8.異世界の伴天連 ※
「ここでお別れじゃお江戸。達者での」
「ちょちょちょ、教会の場所わかるんですか? それにオエドってなんですか。エドガーです」
「あれじゃろ。あの高い塔。屋根の上に十字架が立ててある」
伴天連の目印と言えば十字架である。それが日本のキリシタンの常識だ。だがエドガーは首を横に振る。
「……あれは衛兵詰め所ですよ。突き刺した剣の形をしています。教会の建物はあれです。白い翼を広げたやつですね。覚えておいてください」
「そういや村の教会も翼だったの」
どう見ても西洋なこの世界で、キリシタンの教えが無いとは。やはりこの世界は日本があった世界とは違うのかと鬼姫は実感することとなった。
「わかった。礼を言う。では達者での」
「ちょちょちょ、説明できるんですか? ご自身の事」
「なんとかなるじゃろ。それよりおぬしさっさと国軍に報告に行かんと余計相手を怒らせることになるがの」
「そうでした! 私も報告が済んだらすぐに教会に向かいます。用が済んでもそちらにいてくださいね!」
「知らへんがな。では達者での」
そして教会に向かって歩き出す。
周りからの視線が凄い。こんな西洋の町の中を歩いている和服の大女。しかもよく見れば頭に角が生えている。これは目立ってしょうがない。
「角隠しが必要かのう……」
やりたくないのは、それだと完全に結婚式の花嫁だからだ。鬼姫は分金高島田のように髪を結いあげたりはしていない。ストレートで垂らしているだけ。垂らした髪の先は白い紙で平元結に縛ってある。
「髪を結いあげて隠すのも面倒だしのう……」
そんなことを考えながら教会に行く。
扉が開いているので勝手に入ると、礼拝所になっており長椅子が並べられた正面には祭壇がある。
祭壇の上には……女神像。
「観音様かのう。白鳥みたいな羽が生えとる。変わっておるの。マリア様やないのかのう」
村の教会には祭壇に供え物と神具が並べてあるだけの粗末なものだったので、像が飾ってあるのはこの世界では初めて見た。
教会には誰もいない。長椅子の隅っこに座って、誰か来ないかととりあえず待ってみる。
旅の疲れもあってうとうとしていると、教会の扉から女が入ってきた。
「あら。もし……。礼拝の方ですか?」
ポンと肩を叩かれ、見ると、頭にフードをすっぽりかぶった白黒に縫い分けられた外套の女である。食料品が入った紙袋を抱えている。
「ん、教会のお方かの?」
「はい、シスターのエリーと申します。礼拝ですか、懺悔ですか?」
「しすたー……。修道女の事かのう。失礼したの。扉が開いていたので勝手に入らせてもらったのじゃ」
「かまいませんよ。教会の扉はいつも開かれています。ご自由に参拝いただいて結構です。歓迎いたします」
そう言ってにっこり笑う。やっぱり初対面の相手にまず笑顔でやり取りされるのは安心するものである。
「うちは鬼姫と言う。ラルソルの村の教会神父のストラス殿の紹介でこちらに参った。この書状を預かっておる。この教会の長にお取次ぎ願いたい。よろしゅうお願いするのじゃ」
「ストラス様の……。承知いたしました。ここでお待ちください」
シスターは手紙を受け取ると、祭壇の横の通路から教会奥に歩いて行った。
また四半刻ほど待たされたであろうか。そろそろ眠くなってきたころに、神父ストラスと似たような格好をした初老の男が先ほどのシスター・エリーと共に祭壇にやってきた。
「こんにちは。初めましてオニヒメさん。ストラスからの書状を見せていただきました。ラルソルの村を守っていただいたそうで、私からもお礼を申し上げます。ありがとうございました」
そして二人で鬼姫に頭を下げる。
礼には礼を以って向き合うのが礼儀であろう。鬼姫も席を立ち、頭を下げた。
「お初にお目にかかるのじゃ。村のことは、まあなりゆきで助けることになったんじゃが、右も左もわからへんうちの面倒を見てくれはったこと、感謝しておるの。オーガのことはせめてその恩返しと思っていただければ幸いじゃの」
「オーガの軍団をおひとりで全て全滅させたと……。とんでもないことですが、ストラスがその目で見たとなれば、信じるしかないですな。私はここの神父を務めているロンスルと申します」
鬼姫のような怪しい人物にもこの対応。なかなかの方とお見受けできると感じた。「神父」というのは、要は神社の宮司みたいなものだろうと思ったのも大体その通りだろう。もう一度頭を下げて礼を尽くす。
「手紙によると、あなたは……その、異世界より神隠しのごとくこの地に参られた、異教徒のシスターだと」
「申し訳ないのじゃが、しすたーとは?」
「神に仕える乙女のことです。男性が神父、女性がシスターと思っていただければ」
要するに尼や巫女に相当するものと考えていいだろう。あの数日間の数少ないやり取りでそこまで理解できるとはストラスの翻訳能力は本当に大したものである。
「紅葉神社で養われ、巫女の真似事をしておったのう。社や都を守るために捕物をすることもあって、こちらでもそれでお役に立てたのなら本懐じゃ」
「ふむ……。その角、あなたは人間ではないとのことで、そう考えてもよろしいですか?」
「かまわないの。うちは鬼子じゃ。人ではない。鬼の最後の生き残りじゃ……。番も無く、子も生すこともできず、うちが死ねば鬼は滅ぶ。神は異なっても、死ぬまでの間、何かのお役に立てればそれでええと思っておるの」
「私たちの教会に通じるものがあります。私たちも同じです。そこは異教徒でも、生きる目的は同じなのでしょうね」
仏教徒でも伴天連でも、聖職者は結婚せず独身を通す宗教は少なくない。確かにそこは同じかもしれないと鬼姫は理解する。
一方で日本では伴天連、キリシタンを過酷な弾圧で迫害してきた歴史がある。
「ここの教会は、異教徒は受け入れてもいいのかの?」
「我が国だけでなくこの大陸では一神教である女神レミテス様を信仰しておりますが、だからといって異教徒の排除はしておりません。現に異教徒の国家との貿易も盛んです。まだ完全に差別がなくなった平等な社会とは言えませんが、女神レミテス様の教えの元、宗教の別なく自由博愛平等を掲げております」
「そこにうちのような異教徒の鬼がいてもよいと」
「もちろんです」
「良かったのじゃ……」
自然に頭が下がる。日本であっても、やはり鬼は人と争ってきた歴史があるし、最後の一人になっても、完全に受け入れられたとは言い難かった。
祠に祀られるようになったのは、鬼姫が死んだ過去の絶滅種であったからに他ならない。もし現代も鬼が生きていたら、差別がなくなっていたかは誰にもわかるわけが無いのである。
「オニヒメさんはこれからどうしたいですか?」
にこにこ笑いながら神父ロンスルは問いかける。
「好きに生きたいの。この世界を好きに回りたい。そしていつか東に向かって果てまで行き、うちが生きておった日本が、この世界にあるかどうかこの目で確かめたい……」
「それは過酷な旅となるでしょうな……。この世界の地図、ご覧になりますか?」
そう言って書物のページを開いて見せてくれた。
全く見覚えのない、大陸地図であった。
日本でも南蛮、東南アジアと貿易をしていた江戸時代の初めには、もう世界地図は知られていて、鬼姫も西洋、東洋があり日本は小さな島国であるぐらいは理解していたのだが……。
「違う。どだい違う世界じゃ。うちの住んでおった国もない……」
「まるで異なる世界から、転生したかの如く?」
「うちは日本ではもう死んだ覚えがあるの。でも生まれ変わったとは思わぬの。うちがこの世界に来たのはほんの七日前のことじゃし」
「この世界もすべてが探索されたわけではありません。我々がまだ見ぬ新大陸、知らない土地、知らない国がいくらでもあるはずなのです。あなたの故郷、本当にこの世界にないとは誰にも言い切れません。まずはこの国でこの世界を学びながら、生きてみるのはどうでしょう。極東へ旅立つのはその後でも遅くは無いと思いますが」
「そうしたいと思うておるの」
鬼姫はうなずいた。
「念のためにお聞きしておきますが、女神レミテス教に改宗なさるつもりはございませんね?」
「……教えは素晴らしいと思うのじゃ。でも生き方そのものは変えられぬし、かえってやくたいするのは目に見えておるの」
……神父ロンスルはちょっと考え込む。
「だとすると、私にはオニヒメさんは教会のシスターになるよりも、ハンターになって、ハンターギルドに所属し、そこで自由に冒険してもらうのが一番いいように思いますな。私たち教会同様、ハンターギルドも全世界的な組織で、そこに国境はありません。教会からもオニヒメさんに様々な依頼をすることができますし、もしそれでこの世界に貢献できると思うのであれば」
「お役に立つかの?」
「なによりお強い。オーガの巣を全滅させるなど、国軍の一団を派遣しても何人犠牲者が出るかわからぬほどの偉業なのですから」
しばらく考えていた鬼姫だが、納得したようにうなずいた。
「わかったのじゃ。行てみる。お世話になったのじゃ。礼を申す」
「お役に立てて何よりです。紹介状を書きましょう。ギルド長にお渡しできるものです」
「おおきにのう」
「おーいオニヒメさん!」
息を切らしてお江戸が教会に入ってきた。
「あー、よかった! まだいた!」
「なんじゃやかましい」
次回「9.就職試験」