2 気付くのが遅かった。
現在、火水木土日の週5回更新中です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
「姉さん、久しぶりだな。獣極国でも元気にしてたか?」
空からゆっくりと降下する。
大地に近付けば近付く程、俺に肩車をされているラーザの手足に籠められた力が、徐々に緩んでいく。
急な飛行は、やはり少女にとって怖かったらしい。
「うんうん、大変だったけど……本当に苦労したけど、元気だったよ!」
感慨深そうに姉は頷く。
農業伯爵領を初めて訪れ、ラーザたちと出会った冬季休み。
姉は師匠と魔物退治の為に、このランダヴィル伯爵領のすぐ隣――獣極国シュティアへと旅立ったのだ。
「……お疲れ様」
平和を噛みしめるように目を瞑る姉に、心から同情する。
あの師匠に同行するなんて、苦行そのものだ。
あらゆるところで、無茶をしでかすこと請け合い。
その度にこちらの気苦労が、降り積もっていくのである。
師匠と、そのフォローをさせられる弟子たち。
……大人とは何か。
その定義を問いたい。
そんなことを考えていると、ふと何かが心に引っかかる。
……何だ?
何か取り返しのつかない過失を犯しているような。
そんな懸念が収まらない。
姉と話していれば、判明するだろうか?
「……元気なのは良かったが、魔物退治は終わったのか?」
「うん! 思ったより時間はかかったけどね!」
「確かに……姉さんにしては長かったな」
姉の魔力と技量をもってすれば、魔物の探索や退治など朝飯前のはず。
しかし、冬季休みも含めて約5ヶ月。
既に1季節以上が経過していた。
「……手強い魔物でもいたか?」
「そこそこの魔物は居たかな。
でもどちらかというと……その後の処理に手間がかかっちゃって。
魔物の素材の処理とか、その分配交渉とか――」
……なるほど。
魔物にてこずったというより、その戦後処理に苦労したらしい。
言われてみれば納得だ。
なにせ隣国に人手を要請し、王宮魔術師という国宝級の人材が派遣された仕事なのだ。
それなりの難易度の大仕事だったに違いない。
おそらく魔物の数も、相当数いたのだろう。
それらを倒し回ったとなると、解体作業すら一苦労のはずだ。
その上、素材や魔石の分配となると、更に多くの手続きを経なければならない。
加えて師匠は当てにできない。
そういう仕事には、徹底的に向いていない人材なのだ。
……ご愁傷様である。
「後は……結婚を賭けて、獣王とかいう人と戦ったり?」
「本当に何をしてるんだ……姉さんたちは」
なんで魔物退治をした国で、求婚されているんだ。
そして今、獣王と戦ったと言ったか?
俺の認識が間違っていなければ、その名称は獣極国を治める王様を示すはずだ。
どんな話の流れで国の代表を相手取って、それも結婚を賭けて戦うことになるんだ。
……なによりも。
これで姉さんが結婚することになり、俺の興行予定が崩れたらどうする!
「安心して! ちゃんと断ったし、勝ったから!
そもそも、原因は先生なんだよ?
『私の弟子は最強なので、貴方たちなんて、けちょんけちょんですよ。
ウチの弟子が負けたら、結婚でもなんでもさせてやりますよ』
みたいなことを、ぽろっと言っちゃって」
絶句である。
憐れな姉は、師匠の無茶振りによって戦う羽目になったらしい。
……不安だ。
姉が結婚せずに済んだことを、素直に喜べない。
代わりにこの姉は、獣王をぶっ飛ばしたことになるのだから。
……国際問題とかに、なっていないだろうか。
だとすれば、姉だけは助けなければならない。
ちなみに師匠は、どうなろうが自業自得である。
できれば上司であるシャイテル様あたりに、詰められていて欲しい。
姉はそんな俺を安心させるように、穏やかな笑みを浮かべる。
「まあまあそんなことより、その可愛い子は紹介してくれないの?」
こちらの心配を他所に、姉の視線は俺の頭上――ラーザへと注がれる。
少女は飛び上がった時よりもずっと大人しく、静かだ。
顔は見えないが、大丈夫だろうか?
「ラーザ、どうした? 気分でも悪いか?」
俺の言葉に、ようやく少女は動き出す。
「……社長、この美人のお姉さんは、どなたですか⁉」
小声かつ早口だ。
……どうやら。
少女は、姉に見惚れていたらしい。
ブンブンと勢いよく振られ始めた尾が背中を掠め、非常にくすぐったい。
「姉のクーグルンだ。美人の上に俺やリッチェンより強いぞ」
「社長のお姉さん⁉ なるほど!」
「もう、ルンちゃんたら……美人だなんて」
姉は頬に手を当てて、照れている。
周囲の魔力は陽光を反射するように輝き、その美しさをより際立たせている。
……こんな演出を自前で入れるあたり、本当に照れているのか怪しい。
「それで姉さん、この子はだな……父さんの隠し子だ」
「ええっ⁉ でも耳と尻尾が――」
「……隠し子だからな。父さんのイケメン顔の被害者だったんだ。
この子も大変な想いをしてきたんだぞ?」
「……そうなの。苦労してきたのね」
ラーザを見る目が和らぎ、魔力が慈しみの光を帯びる。
どれだけ成長しても、姉は姉。
お人好しな性格は、変わりないらしい。
「いえ……あの、お姉さん違います! 私は社長に雇われてる社員です!」
ラーザの言葉に、姉は憤る……なんてことはなく、残念そうな表情になる。
「なんだ……妹ができたと思ったのに。ざーんーねーんー」
トン
共に着陸すると、姉は続けて俺の頭上へと飛び上がり、ラーザを抱きしめる。
「こんなに可愛いのに! どう? うちの子にならない?」
「うわあああ! 社長、どうしましょう⁉」
「嫌なら、そう言えば止めてくれると思うぞ?」
「全く嫌じゃなくて! それに凄くいい匂いがするんです!」
尻尾が興奮のあまり、俺の背中を勢いよく叩く。
少し痛い。
ガサガサ、シュバッ!
そんな俺たちに飛び掛かる影。
「ラーザはアタシの妹だあぁぁぁ!」
矢のように草むらから飛び出したのは、ラーザの姉ヴィッツンだ。
どうやら、妹が奪われると勘違いしているらしい。
獣人――その中でも高い身体能力を活かした、少女の鋭い跳躍が空を裂く。
狙いは勿論、姉のクーグルンだ。
「ヴィッツン――」
「止めておいた方がいいぞ」という忠告を発するより先に、少女の腕が姉に迫る。
伸ばした腕が、姉に届くかと思われた刹那――
「えっ⁉」
驚愕の声が、ヴィッツンの口から洩れる。
姉に突撃するように突っ込んだはずのヴィッツンが次の瞬間――姉の真上に投げ飛ばされていたのだ。
……美しい。
魔術と体術の連動の究極。
感知能力の高いヴィッツンすら、何をされたのか理解できていない。
最小限の動きと、相手の勢いを最大限利用した、最高効率の投げである。
「うわああぁぁぁぁぁ⁉」
何が起きたか分からないままに、為す術なく空をもがくヴィッツン。
勿論、そんなことで空を飛べるわけもない。
魔術を展開し、助けようとして止める。
ヴィッツンの真下にいる姉が、嬉々とした笑顔を浮かべていたからだ。
ポフ
響いたのは、姉が少女を柔らかく受け止めた音。
見事なお姫様抱っこで、少女を捕らえた音である。
「妹2人目、ゲットだね!」
ブイと少女は俺に指を見せつける。
「だから、隠し子というのは冗談だと言っただろう?」
こうしてヴィッツンは、姉にあっさりと敗れたのであった。
「す、すみませんでした。社長の姉ちゃんでしたか。
あまりに気配が大きかったので、何事かと思いました」
「気配って、不思議な感覚だね? どこで察知してるの? 耳? 鼻?」
「あの……くすぐったいです」
興味津々な様子で、姉はヴィッツンを観察している。
姉に尾と耳を中心に撫でまわされている少女は、意外と従順だ。
「……社長、お姉さんといいリッチェンさんといい、どうなってるんですか?」
「少し常識の外に住んでいる人たちなんだ。許してやってくれ」
「その人たちも、社長には言われたくないはずだぜ?」
姉妹から、呆れた眼差しを向けられる。
……納得がいかない。
姉とリッチェンは故郷でも、個性的だったのだ。
この2人と比べれば、俺はまともな部類のはず。
その上、姉と俺はあの師匠に師事してたわけで――
ピタリ
思考が真っ白になり、急速に回転し始める。
「姉さん……どこだ?」
……忘れていた。
失念していた。
絶対に、野放しにしてはならない人を。
即座に屈んで、ラーザを地面に下ろす。
「えー、何のことかなあ?」
……白々しい。
特に、吹けない口笛を吹こうとしているあたりが。
「決まっている。1番の問題児――師匠はどこだ?」
……姉さんが獣極国に行く羽目になった元凶。
それどころか、姉を無駄に隣国の王と戦わせた変人。
理不尽の権化。
常識から外れた存在。
……奴はどこだ?
姉がここにいるということは、間違いなく付いてきているはずだ。
あの人の性格を考えると、自身の仕事のフォローや戦後処理のために、姉を連れて行った可能性が高い。
つまり姉が伯爵領にいるということは、あの危険人物の仕事もまた、全て終わったということ。
……礼儀的なことを考えれば――
立場上、あの人は一応王宮魔術師。
伯爵領に足を踏み入れるのなら、まずは伯爵様やその家族に挨拶をするはずだ。
……ザンフ先輩はどこだ?
周囲を見回す。
「ラーザ、ヴィッツン! ザンフ先輩と、アイランはどこだ?」
「あれ? そういえばザンフ様とお姉ちゃんいないですね……」
「ああ……2人なら、社長たちの実験中にザンフ様の家に向かってったぜ?
執事のアトラーさんが、呼びに来てた」
……非常に危険だ。
ラーザとの丸薬作りに熱中していて、全く気付かなかった。
春の温かな風が吹く中、異常な量の汗が流れ出す。
地中から出現するという登場方法。
そんな奇抜なことを姉がした理由は――
「……謀ったな⁉ 姉さん!」
……時間稼ぎ。
俺を警戒させず、この場に留めるためにあんな真似をしたのだ!
「ルンちゃん……隙を見せるルンちゃんが悪いんだよ。
気付いた時には……もう、遅いんだよ」
罪悪感と諦観の籠った漆黒の目がこちらに向けられたかと思うと、直ぐに伏せられる。
……一刻も早く、ここから逃げなければ。
奴が来る前に!
そんな俺の機先を制するかのように、聞き慣れた敬語が背後から聞こえてくる。
「ルング、どこに行くんですか?」
……ちくしょう!
姉が来た段階で、逃げるべきだったのだ。
久しぶりの邂逅が嬉しくて、話し込んでしまったのが俺の敗因。
「ああ……今から実家に帰るところだったんです。
それじゃあ、永久にお元気で。師匠」
ガシリ
振り向かずに走り出そうとして、背後からフードを引っ張られ、仰向けに倒される。
目に入ったのは、漆黒のローブとフードを被った女性らしき姿。
……ああ、この人が――
師匠でなければいいのに。
「そうですか。偶にはそういうのも良いかもしれませんが――」
バサリ
漆黒のフードが外れ、中から綺麗な桜色が現れる。
「その前に美しい恩師と、デートしませんか?」
俺を見下ろす瞳もまた、季節に相応しい桜色。
この至近距離になって、ようやく練り上げた魔力を感じ取ることができる。
王宮魔術師レーリン・フォン・アオスビルドゥング。
我らが師匠との、久しぶりにして望まない再会であった。
――姉があんなエキセントリックな登場をかましたのは、ルングの注意を逸らす為だったようです。
見事にその手に引っかかってしまったルング。
さて、彼の運命はどうなるでしょうか?
次話以降もお楽しみに!
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう!