14.河童の川流れ
夕刻の街道の宿場町。目の前には大きな川がある。
「もう船は出てないよ。明日にしてくれ」
渡し船の船着き場はもう仕事は終わっていた。
仕方なしと宿屋街に戻る鬼姫。
しばらく宿をとっていなかったし、湯にも入りたかったしまともな飯も食いたかったので、一休みということで良さそうな宿をとる。
宿屋の主人は、「橋が大嵐で流されちゃってねえ、なにしろ大きな川だから大掛かりな橋になるもんで、再建のめども立ってなくてね」と申し訳なさそうに鬼姫を迎える。
「地元の漁師たちが渡し船を出してくれているが、本業の漁もあるし、一日に出せる船には限りがある。ま、申し訳ないが一晩泊まって、明日にしてくれるとありがたい。言っちゃなんだが私らみたいな田舎の宿屋には儲けにもなるしね」
正直に笑うところは下心もなく、鬼姫も笑う。
「越すに越されぬ大井川じゃの。橋がかかっておったときはどうしておったんじゃ?」
江戸を守るため駿府(静岡)の大井川は、軍事的な防衛線であるので橋を架けることも船を浮かべることも幕府により禁止されていた。そのため旅人は川越人夫に運んでもらったものである。川が大水になったときは商売も休み。その間、領岸の宿場町は賑わったと聞いている。
「オオイガワがどこの川かは知らないけど、橋を渡るときは領主が通行料を取ってたよ」
「それでは自分で勝手に渡る旅人もおったであろうの。うちもそうしたいところじゃ」
「おいおい、姉さんがそれやったら見物人が凄いことになるよ……」
鬼姫は泳げないわけではないし、やるとしたら力士のように頭に着物やつづらを乗せて、ふんどし一丁……。ま、やれば実際そうなるだろうなとは思う。
「この川には旅人を襲う魔物もいる。一人で渡るのはおすすめしないねえ」
「河童かの?」
水の妖怪で真っ先に思いつくのはそれである。
「カッパってなんだい?」
「背に亀のような甲羅を背負い、おつむに皿と、嘴があるでっかい蛙のような妖怪じゃ。胡瓜畑を荒らしたり、川を渡ろうとする人の尻子玉を抜いたりして悪さもするのう」
「……尻子玉ってなんだよ……。玉袋かい。だったら姉さんは襲われないだろ。こっちの魔物は人魚じゃないかって言われてるね。実際に何人も襲われてるし、船頭たちにも恐れられてるよ」
「ふーむ」
実は尻子玉は実在しない架空の臓器である。やる気のない者を「腑抜け」というが、尻子玉は男にしかなく、抜かれると死んだり、無気力になったりするらしい。男性機能を失うとも。なのでもしかしたら今で言う「前立腺」のことかもしれないが。
「わざわざ危ないことをすることもないだろ。橋を再建するのも金がかかる。田舎の領民のなぐさみにもなる通行料なんだからそこは協力するつもりで素直に払ってほしいね。まあ今夜は旨い魚を出すから、それで勘弁して」
「湯も用意してくれるとありがたいのう」
「風呂? 風呂に入るなんて、姉ちゃんはここで商売でもするのかね?」
鬼姫にはどうも理解しがたいのだが、一人旅の女が風呂に入りたいと言うと、遊女、娼婦と勘違いされるようなのである。毎日風呂に入るという習慣が無いのだ。致し方なく鬼姫は川や水場を見つけると、面倒がらずに身を清め禊をすることに決めている。
「一日に体を洗って身を清めるのが巫女の勤めの一つでの」
「綺麗好きなんだねえ。いいよ。タライを貸すから、湯は桶に汲んで自分の部屋まで運んでくれ。別料金だが……」
「頼むのじゃ」
その晩、旨い魚料理を食い、久々にあたたかな湯で体も洗えて鬼姫はぐっすりと眠ることができた。魚料理はうまかったが、醤油が夢に出てきてまいった。
翌朝。また焼き魚の朝食を食べて礼を言い、宿を発った鬼姫は、ハンターギルド受付もしている酒場の掲示板で「渡し船を襲う魔物駆除」の依頼が領主から出ているのを確認した。報酬は書いていない。
魔物が出るのは渡し船を使えという商売文句ではなく、実際に害が出ているということになる。グラスを磨いている酒場の店主がうさんくさそうに見てくるが、鬼姫は気にもせずに酒場を出た。
つづらを背負った鬼姫は川岸の船着き場に行く。既に何人かの旅人が小舟に乗って向こう岸まで渡っているようである。
「姉ちゃん、どうだい。銀貨三枚だよ!」
「こっちは二枚。安くしとくよ?」
「姉ちゃんそんなちっちゃい船やめてこっちにしときな!」
人足たちの明るい声が響く。
「お嬢ちゃん、わしでよければ一枚でいいがの」
にこやかな好々爺が鬼姫に声をかけてきた。二人乗りの渡し船。竿で押し引きする小さな船だ。
「頼むかの」
「あーあーあー……」
一斉に周りの男たちからため息が漏れるが、鬼姫は男たちに頭を下げて礼をしてから、老船頭の船に乗り込んだ。
小舟は静かに川を進む。霧が出てきた。
「……この川には魔物が出るそうじゃの」
「へい。その通りで。だからやっぱり船で渡るのがお勧めですなあ」
老船頭はのんびりと返事をした。
鬼姫はつづらから紐を出して背に回し、たすきに掛けて袖をまくる。
「どんな魔物かの?」
たすきの結び目をきゅっと縛り上げる。
「人魚でさあ。女の人魚は男を誘うために見た目は大変な美女で、歌を歌い、男どもを虜にする……」
「男の人魚は?」
「緑の歯、緑の髪。鼻も目も赤くて醜い、怖い顔をして、力ずくで水に引きずり込む悪い魔物で……」
「おぬしのようにかの」
その時、船の横から水柱が上がり、凶悪な顔をした緑の体をした魔物が、水かきのある手をのばして飛びかかってきた!
鬼姫は目にもとまらぬ抜き打ちで小太刀を振るう。
その緑の体はざっぱーんと小舟の反対側に飛び込んで落ちたが、ごとっと首だけが船底に転がった。
「お前!」
老船頭が緑の歯をむき出し、竿で殴りかかってきたが、鬼姫はその竿を片手でつかみ、返す小太刀で船頭の首をも落とす。
ごとり。
老船頭の体は傾き、船から転がり落ちて水しぶきを上げる。
船のまわりには川面に血がゆったりと漂い、広がっていった。
小太刀は定寸の刀と、脇差の中間である二尺の刃渡りの刀である。実戦で使われる刀ではないが、子供用としての役割があった。鬼姫がまだ小さかった時に使っていたものを、狭い場所で振るうためにそのまま今でも使っている。子供に与える程度のものだから名刀なわけはなく定寸磨り上げの無銘であるが、愛着があったし、なにより抜き打ちが速いので気に入っていた。
鬼姫は川に刃を浸し血を洗ってから、手ぬぐいでよく拭きあげ鞘に納め、船の上でお清めの祝詞を捧げた……。
リーン、リーン。
鈴が鳴り、霧が晴れてきた川岸に竿を突きながら鬼姫の船が引き返してくる。
「ありゃ? 姉ちゃん、船頭のじじいはどうした?」
川越人夫の男たちが集まってきて不思議そうに聞いてくる。
「河童が化けとった」
「カッパ?」
「ほれ」
船底に転がる二つの首。どちらも、緑の顔、緑の歯、赤い目、赤い鼻の異形の首で船底は血まみれである。
「ぎゃあああああああ――――!」
男どもから情けない声が上がる。
「縄はあるかの?」
恐る恐る渡してきた男から縄を受け取り礼を言って、「この河童、皿が無いのう……」とかぶつくさ文句を言いながら二つの首をまるで西瓜のように縛り上げ、一度川に放り込んでゆすぎ、血を洗ってから鬼姫は船を降り、それをぶら下げながら宿場町を歩く。
なぜかぞろぞろと男たちが付いてくる。
酒場のドアを開け、「たのもう!」と声をかけるとカウンターの男がこっちを見た。
「おう、今朝の。どうした?」
「河童が獲れた。引き取ってもらいたいの」
「カッパ?」
「ほれ」
どすん。カウンターに縄に縛った二つの首を置く。
「ぎゃあああああああ――――!」
もちろん酒場に店主の絶叫が響き渡った。
結局鬼姫はその晩、宿場町に留め置かれた。宿の飯場には船頭の男たちが勝手に集まってきて、飲めや食えやでやんややんやの宴会である。
翌朝。ギルドの受けつけの酒場。
「いやー、まさか本当に人魚がいるとは思わなかった……。どうせただの水難事故だと思っていたよ。助かった。これで安全に渡し船を運用できる。私からも礼を申し上げたい」
宿場町の領主がわざわざ出向いて、雄の人魚の首を確認し報酬金を払ってくれた。鬼姫は金袋を受け取るが、どうせ旅のついでだと中身も見ない。
「あの、報酬金の一割は、ギルドに納めてもらえないと」
「今回おぬしはなんもやっておらぬであろう?」
「いや、カードに討伐証明書き込まないと。その手数料です」
酒場の店主兼、ギルドの出張所の男とのやり取りを見かねて、領主が「はっはっは! それぐらい私が出すよ」と笑って、駄賃を払ってくれた。
「えええ……。オーガ、マンティコラ? 姉ちゃんこんなもん獲ってきたのか!」
ハンターカードを受け取った店主が驚く。本当はこれに熊とデュラハンが加わるが、まあそれは言わない。
「本当なのかそれ!」
領主もびっくりだ。
「はい、これは偽造できないことになってましてね、本人以外が使えばすぐにバレるようにできてます。ホントだとしか……」
そう言って、カウンターの金庫から出してきたギルド特製のインクとペンで、「マーマン」とカードの裏に追記してくれる。メスの人魚はマーメイド、オスの人魚はマーマンと呼ばれるのだ。
「女性ハンターでこれは正直凄い。何者なんだい君」
驚くままの領主が店主からカードを受け取って眺め、鬼姫に手渡す。
「今は狩人ってことになるのかのう」
「君、うちで働かないかい。ぜひ雇いたい」
「東に行く用事があっての」
「その頭のツノなに?」
「うまれつきじゃ!」
そして、鬼姫は大勢の男たちに手を振られ見送られ、賑わってきた他の旅人たちと一緒に乗り合い船にタダで乗せてもらって、川の東岸まで、なにごともなく無事に送られた。
「良い男どもじゃったのう」と、真面目に働く男たちに、いい気持ちだった。
次回「15.変態かまいたち 上」