31.鬼姫の得物
宿屋で、アラクネ退治に使った大薙刀を鞘から抜いて見る。
いつも抜き身で取り出しているが、どの得物も普通に出せば鞘に収まっている。
鬼姫がいったいどうやって得物を出し入れしているのかは考えてはいけないが、一応説明するとすれば……。古都で武器を持ち歩くなど許されない巫女の鬼姫が困っているうちに、なんとなくできるようになった得物隠しの術とでも今はしておこう。
「……そろそろ手入れしたいのう」
アラクネ退治では、糸を巻かれて火を吹いて焼き切った。
鬼姫の吹いた火程度で鋼の刀身が焼けたりすることなどありえないが、焦げ跡がこびりついて少々みっともない。放っておけば錆にもなる。
一生懸命布で拭きとってはみたものの、二尺五寸の刀身の輝きは鈍っていた。
「刃こぼれも潰れも無いが切れ味は少し落ちとるかのう……。もう寝刃を合わせねば」
次は三尺二寸五分の大太刀、鬼切丸。
腰に帯びて抜ける長さではない。右手に柄、左手に鞘を持って、鯉口を切りゆっくり抜く。
刀は鍔元に鎺があり、しっかり締りのある鯉口で鞘に固定されていて、ただ抜くだけでは鞘ごとすっぽ抜けてしまう。なので左手は鞘を握りしめ、鍔を親指で力を入れて押し出さないと刀は抜けない。これを鯉口を切るという。
武士が抜き打ちをするときに、必ず左手は鞘の鍔元を握っているのはこのためである。日本刀が速く抜けるのは地面に平行に帯びているからだが、殿中で抜刀すれば切腹なお武家様がおじぎをしただけでするりと刀が鞘から抜けてしまうなんてことがあっていいわけがない。
ピンチの事を「切羽詰まる」というが、それはこの鯉口が固すぎてどうにも刀が抜けない状態か、あるいは気が動転して鯉口を切るのを忘れたかで、刀を起源とすることわざの一つである。ちなみに切羽は鍔を挟んでいる金具の事。
この鎺が無い西洋剣は抜け落ちないよう鍔元で腰に吊るし剣先を下に下げて帯びるしかないので水平の抜き打ちができない。西洋のチャンバラでは騎士道ゆかしくだいたい剣を上に抜いてから勝負が始まるのはこのためだろう。
なお時代劇で二刀流の武士がどうやって鯉口を切っているのかは不明である。
鬼切丸はオーガ退治やマンティコラに止めを刺すのにかなり使った。
こちらも手入れをしたほうがいいだろう。
人魚の首を落としスフィンクスの頭を割った小太刀。こちらは拭くだけで良いが、水場で使ったこともあり、きちんと手入れしたい。
金棒。五尺の大業物だ。鋼の鋲が無数に飛び出している。「鬼に金棒」のこの武器は戦国では「金砕棒」と呼ばれたれっきとした武士の得物の一つである。
これは武器を持った手ごわい相手に使う。
チャンバラのように刃と刃を打ち合わせるようなことは、実際にはやりたくないもの。刀より自分の命のほうが優先、というぎりぎりの場合ならともかく、刀を打ち払うなんてことはやらずに見切るほうが実戦的だと考えるのが鬼姫。
金砕棒はそんなことは気にせずに敵の剣を叩き落とせるので、鬼姫はけっこうよく使ったものである。よく拭いているが、黒い色が落ちて鉄地が出ている部分が錆びかけている。黒染をやり直したい。
十手。これは袱紗で拭けばよい。
袱紗と言うのは今は祝儀袋を包む布のことだが、鬼姫にしてみればちりめんのようなしぼ織り……つまりタオル、ハンカチのようなもの。荒い織りの布で磨けばピカピカだ。本当は木賊で磨きたいがこちらでは入手できない。
十手持ちは手入れを怠らずいつもこの鉄の地肌を磨いてピカピカの銀色にしておかなければ怒られる。返すのを忘れていたとはいえ、なにしろお上からの預かり物であるのだから。
弓。櫨と竹を合わせた弓胎弓で、いわゆる複合弓である。
これは鬼姫が死ぬ前に使っていた当時の一番いい弓、という程度の物。どこにも異常はないし、弦もまだまだ使える。だが矢が残り五本。補充しなければならないだろう。
短刀。獲物の解体で一番多用している刃物である。平造り(鎬が無い)で短刀としてもかなり短い、猟師が使うような狩猟刀である。多用している分、もう研ぎに出さねばと思う。正直皮剥ぎなどに使うにはちょっともったいない。小さい包丁があれば十分だし、そんなものはつづらに入れておいて必要なときに出せば良い程度のもの。三人娘も野菜をナイフで切っていたし、解体用のナイフをこの世界で買うのもいいかと思えた。
「よし、今日は武器屋を回るのじゃ!」
例によってまずハンターギルドで聞いてみる。ハンターが集まる場所なのだから、武器を扱う店のことも詳しいはずだ。
「武器屋ですか。鬼姫さん武器使うんですねえ……。いつも持ってないから知りませんでした」
何を今さら。受付の若い男が驚いている。
「おぬしうちをなんだと思っておったんじゃ」
「なんだか全くわからないお人だと思ってます。こっちが聞きたいぐらいです」
正直すぎる。だがその正直さが鬼姫には好ましい。
「剣士は剣を下げているし、弓使いは弓を持っていますし槍使いは槍を持ってます。みんなを見ればわかるでしょ」
「わかるのう」
鬼姫は周りを見回した。
もう鬼姫はこのギルドでは有名人。いろんな武器を持った専門のハンターたちが集まってきて周りを取り囲んで、興味津々に二人のやり取りを聞いていた。
いつも武器を持っていない鬼姫。いったいどうやって魔物を倒しているのかがさっぱりわからない。もし鬼姫が剣だったら剣士が欲しいパーティーが、槍だったら槍使いが欲しいパーティーがスカウトしたがっているに決まっているのだ。
「魔法使いでさえ杖は持っていますしねえ。あ、杖は魔法具店になります」
祓串は売ってないであろうと思う。
まああれは紙をはさみで切って自分で作ればいい話。
「良い武器屋があったら教えてくれぬかのう」
「このアスラルには武器屋が二店あります。どちらも名店ですよ」
「研ぎをやってくれる職人がいる店がええの」
その一言に周りのハンターの男どもがおおっとざわめく。
「剣士でしたか鬼姫さん……。どの店でもやってくれますよ。カウンター横に店のチラシがありますから持って行ってください」
「助かるの」
「あと、いいかげん僕の名前覚えておいてくれませんか。フィルサーです」
「ふいるさーじゃの。了解じゃ」
鬼姫が帳面を出して、見たことない字でカウンターのペンで書き込むのを、フィルサーはちょっと情けない顔で見守った。
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次回「32.異世界の武器屋」




