10.鵺の鳴く夜
「まんていこら? どんな妖怪じゃ」
「お前そんなことも知らないのか。ド素人じゃねーか!」
受付の男は大げさに首を横に振りながら手を上に広げた。お手上げ、である。
「魔物だ。体はライオン、尾は毒持つサソリ、顔は真っ赤な人間みたいなツラしてやがる。まぜこぜだよ。夜な夜な現れて人を食う。狂暴なヤツさ」
「それただの町に迷い込んだ猛獣のたぐいの見間違いであろう」
「多くの目撃者がいる。歯が三列あってやられた痕跡もそのものだ。疑ってるやつはいねーよ。夜になると不気味な叫び声をあげてな……。だが全く見つからん。実に用心深いね」
鬼姫はちょっと考え込む。
「それ、鵺とちゃうかの」
「ヌエ?」
「いや、何でもない。こっちの話じゃ。では手始めにそれからかかろうかの」
にたり。
鬼姫が笑った。そのまま身を返し、ギルドを出てゆく。
それを見て、受付の男も、フロアにいたハンターの男たちも、凍り付いた。
誰もが一言も発せず、鬼姫が扉をくぐるのを見送った。
「さすがだなあ……」
エドガーがボソッとつぶやく。
「……なにモンなんだあのねーちゃん」
冷や汗だらだらの受付の男。
「怖かったでしょ」
エドガーが肩をすくめる。
「バカ言うな。あんな……、あんな……。いや、ありえねえだろ」
冷や水を浴びせられ背筋が凍るような冷気。それを全員が感じていた。
「鬼ですよ」
「オニってなんだ?」
白髪の強面の受付が、エドガーに聞き返す。
「さあ、俺も知らないんです」
「だからなんでおぬしついてくるんじゃ!」
街を歩く鬼姫の後を走って追いついたエドガーを鬼姫が手でしっしと追い払う。
「だから、マンティコラを討伐出来たらハンターギルドに入れるんでしょ? だったらそこまで見届けないと俺の仕事終わらないじゃないですか」
強引な理屈である。
「国軍来ておるのであろう? ついでじゃ、オーガは片が付いたのだから、この街の魔物でも討伐してから帰るように申し渡せ。少しは役に立てと言うておけ」
「そりゃ言いますがね、俺が言ってもねえ……」
「はよいけ」
「わかった、わかりましたよ。鬼姫さんはどうするんです?」
「うちはこの街の間取りを調べて、良さそうな場所を選んでおく。夜まで寝たいから宿も取るつもりじゃ」
「パーフェクトです。さすがです。言うことないです」
エドガーも短い付き合いで、この鬼姫が実は優しく、面倒見もよく、人の味方になってくれる怖くない人物だと理解している。また、こう見えて魔物狩りの専門家だということも。
国軍が滞在してる衛兵詰め所に向かって急ぐ。
エドガーは、今夜、そのマンティコラ騒動に片が付くと確信した。
そして、それを国軍の連中にも、ぜひ見てもらわなければと思ったのだ。
深夜。
「……探しましたよ」
エドガーが屋根にかけた梯子を上ってくる。
鬼姫は屋根が高い宿屋の上に陣取って、月明かりの街を眺めていた。
今夜は、いつもの白衣、袴に、胸当てをしていた。
「国軍はどうしたん?」
「今夜は見回りをするようです」
「おぬしが頼んだのかの?」
「いえ、俺が頼んでも聞いてもらえないので、町長に直談判して正式に要請をしてもらいました」
鬼姫の目が細くなる。
「そこまでせんと動かんのかの」
「動かないどころの話じゃないです。今夜出なかったら明日にはもう帰るそうで」
「国軍ってなんのためにおるんじゃ」
「……まあ王様が国内ににらみを利かすための戦力だと思ってもらえば。あちこちに駐屯地もありますし」
それでは民を守るための軍ではない。まるで民を脅すための軍である。まあ戦もない平時の武士なんてそんなものであろう。鬼姫にも覚えがあった。
「ハンターどもは?」
「見回ってますよ。マンティコラには賞金出てますからね」
「そらよいのう」
「ところで、さっき言ってた、『ヌエ』ってなんすか?」
鬼姫は記憶をたどる。
「……うちの国におった妖怪じゃ。頭は猿、胴はたぬき、尾は蛇、足は虎。夜な夜な、ひょえ――――とかの不気味な声を上げて帝が寝不足になっとった。源氏の武士が退治したという話もあったが、都にはたまに出ておったのう」
「はー……。どこにでもいるんですねえそのまぜこぜの化け物」
「そうじゃの。いろんな鵺がいるかもしれんのう」
「それでですね」
「そろそろ黙れ」
びしっと言われてエドガーは口を閉じた。
風が無い。
鬼姫は耳をそばだてて静かに音を聞いている。
なにも動かない。
時々えっほえっほと並んで走る見回り軍隊の足音、乱雑に乱れたハンターたちの統率のない足音が宿屋の下を通り過ぎる。
丑三つ時(午前二時)。
「来よった。声を立てるでない」
すっくと屋根の上に立った鬼姫は、また背中から長い竿を取り出した。
「(な、なんすか)」
「あの声が聞こえんかったか?」
竿をひん曲げて、弦をかける。櫨と竹を合わせた弓胎弓である。
「(それ、弓だったんすかあ!)」
七尺五寸の和弓。人の背丈より長い長弓であった。
「(そんなでかい弓、引けるんですか! こんなの見たことないですよ!)」
「黙れと言うておろう」
鬼姫はその弓の下、三分の一ぐらいの握りを持つ。上下の長さが同じなことが常識なこの世界の弓からすれば、異様でいびつな造りであった。
またどこから出したのかわからない矢を二本、つがえる。
一本は弓、二本目は右手に握ったままだ。
時間が過ぎる。
鬼姫は暗闇の一点を凝視している。
そして、弓を上に上げ、弦を引きながらゆっくりと腕を下げ構えた。鬼姫は大柄な女ではあるが、乳はさらしと胸当てで押さえつければ弓の邪魔になるほどではない。その凛として静の姿を、エドガーは美しいと思った。こんなきれいな構えの弓兵は見たことなかった。
バシュッ。
弓鳴りがして矢がまっすぐ飛んで行く。
くるりと返した弓を戻し、すぐに二矢をつがえ、間髪入れずもう一度放つ。
ひぃ――――ん、きゃうっ……。
夜の街に獣の絶叫が響き渡る。一町以上も離れたところから。
たたたっ。鬼姫が屋根の上を駆け出す。
「っと! 危ないっすよ!」
思わずエドガーが声をかけたが、鬼姫はかまわずぴょーんと屋根と屋根の間を飛び越えた!
そしてどんどん屋根を伝って、その悲鳴が聞こえた場所に向かって走り抜け遠ざかる。
「……とんでもねえ。ついていけるわけないっす」
慌てて梯子を下りるエドガー。
ヒィヨ――ン……。ギャッ。
何かの断末魔を頼りに街を駆ける。
「な、なんだ!」
「見つけたのか!」
国軍兵士と、ハンターたちも深夜の町を駆け出していた。
兵たちはランタンや松明を持っている。
「あっちだ!」
既に何人かの兵が群れている場所にたどり着いた。エドガーにしてみれば矢は2~300メートルは飛ぶが、傷を負わせられる距離となると100メートルも無い。この世界の弓の射程としてはありえない距離を走ったことになる。
そこには……。
右手に三尺二寸五分の大太刀、鬼切丸。左手にマンティコラの首を持った鬼姫が立っていた。
切り落としたその首は赤い肌に耳も一見人間のようにも見えるが、くわっと開かれた口に歯は三列もあった。二本の矢が刺さって血を流して倒れる体はライオンの胴にたてがみ、毒を持つサソリの尾を持っている。動物のたてがみは急所の首を守るための盾である。猛獣同士でも牙は食い込みにくく、爪は厚い毛に滑る。通常の剣ではとても切り落とすことなどできないはずだ。なによりどこから来るかわからない毒尾の攻撃が怖い。
それを鬼姫は斬った。並の手練れではない。
「見回りはばかりさん。こないにでかいとは思わんかったのう。荷車はあるかの? 借りたいんじゃが」
身体はライオン。鬼姫にしてみれば胴はたぬきの鵺よりもずっと大きかった。
周りの兵やハンターたちは返事もできずに、その恐ろしい光景に立ちすくんだ。
「むうっ……」
駆けつけたギルドの白髪男も絶句している。
馬の蹄の音が駆けてきて、止まった。
「やったのか?」
国軍の兵装に身を包んだ甲冑の大男が馬を下りた。周りの者たちを押しのけて強引に前に出てくる。
「……誰がやった」
「この人ですが」
「この女が? あり得ないだろ」
ふんと鼻で笑うように出てきた男はエドガーに声をかけた。
「おい、お前昼の国境警備隊の奴だな」
「はい、エドガーです」
「オーガを倒したとかいう女ってのは、もしかしてこいつか?」
「そうですが」
「ふーむ……」
そう言うと、男は鬼姫に向かって手を出した。
「ご苦労。あとは我ら国軍派遣団がやる。それをよこせ」
「お断りじゃ」
「なんだと?」
これには口々にハンター達からも抗議の声が上がる。
「なんだよそれ。手柄横取りする気満々じゃねーか」
「どうせ自分たちが倒したってことにするんだろ」
「ねーちゃん、相手すんな。絶対あとでひどい目に遭うぜ」
さすがにこれはハンターたちも鬼姫の味方であった。昼のあの尋常ではない殺気、どう見たって一人で仕留めたその腕前、ハンターとして一目置くどころの騒ぎではない。もうこれは認めるしかないし、ぜひハンター仲間になってもらいたかった。
「隊長、この娘はうちのギルドのハンターでしてね、この仕事ギルドの管轄なんでさ。引っ込んでてもらえますかね?」
いやそれも図々しいというものだろうと、ギルドの受付男に思う鬼姫である。
「試験は合格かの? 受付はん」
多少嫌味交じりになってしまうのは仕方がない。
「受付じゃねーよ。俺はギルドマスター。合格も合格、大合格だ」
「話が早うてええのう。さ、これを運ぶんじゃ」
鬼姫は鬼切丸を拭きながらにっこり笑う。昼間見た氷のにたり、とはまた違う、乙女らしい華やかな笑顔であった。
「待て、だからそれは我が軍……」
国軍隊長がなにか言いかけたが、鬼姫がひらりと手を振ると押し黙った。
棒立ちになり動かなくなる。
「さ、皆の者、働け働け!」
「おお――――!」
月夜の夜に、男たちの鬨の声が上がる。
「隊長!」
「隊長?」
「あの、隊長……?」
国軍の兵たちが動かぬ隊長にかまけている間に、荷車が引かれ、全員でマンティコラの死体を乗せ、ギルド会館にむかって走り出した。
「ふああ……眠くなってきたの」
その後ろをのんびりと歩きながらついていく鬼姫。
「マンティコラの声が聞こえたんですか?」
さっきの鬼姫が動き出した時の事、エドガーは気になって仕方がない。
「……笛か、ほら貝みたいな声だった。鵺とは違うの」
「そうですね。笛とラッパを合わせたような声だと伝わってます。マンティコラってのは『人殺し』の意味がありましてね。トラかライオンみたいな猛獣の見間違いのことが多いんですが、本物が出るとはね……」
似たような魔物にギリシャ神話の「キマイラ」がいるが、そちらは獅子の頭、ヤギの胴、ドラゴンの尻尾を持つというさらにカオスな構成でしかもメスである。日本に鵺がいるように、このようないろいろな動物が合わさった魔物の伝説は世界に多い。
「さっきなにしたんす? 国軍の隊長に」
もう何でもアリだなあこの人と思ってエドガーは声をかけた。
「金縛りじゃ。これも安倍の何とかいう小僧が得意にしておった」
「そんな魔法があるんすか! それ、ヤバすぎじゃないですかね?」
横を歩くエドガーの顔を見て鬼姫はふふんとドヤ顔をする。
「陰陽術に見えてそのタネはただの催眠術なんじゃ。おつむは起きておるのに体は寝てる。そんな状態じゃの。明日になれば目も覚める」
「あー、子供のころ、寝ててそんなふうになったことありますわ。って、明日まであのまんまなんすか隊長!」
ふふっ。あはははは。
深夜の町に、二人の明るい笑い声がひっそりと、響いた。
次回「11.ランク無し」