5.異世界の悪鬼 中
オーガたちを倒す鬼姫を見守っていた兵士たちは声もなかった。
こんなにもあっけなくあの残虐で屈強なオーガたちが、次々に致命傷を与えられる光景を信じられないものを見る目で一歩も動けなかった。
鬼姫は懐から手ぬぐいを取り出し、入念に鬼切丸を拭きあげて、それを背に回した。不思議なことに、その刀は、一体どこに仕舞われたのか、姿を消した。
「お、オーガが……」
兵の隊長が震える声でつぶやく。
「また、襲ってくる」
確信するようにつぶやく。
「どうするんだ。今度はもっと数を増やして、確実に全滅を狙って村を襲ってくるぞ!」
オーガを討伐した嬉しさよりも、敵を激怒させた恐怖のほうが先に来る。
「それなのに、オーガの巣の場所もわからない。守れない。奴らは俺たちの隙を突いて総攻撃してくるに決まってる。国軍が来てくれたって、勝てるかどうかもわからん。どうするんだ」
「まるで倒して悪かったような物言いじゃの」
血まみれの鬼姫はちょっとうんざり顔で、振り向いた。
片手を振って、短刀を出す。
そして、今切り落としたオーガの首を転がして上に向け、ざくざくと顔に刃を突き立てた。
指を突っ込んで眼球を引っ張り出し、刃を筋に当て、ぶつりと切断する。
「隊長、提灯はあるかの?」
「チョウチンってなんだ?」
「何でもよろし。夜道を照らせるもんなら」
部下の兵士が一人、オイルランタンを持ってきた。既に火がついている。
「紐はあるかの?」
これも兵士の一人が手渡してくれる。
鬼姫は今切り取ったオーガの眼球を、紐でぐるぐる巻きに縛って、ランタンの持ち手に吊るした。
「吐普加美依身多女……」
なにか術をかける。
「な……。どうするんだ?」
「こいつに巣まで案内してもらうんじゃ」
巣に帰りたいであろう?
そう問いかけたことで一瞬、オーガは逃走して、巣に帰れるかもしれないという希望がその目に宿った。その希望はどうしたって、巣に向かって帰る道を見てしまう。
鬼姫が唱えた「吐普加美依身多女」は本来八方位の意味がある。まるで方位磁石のように紐に吊るした眼球が向く方向が、巣がある道程である。
「しばらく留守にすると、ストラス神父に伝えてくれぬかの」
「わかりました」
ふと見ると、表情をなくした神父のストラスが兵の後ろに立っていた。最初から見ていたのだろう。
鬼姫はうなずいて、ランタンをぶら下げて夜道を歩いて行った。
あまりにも恐怖にかられて、ついていこうとする兵士は一人もいなかった。
ぎゃあおおおおおお――――んんん……。
夜明け前、まだ暗い森の中に絶叫が響く。
オーガの巣である洞窟の外は騒がしくなっていた。
次々に悲鳴が聞こえる。その数はどんどん増える。
洞窟にいたオーガの長は何事かと、火を起こした石組みのかまどに積んだ枝を放り込む。洞窟の中が少し明るくなる。
息子たちが人の村の女をさらって連れ帰るはずである。それを待っていた。
見張り達の迎えの声ならわかる。女たちをさらって種付けできる歓喜の声をずっと期待していたのに、これは違う。
まるで断末魔のような悲痛な声。屈強な戦士たちであるオーガの種族が上げていい声ではない。しかもその声はだんだん近づいてくるのである。
こんなことがあっていいわけがなかった。巣が襲撃されているとしか考えられなかった。ありえないが!
「お前たち、見にいけ」
洞窟にいた三匹のオーガに声をかける。オーガたちは無言でうなずき、それぞれ武器を手にして洞窟を出て行った。
そうしている間も悲鳴、絶叫、断末魔の声は止むことが無い。
オーガの老長は横に置かれたメイスを握る。
メイスは長柄の先にヘッドがある殴打用の武器である。太い樫の木に人間から奪った剣の剣先を突き刺してトゲがわりにしていてモーニングスターとも言う形になっていた。巨大な体躯を誇る自分には人間から奪った武器は小さかった。どうしても殴打武器になってしまうが、それで十分だった。殴ることも突き刺すこともできる。もちろん振り回しただけでも相手を即死させることなど容易だった。
また絶叫が上がる。それも三匹同時に、である。
何かが襲ってきていることはもう間違いなかった。
洞窟の外に向かって歩き出した。メイスを握った手に汗がじっとり濡れる。
「魔法使い?」
オーガは魔法には弱かった。人間相手でも魔法使いは苦手としていたのだが、その魔力を全く感じない。これだけ多くのオーガを倒せるなら莫大な魔力が放出されているはずであり、自分にも気配がわかるはずなのだ。
人間たちの兵が全軍を上げて討伐に来たというならわかる。だったら、もう少し人間の悲鳴も聞こえたっていいはずだ。脆弱な人間の兵士相手に、こんなに一方的にやられるはずはない。
洞窟を出た。
女がいた。体に布を巻いたような、妙ちくりんな見たことも無い衣をまとった大柄の女が、手にランタンをぶら下げて月明かりの中に立っていた。血まみれで。
周りはおびただしい数のオーガたちが倒れている。手足を折られ、頭を砕かれて止めを刺されて生臭い血臭がすさまじい。
「おぬしが村を襲った若造の親父かの?」
女は無表情にオーガの長に問いかけた。ランタンにぶら下げた目玉が親父を見ていた。
「息子、どうした?」
思わず答えてしまった。
「ここまでの案内を頼んだ。よい孝行息子じゃのう」
「ない!」
良くできた息子だった。残忍で、悪逆で、人間をいたぶることを何よりも楽しみにしていたオーガの一族の、戦士の長にふさわしい跡継ぎ息子が、仲間を売るようなことをするわけがない!
女はランタンからなにかを引きちぎり、放ってよこした。
反射的に受け取ってしまった。
目玉だった。
「案内はばかりさんじゃ」
その目玉が何を意味するか、とっさに考えてもわけがわからなかったが、この女がオーガたちを皆殺しにしたことだけはわかった。
「おのれえええ!」
メイスを女に向かって振り下ろしたら、下から五尺の金棒が無造作に片手で振り上げられ、打ち合わされた樫の柄が折れ飛んだ。とんでもなく重い金棒だった。女はランタンを投げ上げ、両手で金棒を握る。
間髪入れず金棒で腹を殴られる。金棒の鋲が腹の皮を破り、腸が引きちぎれた。
それでも女につかみかかろうとしたオーガの両腕は薙ぎ払われて折れ、あらぬ方向を向く。もう役に立たない。
足も砕かれついに膝をついた長の頭に打ち下ろされた金棒は、その頭蓋を粉砕して飛び散らせた。
戦国で実際に使われた金棒は、「金砕棒」と呼ぶ。刀槍を弾き、鎧兜関係なくまさにすべてを砕く、使い手は限られたが実戦で最強だった例もあったのだ。
鬼姫も剣は使いたくないときはある。特に相手が殴打武器を使うとわかったときは。そんな時、鬼姫はこれを使う。あまり人に見られたくないのだが。
ひゅるるるると上に投げ上げたランタンが落ちてくる。
それを鬼姫はぱしっと受けとった。さすがに火が消えてしまっている。
死体となったオーガの巨体は、ゆっくりと前に倒れる。
「……おぬしらのような悪鬼、滅べばよいのじゃ」
鬼姫はランタンのガラスを開いてぷっと火を吐いて点火してから、掲げて洞窟の中に入る。他にさらわれた村娘が既に囲われているかもしれないと思って一応確認する必要があったのだ。
鬼姫は夜目が利く。ランタンは無くても良いのだが、敵をおびき寄せるよい目当てとなるので使っていた。
洞窟の中は猛烈に臭い。だが、さらわれた女はまだいなかった。
「ふう……。犠牲が出る前でよかったのう」
懐から解精邪厄の霊符を取り出し、洞窟の岩門に貼った。
次に祓串と鈴を持ち、一礼、二礼し祝詞を奉上する。
掛けまくも畏き
伊邪那岐の大神
リーン。祓串が振られ、鈴が鳴る。
筑紫の日向の橘の
小門の阿波岐原に
禊ぎ祓へ給ひし時に
生りませる祓戸の大神たち
リーン。
諸々の禍事、罪、穢有らむをば
祓え給い
リーン。
清め給へと白す事を
リーン。
聞こし食せと
恐み恐み白す
リーン、リーン、リーン。
深々と一礼した鬼姫は、夜明け前の白んだ空の下、血だまりのオーガの巣を立ち去った。
次回「6.異世界の悪鬼 下」