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私は普通の恋人になれない  作者: 中の人
副業編

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37/72

人を好きになるということ

 好きになるきっかけってなんだろう。

 容姿とか、その人の生き様とか。恋のピースはいくつもあれど。

 もっと単純にまとめれば、好きと言われたから好きになる人も多いと思うのだ。


 私もですよ。

 好きを肯定した瞬間、私の胸の中に御しきれない熱いものが燃え広がっていく。

 甘い匂いと体温がこもる、薄暗い布団の中で。すうと息を吸った。


 本庄さんの香りを胸いっぱいに取り込むと、どっどっと心臓が力強くエンジンを刻み始める。

 今まで密着したときよりもいちばん強く、芳しさに満ちていた。

 発作の圧迫感とはまた違うものが喉周りを塞いでいく。真綿で首を絞めるってこういうときに使うのだろうか。


 なのに頭だけは恐ろしくクリアで、私は冷静に今自分の中で芽生え始めたひとつの感情について分析を始めていた。


 自分に相手ができない理由を、己が抱える欠点に帰結する人がいる。

 容姿が悪いせいだとか、性格が悪いせいだとか、経済力がないせいだとか。

 じゃあ、同じ条件かそれ以下で結婚している人にはどう理由をつけるんだ。


 結局は行動力があるかないか、それに尽きると思う。


 出会いがなーいと嘆いている人の出会いの定義は十中八九、相手に見初められてコンタクトを取ってくるまでが含まれているものだ。

 見栄で欲しいだけで、大して他人に興味が湧かないから自分から行こうとしない。


 その一歩を踏み出せない私は、嫌われることを恐れず狩りに出る人たちを心から尊敬する。

 他人のために行動に移せるって、度胸と自信がないとできない。

 相手の気持ちを汲んで、話術で巧みに興味を引かせるって難易度が高すぎる。


 ナンパなんかその最たるものだろう。

 ああ、だからなのかな。


 美人で優しくて今のかっこ悪い私を知っておいてなお、ぐいぐい求めてくれる人を。

 好きにならないわけ、なかった。


 たとえ私に向ける好意が不純なものであっても。

 自分に自信がないからこそ、他者から施される優しさを勘違いしているだけであっても。


 私はずっと本庄さんに求められていたかった。

 ちょろすぎだろお前。なんて言われたってもう、自覚した感情に嘘はつけないのだ。



「昨日は本当にありがとう。おかげでいい絵が描けそうだわ」

「ええ、お役に立てたようでなによりです」


 一睡もできなかったせいでまぶたがどちゃくそ重い。

 足元もふわふわとおぼつかない。化粧で隠してるけど、クマもすごいことになっていた。


 あれから本庄さんが完全に寝入って力が緩んでも、私は明け方になるまで本庄さんの腕の中にいた。起きる前にギリギリ抜け出したけど。


 お布団に寝ぼけて引きずり込まれて、寝言で好き好き攻撃を受け続けて。

 無意識の行動なのだから本心じゃないってわかっているくせに、あれが転がり落ちるとどめとなった。

 たった一晩で、私は単なる女であったことをようやく自覚した。


 いつだって、私は深みにハマるのが遅いのだ。今継続しているソシャゲもブームが過ぎ去った頃にアプリを入れ始めたし。


 なにかきっかけがあれば一転して、猛烈な勢いで沼に沈んでいく。

 今まではその対象がサブカルだったけど、今回はリアル事情だ。

 未知の感情に翻弄されて、自分本位で燃え上がることだけはしてはならない。大人らしく、節度を保って接さねば。


「これくらいはさせてちょうだい。上里はゆっくり休んでてね」


 さすがに昨日昼飯夕飯とご馳走になって、朝ごはんまで作ってもらうのは気が引けたらしい。

 遠慮する私を押し切って、洗い物に洗濯物干しにご飯まで付近のコンビニまで買ってきてもらってしまった。


 くっそ寝不足な状態のこっちは家事に頭が回るまでもう少しかかりそうだったから、それを読んで実行に移してくれたのだろうか。……だめだ、脳内の乙女回路が都合のいいように変換してしまう。


「また、明日ね」

「はい。よい週末を」


 見送って、手を振って。名残惜しい気持ちが胸の中へ残される。

 ……月曜日がこんなに待ち遠しいなんて、考えられなかったなあ。



 週が明けて、いつもの憂鬱でうららかな午後のこと。

 今日はあんまり注文書が入ってこなかったため、出荷後の元帳記入も午後3時を回らないうちに終わってしまった。


 本日分の売上を登録したら、それで大まかな業務は終了。

 隣の狭山さんも暇そうにコーヒーをすすって、送り状をファイリングしている。


 ……ここに来てから最近思うようになったけど、夕方にも差し掛からないうちにやることなくなるってまずいんじゃないか?

 掲示物作成や掃除で仕事を見つけているものの。現場の人は定時まで精一杯働いているかと思うと、申し訳ない気持ちが募る。


 仕事が多すぎても困るけど、無さすぎるのも嫌だ。

 前職は客が少ないからって頻繁に早上がりさせられるようになって、やがて潰れたことを思い出す。


 仕事がない問題は主に3つに絞られる。

 上が仕事量を把握せず、人件費を減らされたくないため補充してしまうか。

 業績が低迷していてあまり仕事が回ってこないか。

 そして、優秀な社員にばかり仕事が回されて周囲が暇になってしまうか。


 ……最後は本庄さんが時間外労働もやらされてないか心配になるなあ。金子さんの例を聞く限り、一人に集中してるってことは無さそうだけど。


 本音を言えば資格勉強に当てていたかったけど、勤務中に仕事以外のことはできない。

 とりあえず、書類に目を通しておこう。


 こんなときだからこそ、現場のことをもっと把握しておくのは大事だ。でないと狭山さんに代わって私に任せられないだろうし。


 仮にここが潰れて転職になっても、単なる事務経験より『××の業界で事務経験を積みました』のほうが採用の可能性は広がるだろう。


 デスクトップのフォルダから、PDFファイルを起動する。

 本庄さんが現場用に作ったマニュアルだ。


 丁寧な仕上がりだなあ。一切業務に携わったことがない私でもなんとなく流れが浮かんでくるほど、作業工程が写真つきで事細やかに記載されている。


 そのぶんページ数は膨大だけど、きっちり動作不良時の整備方法まで記されているのはありがたい。機械が古すぎて人の入れ替わりも激しすぎて、誰も直し方を知らないとかあるあるだしね。


 分かりづらい細部は、本庄さんの手描きと思われる手の動かし方のイラストが貼り付けてあった。こういうとき、絵が描けると便利だよね。



「…………?」

 発注の確認のため現場へとおもむき、事務所へ戻ってくる途中。

 倉庫担当の花崎はなさきさんが受付カウンターに身を乗り出して、誰かと話しているのが見えた。


 いま事務所には狭山さんしかいないはず。何話してるんだろう。単なる仕事のやりとりだろうけど。


 花崎さんとは昨日まともに話したばっかりなんだよな。事務員たるもの倉庫入れしてある商品の位置や個数も把握してなんぼだと、少しだけお時間を頂いて彼から指導を受けた。


「…………」

 事務所に戻って、自分の席に座ろうとしたタイミングで。

 ひゅっと狭山さんが身体を引いて、花崎さんとの会話を切り上げた。

 たまたま会話が終わったタイミングで入ってきただけかもしれないけど。


 例えるなら自習時間で友人とおしゃべりしている中教師の気配を感じてあわてて席に戻る、みたいな。そんな空気に近かった。


 だって、静かな事務所だから嫌でも耳で聞き取ってしまう。

 狭山さん、さっきからずっと鼻かんでんだもの。ずずっと。

 花粉症ではなく、明らかに泣いた後としか思えないようなすすり方だ。


 妙に、胸がざわつくのを私は感じていた。

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