7 偶然は時に味方する。
現在、火水木土日の週5回更新中です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
気分転換も兼ねて、いつも通りの組手を始めようとしたのだが――
「さあて、マナちゃん! 最初は私たちの番だね!」
「いえ、私では荷が重いです。ご遠慮します」
聖女が、淡々と述べる。
鋼鉄の無表情なのだが、その顔にはどこか鬼気迫る必死さが、籠っている様な気がしてならない。
……実験をし過ぎただろうか?
根を詰めた研究生活で、彼女も疲れているのかもしれない。
少し顔色も悪いし。
心配だ。
「ええぇぇぇぇ⁉ 折角全力で身体が動かせるのに⁉」
姉の目は、今にも転がり落ちそうな程、大きく見開かれている。
「クーグルンさんの実力は、十分知っていますので。
私は怪我したくないです」
「大丈夫だよ、マナちゃん!
私はリっちゃん程、化物じゃないから安心して!
もし、怪我しても治してあげるから!」
「クー姉⁉ 私、化物じゃありませんのよ!」
聖女は2人の言葉を聞くと、俺にその碧眼を向ける。
「そもそもルングに聞きたいです。
私がクーグルンさんと組手をするってことは、貴方はリッチェンさんとするのですよね?」
コクリと首肯すると、聖女はそのまま続ける。
「……どうして魔術師が騎士相手に組手を?
普通に考えたら、勝てないのでは?」
素朴な問い。
そしてこの聖女らしい、現実を見据えた問いだ。
しかし――
「マナ先輩、研究と同じですよ。
予想は確かに立てられますが、結果はやってみなければ分からないでしょう?」
……現実を見過ぎると、挑戦できなくなる。
自分の限界を勝手に定め、挑むことを恐れるようになる。
……無論それが、一概に駄目だとは思わない。
退くべき時に退く感性は、生き抜くために必要だ。
……しかし俺は知っている。
そうやって生き続けて――逃げ続けて、目標すら無くなって。
ただのモノクロの世界で、生きるために生きていた男を知っている。
……折角転生したのだ。
以前の轍は踏まない。
俺は自身のやりたいように生きるのだ。
それにそもそも――
「そもそも、姉さんもリッチェンも単純ですからね。
俺が本気を出せば、2人共相手になりませんよ。けちょんけちょんですよ」
俺のそんな言葉に、「むっ」と2人が不満気な表情を取るのが見えた。
「……ほう。この私を前によく言ったね、ルンちゃん?
今、ここで決着を着けてもいいんだよ?」
「ふっ……師匠すら撃ち落とした俺に、勝てると思わない方が良いぞ?」
「もう……クー姉もルングも、もう少し大人になりなさいな。
私が最強なのは、火を見るより明らかでしょうに」
「「やかましいよ(ぞ)、棒振りモンスター」」
「け、剣術のことを棒振りって言いましたの⁉
許せませんわ! 狂った魔術師のくせに⁉」
売り言葉に買い言葉。
互いの視線はもつれあい、バチバチと戦意が3方向でぶつかり合う。
そんな緊張感漂う中――
スッ
静かに手が挙がる。
聖女だ。
燃え上がる俺たちに対して、随分と冷静な様子で、聖女は毅然と手を挙げる。
自然と俺たちの視線は少女に注がれ、それを確かめるように全員と目を合わせると、彼女はゆっくり話を切り出す。
「話は分かりました。でも皆さん……穏便にいきましょう。
訓練場を破壊してしまうのは、よくありません」
先程よりも血の気の通った聖女の落ち着いた指摘は、熱気が高まっていた俺たちに対して魔法の様な説得力があり、場が一気に静まり返る。
「しかし、皆さんの気持ちを蔑ろにするのも良くない。
なので、場を荒らさないこういう勝負は如何でしょうか?」
こうして俺たちは、聖女の淡々とした提案を何故か自然に受け入れたのであった。
「やってみなければ分からない」
ルングの素朴な言葉は、素朴故の親しさで私の心に染み入る。
……なるほど、確かに。
私は必要のない所まで、現実的に考え過ぎていたのかもしれない。
そもそも、現時点で未だ体系化していない雷属性魔術の研究をしている私が、現実に囚われ過ぎれば、新たな魔術を生み出すことなんてできないのだから。
……まあ、それはそれとして。
組手を避けられたことに、ほっと安堵の息を吐く。
研究の合間の息抜き。
あるいは気分転換。
私は確かに、クーグルンさんからそう聞いていた。
故に3人が戦闘を始めようとした時には、目を疑った。
ついでに彼らの正気も疑った。
……なにせ私の知っている息抜きや気分転換とは、全くの別物である。
私の常識で考えるのなら、気分転換といえば友人と甘いものを食べておしゃべりしたり、いつもとは少し違う化粧をしたりすることが該当する。
断じて彼らの様に、剣や拳、魔術で戦うことではない。
どうやらそもそもの常識が、私と彼らでは違っていたらしい。
……なんと粗野な。
そんなことを一瞬考えてしまって、直後に恥じ入る。
これは偏見だ。
人それぞれに正義が――常識がある様に。
国や地域にも、それぞれの文化――それを下地にした常識がある。
聖教国ゲルディ出身の私が知らないだけで、ひょっとするとアーバイツ王国ではこれが常識なのかもしれない。
それを身も蓋もなく野蛮だと決めつけるのは、寛容を旨とする女神様の教えに反する。
郷に入っては郷に従え。
そんな言葉もあるくらいだし。
……しかし。
流石に彼らと戦うのは避けたい。
間違いなく私にとっては死闘となるだろうし、そうなれば勿論息抜きになるはずもない。
故に別の勝負を提案してみたのだが――
「まさか、こんな勝負をすることになるとは……」
「なあに、ルンちゃん? 自信がないの?
今なら降伏を認めてあげても良いよ?」
「そうですわ。不戦敗の負け犬は下がっていても良いと思いますわよ?」
「2人共、覚えていろ。
ここで負かして、誰が上か教育してやろう。
子どもの躾は、大人の役割だからな」
彼らの戦意は勝負内容が変わっても、収まるところを知らない様だ。
横並びの4人。
私の隣には、クーグルンさんとルング。
ルングの隣には、リッチェンさんが並び立っている。
そんな私たちの視線の先――直線上には、目標地点が設定されていた。
そこから少し離れた場所には、先程実験でリッチェンさんが踏み割った跡がある。
めくれた大地は鋭く尖り、勝負しようとする私たちを睨んでいる。
「……でも良かったのですか? 私の提案したかけっこ勝負で。
『雷』有りだと速度の関係上、私が勝つと思うのですが?」
私の至極尤もな意見に、彼らは明るく答える。
「まあ……結果はどうなるか分かりませんが、今1度『雷』も確認しておきたいですし、良いんじゃないですか?
何かヒントが得られるかもしれませんし。
俺が勝つ可能性も、十分あると思います」
「研究方針を考えるためにも、もう1回マナちゃんのツーカを見ておくのはありだと思うよ?
ひょっとすると私の魔術の方が凄くて、勝っちゃうかもしれないけどね!」
「そうですわね。
実際に組み合ってみないと分からないこともあるかもしれませんわ。
無論、この中で最も身体能力の高い私が勝つと思いますけど?」
3人が3人共、自身の勝利を疑っていない。
……凄い自信だ。
そして彼らがその自信に足るだけの実力を持っていることを、私はこの共同研究を通じて、よく知っている。
「……では、合図はこの魔道具で行きますよ?
これが地面に落ちたら、スタートです」
隣のルングはそう言うと、その手に魔道具を掲げる。
この研究中、何度もパシャリと音を立てて、実験記録をしている魔道具だ。
「では位置に付いて――よーい」
言うや否や、ルングが魔道具を空中に放り投げた。
全員の視線が、その魔道具の挙動を追いかける。
四角い板型の魔道具は、パシャパシャと起動しながら、刻まれた魔法円を私たちに向け続けている。
ザッ
全員の身構える気配。
両隣の魔力が同時に爆発する。
……信じ難い魔力量だ。
在るだけで、他を隔絶する魔力。
以前、姉弟2人の師匠である王宮魔術師レーリン様を見たことがある。
その時のレーリン様の魔力にも圧倒されたものだが、その弟子である2人も、その時のレーリン様に引けを取らない魔力だ。
それに対して、ルングの更に隣の少女――リッチェンさんは大人しいものだ。
彼女は騎士。
魔力操作は基本的にできない。
しかし彼女は彼女で恐ろしい。
意識せずとも魔力が彼女を助ける。
少女の望む動きに対して、自然に体内の魔力がそれを補助する。
魔力操作を重視する魔術師には出来ない、変わった身体強化魔術を扱える少女なのである。
警戒しない理由がない。
3者全員が、油断のできない実力者なのだ。
しかしそれでも――
「未来――『雷』」
かけっこ勝負において、私の勝率が高いことに変わりはない。
雷の爆ぜる音が耳を叩き、世界魔力が私から身体の制御を奪う。
並ぶ3人にも負けない雷光。
幾度もの検証の結果、私の速度が彼らを圧倒しているのは分かっている。
つまり――私の勝ちは決まったも同然。
あの妙な音を立て続けている魔道具が落ちた直後に私はゴールし、勝利が確定するはずなのである。
張り詰める空気。
全員の意識が集中に沈む中で――
トス
魔道具が地面に落ちたその瞬間――
私の視界が変化する。
前進したという意志も、記憶もない。
しかし、私と横並びだった魔術師と騎士の存在もまた、既にない。
遅れて轟く雷鳴。
……私の勝ちだ。
おそらくこれから、3人が遅れてやって来るのだろう。
そう思って振り返ると――
「うん?」
妙な違和感が私を襲う。
視界には予想通り3人。
しかしそんな彼らに、大きな違和感があった。
……何?
私の視線に応えるように、3人もまたじっとこちらを見つめ返す。
……そうだ。
3人共スタートラインから、ほとんど動いていないのだ。
確かに、私の方が速い。
しかしゴールに到着して、背後を振り向くまでの間に、彼らの速度ならもう少し進んでいないとおかしい。
なのに彼らは今、動くことすら止めていた。
……どうしてだろう?
そう考えたところで、自身の足元の不安定さに気が付く。
目を遣ると、足の下には所々がめくれ尖った大地が広がっている。
……ゴールじゃない⁉
ここはゴールではなく、実験により鋭く隆起してしまった場所だ。
「あれ?」
キョロキョロと周囲を見回すと、少し離れた位置に私たちがゴールに設定した場所があった。
ボロ――
「危ない……」
私の乗っていた足元が燃え尽きようとしている。
慌てて降りると、高さがそれ程なかったおかげで、どうにか安全に着地できた。
……何が起きたんだろう。
初めての事態に、戸惑っていると――
ドドンッ!
魔術師2人が、ゴールではなくこちらに向けて勢い良く飛び出す。
彼らは先程崩れた私の着地場所に移動すると、直ぐに観察し始めた。
「どうして今、マナ先輩はこっちに移動したんだ?
それに着地点が燃え尽きている。
……先輩、ちゃんとゴール地点を意識して『雷』を使用したんですよね?」
「……はい、間違いなくそのつもりでしたが」
「先輩の失敗ではないとすると――」
「マナちゃん、こんなことよくあるの?」
「ないと思います。初めてです」
姉弟に質問攻めにされる。
「となるとこれは『雷』の特性である可能性が高いのか?
だが、確信はまだできない……。
踏み抜いたリッチェンに要因がある可能性もあるし、この大地そのものに誘引特性がある可能性も――」
「ルンちゃん! 早く実験!
実験しようよ、考えてばかりじゃなくて!
リっちゃん! ちょっとここまで来て、地面を踏み抜いてみて!」
「わ、わかりましたわ!」
タッタッタッタ――バキッ!
クーグルンさんに指定された場所を、あっさり踏み砕くリッチェンさん。
「……よし、とりあえずスタート位置に戻りましょう。
これでまたゴールするつもりで、『雷』を発動してみてください。早く早く」
「他にも試してみたい事が出てくるね! マナちゃん、今日は帰さないよ!」
無表情の弟と、天真爛漫な姉。
真逆の2人に共通するのは、轟々と燃え盛る好奇心だ。
閉塞感は既に吹き飛び、探求への嬉しさに世界が輝き始める。
こうして私たちは息抜きを経て、再び研究へと戻ることになったのであった。
こうして私の『雷』を改めて再調査し始めて1週間。
「……ようやく判明しましたね。どうして気が付かなかったんだろう」
「私たちも、まだまだだねえ」
少年と少女の間には、得も言われぬ爽快感が溢れている。
……遂に。
遂に私の『雷』の、衝撃の事実が明らかになったのだ。
少年――ルングは、私を真っ直ぐに見つめ、その事実を告げる。
「『雷』は――マナ先輩自身を雷に置き換えていたんですね」
……こうして私たちの研究は――
その事実を指針として、新たな方向に舵を切ることになったのであった。
――新たな発見は、案外息抜き中に見つかったりするのかもしれません。
こうして研究は、さらに進んでいきます。
ルングたちは『雷』を再現することができるのでしょうか。
次話以降の話も、お楽しみに!
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう!