いつかの時代、どこかに咲く幸せ(後編)
何駅か乗り継いで、バスに乗って、やがて閑静な敷地内にぽつんと建つ病院の前に降ろされる。
父親との面会の時間がやってきた。
懸念していた胃がんの再発は今のところないものの、今度は脳梗塞を発症しここへと搬送された。
お酒が大好きな人だったから、時間の問題ではあった。
さいわいにも発見が早かったため意識ははっきりしており、食事も会話も可能。
今は少し麻痺が残ってしまった身体のリハビリのため、ここに入院している。
脳梗塞も再発するって聞くし、回復に向かってるからって油断はできないな。
「おう、よく来たな」
こうして会うのは何年ぶりだろう。少し痩せた父親がベッドから身を起こした状態で迎えてくれた。
「これ、もうすぐクリスマスだから」
「ああ、もうそんな時期か。病院の景色ってずっと同じだから、カレンダー見ないとわからないんだよな……」
リースを渡したところ、ちったあこの殺風景な病室も明るくなったなと喜んでくれた。
こうして普通の会話ができるというのは、本当に幸運なことだ。
意識不明、言語障害とかでそのまま何も意思疎通が測れなくなってしまった話も聞くからね。
「お久しぶりです。吉見先生」
わたしからはこちらです、と毬子さんは1枚の油絵が撮影されたスマホの画面を見せた。
こうして顔を合わせるようになってから、毬子さんはたびたびアナログの画材も使って作品を上げるようになった。
描くたびに研ぎ澄まされていく画力に、毎回父親は『お前本当にあの本庄か?』と驚愕の表情をあらわにする。
「お前なあ……なんでその潜在能力を学生時代に出さなかったんだよ」
「描く理由に迷っていたもので」
今は描くことそのものが楽しいからという理由が見つけられました、と毬子さんは生き生きとした表情で父親に笑いかける。
「要するにやる気だろ。でもまあ、才能なんていつ開花するかわからんからな。定年後に絵を始めて画家になった奴もいるし。ようやく生徒が成長した姿を見れて嬉しいよ」
「先生にお褒め頂き、たいへん光栄です」
この光景をあの見る目がない教師どもにも見せてやりたかったねえ、と父親は天を仰いだ。遠い記憶に想いを馳せるように。
いつか芽が出ると信じて、近くで成長を見守る教師の顔がそこにはあった。
ある意味、イラストスコッパーが趣味になった私に通ずるものがあるのかもしれない。
「少し席を外しますね」
親子水入らずの会話も必要だからと、毬子さんは病室を後にした。
気を遣ってくれたのだろう。
意を決して、ずっと隠していた秘密を口にする。
「ご報告があります、父さん」
何度も毬子さんと一緒に訪れている以上、感づいているとは思うけど。
国に正式に認められたということもあり、正直に私たちの関係を告白する。
「そうか……うん、そうか……」
彼氏ではなく彼女か、とつぶやき、父親はまっすぐに私を見つめる。
「父親になりきれなかった俺が言えることではないが……おめでとう。末永く幸せにな」
「ありがとうございます」
お互いに向き合って、深々と頭を下げる。
いきなりその気がなかった娘が実は同性愛者なんです、なんて告白されたらまずは困惑が先にくるだろう。
父親も例外ではなく、声と表情に複雑な面持ちがあらわれている。
「娘と教え子が会社で出会ってゴールインとは、数奇な巡り合せもあるもんだなあ」
「確かになかなかないね」
「でも、安心したよ。お前がひとりじゃないってことが分かって」
別れて、ペットと妻が先立って、子供の一人も家を出て。
今さら元の家には戻れないし、自分のように娘が孤独に苛まれていないか、それだけが気がかりだったのだと言う。
「逆に、忍から聞きたいことはあるか? なんでも話すよ。次いつ話せなくなるかもわからないし」
「だからそういうこと言うのはやめてって……」
でも、いつかは覚悟しないといけないんだよな。
なんでも、か。
長年の疑問を、私はぶつけてみることにした。
「どうして、二人は別れたの?」
「やっぱそこ聞いてくるか」
「どうしても言いづらいなら無理は言わないけど……」
「いや、いいよ。約束だしな」
てっきり浮気あたりだと睨んでいたのだけれど、父親から返ってきた答えは予想を上回るものだった。
「趣味の不一致だったんだよ」
母親は優しく穏やかで家庭的でバリキャリと、一見結婚相手には申し分ない人材であった。
ただひとつ、重度の性嫌悪の部分を除いては。
「娯楽としての性を許さない方であったというか……特に萌え絵なんかは、汚らわしいものとしてしか見えなかったみたいでね。創作物とリアルは別物と説いても、聞く耳を持ってくれなくてな……」
どうやら、私のオタクな部分は父親から受け継がれていたらしい。
結婚前からオタクであることは知っていたくせに、アニメってだけで難色を示す人だったという。
さすがに子供にも悪影響だからとAVやアダルトゲーム、成人向け漫画にまでは手を出さなかったものの。
ラノベやアニメも封じられ、スマホまで管理される生活は相当しんどかったらしい。
「選んだ自分が馬鹿だった、ということで一方的に別れを切り出された。仮面夫婦すら無理だと言われてしまった。触られたくないし、顔も見たくないと」
趣味嗜好がもっと普通のものであったら、今でも一緒にいられたのかな。
そう、父親は申し訳無さそうに頭を下げた。
「母さんのことは今でも好きだよ。ごめんな、気持ち悪い話をして」
「いや、私は全然平気だから。なんならキモオタだし」
ロリも異種姦も凌辱も調教もいけるとの性癖暴露はさすがに父親にも言えない。墓場まで持っていく。
ははは、仮に母親があられもない美少女の姿が描かれたパッケージの山を発見してたらどうなってたんだろう。その場で絶縁だったろうな。
微妙な空気が流れて、お互い意味もなくへへへと苦笑いを浮かべる。
オタク同士と言えど、なんでも腹を割って話せるわけではないのだ。
「まあ……その、なんだ。相手の趣味は相容れないものであっても、頭ごなしに否定しないことかな。あとはお互い納得いくまで話し合うこと」
すれ違う二人には総じて話し合いが不足しているのだと、父親は悟ったような口ぶりで教えてくれた。
「そっか……うん、ありがとうね。教えてくれて」
また来るよ、と締めて毬子さんを呼ぶ。
「元気でな。また、いつでも歓迎するよ」
2人で最後にお辞儀をして、麻痺が残る手を振る父親に切なさを覚えつつ、私たちは帰路についた。
冬の日照時間は短い。
時間的にはまだ夕方頃ではあったけど、家につく頃にはすっかり日が落ちて冷え込みも厳しくなっていた。
「ただいま」
「はい、おかえりなさい」
一緒に帰ってきた人から、帰宅を迎える声が返ってくる。
かつては返事のない暗い部屋に、一人寂しく帰宅していた。
けど、今は違う。隣に最愛の人がいて、おはようからおやすみまでを共にする。
誰かと暮らす日が来るなんて、一生ないと思っていたのに。
一生、ひとりでも生きていけると思っていたのに。
寄り添う温かさを知ってしまったら、もう、ひとりには戻れないんだ。
夕食は外で済ませてしまったため、家事は洗濯物の取り込みとお風呂の準備くらい。
ちゃっちゃと済ませて、さっと湯船から上がる。
「ごくらくー」
風呂ですべての疲労を開放し、湯上がりのだらけた姿勢でソファーへともたれる。
この眠くなるまでのくつろぎの時間が、1日の中で私は一番好きだ。
「そっち寄りかかっていい? 眠くなってきちゃった」
「どうぞー」
膝枕でもするように、こてんと毬子さんが腿の上に仰向けになる。
容赦なくぼすんと頭が乗ってくるものだから、その遠慮のなさが膝に乗りたがる猫みたいでかわいい。
「ねえ」
閉じかけていたまぶたがぱっちりと見開かれて、目が合った。
「どうしたの?」
「んーん。忍ちゃんは相変わらずかわいいなあって」
伸ばした腕からなでなでと、後頭部がさすられる。
「嬉しい言葉ではあるけど……もう私はちゃんづけされる歳でもないよ」
「大人は大人のふりをしている子供にすぎないのよ? いくつになっても、忍ちゃんは忍ちゃんのままよ」
哲学めいたことを言って、ふたたびなでなでが始まる。
心地いい感触に意識を委ねていると、ふと、毬子さんが尋ねてきた。
「ところで今日、デートだったと思わない?」
「え? お出かけだったよね?」
「思い返してみて。忍ちゃんが昔言ってた、”普通のデート”じゃなかったかしら。今日」
首を傾げて、持病に苦しんでいた時期の記憶を探っていく。
私は普通であることに執着していた。外出もろくにできなかった当時は、普通のデートの基準はとてつもなく高かったのだ。
普通のデート。こうして外に出たり、一緒にご飯を食べたり、遊んだりして……二人で楽しむってことですよね。
かつて毬子さんに放った台詞を思い返してみる。
確かに言われてみれば、今日の一連の流れはそれに沿っていたのだと思う。
外出、外食、買い物。あんなに焦がれていた普通が、当たり前のように染み付いていた。
でも、それは。なんでもないようなことであって、何よりも優れていた時間だったと定義できるだろうか?
普通の生き方。普通の恋愛。そんなものは存在しない。
そう説いてくれた隣人へと、今の気持ちを贈る。
「外もいいけど……やっぱり私は、おうち時間が好きだなぁ」
「でしょ? インドア派も悪くないものよ」
なにもかもを委ねて、一緒にのんびりと。
生まれ変わった我が家で大切なパートナーと共に過ごす時間は、この上なく至福のひとときだ。
「この時代に生まれて、よかった。今は心からそう思う」
手を伸ばして、銀の誓いが埋められた薬指をなぞる。
そのまま指を絡めて、向かい合う。視界いっぱいに、最愛の伴侶をおさめる。
「あなたと出会えて、よかった」
静かに唇を重ねて、あふれる想いをもう一度言葉へと贈りだしていく。
「あなたと共に生きる未来が叶って、よかった」
「ええ、わたしもよ」
愛しています。誓いの言葉を互いに交わして、今度は深い接吻を。
いつまでも傍にいよう。いつか朽ち果てる日まで愛をささやき続けよう。
ひとつになりたい想いを、きつく抱きしめて満たしていく。
これまで過ごしてきた、すべての日々へ。
今日につながっている軌跡に、ありったけの感謝を。
ありふれたかけがえのない幸せは、今ここに咲き誇っているのだから。
(了)
本編はこれにて完結となります。無事エタらずお届けすることができて、ほっと胸を撫で下ろしております。
お立ち寄りいただいたすべての方々に深く感謝いたします。
※後日詳しいあとがきと特別編をはさむため、まだ完結済みの表記にはしておりません。よろしくお願いいたします。




