第1話 追放から始まる異世界領主④
「お菓子! お菓子! お菓子! お菓子いいいいいいいい!」
クローゼットに入って20秒もしないうちに、アリスはポテトチップスの袋をあっさり破ってしまう。
クローゼットのランプもつけず、外の光が入り込むところから、手当たり次第にとってきたものだ。
「こんなにいっぱいお菓子がある生活、夢のよう!」
「オメガピース」の宿舎では冷蔵庫があったものの、一度にこの量のお菓子をアリスは見たことがない。まさに、お菓子に囲まれた生活が始まったと言ってもよい。
「あー、おいしいー! 幸せ」
「アリス……、お菓子を食べたいとは言ってたけど、まさかここまでお菓子を丸呑みするとは思わなかったよ」
後から入ってきたビリーが突っ込むものの、アリスはにやけながらポテトチップスの袋の中に手を伸ばす。
「だって、これが私ですもん。ノーお菓子、ノーライフ」
「なんか、そういうアリスを見てると、こっちまで幸せに思えてくるよ。楽しそう」
「ビリーも食べましょう!」
「ぼ……、僕は……、ちょっとだけね。領主のほうが偉いから」
ビリーも徐々ににやける。
そして、アリスの真後ろにあるチョコパイのパッケージを開けて、勢いよくチョコパイを口にした。
「てか、私、こんな領主生活やって大丈夫ですよね」
「……大丈夫なんじゃない? 領民にバレなきゃ」
「領民にバレるわけないじゃないですか。まさか、こんなところにお菓子があるなんて思ってないですもの」
「意外と、においで分かってるんじゃない? さっき会議をしていたオジサンとかに」
「バレてるんですかね……。でも、そうだったら、クローゼットからお菓子を出して会議をするはずです」
そもそも、あの会議でオジサンたちはクローゼットのほうに一切目を向けていない。
そこにビリーがいることにも気付いていないほどだったからだ。
「まぁ、そうだよな……。アリスの言うとおりだ」
「そうなると、ホントに私のお菓子無制限食べ放題を、誰も止める人がいなくなりますね!」
「オメガピース」兵だった頃のアリスは、お菓子を食べ過ぎるとルームメイトのトライブから、口癖のように注意されていた。
それが、この世界では一切ない。ビリーさえも何も言ってこない。
「これが、最高のお菓子パラダイスだああああああああ!」
アリスの声がクローゼット全体を駆け巡った時、ビリーが三つ目のチョコパイを口に持っていこうとした手を、止めた。
「アリスさ。さっき、においでお菓子があること分かるって言っただろ」
「言ってました」
「なんかさ……、このお菓子、嫌なにおいがしてこない?」
「えっ? 腐ってますか……?」
アリスは、ビリーの持っていたチョコパイのパッケージを顔に近づけた。
「おえっ……」
「ア、アリス……? そんな臭うの……?」
アリスは、2秒も経たないうちにチョコパイのパッケージを顔から離して、ビリーに返した。
「泥の臭いがします……。完全に腐ってます」
ビリーが、アリスの言葉に反応するかのように立ち上がり、ようやくクローゼットのランプをつける。
そこで、ビリーが改めてチョコパイのパッケージを眺めた。
「アリス。これ、5年前に賞味期限が切れてる……」
「えっ……?」
「でさ、ここにあるのも、これも……。7年前の賞味期限もあるぞ……」
「ええええええ? 私も、嫌な予感がしてきます」
アリスは、ポテトチップスの袋の裏面を見た。
アリスの背筋が凍った。
「私が全部食べたポテトチップス、2年前に賞味期限が切れてます……」
お菓子を見たらすぐに食べてしまう、賞味期限とは無縁の生活を続けてきたアリスは、この日初めて賞味期限が切れたお菓子を見たと言っても過言ではなかった。
だが、アリスに襲い掛かった大惨事は、それで済むわけがなかった。
「アリス、2年前に賞味期限が切れてるんじゃ、まだマシだって。僕のほうが酷いよ」
そう言って、ビリーがアリスの持っていたポテトチップスの袋に目を近づける。
次の瞬間、ビリーの表情が凍り付いた。
「アリス、これ98年前に賞味期限が切れてる……」
「2年前じゃなくて、ですか……?」
「だってさ、アリス。何年前の世界からやって来たか、誰からも伝えられてないじゃん」
「あ……」
アリスが言った「2年前」は、アリスがもともといた世界を基準にした年数だ。
だが、その基準が時空転送で変わってしまったことを、アリスは全く考えていなかったのだ。
「今ので、分かったね。アリスが96年前の世界から転送されたということが」
「ビリー、それは別に気にしてないです。
むしろ、98年前に賞味期限が切れたものを食べたことのほうが……」
そこまで言った瞬間、アリスは突然お腹を押さえだした。
「お腹痛い……。なんか、気持ち悪い……」
「……だろうね。僕もちょっと、気持ち悪いよ……」
ここでビリーも、突然痛み始めたお腹を押さえる。
「ビリー、たしか歴代領主が集めたお菓子って言ってましたよね……」
「そうだよ……。いつの領主が集めたかまでは、知らないよ……」
アリスはお菓子の山にもたれかかって、クローゼットの天井を見上げた。
だが、天井がぐるぐる回っているように見えてきて、ついにはクローゼットの床に横たわった。
自業自得ではあるが。
「ビリーさ……、ちょっともう……、苦しい……。吐きたくても吐けない……」
「大丈夫かよ……、アリス……」
「そうだよね……、うぇっ……。
お菓子に囲まれて、あれだけ嬉しかったの……うえええええっ。
ううえええええええええ……!
えええええええええええ……!
ダメ……。体が言うことを聞かないです……」
その時だった。
アリスではない誰かに向かって、ビリーの話し掛ける声が聞こえた。
この場所に、アリスとビリーしかいないにもかかわらず、だ。
「ビリー……?」
アリスがかすかに目を開けて尋ねるも、ビリーは振り向かない。
アリスの目に見えるのは、ビリーの背中だけだ。
だが、ビリーの奥から白い光が輝きを放ち始め、やがてその光がクローゼット全体を明るく照らすのだった。
あまりの眩しさに、思わず目を開けたアリスは、ビリーが最後に言い放った言葉の、わずかな部分だけが聞き取れた。
「召喚、……!」
「しょう……、かん……」
ビリーの声がアリスの耳に響いた瞬間、ビリーの前で輝きを放っていた白い光が人間のような形に収束していく。
「これが、ビリーの召喚した……。なんか、女神ぽい……?」
戸惑うアリスをよそに、白い光の中から現れた女神がビリーを見つめ、ビリーがその後ろにいるアリスに手を伸ばす。
まるで、「守るべき生命はこちらです」と女神に教えているかのように。
「えええええ……?」
アリスは、床に横たわりながらも、ゆっくりと近づいてくる女神をまじまじと見つめていた。
その目線が注がれる中で、女神が右手をそっとアリスに伸ばす。
それから、透き通った声でアリスに告げた。
「命を蝕むあらゆる鼓動よ、静まれ……。サイレンスヒーリング!」
「何、このぬくもり……」
女神の声に導かれるように、青白い光がアリスを優しく包み込む。
その光がわずかでも当たったところから、アリスの痛みが消えていく。
耐えられないほどに痛んでいたお腹も、ものの数秒でその痛みがゼロとなった。
「こんな治癒魔術……、『オメガピース』でもほとんど放てる人がいない……」
それが、この世界でアリスが生きていく上で避けては通れない、「召喚」との出会いだった。
「召喚」は、この物語のキーワードというか、むしろ核になってくるところです。
この先、アリスやビリーは何を召喚するのでしょう?
皆さんからのブクマや感想が、アリスたちの力になります!
ぜひ!