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私は普通の恋人になれない  作者: 中の人
プロローグ
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秘密の副業

 少し前から、私は入ったばかりの会社の先輩と“副業”を始めた。

 仕事と言える代物ですらないか。相手の好意に甘えているだけなのだから。


 あけすけな言い方をすれば、売春。

 私、上里忍かみさと しのぶを買うのは、先輩である本庄毬子ほんじょう まりこさん。


 職場、私の家。

 仕事内容、おうちデート。


 日給、自由。

 勤務時間、自由。

 休暇制度、週休5日。祝日は出たり出なかったり。


 同性愛者の先輩はこれまで何人とも関係を結んできたみたいで、私もタイプだったんだとナンパを受けた。


 先輩のことは好きだけれど、そういう意味の好きまではいかない。

 でもお世話になっている方だから、邪険にもできない。


 私は一人ぼっちになってしまった直後で。寂しくなったから流れで利用した。

 現金自体はくれるなら欲しい。非正規で余裕がないので。たとえよこしまな目的であっても。


 金積まれてもタイプじゃない赤の他人とはごめんだけど、本庄さんは美人だし、人当たりも良い。一緒の空間にいても悪い気はしない。


 彼女は、そんな私の弱みに付け込んだ。


 一線は超えてないし、今はまだ、一緒の空間にいるだけ。

 何を買っているのか不明な時間だ。


 私がお金でほいほい釣られる都合のいい女なら。

 本庄さんもまた、寂しい時だけ来てくれる都合のいい女なのだろう。



 さて、土曜日の午後を回った今、玄関のインターホンが鳴った。

 今週もまた副業のお時間がやってまいりました。


「おかえりなさいませ」


 メイドカフェみたいな迎え方で頭を下げると、本庄さんはお嬢さまと付け加えてもいいのよ、と冗談めかしつつ靴を揃えた。

 年齢的には確かにそうか。まだ大学卒業して1年くらいだから。


 ……それより年上の私が貢いでもらってるって。改めて考えるとみじめだな。


「はい、いつもの先払い」

「まいど」


 長財布から取り出された、折り目のない千円札を受け取る。

 表面の偉人、変わって数年経つのにまだ見慣れないな。


 下限が千円なのは、県の最低賃金に倣っている。

 本庄さんは端数も加味すると労基だからと、プラス千円をつけてこようとしたけど。

 先輩からむしり取ることはしたくないので、千円からのスタートになった。

 変なところで細かい人だ。


 毎回おうちデートなのは節約のため、というよりは。

 持病の関係で誰かと外出できない私に合わせた結果、必然的に行動範囲が自宅内になったというだけ。

 外食も観光も映画館もドライブもできないつまらん女と居て、よく飽きないなと思う。



「そろそろお暇するわ」

 陽が傾いて、室内は暗くなり始めていた。もう5時か。

 カーテンを閉めると同時に、本庄さんがカバンとコートを持って立つ。


 いつも本庄さんはご飯の時間の前に帰宅する。そこまで気を遣わせないように。


 昼食を済ませた頃に現れて、夕方には去っていく。子供が学校から帰るタイミングで退勤する、時短パートの主婦みたいだ。


「お疲れさまです」

 何がお疲れなのだろうか。映画見てだらだらしただけなのに。

 一応副業という体を取っているので、なんとなくそう声をかける。


「次はいつがいい?」

 お決まりの台詞を、本庄さんは顔色一つ変えずに言った。


 こういった選択は、基本私に委ねられている。

 日程を自由に決められる反面、嫌になったらいつでも契約を終了できる立場にあるということ。


 ずるい人だ。

 私が独りになる寂しさを知っていて、簡単に断ち切れないことも分かって選ばせているのだから。


 今日は土曜日。週休5日なら、日曜日も候補には入るということ。


 でも、まだ。明日も来てくださいとは言ったことがない。

 たった数回のデートでそこまで傾いている、ちょろい女に成り下がりそうで。


 それに他人の休日をまるまる潰すのもな。ある程度の距離感は保ったほうがいいだろう。

 ……なんで貢がれている立場なのに束縛している思考になっているんだ、私。


「……また、来週の土曜日に。時間も1時過ぎで」

「分かったわ」

 本庄さんはやたっ、とわざとらしく可愛い調子でこぶしを握った。


 デートを承諾した。これが婚活なら目安となる3回以上だから、ほぼほぼ脈アリだ。

 目論見通りに動かされているのが、なんか悔しい。


「それと、今日はいくらだった?」

 この台詞も契約の一つである。下限千円から、私は支払いの金額を決められる。

 上限はなし。ぼったくろうと思えば、いくらでも釣り上げられるということ。


「変動はありません。このままで」

 そんな度胸はないが。

 それも分かっていて、決めさせているのかもしれない。


 でもそれはそれで、あなたとのデートは最低賃金レベルですよと価値をつけていることになるのか。価格設定って難しい。


「上里は謙虚ね」

「いえ、映画見ただけですし」

 食事もしていない、体すらまだ売っていない。

 客の立場ならお高く止まりすぎと激昂しているだろう。


「その気になるまで待っているわ」

「……いつになるんでしょうかね」

「予定が続く限り、可能性はあるってことだもの」

「…………」


 聞こえの良いことを言って。

 こんなやばい契約を同じ会社の人間に平然と持ちかけるんだから、今までだって似たようなやりとりをしてきたはずだ。


 きっと遊びのひとつなんだ、これも。

 肉体関係を結ぶまでつまんないお茶に付き合って、つまみ食いしたらポイするんだ。そう自分に言い聞かせる。


 そこまで予測できていてずるずる続けてしまう私もやばい奴だ。

 私は無言で、空になった湯呑みと急須をお盆に乗せていく。


「じゃ、また。月曜日に」

「はい。それでは」


 ドアが閉まる直前に、本庄さんはこちらへと振り向いた。


「また遊んでね。忍ちゃん」


 まるで年の離れた親戚の子にでも挨拶するように、わずかな隙間から手が振られるのが見えた。

 固まる。

 ヒールの音が遠ざかっていって、玄関に静寂が訪れる。


 ……私、年上なんですけど。



 ぬくもりが一人分減って、暖房は点いているのに室内が急に冷え切った気がする。

 玄関に置いたままだった千円札を掴むと、私はPCデスクの鍵付き引き出しへとしまった。


 タンス預金か、これ。ピン札を折るのがもったいなくて、なんとなくこちらに保管してしまう。

 途切れるまで、いくら貯まるんだろうな。


 たった数回でアリかナシか、そんな簡単に価値観はひっくり返らない。

 でも、お金のやり取りがある以上は。何かしらサービス精神は出したほうがいいよなとビジネスの視点で考えてしまう。


 次は、ちょっとおさわりの規制を緩めたほうがいいのかな。

 ぽろっと湧いたやばい思考を、しかし振り払えず私は頭を悩ませていた。

お久しぶりです。

本日より新連載が始まります。よろしくお願いいたします。

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