27.孤独な鬼 ※
大都市アスラル初日をスフィンクス討伐で一日終わった鬼姫。今日は街の隅々まで見てみようと思った。
この都市アスラル、今までで一番大きな市なのだ。
元は小規模都市の城塞が、街が城塞外にまであふれ、一番外は土塁になっている。街が大きくなれば貧富の差も大きくなり、上級市民、中級市民、下級市民という区分けが自然にできている感じである。
ハンターギルドと商人ギルドがある場所は中級市民市街地という感じだろうか。市の門構えから直通する大通りに面していた。
そんなことが描かれているギルドからもらった市の地図を見ながら、今日はどうするかを考える。
手持ちの金を数えてみた。白金貨が三枚。質素に暮らせばまあ半年は食うに困らない金額らしい。あと金貨銀貨がいくらか。デュラハンの遺言でもらった遺産が古銭と少しの宝石類。別に慌てて仕事を探すほどでもない。
鬼姫はこの世界のことが未だに全く分からない。
もう少し知らなければならないことが沢山ある。そうした情報はどこで得られるだろうか。
手っ取り早いのはやはりハンターギルドであろう。少なくとも聞いたことには答えてくれる。主に仕事の面で。
次は教会だろうか。この世界の歴史、国の成り立ち、この世界の神の教えぐらいは学べるだろう。
だが、この世界の生き方は誰に聞けばよいのだろうか。
自由に生きるということは、何でも全部自分で決めなければならないということである。
紅葉神社の鬼の巫女であった自分は、毎日毎日、多くの人に声をかけられ、頼まれたことをやっていただけで毎日が終わっていた。そんな鬼姫は、この世界で一度でも東への歩みを止めたら、もう今日は何をやったらいいかもわからない。この世界で鬼姫は、天涯孤独の身なのだ。
今日やることを教えてくれる人はいない。
明日は何をしたらいいかわからない。
知っている人は誰もいない。誰を信じていいのかもわからない。
なんと心細いことだろう。この世界にたった一人。その孤独な絶望感に自然、涙があふれ、ぽたぽた落ちた。
もう大人の女性なはずの鬼姫は、子供のように泣けてきた。涙が止まらない。
たったひとり。たった一人で生きていかなければならない。
今まで一度も経験したことがない不安が胸を苦しめる。
たった一人で旅していると、時々、こんなふうに無性に寂しさがこみあげてくることがある。心細くて仕方がないのだ……。
ぐずぐずと袖で涙を拭く。
「こうしておってもしゃあない。何もやること無いのなら、まずは街を歩かねばの!」
ハンターギルドのフロアには、大きな地図が壁一面に描かれていた。
大きいだけあって、一度教会で見せてもらった世界地図に相当するものである。
船から見た測量か、海岸線は描かれていても世界の半分はまだ空白地帯であり、誰が住んでいるかもわからない土地もたくさんあるようだ。
この国、ルントはこの世界に二つある大陸の、東大陸パールバルトの西にある。複雑な海岸線はルントの西にかかっており、鬼姫が降り立った最初の村ラルソルは海からやや離れて南北に他国がある。
古いヨーロッパのごとくまだまだ一国一国が小さく乱立していた。
詳しく描かれているのはもちろんルント国内であり、国の外に出て東の海の果てまで到達するには、地図の空白地帯が多い隣国を通らなければならない。東の隣国は、大まかに主要街道と都市が描かれていて、ハンターギルド支部名が併記してある。詳しい道はその国にいってみなければわからないだろう。
……東の果てには、やはり日本は描かれていなかった。空白の多い地図、まだ未発見の大陸や島国があることは想像できたが、それでもこの世界地図は、鬼姫には見覚えのない世界である。
「まったく違う世界なんじゃのう……」
この世界は東洋、西洋の概念もなく、鬼姫はまだ自分のような黒髪黒目の東洋人にも出会ったことが無い。鬼姫の見た目も、巫女装束の和服も、この国では異質なものであった。
西端で南北に他国との国境線があるラルソル村から、今いるアスラル市で一か月歩いて首都までの道の半分を踏破したことになる。
順調にいけば首都テルビナルまであと一か月かからない。そして東の国境を目指して歩けばさらに二か月。隣国を渡り歩いて極東にたどり着くのは、距離だけ見れば半年以上といったところだろうか。
「……道がなくなれば、飢えて死ぬ。それでこの旅は終わりじゃの。そしたら死ぬ前に引き返して、一番よかった街に住むことにするかのう……。いつまで生きていられるかはわからへんがの」
地図を見て思い直した。
「うむ、まだまだわからへん土地がようけある。この地図だってどんどん新しくなる。あと百年も生きておれば、誰かが日本を見つけるかもしれん。それまで生きておればいい話じゃ!」
日本では一生古都から一歩も出ずに、ほとんどの人が人生を終える。
なのに世界地図はどんどん新しくなった。少なくとも鬼姫はそれを見ている。地図の国名はどんどん変わり、西に、西にと広がって、唐や天竺を超えてついにヨーロッパ、ぽるとがるまで世界地図は広がった。
世界が丸くつながっているなんてことを庶民が知ったのは、江戸幕府が開かれたずっと後になるほど時間がかかった。
それは一人の人間だけでやった業績ではないのである。
鬼姫のいた日本は、結局この世界には無いかもしれない。でもそれを確かめる時間は鬼姫にはあるのだ。そう思ったら、なんだかこの世界でも生きていけそうな気がしてきた。
「うちは鬼子じゃ。先のことなど心配していては、鬼の笑い物じゃて!」
教会の神父が言っていた。まずは王都を目指せと。
王都に行けば何かわかるかもしれないのだ。まずはそこからだ!
気が付いたら半刻も鬼姫は辞書片手に地図を眺めていた。
その間ギルドのフロアには多くのハンターたちが出入りし、職員たちも忙しく働いていた。地図の前に立ち尽くす鬼姫の姿は多くのハンターや職員たちの目を集めていたが、それでも声をかけてくるようなことはなかった。
場所を変え、今度はどんな仕事があるのかと依頼が張り付けてある掲示板をやはり辞書片手に眺めていると、職員の一人が声をかけてきた。
「鬼姫さん、なにかお困りですか?」
にこやかに笑いかけてくれたのは、昨日討伐証明の手続きで対応してくれた若い男である。数回聞いただけのはずのオニヒメの発音も正確で、それだけでも優秀さがうかがえる。
「ギルドの買取が安いので困っておる」
金貨八十枚で売れたスフィンクスの毛皮に一番最初に金貨十枚の値をつけたことをまだ根に持っている鬼姫。最初に出たのは嫌味だった。
この辺りまで来るとさすがに、騙されて利用されることに用心が必要だということもわかってきた。多くは、あまりにも物を知らない鬼姫のことを心配しての忠告を聞いてであり、後で騙されたと思ったことはまだないが。
「申し訳ないです。ギルド職員にもよくわからなくて定額しか提示できませんでした。だから商人たちが集められたんですよ。おかげでちゃんと値が付きましたし、『仲介手数料よこせ!』とかもギルドは言ってないじゃないですか」
「そういえばそうかのう」
職員もちゃんと真面目に働いているのはわかる。
「この国を出た東の先にもハンターギルドはあるのかのう?」
「おかげさまでハンターギルドは世界的な組織です。この大陸全てに、あの地図にも載らないような大小のハンターギルドの支部があります。ハンターカードは世界共通ですよ」
「そやったらこの国を出た先も安心だのう」
「今からもう国を出た後の心配ですか……。少しはこちらで仕事をしていってくれると助かりますが」
ギルドのフロアでは、護衛依頼の商人たちと、ハンターのパーティーが交渉していたりとにぎやかだ。
「この市はどんなところじゃ?」
「ギルドでも評判になってましたよ。鬼姫さん。登録日を見ればまだハンターになって一か月。いきなり現れてあの実績。タダものじゃないってのはわかるんですが、こうして辞書片手でないと地図も読めない。外国人の方で、こちらの事情はさっぱり分からないってところなんですよね?」
「……実はそうなんじゃ」
てへーという顔になって頭をかく。少しは気を許してもいい相手かと思う。
「ここアスラルはこの国ルント西方で一番大きい都市でして、西の交易の中心地でもあります。なんでもありますよ。長期滞在するにはぴったりです。腰を落ち着けて住むにもお勧めできます。交易の都合上ハンターは護衛仕事が多くて、その仲介をするのが主なギルドの仕事ですね」
「魔物の討伐依頼もあるかのう?」
「街道警備以外となると、この市を拠点にして周辺の村や町まで出向くことになりますね。護衛仕事のついでに討伐をするハンターのパーティーもいます。護衛のお客様を巻き込むわけにはいきませんから、目的地に到着してからになりますが」
なるほど、うまくできている。
「……おぬし、うちが何者なのか聞かんのじゃのう?」
「それを聞かれると不機嫌になるハンターの方は多いです。心得ております」
そう言ってもらえると鬼姫も気が楽になる。
「お勧めの仕事はあるかのう?」
「しばらくはこの市にとどまられるおつもりですか?」
「せっかくの大きな街じゃ。いろいろ学んでいこう思うての」
「それはいいですね! それなら鬼姫さんの実績を見るに、お任せするならちょっと面倒な大仕事をやってもらいたいです。あ、他に何かわからないことは無いですか?」
ちょっと考え込む鬼姫。
「生き方を」
「……そりゃあギルドの仕事じゃないですねえ……」
ごもっともである。
次回「28.おなご限定」




