歓迎会②
時間が経って、気づけば狭山さんも川角さんも鳩山さんも、みんな席を離れてしまった。
寝っ転がっている社員さんもいる。締めの合図、そろそろなのかな。
よし。周りに誰もいないということは。
これで堂々と本日の推し絵巡りができる。飲み会ぼっちは、むしろ歓迎だ。
私はスマホを開いて、イラスト投稿サイトの海を漂い始めた。
ああ、今日も尊いな……
「何見てるんですか?」
「ひゃいっ」
頭上へと舞い降りたフローラルな香りと鈴を転がす声に、私は大げさに肩を跳ねさせる。
あぶねえ。アダルトなページじゃなくてよかった。
「すみません。少しだけ匿わせてください」
本庄さんはそう言って、私の隣へと腰を下ろした。
座布団座ればいいのに。いま誰もいないんだから。
とりあえず私がひとつ隣へ移動して、私がいた場所に来なよと促す。
「構いませんが、どうして私に?」
「上里さん、それソフトドリンクですよね。シラフの人のとこに逃げ込みたかったんです」
匿うとか逃げ込むとか、何かに追われてるみたいな言い回しだ。理由を尋ねると。
「……実はわたし、自家用車で来たので」
ああ、なるほど。送迎に付き合わされるのが嫌だったのかな。
「本庄さんもお酒は飲まれないのですか?」
「飲めないことはないのですが、帰るときは1人がいいかなと」
これ内緒ですからね、と本庄さんは口止めするように指を立てた。
男性が見たらあざとい仕草なのかな? でも、きれいな人がすると様になる。
「わかります。帰り道とか電車内とか、なんか話さなきゃなんないような空気あってしんどいですよね」
このお気持ちは、会社から帰宅する際にも表明できる。
ロッカーでくっちゃべりながら同僚の仕度を待って、駐車場か駅までご一緒する。そういった暗黙の了解みたいなものがしんどい。
「そう。それなんですよ。会社の方々を嫌っているとかではなくて、業務時間外は1人でのんびりしたいのです」
もしかして。お昼は会議室にいないのも、そんな感じの理由なんだろうか。
「本庄さんが羨ましくなります……」
私はテーブルに突っ伏した。
あの2人のことは嫌いじゃない。私にも話を振ってくれるし。
なんだけど。この光景がずっと続くことを考えると、気が重い。
「逃げてしまえばいいのに。わたしみたいに」
いつになく乾いた声で本庄さんはつぶやくと、『でも新人のうちは難しいですよね』と明るいトーンに切り替えた。
影の一面を見た気がして、一瞬どきっとしてしまう。
「あはは、でも、最近はあまり嫌でもなくなってきたかなって」
「本当ですか? 無理していませんか? わたしは無所属ですから本音でけっこうですよ」
他言はしないって意味かな。
でも嘘は言ってない。黙って話を聞いているだけでも、その人を知る時間と考えれば有意義ではあるから。
「どうしたってあの2人は私とは歳が離れておりますし、腹割って話しづらいじゃないですか。でも、私ではなく同年代の2人でなら遠慮なく話し合える。どんな人なんだろって、表面的な部分以外も知れる機会になるかなって。私はなかなか社員さんひとりひとりと話す機会がないので」
つまるところ、人間観察だ。
そりゃ自分を攻撃する”合わない人”なら遠慮なく距離を置くけど、そうでない人なら人となりを知ってみたい。
なぜ、この人はこんな考えなんだろうかと。
自分から遠慮して一方的に距離を置くのも、まだ早いと思ったのだ。
「上里さんは忍耐強いのですね」
「伊達にこの名前じゃないんで」
名前ネタが出てくるとは思わなかったので、あははーと適当に流す。
案外滑りやすいんだよね、こういうの。
あ、そうだ。
せっかくイラストサイトを巡ってる光景を見られたのだから、いい機会かもしれない。
「そろそろ締めるよー」
これ気になりますかと言いかけたところで、工場長が勢いよく手を叩いた。
くそ、タイミング悪い。
何か言いましたか、と尋ねる本庄さんにあ、いえまたの機会にとスマホを胸ポケットに戻そうとすると。
「続きはわたしの車で話しませんか?」
本庄さんは手を取って、出入り口を指差した。
「いえ、ですが」
本庄さん、帰るときは1人がいいって言ってたよな。私も同じ会社の人間だし。
「だって上里さん、徒歩で来られてましたよね。いま、雪ですよ」
「えっ」
座敷を出て、廊下の窓へと目を向ける。
マジだった。白いみぞれがざあざあと止むことなく、暗闇に降り注いでいる。
雪なんてここ何年も降ってないから油断してたよ。
「だ、大丈夫ですよ。ここから歩いて20分くらいですし。折りたたみ傘もあります」
「ダメです。こんな視界が悪い夜道を若い女性が歩いてはいけません」
私より若いあなたが言う台詞じゃなかろうに。
本庄さんはなおも食い下がり、私の手首を離そうとしない。
「みんなに捕まって、ずっと上里さんのところに行けなかったので。もっとお話したいんです」
「…………」
う、そんな上目遣いで見つめてくるのはずるい。
それに、イラストで語り明かしたいのは私も同じだ。
工場内では朝とお昼くらいしか顔を合わせないし、貴重な1人の時間を邪魔したくはないから。
「わ、わかりました。道案内しますので、しばしの間よろしくお願いいたします」
「はい、お持ち帰りしちゃいます」
本庄さんはいたずらっぽく無邪気な笑みを浮かべると、自分の席まで荷物を取りに行った。
こうして私は、年下の先輩に送迎される形となった。