61.打ち出の小槌 ※
司教も立ち去って祭壇に残ったシスターは心配そうに鬼姫を見る。
「大丈夫でしたか、オニヒメさん」
けほっけほっと咳をして、胸をトントン叩く。
「ふむ、なんともない。大丈夫じゃ。ハンケチ申し訳ないの。汚してしもたわ」
「いいんです。差し上げます、それ」
教会の祭壇前に並んだ長椅子に並んで座る。
「私はシスターのアリスです。よろしくお願いしますね。オニヒメさん、これからどうします?」
「今夜の宿を探すかのう」
「宿がお決まりになりましたらお知らせください。明日でいいですから」
「あとで来いというておったのう」
「はい」
鬼姫は床に転がっていた金棒を拾い上げ、それを消した。
「……すごいですね。武器を出したり消したりできるんですか」
「いつのまにかでけるようになっておったのう。うちは神社の巫女での。武器を持って歩くと怒られたのでの」
「ミコってなんですか?」
「おぬしとおんなじじゃ。神社の女手で、神に祝詞を捧げるのも仕事のうち、氏子の面倒を見るのも仕事のうち、妖怪退治でも何でも、持ち込まれる厄介事は、なんでもうちの仕事じゃ」
「ふふっ。シスターは魔物退治なんてしませんけどね」
「うちのいた国でも、妖怪退治する巫女なんてうちだけだったわの」
鬼姫も笑ってしまう。考えてみればおかしな話である。
「あのオーツと言う奴、勇者の仲間の一人で、魔王を封印しに行ったのかの?」
「はい、そうです。オーツ様です」
「勇者、それからスタンフォードの父親の剣士、魔法使いのオーツ、聖女のテレーズの四人だったとか」
「はい。勇者様と剣士様は既にお亡くなりになられ、大賢者のオーツ様、大聖女のテレーズ様はご健在です。討伐はもう五十年も前の話ですね」
若いアリスはただ本で読んだか、話を聞いたぐらいの話であろう。
「なんでオーツはここにおるんじゃ?」
「オーツ様です。オーツ様はここスタールが生まれ故郷でして、勇者パーティー解散後、ルントの王宮で大賢者として魔法の研究に尽力しておられましたが、ご高齢ゆえ、そちらを引退され、こちらの教会で老後を静かに過ごしておられます」
「あないにいけずで話のわからへん男ではお世話が大変であろうの?」
「いえ、普段は温厚でニコニコして気難しいところも無く優しいお方ですが」
「とても信じられんわの……」
殺されかけたのだから当然である。まあ、本気で戦えば負けるとは全く思わなかったが。
「実際に魔王と闘ったんじゃろ。オーツ……様はその自慢話ようするかの?」
「……いえ、それについては何も語ってくれないですね。信徒の方もそのお話聞きたがるんですけど、寡黙で、それについてはお話願えません」
「よほど都合が悪いことがあると見えるの」
「そんなことないですよ。この国でも本や絵本になっていて有名なお話ですから」
「これかのう」
鬼姫はつづらから魔王と勇者の討伐物語の絵本を出した。
勉強のために最初に買った本である。
「それ、私たちも子供たちの読み聞かせに使います! この大陸で人気の絵本ですね!」
「勇者の仲間四人でさんざん魔王を痛めつけておいてから、勇者が封印魔法をかけたと」
「言い方悪すぎです!」
「勇者たちは魔王を殺せなんだ」
「魔王は不死だと言われていますから」
「オーツはいきなりうちを殺そうとしてきたがの」
「……」
「この絵本でも、魔王城までの間多くの魔物、魔人を殺しておる」
「……そりゃ、魔物はそうしなければ人を襲い人を食べるような化け物ですし、魔人も人間に害成す魔物ですから」
「ほな魔王も人を食べるのかの? 害成しに人の都を襲ったことがあるのかの?」
「……わからないです」
鬼姫は絵本のページをめくる。
「魔王、真っ黒い鎧着て、顔も見えん大男で、剣を振るって勇者たちと闘っておる。これ、ほんまかの?」
「それは本当だと思います。歴代勇者のお話が全部そうなってますから」
「魔王をわざわざ封印しに行く必要がどこにあるのじゃ?」
「そうしないと人間を襲う魔物たちが増える一方になるからだと言われていますね」
「今でも魔物はあちこちに出ておるが、魔王が復活しておる間はようけ魔物が出るのかの?」
「そう言われています」
「言われておるだけなのかの……。なんかそこに都合のいいごまかしがあるような気がしてならんのう。賢者があないに傲慢で勝手な男なのでは、全然信用する気になれへんわの」
シスター・アリスは考え込む鬼姫を見る。
「でも魔王は悪魔であり、悪の象徴なんですが……」
「ほななんでこの絵本には、魔王がやった悪事が書かれておらん?」
「魔物をたくさん作りだして人間を襲わせると」
「魔物はほっとけば勝手に増えるじゃろ。うちが戦った魔物はみな生き物じゃったぞ。ぞんびだのごーれむだの火トカゲだの命が無い魔物は全部人が勝手に作り出した魔物だったの。それ魔王の責任かの? 現に封印しておる今も魔物はそこら中におる。おぬしそんなことまで魔王のせいにしておかしいと思ったことは無いのかの?」
「無いですよ……」
……まあ教会に仕えるシスターならそう考えても仕方がない。教えに疑問を持つなんてことは許されないだろう。最初から話になるわけないのである。
「……あの、オニヒメさんは人間じゃないんですか?」
「うちは鬼子じゃ。ほれ、頭に角がある」
「その角本物だったんですか!」
「触ってみるかの? ほれ、ほれ」
鬼姫が頭を下げて突き出すと、アリスは喜んでそれに触れる。
「うわー、かたーい! 本物だ――――!」
なぜかはしゃぐアリス。案外異教徒にも異種族にも寛大な性格が見て取れる。
国や宗教が違っても、魔王という人類の共通の敵のために団結して戦うことで、こういう他文化を排斥しない世界になったのだとしたら、魔王も悪いものではない。案外、女神の目的はそんなところにあったのかもしれなかった。
いい神も悪い神も、みんな神。いい神は拝み、悪い神も祟られないように拝むのが神道というもの。仏教もお釈迦様以外の多くの仏像があるように事実上多神教で、神道同様に宗派により崇める如来は異なる。神や仏はたくさんいて当たり前の鬼姫にしてみれば一神教はどうにも理解が難しい。
「……オニヒメさんは人間のためにずっと魔物討伐、がんばってくれていたんですよね?」
「うちは物心つく頃から人に育てられたの。そら悪い目で見てくる者もおったが、世話になったほうがずっと多い。うちはその恩返しをしておる。それは今も変わらんの。鬼とは言え妖怪、魔物呼ばわりされる筋合いはないの」
「だったらよかったです。オーツ様もきっとわかってくださると思います」
「どうだかのう。偉かった年寄りほど、間違いを認めんからのう」
アリスはくすくす笑う。その辺の事情はどこの世界でも同じらしかった。
「……うちが知っとる魔王はもっと面白いやつだったがのう」
「オニヒメさんがいた世界にも魔王がいたんですか」
「そうじゃ、日本で魔王と言うと山本五郎左衛門だがのう。あやつみたいのやったら困るがのう」
鬼姫がまだ小さかったころ、化け物を寄こして脅かしてきた迷惑妖怪である。山本と書いて「さんもと」と読む。
なぜか、「魔王」と呼ばれている妖怪の一人で、よほど暇なのか子供を脅かして喜ぶ悪い癖がある。神社で逆さの女の生首が髪の毛で歩いてきたり、厠をばばあの顔でふさいだり、巨大な手を出して体を掴もうとしてきたり、錫杖が飛び回ってうるさかったり、縁側から降りたらぶよぶよの死体を踏んずけてしまったり。
まあそんな幻術、片っ端からまだ小さい金棒でぶん殴って五郎左衛門をがっかりさせた鬼姫だったが。
鬼姫を脅かすことをあきらめた五郎左衛門、武士姿で社を訪れ、今まで騒がせた詫びとして鬼姫に小槌を一丁くれた。
「さすがは鬼の子。それがしの負けでござる。いつか困ったことがあればこれを使え。この魔王であるそれがしが助けてやろうぞ」
そう言って去っていった。
去っていく時がまた凄くて、百鬼夜行の妖怪どもを引き連れて、籠からは毛むくじゃらの足が飛び出していたのを鬼姫は覚えている。
その話をするとアリスはけらけらと笑った。
「魔王がみんなそんな人だったらいいんですけどね!」
「……これがその時もらった小槌じゃ」
鬼姫は懐からその小槌を出して見せた。
懐から出したように見せて、実は武器と同じように出したり消したりしている。
今までこの世界で一度も使ってみたことが無い槌だった。特に困ったことが無かったと言えるかもしれない。
小槌。要するに木でできたハンマーである。実際に釘や木組みを打ったりするのに使うのではなく、縁起物であり、華やかな装飾がされている。
これを振ると一寸法師を大きくしたり、食べ物や財宝でもなんでも出せるという日本の昔話にもよく登場する伝説の槌であった。仏教で言うと大黒天が持っているのがこれである。
「振ってみてもなーんも起こらん。うちはこれに世話になったことが一度もあらへんのう」
「役に立たないんですか? 世界が変わるともう使えないのかもしれませんよ?」
「いや、前からずっと役に立っておらん。五郎左衛門、いい加減なことを言いおって……」
……鬼姫はその小槌をしげしげと眺めていたが、ふと思いついて、アリスにそれを渡した。
「ちと持っていてくれんかの」
「いいんですか?」
アリスはその小槌を受け取って、「綺麗ですね~~!」と喜んで眺めている。ためしに振ってみたりもしているがもちろん何も起こらない。
鬼姫は席を立って、ちょっと離れたところにまで歩き、「ふんっ」と背に手を回した。
「ふんっ、ふんっ、ふんっ!」
顔が青ざめる。
得物が出せない!
鬼切丸、大薙刀、金棒、小太刀、弓、矢、小刀、十手、なにも出せない!!
鬼姫の焦りっぷりったらなかった。
鬼姫は冷や汗をたらたらと垂らしながら、ゆっくり、息を落ち着けて静かに、静かにアリスに話しかける。
「申し訳ないがの、そろそろ返してくれぬかの?」
「はい、どうぞ。綺麗なものを見せてくれてありがとうございました」
シスターのアリスは普通に善良に、なんの惜しげもなくそれを鬼姫に返してくれた。鬼姫は震える手でそれを受け取り、懐に仕舞う。
その後、アリスに背を向け距離を取り、背中に手を回して「ふんっ」と手を振り下ろす。その手には三尺二寸五分の大太刀、鬼切丸が握られている。
「……」
アリスに気付かれないように鬼切丸を消した。
鬼姫がいつの間にかできるようになっていたという、得物を自由自在に出し入れする力、五郎左衛門の小槌のおかげだったのだ!
子供の頃の話だったので、今までそのことに全く気が付かなかった鬼姫もそうとう間抜けである。
困ったときに助けてやる。確かに、鬼姫は神社の巫女。妖怪退治に出かけるにしても、武器を持って歩いたら怒られるので困っていたのは事実だった。
鬼姫の剣術の最大の強みは、この「自在の得物」にある。
今まで戦った妖怪、魔物は全てこの、鬼姫が突然出した得物に間合いを見誤って斬られている。これなしに鬼姫の剣術は成り立たないと言っていい。
「山本五郎左衛門殿。今までの御恩、返す返すも礼を申す。知らぬこととはいえ、今までの無礼千万、詫びを申す……」
鬼姫はその場で正座し、拝み伏せた。
使い方を全く教えてくれてなかった五郎左衛門も人が悪い。
今頃、腹を抱えて大笑いしているかもしれなかった。
これは誰にも言わないほうがいいのう、と鬼姫は冷や汗を拭き、アリスにも気取られないように慎重に小槌を懐から消した……。
次回「62.龍、襲来」




