第4話 お菓子工場買収計画②
「そう言えば、今度は着替え持って来たかい?」
領主の館を出て30分も経った頃、ビリーがアリスの背負いバッグを見ながら尋ねた。
「持ってきました。
ついでに、消臭スプレーも3本くらい入ってます。
せっかく服を着ても、宿から断られるほど臭かったら嫌じゃないですか」
「3本はいらないと思うし、あのクッキー事件がなかったら別に臭くなることもなかったはずだよ」
ビリーが歩きながら腕を組み始めると、アリスが背負いバッグの中から消臭スプレーを1本取り出した。
「あ、遠くで焦げ臭いにおい! プシューッ!」
「……いま、消臭スプレーを何にかけた?」
「空気にかけました。きれいになると思って」
アリスは、実際には「プシュー」と声だけで言ったにもかかわらず、スプレーをかけたように告げた。
対するビリーは、そのことに気付いておらず、空中に飛び散ったはずのスプレーのにおいを懸命に探していた。
「意味ないね。空気にスプレーかけても、空気に飲まれちゃう」
「ですよね……。スプレー使った自分がバカでした」
アリスはそう言いながら、ビリーに「私を見て欲しい」という眼差しで見つめた。
「ビリー、私のこと、飽きちゃったんですか」
「別に? でも、もう今の領主がバカだということは、この体ではっきりと分かっちゃったし」
「ですよね……。でも、こんな感じのバカが世の中に一人もいなくなったら、つまんなくないですか」
「まぁ、そりゃつまんないな。ただ、僕は質のいいバカ……というか、天才のほうがいいと思うけど」
ビリーは、そう言いながらにやける。
決してアリスのことを天才と言ったわけではないものの、アリスはそのにやけ顔をじっと見ていた。
「だったらビリー、私、天才バカになります!
普通のバカじゃありません。天才バカです」
「どういうバカになるんだかね……。
アリスがそこまで言うってことは、もしかしたら何かしそうな気がするけど……」
「ありがとうございます!」
アリスは、ビリーに軽く頭を下げると再び前を向き、少しずつ近づいてきた山を見つめた。
「それにしても、今度こそ山を越えるんですよね……」
「そうだね……。山を越えないとスワール領に行けないからね」
するとアリスは、ビリーがその答えを言うのを待っていたように、バッグから別のスプレーを取り出す。
「はい、虫よけスプレー!」
「何本スプレー持って来てるんだよ!」
ビリーは、とうとうアリスのバッグの底に右手を伸ばし、軽く支えた。
「重っ!」
「でしょ……。だから、私は早くスプレーを切れさせたいんです」
「持ってこなきゃいいだけだろうに……! てか、さっき言ったの撤回!」
「えーっ……」
そう駄々をこねるアリスは、その瞬間に膝に虫が止まったことに気が付いた。
「ビリー、私、ひょっとしたら虫を呼んじゃいました」
「虫を召喚なんてできないだろ?」
「いや、そうじゃなくて……、膝で虫がウズウズしてます……」
「気のせい! 気のせい!
アリスが、また声だけで『プシュー!』とか言おうとしてるだけなんじゃない?」
ビリーが軽く笑っているので、アリスも笑おうとした。
だが、それから1秒も経たないうちに、膝にチクッと痛みが走った。
「いたっ……!」
「アリス、本当に虫に刺されたの……?」
「ご、ご、ごめんなさい……!
スプレー、本当に使いまーす!」
アリスは、ビリーにうなずきながら、虫よけスプレーを本当にかけた。
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やがて、夕闇が迫る頃、二人はスワール領との境になる峠の頂上に辿り着いた。
「長かったーっ!」
「アリス、歩くの速いのに意外とかかったね。
ここの標高が結構高かったというのはあるかも知れない」
「ですね……。
でも、標高が高いから、ほら……」
アリスが来た道を振り返って、真っ直ぐに手を伸ばす。
そこは、アリスが一応領主であるアレマ領が一望できる場所であり、少しずつ明かりが増えていく光景が目に飛び込んでくる。
「オメガピース」周辺の、ある程度都市規模が大きい場所の夜景と比べれば、明るさでは負けるものの、アレマ領の夜景は、アリスにはどこか温もりを感じられる。
「ビリー、ちょっといいですか」
アリスは、ビリーの手を握りしめて、アレマ領の夕景を眺め続けた。
「こういう幻想的な光景を、僕と一緒に見たいって思ったの?」
「それもありますけど、ちょっと違います。
この灯りを見てると、光が『こっちにおいで』って叫んでるように思えるんです」
「人間は、暗い場所より明るい場所のほうが安心できるものね」
ビリーが、アリスの目を見つめている。
それに気付いたとたん、アリスは静かにうなずき、息をついた。
「あー、家に帰りたいな……」
「えっ……? ここまで来て?」
アリスの突然の戯言に、ビリーは戸惑うしかなかった。
「まさか、ここまで来て、スワール領のお菓子工場買収する自信がなくなったとか?」
「そうじゃなくて……、元の世界のみんな、元気かなって……」
「元気なんじゃない?
アリスのように明るく生きていこうっていう知り合い、多いと思うよ」
「だったらいいんですけどね。
でも、元の世界で心配されてるんじゃないかなって。
たぶん、『オメガピース』の講堂で倒れて、1ヵ月も目を覚ましていないはずなんですよね」
「そうかなぁ……」
ビリーは、首をひねった。
ビリーの中では、アリスの前提がどこかおかしいように思えてならなそうだ。
「えっ? 時空転送って、そういうものなんじゃないですか?」
「いや……、たしか転送されると、時間の進み方も変わるはずだよ。
僕が前に、時空転送で使う魔力を話したの、覚えてるよね」
「はい。たしか3点セットだったような気がします」
「3点セットは合ってるね。じゃあ、思い出してごらん」
アリスは、小声で「あ……」と叫んだ。
こんな夕暮れの峠でテストが待っているとは思わなかった。
「えっと……、うどん、そば、ラーメン」
「まさかアリス、大切な言葉を食べ物に置き換えたんじゃないよね」
「はい、置き換えました。
置き換える前が何だか忘れました」
「それは忘れたと一緒。
で、その三つのうちの一つは、時間的距離」
ビリーの口が正解を告げようとすると、アリスは何かを思い出して、「あっ」という声を上げた。
「残り二つ……、思い出しました。
召喚している時間と、召喚される側の意思ですね」
「そうだね。
逆に言うと、同じ魔力を使う場合、時間的距離が違うと、呼べる時間って変わるよね」
「言われてみれば、変わりそうな気がします」
「つまりね、召喚や時空転送をする場合、呼ばれる存在の時間の流れを少し止めないといけないんだ。
アリスがここに来た時のように、気絶とか……、あるいは立っていても少しだけ気を失うとか」
アリスの口から小さく「あー……」という声がこぼれる。
「でも、向こう側で止まっている時間はほとんどないと言っていい。
長くて1分ぐらいだと思うんだ。
で、その長さを決めているのが、時間的距離なんだよ」
「その時間的距離が長くなると、向こうで止まっている時間が短くなるんですね」
「そう。
アリス、この前、トライブって剣士を呼んだじゃん。3分だったよね」
「たしか、それくらいの時間だったと思います」
「96年も離れていて3分だと元の世界でも一瞬って時間でしかない。
でも、アリスが1ヵ月こっちにいる時点で、おそらく向こうでは30分くらい止められてるんじゃないかな。
計算式はあるにはあるけど、僕も正確に出てこないんだよ」
ビリーが、最後は少し照れくさそうに笑っていた。
アリスは、分かったような分からなかったような返事をビリーにした。
「きっと、いつかそれが実感として分かるときがくるんですよね……」
「そうだね……」
アリスはこの時のやり取りを、特に気に留めなかった。
だが、その法則はやがて、アリス自身の運命を否応なしに導くものとなるのだった。
下の方にあるビリーの言葉(というより計算)が分かりづらいので補足したいのですが、
今はまだ分からないままスルーしていい段階なので、あえて書きません。
そのうち、ビリーの言った計算式の重大さが分かるはずです。
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