13.廃村のろくろ首 下 ※
深夜、目を覚ました鬼姫は、ランタンに火をつけ、酒瓶とグラスを風呂敷に包み手にぶら下げて町を出た。
廃村への道を歩いて行く。
廃墟となり荒廃した村の一番大きな屋敷。既に屋根も崩れて、煉瓦の壁だけが残っている。
「たのもう――!」
もう倒れたドアの門をくぐって、屋敷跡に入る。
「よい月じゃ。一杯やらぬか!」
酒瓶を持ち上げて誘う。
がしゃん。がらがら。
奥の暗がりから、黒い甲冑が歩み寄ってきた。
「座れ座れ、ほれ、見上げてみい。満月じゃ」
鬼姫も埃だらけの床に胡坐をかいて座る。
にっと笑ってやると、その甲冑も、鬼姫の前に座った。
「ま、ま、ま、まずは一杯」
グラスを二つ置いて、ウイスキーの栓を抜き、注ぐ。
「ぐーっといけ」
黒甲冑、兜を両手で持って、外す。外しても何もない、首なしだった。
片手で兜を小脇に抱え、グラスを手に取って、あおる。
首が無いので黒の甲冑に酒がかかり、濡れた。
鬼姫もグラスの酒を一気にあおる。
「ぷはっ! なんやこれ! めっちゃ強いの!」
日本酒と違って蒸留した麦芽酒。鬼姫にはめちゃめちゃ強い酒であった。
無言の黒甲冑を見て言う。
「贅沢言わんといて。うちにそんな高い酒買えるわけあらへん」
黒甲冑、無言。
「……まあもう一杯いけ」
注がれたグラスをあおり、また酒を甲冑にぶっかける黒甲冑。
鬼姫もぐいぐい行く。
「おぬしなんでこの世に無念がある?」
……。
…………。
………………。
「悪い男もおったものよの。で、お家を乗っ取られてどうしはったん?」
グラスに酒を注いで、続きを聞く。
……。
「なら本懐は遂げたではないかの」
……。
「そないたいそなことかのう……おぬし悪者のふりをせんでもよいではないか」
……。
「もう終わったであろう。百年経ったのだぞ? おぬしを知っておる者はみなもう死によった。頃合いじゃと思わぬか」
……。
「うちは巫女じゃ。望むなら、お返ししたるがのう」
……。
身を改めて座りなおし、前かがみに身を乗り出す黒甲冑。
「お、おう……。まあ、それも武士の矜持かのう」
……。
「うちが相手する。それでよいかの?」
……。
「あわてるでない。酒がなくなってからでもええじゃろ。もう一杯いけ」
グラスに酒。
「だーかーらー、贅沢言うでない!」
さすがに酔いが回った鬼姫。自分のグラスの酒を黒甲冑にぶっかけた。
ススキの原。
途中で酔っ払って寝こけた鬼姫。デュラハンはなかなか紳士で、朝まで律儀に待ってくれた。無警戒でよだれを垂らして眠る鬼姫にあきれたか、なかなかの剛の者と苦笑したかはわからない。
鬼姫はたすき掛けで袖を縛り、刃渡りだけで二尺五寸、全長七尺五寸の大薙刀を小脇に抱えて迎え立つ。
「かつては斬馬刀とも呼ばれておった。三条宗近の岩融と伝わるものじゃ」
薙刀は戦国時代になり、騎馬より集団戦になって槍に取って代わられてからは使われなくなった古武具である。女性の武道と思われているかもしれないが、武蔵坊弁慶の得物として有名な通り騎兵の得物、あるいは騎兵への対抗手段として鎌倉時代まで武士の主力であった。
ひゅんと振ると鋭い刃音が、首なし馬に騎乗した黒甲冑にまで届く。
酒呑童子を斬った鬼切丸が天満宮にあるように、いわくつきの刀が厄払いのために神社、仏閣に奉納されることがある。この薙刀も紅葉神社の奉納品の一つだった。大切に今も祀られている物もあれば、後世偽物だとわかる場合もある。
銘が何者かなど鬼姫は気にしない。
三条宗近と銘が刻んであっても、鬼姫が見れば鑢をかけて磨り上げ銘を潰し、宗近と刻み直した偽物だと茎を見ればすぐわかる。だが銘は偽っても、古刀時代の刀工が自らの名を入れた会心の出来であっただろうし、後世の者が宗近にもふさわしいと思った業物に違いないのだ。それはこの薙刀であまたの妖怪を倒してきた鬼姫が一番よく知っている。
首なしの黒甲冑は同じく2.5メートルの長槍を抱える。外した黒い兜は馬から横に投げ捨てた。馬上槍試合である。
「銘はなんであれ、うちが暴れてやればこれを打った刀工も使った武者も浮かばれる」
ひひーん。首なしの馬がいななく。
「参れ!」
馬が突っ込んでくる。正確に、ランスが鬼姫を突き刺そうとしたとき、薙刀を翻し柄尻の石突からランスを摺り上げ、切っ先をそらす。
くるりと一回転した鬼姫はそのまま横を通り過ぎる馬の脚を薙ぎ払った!
ひーんっ!
首なし馬が派手に転倒する。
甲冑の男は身を丸めて共に転がり、腰の剣を抜刀しながら起き上がろうとしたそのとき。
鬼姫の薙刀がなにもない空虚な男の首があった場所を、横薙ぎに打ち払った。
……ばたり。
甲冑は倒れ、崩れ落ち、バラバラになった。
「……鎧の中身は空っぽ。兜も見せかけ。見えない首がついておった、ちゅうことになるのかのう」
首のない馬は、主人の後を追うように、やがて白骨に姿を変えた。
リーン。
鈴の音と共に、ススキの原に鬼姫の祝詞が響く。
民を守り、本懐を遂げた武者
その罪背負い身代わりとなりし者
屍知れずとも無念晴れ
その魂、鬼が見届けたり
逝く先を 神に任せて帰る霊
道暗からぬ 黄泉津根の国
リーン。
屋敷の奥の部屋。床板を外すと、壺が隠されていた。
中を開くと、金貨、銀貨に少しの宝石が入っている。
「遺言の古銭じゃの。ありがたく頂戴いたす」
静かに礼をし、かわりに、男が使っていた黒兜を納め、鎮亡者符を貼って床板を元に戻しておいた。
この兜を討伐証明としても得るものは何もない。だったら、静かに眠らせてやったほうがいいではないか。
宿に戻って二度寝した鬼姫が目を覚ました時は、翌日。もう日が高く昇っていた。
「おつむが痛い……」
ちょっとふらふらしながら東へ発つ鬼姫であった。
「二日酔いじゃ。もう二度とあの酒は飲まんぞ!」
次回「14.河童の川流れ」