62.龍、襲来
「さ、まず今夜の宿じゃ。ハンターが泊まるような安宿でええんじゃが、おすすめはあるかのう?」
「はい、ご案内します!」
「いや、このしなハンターギルドに寄らねばならぬし、宿の名前さえ教えてもらえれば……」
「ついていきます!」
「ついて行けと言われたのかの?」
「……実はそうでして」
えへへと照れ笑いするアリス。どうやら目を離すなと言われているらしい。
「しゃーないの」
鬼姫はそのまま、ハンターギルドに寄ろうと教会から外に出た。
ばさっばさっばさっ。
大きな羽音に思わず上を見上げた。
「ド……ドラゴン!」
シスター・アリスが驚いてへたり込む。
「龍……、いや、少し違うかの」
鬼姫もさすがに驚く。
襲来したドラゴンはなぜかいきなり教会を襲い始めた!
その翼を広げた大きさは八間。巨大であった。
飛びかかっては教会の象徴である羽飾りの木彫りを蹴り飛ばし、屋根を踏みつけ、塔を壊そうとする。
街ではあちこちから悲鳴が上がり、人々が逃げ出して大パニックになる。
「シスター、こちらでは龍は神の使いかの?」
唐では王権の象徴とされる龍は神と同等である。神として崇められているなら鬼姫が倒していい相手ではない。教会が襲われているならそれは教会が悪さをしている天罰ということになるからだ。
「りゅうじゃなくて、ドラゴンは、ま、魔物です!」
「竜か。そらやっかいじゃの」
中国では神である「龍」も、日本で化け物、妖怪として書かれる場合は「竜」とすることが多い。鬼姫の感覚では龍と竜は違っていた。
西洋のドラゴンの起源は古い。古代エジプトの大悪蛇を起源とし、バビロニア神話ではティアマト、ギリシャ神話でドラゴンとなったこの怪物は古代ローマではバジリスク、旧約聖書ではリヴァイアサン、北欧神話やゲルマン神話ではファフニール、イスラム教ではバハムート、ロシアではゴリニチ、ケルト伝承のドライグにキリスト教の黙示録にまで記述がある。およそ西洋ではドラゴンが出てこない神話を探すほうが難しいであろう。
神格化されることもあるアジアの龍とは異なり、西洋で共通するのは人類に災いをもたらすもっぱら悪の象徴であるところだ。多くの神々、英雄による討伐伝説が残り、神と敵対する悪魔をも凌駕する災いの象徴そのものがドラゴンであった。
ドラゴンが教会を襲う理由はわからないが、女神の威光で魔物も近づけないはずの教会がその侵入を許したとなれば、教会の威信が地に落ちることになるやもしれない。
「司祭様!」
「待つのじゃアリス!」
アリスは教会に引き返して飛び込んだ。仕方なく鬼姫も続いて教会に入る。
どずーんどずーんと破壊音で教会がぐらぐら揺れる。木の破片が降ってくる。
「司祭様――――! オーツ様――――! みなさーん! ドラゴンです! 逃げてください!」
司祭とオーツ、他のシスターや若い神官らが祭壇前に飛び出してきた。
「何事です!」 「何事だ!」
二人、ぐらぐら揺れる教会に天井を見上げる。
「どらごんに襲われておるのじゃ」
鬼姫は落ち着いて答えるが、オーツは激怒した。
「お前が教会に来たからだ! すぐに出ていけ!」
何を言っているのかと鬼姫は思う。
「うちはどらごんの恨みを買うた覚えはない。おぬし絵本だと勇者と一緒にどらごんも倒しておるのう。狙われておるのはおぬしであろう?」
「お前のせいでドラゴンが来たんだろ!」
「知らへんがな。ならうちは教会を出てゆく。うちを追いかけてこんかったら、おぬしのせいちゅうことじゃの。ではの」
鬼姫はどうでもよくなって、崩れそうになる教会からアリスを小脇に抱えてさっさと表に出た。続いて、司教も関係者も全員、教会を飛び出してくる。ドラゴンはまだ教会の破壊活動を続けていた。
「ほらの、みんな表に逃げだしておるのに、竜の奴見向きもせんわ。オーツを狙っておるのであろうのう」
「な、なんでドラゴンがオーツ様を狙うのです!」
鬼姫の小脇に抱えられたアリスが叫ぶ。
「おぬし勇者の話を絵本で何度も読んだであろう? オーツども勇者ぱーてーは旅の途中で竜を何匹も倒しておるぞ? 竜族の恨みを買って当たり前じゃ」
「なんで今になってオーツ殿を襲うんですか?」
教会勤めの飛び出してきた神官がわめく。
「うちに向かって魔法で攻撃したじゃろう。その気配を感じとって飛んできたんやないかのう。ほれ、見ればわかるわ」
教会の屋根を突き破って、オーツの魔法がドラゴンに向かって放たれているが、ドラゴンはそれを勝手知ったる技のごとく楽々とかわしていた。
「き、教会が……」
屋根が崩れ落ちた。オーツの魔法のせいで火が着いている。
このままだと火事になる。しかしオーツはなんとか避けているのか、まだ魔法をドラゴンに向かって放ってはいるが、さっぱり当たっていない。
「オーツ、たいしたことないのう。ほんまに勇者と一緒に魔王を倒したのかの?」
「そんなこと言ってる場合じゃないと思うんですが!」
市民たちが悲鳴を上げて逃げ出す一方で、ハンターの連中も、領の衛兵たちも駆けつけてきた。
「お、オニヒメさん! これはなんです!」
鬼姫を見つけたギルドの職員が聞いてくる。
「オーツが襲われておるんじゃ」
ギルド関係者も領の衛兵たちもゲッとなる。
「噂は本当だったのか……」
「噂ってなんじゃ」
「その、オーツ様は隣国ルントの首都でもドラゴンに襲われ、あちこちでこんな騒ぎになっていたもので、出身国のわが国で預かることになったという話がありまして……」
「厄介払いではないかの。押し付けられたおぬしらも災難じゃの」
最初は公宮にいると言う話だったオーツ、いつの間にか教会預けになるのも納得だ。
竜の破壊活動は順調だ。教会の屋根が完全に落ちた。竜はオーツの魔法をその巨体で華麗にかわしながら飛びかかるタイミングを計っているようだ。
「それにしても竜の一族も執念深いのう……。なんで今まで倒さんかったの」
「勇者様も剣士様も既にお亡くなりになっておりますし、オーツ様もご高齢でありますし……。私らではドラゴンを倒すのは無理です」
ぶぅおおおおお――――。竜が壊した教会の屋根から中に煙を噴き出した。
「ブレスだ!」
「毒のブレスだぞ!」
「逃げろ――――!」
「……毒を吹くのかの。そらやっかいじゃの。かなんわぁ」
「お、オニヒメさん、このままじゃ……」
司祭もアリスも真っ青である。
「おぬしらもはよう逃げい」
鬼姫は手のひらをひらひらさせて二人を追い払う。
二人が去り、教会を見る。
「仕方ないのう……。教会のくせに魔物除けもようけできひんのかの。女神なにしとんじゃ、まったく」
すーはーすーはー。深呼吸して息を整え……、鬼姫は壊れかけた教会に飛び込んだ!
入ってみると、教会の中はブレスの毒煙が充満し、隅っこでオーツが追い詰められている。両手を上げ、ドーム状の防御結界を張ってなんとかドラゴンの攻撃を防いでいるが、ドラゴンは足でガシガシとドームを蹴り上げ、前足で殴りつけ、ひびが入っているドームの破壊はもう時間の問題のようである。
オーツと竜。防御のドームを隔ててにらみ合う。
もう壊れそうなドームの様子に、竜は鼠をいたぶって楽しむ猫のように目を細めた。
そこへ、鬼姫が放った矢が飛んでくる!
きゅわぁああああ――――!
いきなり飛んで来た黒曜石の矢に片目を貫かれて竜は墜落した。
八間の巨体が一本の矢で落ちたのである!
苦しんで転がる。
屋根が崩れた祭壇の押しつぶされた長椅子が砕け飛び散る。大暴れである。
ぐわっぐわっと毒煙を吹いて身を傾けながら起き上がる。
オーツはドームの中で息も絶え絶え。今、防御結界を解いてしまうとブレスの毒煙にやられてしまう。動くわけにいかなかった。
空中戦が地上戦になった。鬼姫は駆けだし、目を潰した死角から金棒を振り上げて首を上げたその喉に思い切り五尺の金棒を殴りつけた!
がふっ!
なぜか、その一撃だけで! 竜はえずいて悶絶し、息ができなくなった。
血を吐き苦しむ竜は片目で鬼姫を探したが、その姿はない。
「むん!」
崩れそうな壁を蹴って、片目の視界外から鬼姫の鬼切丸が来た。
全身を使った突きで、矢が刺さった目にさらに鬼切丸が突き刺さる。
刃渡り三尺二寸五分は反対側の目玉をも貫通して両目を串刺しにした!
ぐわっ……。
大きく口を開けた竜。
その動きが止まり、ついにゆっくりばたっと首を落として、動かなくなった。
鬼切丸を抜き、鬼姫はまるで鯨の解体でもやるように首の根本をバッサリと切開して頸動脈を斬る。ビュービューと心臓の鼓動と共に大量の血が吹き出し、教会の中に血の海が広がってゆく。
血を被らないように避けた鬼姫はまだ必死に防御結界のドームを維持しているオーツをちらりと嫌そうに見てから、すたすたとその場を離れ、崩れそうになっている教会から弓を拾い、外に出た。
オーツはその様子を愕然として見送った……。
リーン……、リーン……。
(掛けまくも畏き)
(伊邪那岐の大神)
(筑紫の日向の橘の)
(小門の阿波岐原に)
(禊ぎ祓へ給ひし時に)
(生りませる祓戸の大神たち)
もうあちこちから火が出て火事になり始めている教会。
鬼姫は毒煙が漂う教会の前で祓串を振って、なぜか無言でお清めをしていた。
(諸々の禍事、罪、穢、有らむをば)
(祓え給い)
(清め給へと白す事を)
(聞こし食せと)
(恐み恐みも白す)
静かに頭をたれ、顔を上げると、教会からたなびいていたドラゴンの毒煙が清められ、消えていた。
「ふうー……、はー……」
鬼姫は大きく息をすると、「もう大丈夫じゃー!」と大声を上げて、教会を遠巻きに見守っていた衛兵、消防団、ギルド職員たちに声をかけた。
おそるおそるみんなが教会に近づいてくる中、鬼姫は平然と教会の中に再度入って行って、まだドームを張って頑張っているオーツに声をかける。
「おい、糞じじい。もうその結界解いてもええの」
疲労困憊の老オーツは、結界を解いてばったりとその場に倒れた。それを肩に担ぎ、オーツの杖を拾い上げて鬼姫が教会から出てくると、大歓声が上がった。
「オーツ様! オーツ様! オーツ様!」
ドラゴンを倒したオーツへの称賛の歓声である。そういえば鬼姫がドラゴンを倒したところを誰も見ていない。まあ仕方なかった。苦笑いして鬼姫は消防団に声をかけた。
「もう毒煙は大丈夫じゃ。すぐに消火にかからんと教会が丸焼けになる。頼んでよいかの?」
「はいっ!」
大人数で扱うシーソー式手漕ぎポンプを水槽に突っ込んで待機していた消防隊、カナリアを入れた鳥かごを持ちながらホース隊が突っ込んでいったが、中でドラゴンの死体を見た男たちから悲鳴が上がる。
教会の司祭とアリスが走ってきた。
「ほれ、コイツなんとかしてやってくれんかの」
ぐったりしているオーツを渡す。
「……魔力切れですね。さすがはオーツ様です。その身を犠牲にしてでもドラゴンを倒したと」
司祭がオーツを抱きかかえる。鬼姫は面倒くさいので説明しない。
「オーツ死ぬのかの?」
「いえ、魔力は寝ていれば回復しますが」
「なんじゃのそれ……。じゃ、寝かしてやってくれぬかのう」
「でも教会があの通りでは場所が……」
「しらへんがな。それぐらい自分らで勝手に何とかせい」
次回「63.大公謁見」




