4 獣人の次女は皆を守りたい
現在、火水木土日の週5回更新中です。
次回の投稿時間も午前6時台となっていますので、よろしくお願いします。
「今日もご飯、おいしいね! ヴィー姉ちゃん!」
薄暗い洞窟の中、少女――妹のラーザの声が響き渡る。
嬉しさを表現するように、頭上にある2つの三角形の耳がピクピク動き、耳と同じ縞模様の長い尾がゆっくり左右に揺れている。
その小さな手には、彫り抜かれた木の器と匙。
大きめの石をいくつか積んで作ったテーブルの上には、他にも木の実や焼き魚などが並んでいた。
空の器をアタシに見せつける姿は、こんな環境なのに――だからこそかもしれないが――とても幸せそうだ。
……まったく、可愛い妹だぜ。
「そうだな! アイ姉ちゃんのご飯は最高だな!」
そんなアタシ――ヴィッツンの言葉に、妹のラーザは満足そうに頷いている。
しかし作った当人――姉のアイランの表情は硬い。
アタシたちと同色の黄色の髪。
しかしその頭上にある縞模様の両耳は、ペタリと伏せられている。
「……どうしたの? アイ姉ちゃん?」
ラーザは心配そうだ。
ご機嫌で揺れていた尾の動きが、ピタリと止まってしまっている。
……まったく。
「姉ちゃん、どうした? 寝てんのか?」
アタシの声は壁に反響し、姉を強く叩く。
すると姉は、ビクっと弾かれるように顔を上げた。
その面持ちには生気がなく、憂鬱そうだ。
「……あっ⁉ ごめん、何?」
「ラーザが、姉ちゃんの料理美味いってさ! なあ、ラーザ?」
アタシの言葉に、妹は頬を膨らませる。
「ヴィー姉ちゃん、『美味い』じゃなくて『美味しい』でしょ?」
「良いじゃねえか! どっちも一緒なんだし!」
「ダーメ!」
少女はペシっと尻尾で床――といっても洞窟のゴツゴツとした地面だが――を叩く。
……これは割と本気で怒ってるなあ。
耳と尾には気持ちが出る。
獣人種のわかりやすい特徴だ。
それにしても――
「……やべえ、アタシの妹可愛すぎ!」
衝動のままに抱き上げようとして、拒否される。
「お行儀悪いからダメ!」
食事中に抱き上げるのも、ダメなようだ。
そんな姿も最高に可愛い。
「ふふふ……」
「アイ姉ちゃんも、ヴィー姉ちゃんに注意してよ!」
お怒りのラーザを見て、姉ちゃんはようやく微笑む。
「ごめんね……ラーザ。
故郷にいた時みたいに、2人が楽しそうなのが嬉しくて……」
……姉ちゃんは笑っている。
なのに目の端はキラリと輝き、空気にはしょっぱい香りが混ざっている。
「姉ちゃんが嬉しいなら、もっとラーザを笑わせないとな!」
「ああもう! ヴィー姉ちゃん、怒るよ?」
それを誤魔化すためにラーザをくすぐろうとして、睨みつけられる。
……その姿も可愛い。
何やっても可愛いなんて、マジなんなんだよアタシの妹。
……ああ、でも――
こんな穏やかなやり取りも、久しくしていなかった。
できなかったのだ。
生活するのに、生きていくのに、いっぱいいっぱいだったから。
ふと故郷での生活を思い出す。
獣極国シュティア。
その国の中に、アタシたちの故郷ヴァ―ロス村はあった。
獣極国シュティアは強者が弱者を守り、弱者は強者を支えるのが国是の国だ。
王を頂きとして、皆が自身よりも弱き者を守る。
村長は村の民たちを。
大人は子どもを。
年長は年少を守る。
年少は年長を応援し。
子どもは大人の仕事を手伝い。
大人たちは村長の仕事を分担し。
各村や族長たちが、王を支える。
アタシたちの故郷ヴァ―ロスも同じだ。
村長は勇ましく戦い、大人たちは子どもたちを守るために戦う。
子どもたちは野を駆け、草花や土の匂いに染まりながら狩りを手伝う。
大人たちは仕留めた獲物を皆で分け合い、誰もが食っていけるように計らう。
そんな騒がしくも、のどかな村だった。
本当に良い村だったのだ。
そうしてある日――村はあっさりと滅びた。
突然だった。
むせかえる様な恐ろしい匂い。
大量に村の外に生じたそれらは、なだれ込むように村を押し潰したのだ。
迫る足音。
アタシたちよりも軽いものから、大地が揺れるように感じる轟音まで。
数は分からない――数え切れない量だった。
村の外で生まれたその大量のナニカ――魔物は、こうしてあっという間にヴァ―ロスを呑み込んだ。
「アイラン、ヴィッツン、ラーザ、逃げろ!
ザイラ! 3人を任せたぞ!」
父はそう言って、家族の後を追って来る魔物に立ち向かっていった。
「アイラン、2人を守ってね。
ヴィッツン、ラーザ。
元気でね。お姉ちゃんを支えてあげてね」
母はアタシたちの頭を撫でて、父と同様に魔物へと挑み、散っていった。
逃げる時間を稼ぐためだった。
村の多くの人々がそうして命を散らして時間を稼ぎ、そのおかげで、アタシたちは生き延びることができた。
涙も汗も拭わず、わき目もふらず。
力の限り走って、走って、走り続けて。
叫んで、喚いて、憎んで。
何処に居るのかすら、分からなくなるくらい逃げ続けて、ようやく辿り着いたのが今いる洞窟だった。
初日は3人で塊となって眠った。
死んだように寝続けた。
そうして、この洞窟での生活は始まったのだ。
最初は暗い顔をしていたラーザも、必死に生活している内に慣れ始め、今では笑顔も見せるようになっている。
……ただ――
アタシとラーザのやり取りを見て微笑んでいた姉――アイランの顔には、時折影が差している。
そしてその理由は、アタシも分かっている。
「それにしても、このお野菜美味しいよね!
何処から貰って来たの?」
「ええっと、それはその――」
「ああ! 狩りに出た時に仲良くなった婆さんが、くれるんだよ!」
耳や尾でバレない様に、取り繕う。
音や匂いに、それが出ていないだろうか。
自分自身のことを確認するのは、難しい。
「そうなんだ! こんなに美味しいお野菜をくれるなんて、優しい人なんだね」
ラーザの嬉しそうな笑顔に、チクリと心が痛む。
妹が嬉しそうに笑えば笑う程、罪悪感がアタシの胸を苛んでいく。
……夏から秋の間は、まだ良かったのだ。
森には生命が溢れていたから。
アタシたち獣人の鼻と耳の感覚は鋭い。
それをもってすれば、森に入って獲物を捕らえるのは難しくない。
そうしてどうにか生活をしてきたのだ……良くも悪くも。
目まぐるしく時は過ぎ――寒く苦しい冬が来た。
木々の葉はすっかり落ち、生き物たちは冬越えのために巣穴から出なくなった。
狩りの成果で生きて来た私たちにとってそれは、深刻な痛手となる。
保存食は作っていない。
いや、作れなかったのだ。
母と姉が、いつも冬前に作ってくれていた保存食。
その処理には、いくつかの調味料が必要だった。
この時期の母と姉のクシャミが酷かったのは、そういう理由だったらしい。
しかし、アタシたちが今いるのは洞窟。
必要な調味料を手に入れる手段などなかった。
どうにか秋に捕らえた動物たちを、切り詰めながら食し、薄い望みを抱きながら狩りに出る日々。
動物の匂いはおろか、草花の匂いすらしない森を、アタシは必死で彷徨い続けた。
そしてある日、見つけてしまったのだ。
……視界いっぱいに広がる、巨大な畑を。
最初は喜んだ。
獣極国で農家は少ない。
でも、アタシたちの努力が実って、そんな数少ない農家の畑を見つけられたのだと思った。
柄にもなく女神様に感謝してしまう位、大喜びしてしまった。
……これで姉や妹を助けられる。
アタシはまだ子どもだ。
けれど、体力には人一倍自信があった。
農家の手伝いをして、代わりにほんの少し食料を貰えれば。
そんな期待を、持ってしまっていたのだ。
畑を遠巻きに観察していると、1人の男がやって来た。
フードの付いた、茶色の長いローブを羽織っている男だ。
背は高く、割とガッシリした体付きをしている。
だが、その頭の上に耳は無く、その尻に尾はなかった。
……くそっ! ここはシュティアじゃない! アーバイツだ!
気付いた――気付いてしまった。
アタシたちは全力で逃げ続けた結果、国を跨いでいたのだ。
これでは頼ることはできない。
そもそもの人種が違う。
アタシたち獣人に対して、彼らは耳や尾のない人間。
数百年前は、彼らと血で血を洗う争いをしていたと聞く。
その時代には、獣人が奴隷にされる事件があったとも。
……怖い。
それを知っていたからこそ、初めて見る人間が怖くて仕方なかった。
しかし、冬は始まっている。
今から帰るにしても、シュティアがどこにあるのか、どのくらい距離があるのか想像もつかない。
そんな見通しの無い状態で出発しても、生き延びることはできない。
……それに――
仮にどうにかシュティアに辿り着けたところで、魔物によって滅ぼされた故郷の誰に頼れるというのだろう。
途方に暮れ、その場で立ちすくむ。
八方塞がりだった。
もう、アタシたちに未来はないのだと。
そう宣言されたように感じて、足が動かなくなった。
しばし無為な時間を過ごした後、当てもなく歩き始める。
足は重く、みるみる目から涙が溢れてくる。
不甲斐なかった。
悔しかった。
姉ちゃんや妹の助けになれない自分自身が、何より悲しくて仕方なかった。
涙を止めるのに時間がかかり、洞窟へと戻る頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。
肌を刺す風は、ずっとアタシを責め続けている。
「ヴィッツン、どうしたの?」
涙はもう流れていないはずなのに、姉はアタシの様子に、何か気付いたようだ。
優しくも少しやつれている顔。
……知っている。
アタシたちを食べさせるために。
生き延びさせるために。
姉が自身の分の食料を少し削っているのを、アタシは知っている。
それをさせないために、アタシは今日狩りに出たというのに。
「ごめん、姉ちゃん。何も捕まえられなかった」
……情けない。
奥歯がギリリと音を立てる。
「仕方ないわよ。今は冬だし、ヴィッツンのせいじゃないわ。
それを言ったら、私だって捕まえられなかったし。
見つけられたのはこの位よ?」
姉は、か細い腕で自身のポケットをまさぐる。
中から出てきたのは、いくつかの木の実だ。
獲物が見つからなくても、少しでも皆のお腹が満たせるように。
そんな気遣いが嬉しくて、痛かった。
「……えっ⁉ ヴィッツン⁉ どうしたの?
どこか痛いの? お腹空いた?」
……歯を食いしばっても、涙は止められない。
嗚咽が漏れてしまう。
「あれ? ヴィー姉ちゃんどうしたの? 寒かった?」
洞窟の入り口で立ち尽くすアタシたちを、妹も心配したらしい。
中から出て来たかと思うと、アタシの腕を両腕で抱きかかえる。
……温かい。
けれど、とても小さく頼りない手だ。
不意にいなくなってしまいそうな。
いつ吹き消えてもおかしくない、仄かな灯だ。
……嫌だ!
叫びがアタシを満たす。
もう失うのは嫌だ。
家族が居なくなるのは……嫌なのだ。
小さな希望を抱きしめる。
「ヴィー姉ちゃん?」
胸の中で、不安そうにアタシを見上げる妹。
……守る。
絶対に守って見せる。
姉を。
妹を。
希望を。
アタシたちの未来を守ってみせる。
「ああ良かった。姉ちゃん泣き止んだね。
もう、心配させないでよ!」
ラーザは、嬉しそうにアタシの胸に顔を埋める。
「ああ……悪かったな」
腹が決まる。
……アタシたちの未来を守れるのなら、どんなことだってやってみせる。
そんなアタシを、姉は不安そうに見守っていた。
「ヴィッツン、どこ行くの?」
皆が寝静まった真夜中。
そろそろと洞窟から出て行こうとするアタシを、姉が呼び止める。
「何でもねえよ? ちょっと夜の狩りにでもさあ……」
「嘘ね。尻尾が垂れてる」
「マジか⁉」
振り向くと、いつも通りの尾。
再び姉に視線を戻すと、そこにはしてやったりの笑顔。
……やられた! 騙された!
「それで……何考えてるの? 言いなさい」
1歩1歩距離を詰めて来る。
優しい人は、怒ると怖い。
顔だけは笑っているが、酷い剣幕だ。
仕方なく、先程見たものとアタシがこれからしようとしていることを話す。
「なるほどね……ヴィッツン、ありがとう。
そこまで私たちのことを、考えてくれてたんだね」
優しい声色に、思わず顔を上げる。
「っ⁉」
いつも優しい姉ちゃん。
しかしその顔は今、キリリと引き締まっている。
覚悟を決めた表情。
どこか見覚えのある表情だ。
「ヴィッツン、私がするから場所を教えて」
「姉ちゃん、それは断るぜ」
これはアタシの想い。
アタシの決意だ。
たとえ大好きな姉の命令だとしても、この役割は渡さない。
アタシだって、ラーザと姉ちゃんを、守りたいのだ。
「姉ちゃんが何と言おうと、アタシは絶対に行く」
そんなアタシの顔を見て、姉はため息を吐く。
不服そうな、それでいて嬉しそうな。
複雑な表情だ。
「……わかったわ。ただ、危ないことがあったらすぐに逃げるからね?」
「了解だぜ、姉ちゃん!」
良くないことは、わかっている。
それでもアタシたちは、生き残るために――
その夜、初めて畑から野菜を盗んだのであった。
――新しい登場人物は、故郷を魔物によって追いやられた獣人の姉妹でした。
上からアイラン、ヴィッツン、ラーザの3姉妹です。
年齢のイメージとしては長女アイランが17~18、次女ヴィッツンが14、ラーザが10くらいになっています。
畑から野菜を盗ってしまった彼女たちは、これからどうなってしまうのでしょうか。
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう!