが……少し待ってもらっていいですか?」
私の首肯と同時に、少年の指が輝く。
特殊属性――魔力のみを用いた、身体強化魔術。
リッチェンさんが無意識の中発動するそれで、少年は自身の指を強化すると――
ポチョ
ゆっくりと水塊に突き入れる。
細い少年の指を中心に、大きく広がる波紋。
彼の指をきっかけに生じた波は、氷――水面を伝わり、ぐるりと1周すると衝突し合い、消滅した。
「……大丈夫そうです。どうぞ、マナ先輩」
入れた時と同様に、ゆっくりとルングは自身の魔術から指を抜くと、私に手で促す。
おそるおそる表面をなぞる様に、私はその水塊にゆっくりと触れる。
……やはり水だ。
冬の寒さを象徴するかのように冷え切っていた氷は、ほんの少し暖かい水へと変化を遂げていた。
その表面は柔らかい膜に包まれている様な弾力を持っている。
不思議な感触だ。
表面を浅く撫でると、水はプルンと揺れる。
しかし、少しでも深く触れようとすると、手はその膜を突き抜け、水に濡れる。
……面白い。
そして先程のルングの言を総合するに、実験室でこの魔術を発動した意味はおそらく――
手で水塊を弄びながら、ルングに尋ねる。
「『魔力で満たして、その魔力を氷ごと水に変換する』。
この魔術は、私の『雷』の前準備ですね?
貴方はこの現象を応用して、『発動者を雷に変換する』魔術を創造しようとしていると」
少年は感心した様にコクリと頷くと「あっ」と声を上げる。
「マナ先輩。そろそろ解除しようと思うので、念の為水から手を放してください」
ルングの言葉に水から手を離すと――
ピキッ
弾力のあった水塊は、元の氷塊へとその姿を戻した。
「この戻す時に触れっぱなしにしていたら、どうなるのかも気になるな……。
あっ、すみません。話の途中でしたね。
……そうです。これは先輩の『雷』の前準備です。
先輩には、このやり方で『物質を雷に変化させる』ことから出発し、最終的に『人体を雷に変化させる』魔術に辿り着いてもらおうと考えています。
ちなみに俺が雷ではなく水属性でしているのは、得意属性で扱い易いからです。
いきなり雷属性から始めると、俺の技量では危険だと思ったので」
少年はそう言うと、これまで黙りこくっているクーグさん――少年の姉に視線を向ける。
「姉さんも、今は俺と同様に得意な属性でやってますよ」
その視線の先に居る少女に、私が目を遣ると同時に――
轟っ!
私たちの居る区画の気温が一気に上がる。
原因は炎だ。
燃え盛る炎が部屋全体に顕現したのである。
しかしその炎は、刹那の間でその規模を縮小し、背を向けた少女の元へと収束していく。
固唾を飲んで、背を向けたクーグさんに近付くと、少女の目前に奇妙なモノが出現していることに気が付いた。
炎の氷。
あべこべな響きをもつ魔術。
矛盾を孕んでいるとしか思えない存在が、見事に顕現していたのだ。
ルングの時は、透過した光の揺れでようやく気付けるような代物だったが、今回は明らかに違う。
その炎氷とでもいうべきものは、自身の――正確にはクーグさんの魔力の――エネルギーで橙色に発光し、その高温を以て周囲の空間を揺らしている。
まるで自身の存在を、強調しているかのようだ。
「ふふふ……遂に私も完成したよ!
どう? ルンちゃん、マナちゃん! 私を褒めてくれて良いんだよ!」
クーグさんはようやくこちらに顔を向けると、嬉しそうに口を開く。
可愛らしい面立ちに、可憐な雰囲気。
しかしそんな少女の目前に存在する炎氷からは、ルングの時以上の魔力を感じる。
どうやら彼女はその暴力的な魔力量を以て、強引に氷を炎塊へと変換しているようだ。
「いや姉さん、無駄が多過ぎるだろう。
なんだ、最初に顕現した炎の量は。
どれだけ魔力を込めたら、あんな現象を起こせるんだ」
少年の淡々とした口調は、どこか呆れのニュアンスを秘めている。
クーグさんも、それを敏感に感じ取った様だ。
気まずい様子で、実の弟から目を逸らす。
「うう……し、仕方ないじゃない?
素の魔力を操るのは問題ないけど、それを物質に送った上に、魔術に変換するなんて、やったことないんだから!
最初から魔力量を、ぴったり調整できているルンちゃんの方が、変なんだよ!」
……だから私は悪くない。
少女はそう言いたげな様子で、胸を張って言葉を続ける。
「それに、これ難しくない?
少し出力を緩めようとしたら、直ぐに氷に戻ろうとするんだけど」
「確かに難しいが、姉さんがそこまで手間取るような魔術では……」
少年はそう返すと、揺れる炎氷を詳しく観察し始める。
「揺れはあるが、通常の炎の範囲内。
色合いも特に異常なし。
熱量は極めて高温。
……でも確かに。
姉さんの魔力は、珍しく難しそうにしているな」
「でしょう? だからもうそろそろ解除しても良いかな⁉」
「もう少し解析させてくれ。
お姉さんなんだから、もう少し耐えるように」
「うう、その台詞は姉の弟自身が言っていいものじゃないと思うよ……」
弟の無情な指示に、姉はしくしく泣き真似をしながらも、魔術を維持し続ける。
「……もしかして、素材と魔術の関係性か?」
少年は端的に呟くと、我慢している姉に自身の考察を述べる。
「ひょっとするとこの魔術は『素材の種類』と『変換する物質や現象』の関係性やイメージによって、変換難易度が上下するのかもしれないな。
俺は氷から水への変化で、扱っている素材がほぼ同じだから、それ程の辛さはなかったが。
姉さんの場合は氷から火。
イメージとしては、真逆に近い存在へと変換しているから、難しく感じるのかもしれない」
そんなことをルングは呟きながらも、しげしげとクーグさんの魔術を眺めつづけている。
炎と氷。
熱と冷。
ある意味対極に位置するものへと変換したことで、難易度が極端に跳ね上がった結果が今、クーグさんを苛んでいるらしい。
「な……なるほど。そういうことだったんだねえ!
それで、もう限界なんだけど⁉ 解除していい⁉」
「いいぞ」
「やったあ!」
少年の許可に少女は力強く頷くと、魔術を瞬時に解く。
戻った氷は高まった難易度故なのか、炎の熱にあてられたのか、一部が融けてしまっていた。
「……となると、いきなり人で試すわけにはいかないね!
この魔術に対して、相性がいいかもわからないし!
色々な素材での実験が必要かな!」
新たな発見と、それによって生じた壁。
少し目的地まで遠回りすることになったはずなのに――
クーグさん――少女の黒の瞳と言葉には希望が満ち溢れ。
ルング――少年の声色からは、好奇心が漏れ出ている。
冬の木漏れ日なんかよりも、ずっと激しく輝く姉弟。
私はそんな才気溢れる魔術師たちの姿を見て――恐怖を抱く。
浅くなる呼吸。
喉はきゅっと狭まり、鼓動は全力疾走をした時の様に焦り出す。
……ただしその恐怖は――
決して2人に対して抱いたものではない。
私が本当に恐れているのは――
「ルング、クーグさん」
私の呼びかけに、姉弟が同時にこちらを向く。
顔立ちも仕草も魔力もそっくりの、仲良し姉弟。
ライトブラウンと漆黒の明暗対照的な2対の瞳は、用意された氷以上にどこまでも透き通っている。
「2人共、怖くはないのですか?」
「?」
私の問いに首を傾げる2人の魔術師に、更に細かく言葉を重ねる。
「もし結果が出なかった時のことを考えたら、怖くはないのですか?」
そんな私の言葉に、先程まで騒がしかった姉弟は嘘の様に静まり返ったのであった。
――新たな発見と聖女の抱いた恐怖。
ちなみに姉弟が氷で実験している理由は、姉が「冬の氷柱可愛くない?」と言ったのが原因です。
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう!