6.異世界の悪鬼 下
鬼姫は日が昇って明るくなってくると、自分が全身血まみれなことに気が付いた。
「こんなんどっちが穢れておるかわからへんのう……」
仕方ないのでまた小川を見つけて体と衣を洗い、禊を済ませて火を焚き、衣を干す。
「なんぼなんでもこれはもう駄目じゃ。まるで物乞いじゃ」
泥に汚れ、血にまみれた巫女装束は、洗ってももう見るからに汚くぼろぼろになっていた。このまま旅立つことも考えたが、やはり一度村に戻って反物をもらい、白衣と袴を縫いたいと思う。白い生地と赤い生地があればよいが。
そうして村に着いたときはもう昼下がりになっていた。
「帰ったぞ」
柵の門に行くと、まだ兵士たちが陣立てして警備を固めていた。
「お、お、お、女オーガさん!」
「オーガはやめい! うちは鬼子じゃ言うとろうが! 次言ったらしばくでの!」
その一喝に兵たちが震えあがる。
「オーガの巣は亡ぼしてきた。お清めもしてきたし、もう安心じゃ」
「ほっ本当ですかっ!」
兵たちの顔が輝く。
隊長が出てきた。こちらは兵と違って、厳しく鬼姫をにらむ。
「討伐証明は?」
「とうばつしょうめい?」
「オーガを倒したという証明が必要だろうが! お前そんなことも知らないのか!」
「そんなん知らんて」
そんなことを言われても知らなかったものは仕方がない。
「お前ハンターじゃないのか?」
「はんたーってなんじゃ」
「なんでそんなに何にも知らないんだよ……」
世界が違うのだから知らないことだらけで当たり前である。
「あのなあ、魔物、魔族を倒したら、倒したって証拠に耳とか尻尾とか、体の一部を持って帰るってことになってんだよ。そうでないと報酬を出すわけにはいかないな!」
隊長がふんぞり返って怒鳴りつける。やっと自分が勝てる要素を見つけたように得意げだ。
「……最初から金子が目当てではやってはおらん。どうでもよろし」
「ど、どうでもいい?」
「面倒じゃ。おぬしらの手柄にしておけ」
鬼姫はひらひらと手を振るのだが、隊長がにんまりする。
「よーし、受けよう! 他言無用だぞ!」
それを聞いて兵士たちが慌てだす。
「た、隊長。俺たちがオーガを倒したことにすると、俺たちオーガを倒せるってことになって、また出たら相手させられるんっすよ!」
「国軍だってもう派遣してもらえなくなりますよ!」
「ちゃんとこの……、おに……、お姉さんに倒してもらったってことにしないと俺たち全員死にますよ!」
「俺たちが討伐したってことにしても、またオーガが出たら、俺たちの責任問題になるんすよ?! わかってんすか!」
それを聞いて隊長がゲッとなる。
「どのみち討伐されたかどうかは確認しに行きゃならんでしょうなあ」
後ろからストラス神父が声をかけてくる。
「そ、そうだ。まずはそこからだ! 女、オーガの巣まで案内せよ!」
「嫌じゃ。面倒な……。うちは寝ておらんし食ってない。休ませてもらいたいの」
なにしろ飲まず食わずで徹夜である。さすがに少し気が立ってきている。
「しかし、案内なしでオーガの巣がわかるわけないし」
「仕方ないのう、式神を飛ばしたるわ。神父殿、また紙と筆を借りられぬか?」
「いいですよ。来てください」
教会の神父の書斎で、札を作った。オーガの洞窟に貼った霊符もこうして作ったものだった。それを人型に折り紙する。
それを興味深く神父が見守った。
「おぬしら、準備はできたか!?」
村の入口で陣立てしている兵士たちに声をかける。
「準備って、なんの準備だ?」
「オーガの巣に討伐証明を取りに行くのであろう。おぬしが言ったことじゃぞ?」
「案内する気になったか」
嫌そうに隊長が答えるが、鬼姫は気にもしない。
「いーや、さ、全員並べ」
「いや、隊長俺……」
「並べ」
有無を言わせぬ凶悪な圧力に全員縮み上がる。なにしろ全員がこの鬼姫がオーガを文字通り一刀両断するところを見ているのだ。
「こいつの後についていくのじゃ」
印を結んで折り紙を飛ばす。
「ほなの」
折られた式神は風に舞うようにふわふわと揺れながら、街道の上を飛んで行く。
「う、うわあああ――――! 待てええええぇぇえええ!」
兵士たちが隊列を組んで走っていった。
「凄いですね……。それ、魔法ですか?」
神父が驚いて鬼姫に問いかける。魔法使えるのか! という顔である。
「陰陽道じゃの。安倍の何とか言う子孫の小僧が得手(得意)にしとった。タネが分かれば簡単な仕掛けじゃ。驚くようなことちゃうわ」
「どういう仕掛けで?」
「式神は神や心霊、妖怪のたぐいを封じ込めた印の札じゃ。だがそのタネは実はただの念動力で紙を飛ばすだけのもの。まがい物じゃの。小僧の考えそうなことじゃ」
「……まったくわかりません」
「うちにしてみればおぬしの使う言葉が分かる魔法のほうが意味不明じゃの。オーガの連中とも話ができたぞ」
その一言に驚く神父。
「オーガと話せたのですか!」
びっくりする神父に、なんでおぬしが驚くんじゃという顔になる鬼姫。
「人と話がでける妖怪はいろいろおったがのう……。こっちでは珍しいのかの?」
「オーガは魔物だと思われていたもので。魔族だなんて発想はなかったです……」
「魔族と魔物ってどう違うんじゃ」
「人と見れば襲ってくる動物、怪物は魔物ってことになっています。その中で人の言葉が通じる高度な知性を持つものを魔族と分けていますが」
「人と見れば襲ってくるなら熊も魔物かの?」
神父はうーんと首をひねる。
「いやいや、熊は人間を見ると逃げることのほうが多いでしょう。野獣ですが……」
うちは熊に襲われたんじゃがのう、と言いたくなったが、まあそれは言えばややこしくなるに違いないので放っておく。
見た目で言えば、服着てないのが魔物、オーガみたいなやつでも一応腰巻は巻いていたから、服着ているのが魔族でいいんじゃないかと思うのだが。
「オーガと話せる……。思いつきもしませんでした。私の魔法ってそんなに強力だったのですね。これは研究を続けなければ……」
それをやるにはおぬしがオーガに会いに行かないといかんのではと思うが、まあせっかく研究すると言うんだからそれも放っておく。
「それでのう、頼みたいことがある。申し訳ないんじゃが」
「あっはい。村を襲うオーガの討伐を助けていただいたのですから、お約束通りできるだけ協力いたします!」
「衣がボロボロなんじゃ。新しく仕立てたいので白と赤の反物を二反ずつ、あと針と糸をいただけないかのう」
「そんなことでよろしいのですか?」
「んー図々しいとは思うが、お祓いに穢れた衣では神事に差しさわりがあってのう」
「浄化ですね。神父である私も同じようなことをやりますが、まあ言ってみればおまじないです。正当な神聖魔法とは……、って、オニヒメさんそんなこともできるんですか!」
「いや、まあ、やってみただけじゃ。この世界でもご利益があるかどうかわからへんの」
鬼姫も大和の神々がこの国にいるとは正直思えない。国が違えば神も違って当然だ。日本の神話も日の本の国のなりたちから始まっている。神話ができたときにはもう、海外に他国があるという概念があったことになる。
教会から村の女たちに頼んで、反物を用意してもらった。希望通り赤と白の布が用意できて、鬼姫はたっぷり寝た後、その日から喜んで巫女装束の仕立てにとりかかった。
教会で寝泊まりする間も村人はいろいろと面倒を見てくれるし料理もうまい。女たちがオーガにさらわれて孕まされる、なんてことから鬼姫が守ってくれたことは確かなのだ。みんな感謝してくれたし、歓迎もされていた。そんな気持ちが、鬼姫には嬉しかった。
米、味噌、醤油が無いのはいささか寂しかったが……。
翌日には兵士たちがヘロヘロになって帰ってきて、討伐を確認してきてくれた。
全員その惨殺現場を目の当たりにして、心の底から震え上がっていたのは言うまでもない。帰ってくるなり、教会に隊長が怒鳴り込んできたのにはウンザリしたが。
「おいっ! オーガの洞窟、ぐちゃぐちゃだったぞ。お前何やった」
「金棒でどついただけじゃ。暗かったし、武器や鎧に当たると刀じゃ刃が欠けるかもしれんでの」
刀を打ち合わせてチャンチャンバラバラというのは、実際にはよほど緊急でなければやりたくないものである。まず一回で刃が潰れダメになる。
敵がより強く重い剣ならば刃が欠ける。現代まで残る名刀でも、実戦で使われた刀には刃こぼれが残る。刃こぼれするたびに研ぎに出していてはすぐに地金が出てしまうというもの。
今もある真剣剣術の居合を見れば、敵の刀を払うという型はあっても二つか三つ、ほとんどないことに気付くと思う。居合というのは先手必勝の技なのだ。敵にも刀を抜かせて何度も打ち合うというのは二流三流のやることだと鬼姫は思う。
「躯(死体)がゴロゴロして血の匂いがすれば、狼や熊が食いに来る。そのせいじゃろ。討伐証明とれんかったのかの?」
「とんでもねえな……。耳をちょん切ってきた。お前これ持っていくか?」
なんだか臭そうな袋を持って差し出す。袋の下から血がにじんでぽたぽたと垂れそうだ。
「いらんて。おぬしらが討伐したことにせいと言うたであろう。なんでそんなもんが必要なんじゃ」
そのことが鬼姫には今一つわからないのであったが。
「ハンターならハンターギルドに討伐証明を持っていけば討伐報酬がもらえるだろ。金稼ぎになるんだぞ?」
「はんたーとかぎるどとかなんのことじゃ」
「あーもう、受け取ってくれよ! 俺たちだってお前に恩を感じてんだから、これでチャラにしたいんだよ!」
本音が出た。一応この傲慢そうな隊長も、鬼姫には感謝してるということになるのだろうか。
「ハンターってのは獣や魔物を狩る仕事だ。お前が熊の肉を獲ってきたのも、オーガを討伐したのもハンターの仕事になるし、そんなハンターどもに資格を与え仕事を回す組合がハンターのギルドってわけだ。お前もそれで食っていくならハンターに資格登録しておけ」
「要するに狩人かの」
「……まあそうだ」
「わかった。面倒そうになったらそうするわの」
「で、討伐証明……」
「いらんて」
隊長はがっくり肩を落としてオーガの耳が詰まった袋を持って帰った。
これ、自分たちが討伐したと偽れば、明日からより過酷な仕事になるに決まっている。隊長は結局、この際だから何もかも正直に国軍に報告してしまおうと腹を決めたのであった。
次回「7.鬼姫、東へ」