空気読んでくれよ
簡単な拭き掃除が終わったら、いよいよ事務らしい仕事に入る。
手順を記したメモ帳を開いて、上司と一緒におさらいしていく。
メモは作業しながら取っていると殴り書きになって解読が困難になるので、取る用と清書用に分けておいたほうがいい。スキマ時間に書き写す感じで。
頭にも復習で叩き込めるので、悪くないと思う。
「華があるっていいですね」
机を挟んで斜め前へ座る、小太りの中年の男性が話しかけてきた。あざーすと軽く笑って返す。
名前は……だめだまだ部長という役職でしか覚えていない。
メモ帳の最初のページに挟んである名簿を確認すると、『小川』とあった。まあいいか部長固定で。
社員さんのほとんどは朝礼が終わると現場に行くので、必然的に事務所にいる面子は固定されてくる。
小川部長、隣に座る事務員の狭山さん、それと工場長の高坂さん。面接で顔を合わせたのは工場長だったかね。
「上里さん、前職はどちらで?」
部長は話し好きなのか新人の私と少しでもコミュニケーションを図ろうとしているのか、たまにこうして唐突に話しかけてくる。
難しいだろうね、距離感。
分かってはいるんだけど、相手が男性である以上は私も多少は身構えてしまう。年が離れていると尚更ね。
「飲食です」
「ああ、異業種からの転職なんですね」
「はい。業績不振で潰れてしまったので。次はサービス業以外がいいかなと」
持病もあるからね。発作をこらえながらの接客は正直しんどすぎた。つか悪化した。
「厳しい業界ですからね……こんなご時世なのでどこも似たようなもんですが」
「ここで骨を埋められるといいのですけどね」
この台詞は建前ではない。
私の人生で二度と経験したくないことベスト3はノロウイルス、推し絵描きの垢消し、堂々の第一位が就活だ。
「若い人材にお越しいただき、こちらとしても喜ばしい限りです」
部長は軽く頭を下げると、印刷物を取りにコピー機の方へ向かっていった。
実際ここは定年間近の社員がひしめいてるくらい年齢層が偏っているから、世代交代が上手くいかないと未来はないって上は危惧するだろうね。
……だとしても、若者以外がいる事務所内で堂々と言うのもどうかと思うんだ。
ほら隣の狭山さんとか、会話に一切混じってこないのが怖い。
そら女性に年齢の話題はタブーだしなあ。たとえ間接的でも。
華があるって言葉も、おばさんになったらじゃあ枯れちゃうのかぼけって解釈されてもおかしくはないんだぜ。頼むぞ部長。
さて、気を取り直して。
FAXを確認して、各営業所から送られてきた発注書をPCに読み込んでいく。
私はOfficeの資格を一通り取ってたからって理由で採用されたらしいけど、まだこの会社では使ったことがない。
独自の社内ソフトだ。意味ねえ。
……中小ってだいたいそうだよね。
「お疲れ様です。奥平技研、上里が承ります」
他の営業所から発注したいから在庫確認してとの電話があり、折り返し連絡することに。
「名古屋営業所から。足場インサートのCサイズ、明後日までに20ケース欲しいとのことですが……」
この商品自体は30ケース在庫があったものの、本日別の営業所に15ケース出荷する予定となっている。つまるところ在庫割れ。
狭山さんに聞いてみると。
「その場合は工場長に相談を。あるぶんだけ出荷するか、依頼通りの個数を仕上げてから出荷するかって判断いたしますので」
「わかりました」
とりあえず、すぐ隣の工場内へ急行する。
現場に足を運ぶのは初日以来だ。
機械音が響いていて、油っぽい独特の臭いが立ち込めている。
あとくそ寒い。良く言えば風通しがいい。
フォークリフトが通るから、シャッターも全開にしないといけないんだろうけど。
社員さんはどうやって凌いでいるんだろう。
「…………」
一通り工場内をうろついて、他の社員さんに訝しげな目を向けられつつ私はため息を吐いた。
おいどこだ。工場長。
戻ってくる時間が遅くなると作業が滞ってしまう。他の社員さんは忙しそうに手を動かしているので、聞くに聞けない。
足で探すって効率悪くね?
今まではどうしてたんだろ。放送で呼び出すか、仕事用の携帯電話に掛けるかでいいんじゃない?
うーん、入れ違いで事務所に戻ったのかもしれないな。とりあえずここにはいない。
背を向けて、開いたシャッターから外へ出ようとすると。
「おっと」
向こうから運転中のフォークリフトがやってくるのが見えたので、邪魔しない位置で通り過ぎるまで待つ。
ヘルメットからなびく髪束が目に入って、運転手が女性であることに気づいた。
……え、あの人本庄さん?