8 聖女は実験室を訪れた。
現在、火水木土日の週5回更新中です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
未来――『雷』。
聖女マイーナ先輩の通名「雷鳴聖女」の由来となった能力だ。
弾ける雷光。
轟く雷鳴。
先輩が雷を纏ったみたいだと、それを見た時に思ったものだが――
その理解は、未だ浅かったらしい。
聖女は「雷を纏った」のではなく。
実際に、雷そのものへとその存在を変えていたのだ。
気付いてみれば、単純なことだった。
本気のツーカを発動した時に、彼女が白く輝くのも。
バチバチと時折電撃が走るのも。
尖った場所――聖女により近い位置に、彼女の着地点が誘導されたのも。
マナ先輩自身が、雷へと変化していたからだったのだ。
姉と俺はそれに気付かず、聖女のツーカを速度、音、光と要素ごとに分類し、その1要素である速度のみを再現しようとしていた。
その方が、手早く簡単に魔術化できると考えたからだ。
彼女がツーカを発動した際に生じる轟音と眩い閃光。
そこから感じる膨大なエネルギーに、俺たちはこう考えたのだ。
「音と光は省いた方が、魔力効率が良くなるだろう」と。
その判断を基に速度のみを俎上にあげ、再現しようとしていた。
しかしそれらはあくまで雷が、空間内に存在することで生まれた副産物に過ぎなかったのだ。
……人が雷そのものに転じるなど。
考えてすらいなかったのだ。
……面白い。
最高だ。
前世でも見たことのない現象に、俺の心は好奇心と歓喜に満たされる。
まだまだこの世界について俺――俺たちの知らないことは多い。
恐らくこの先も、俺の常識を覆す様な出来事が、いくらでも起こるに違いない。
……楽しみだ。
「あの……ルング、クーグさん、何をしているんですか?」
そんなことを考えながら実験をしていると、件の聖女――マナ先輩から声をかけられる。
聖女のツーカの正体が発覚してからというもの、俺たちの実験生活は輪をかけて忙しくなった。
窓の外では雪の見える日も多くなり、今日の空もまた冬の到来を知らせている。
「何をって……マナ先輩のツーカを魔術に落とし込むための実験ですよ」
聖女のツーカの分析を終えた以上、後はそれを魔術へと落とし込む必要がある。
今俺たちは、その方法を模索している真っ最中なのだ。
「ルング……それは『発動者を雷化する魔術』のことですよね?」
少女の確認するかのような問いに、素直に頷く。
「勿論そうです。あの移動速度を出すには、それが必須ですから」
俺の言葉に、聖女は目を瞑る。
……何故だろう。
いつも通りの淡々とした無表情の中に、理解に苦しむような色が浮かんている気がする。
「わかりました。それでは、もう1つ尋ねましょう。
……貴方の目の前にある、その氷の塊は何ですか?」
理解不能な存在に対する困惑。
淡白なはずの聖女の言葉には、それがふんだんに込められていたのであった。
……わからない。
刺すような冷たい空気の漂う廊下を歩いて、実験室――私とルングとクーグさんの連名で学校から借りた部屋だ――の扉を開く。
鍵はかかっていなかった。
室内は設置された魔道具によって、既に温められている。
感じるのは、特徴的な2種類の魔力。
……2人共私より先んじて、既に何かしらの実験を始めている様だ。
研究熱心である。
あるいは彼らのことだから、泊まったのかもしれない。
先んじたのではなく、最初から居たのかも。
もし宿泊していたのなら、これで何日目になるのだろう。
5日目あたりで数えるのを止めたのだが、少し彼らの健康状態が心配になる。
温かい室内は、巨大な両面棚を仕切りの様に中心に設置することで、大きく2つの区画に分けられていた。
1つは書類と紙束だらけの区画だ。
大きいテーブルが1台と、椅子が4脚。
そのテーブルの上には棚から溢れた未来や無詠唱魔術、魔法円構築といった研究論文が積み重ねられ、私たちが研究について書き込んだメモやレポートなどが所狭しと置かれている。
……というか。
紙束の領域は、最早机上に収まっていない。
紙たちは床まで浸食し、更にその領域――紙の海を広げ続けている。
……ある意味、実験中の魔術師らしい区画。
足の踏み場のほぼ存在しない、控えめに言って荒れ果てた区画である。
……しかしそこには今、姉弟の姿はないので、目を逸らすとしよう。
私はもう片方の区画――姉弟の居るであろう区画へと足を運ぶ。
そこは小型の机と椅子以外何も置かれていない、スッキリとした空間となっていた。
隣の紙の海となっている空間とは、魔術でも物理的に仕切られ――驚くことに、光属性防御魔術を使っている――ちょっとした実験場の様になっている。
屋外で行う規模の実験はできないが、それでもある程度の魔術実験は可能な空間だ。
そこで姉弟は、背中を合わせる様に個々で実験を始めていた。
「この氷は……そうですね。
言ってしまえば、少し先のマナ先輩ですね」
少年は無表情で、意味の分からないことを言い放つ。
元々思考が飛んでいるとは思っていたが、遂にこんな域まで行き着いてしまったのだろうか。
徹夜のし過ぎかもしれない。
憐れむ私の視線にも、少年は気付いていない様子だ。
「えっと……どういうことですか?」
「まあ……見ててください」
私たちのやり取りの間も、背を向けたクーグさんからの反応はない。
少年もまたそんな身内の存在を気にせず、こちらが思わず身を竦める様な濃厚な魔力を、氷に籠め始める。
「先輩の『雷』の事を、ずっと考えてたんですよ。
どうやって人体を雷に変換しているんだろうって」
口を動かしながらも、視線はその氷から離さない。
魔力に物理的な影響力はない。
そのはずなのに、氷が内から破裂するんじゃないかと感じる程、魔力が氷の中で密度を増し始めている。
「そこでふと思い出したのが、世界魔力です。
先輩が『雷』を使用しているとき、世界魔力が先輩の体を満たしていたことを思い出したんです」
ジュッ
水の蒸発するような音が、氷塊から聞こえる。
しかし、氷の外観に変化はない。
「……でもそれは、未来使用時の特徴では?」
「ええ。でも、俺たちは知っているんです。
世界魔力を身体に満たした時の感覚を」
そう言うと少年は、目を細める。
過去を懐かしむ様な、ルングにしては柔らかい表情だ。
「その時は、ただ魔術を使っただけでした。
身体に満ちた膨大な魔力を、体外に魔術として顕現させたんです。
何でも実現できそうなあの万能感は、一生忘れられないでしょう。
でも先輩の『雷』を分析していて、ふと思ったんですよ」
少年は言葉を区切る。
張り詰めた静寂。
嵐の前の静けさ。
私の全感覚が氷に――その内を満たす少年の魔力に注がれる。
「……もし、あの時の様に溢れんばかりの魔力で、身体を満たせたのなら――その満たした魔力を体内で魔術に変換したのなら、どうなるんだろうって」
ゾクリ
温かいはずの室内で、肌が粟立つ。
……変わる。
直感的に、その現象を感知する。
……氷だ。
少年が魔力を込めた氷。
その内部で、魔力が凄まじい速度で変換され始めたのだ。
「……すごい」
その魔力量もさることながら。
魔力制御能力が、群を抜いている。
姉弟の無詠唱魔術の噂は聞いたことがあったが、普段は詠唱魔術を用いることが多いからこそ、その繊細なコントロールに目を見張る。
白の光輝はみるみる書き換えられ、青の――水の魔術へとその姿を変えていく。
「っ⁉」
完全に全ての魔力が書き換えられた時になって、ようやく私は気付く。
氷の塊。
その形はそのままだ。
しかし――
「水に……なっている?」
その内部が、ゆらゆらと揺らいでいるのだ。
氷が融けた――融解して水になったわけではない。
氷がその形状を保ったまま、水へと変化しているのだ。
「どうやら、成功したみたいですね」
少年は淡々とした口調の中に、ほんの少しの興奮を滲ませながら、ほっと胸を撫でおろしたのであった。
――研究中の魔術師たちは、整理整頓が苦手なようです。
ルングたちの魔術は、また新しい領域へ。
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう!