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わんっ!

作者: 黒野みゆう

応募から外れてしまったものなので、供養に上げさせて頂きます。

「これ、どうしましょうか」

 机の上に作られた毛布の山を見ながら、俺の隣に立つ浅田が、溜め息交じりに呟いた。

「いくら交番だからって、流石に預かりきれない……って、先輩。聞いてます?」

「聞いてるけど、どうするって言われてもな」

 自転車を降り、すっかり冷たさを取り戻した手を擦り合わせながら、俺も同じように溜め息を吐く。小さな雲が、部屋の空気の中に溶けていった。

「にしても、非番の、しかもこんな雪の降ってるときに呼び出されたからなにかと思えば」

「いやいや、一大事ですって! 僕はどうしたらいいか分かんないし、正直困りますけど、あのままだと凍死してたかもしれませんし」

 浅田の声に反応するかのように、毛布の山がもぞもぞと動く。そのまま見つめていると、中から真っ白な毛玉がぴょこりと顔を出した。

「わんっ!」

 ポメラニアンである。


 ……ことの経緯から説明しよう。始まりは、非番という名の休みをこたつで満喫していた俺にかかってきた、一本の電話だった。

「先輩! 早く来て下さい!」

 田舎の、しかもとりわけ治安の良いと言える地域に配属された俺にとって、非番に呼び出されるなんて滅多にないことだ。何事かと自転車を走らせ、やっとの思いで交番に辿り着いた俺に、電話の主であった浅田が神妙な面持ちで机の上を指さした。その先にいたのが、このポメラニアンだったのである。

「……は?」

 自分のものとは思えないほどの、間の抜けた声が零れた。聞くと、どうやらこの犬は、この交番の前にコートやニットといった服で包まれた状態のまま、捨てられていたという。

「あと、これも傍に置いてあって」

 浅田の手に乗せられているのは、ちぎられたノートかなにかに書かれた「助けてください」の文字。「拾ってください」でないところに多少の違和感は覚えたが、交番の傍に犬を捨てていったくらいだ。字体から見ても、随分と焦っていたのだろう。

 とりあえず体温を下げないように、と俺が交番にある毛布をかき集め、犬を包んだところで、今のこの状態に至るというわけである。


「それにしても」

 少し伸びた爪で耳の後ろを掻きながら、俺は改めて犬を見つめた。

 ――めちゃくちゃ可愛いな。

 今まで冷静を装っていたが、正直に言おう。可愛い。すぐにでも飛びつきたい。ぱたぱたと嬉しそうに揺れる尻尾に目が離せないし、一緒に遊んだら楽しいだろうそれに――

「先輩、俺なんかこいつが食えるもんがあるか探してきますね」

 浅田の声で急に現実へと引き戻される。慌てて「おう」と顔を上げると、もう奥に行ってしまっていたのか、浅田はいなかった。

 再び犬と戯れる妄想をしながら、俺は机の上へと視線を戻す。

「ま、まぁ、飼い主が見つかるまでの間だけでも俺が――」

 しかし。瞬間、身体が動かなくなった。

「よっ」

「…………は?」

「ホンマ助けてくれてありがとうなぁ」

「はぁっ⁈」

 そこにいたのは、裸の男だった。犬ではない。毛布にくるまれた、裸の成人男性が机の上にいたのだ。そして何より怖いのが

「ささ……づ、か……?」

 そいつは、俺の知っている男だった。

「いやー椿ぃ! マジで感謝やわ、命の恩人やな!」

 勢いよく肩を叩かれる。いや、え、犬は?

「椿? 椿圭人くーん?」

 今度は両手で揺さぶられた。いやいやいや、だから、犬は?

「え、えっと」

「おっ、やっと帰ってきたなぁ」

「い、一応、お名前を、お伺いしても……」

「笹塚リョウですけど? え、なに、どういうこと? 自分がたった今、助けた友達の名前も忘れてもうたん?」

 俺は静かにうずくまる。違う、忘れたわけではない。むしろ逆だ。知っている相手だからこそ、余計にこの状況が理解できないのだ。

「で、でも、さっきまでここに犬が」

「あぁ、あれな。俺、実は犬やねん」

「は?」

 二度目の硬直。

「まぁ後天性っちゅうか、月一なんやけど」

 こいつが、犬?

「このことは誰にも言ったことないねんけどな、まぁ椿は高校からの友達やし? 久しぶりに会った今でもさ、たまに呑んでくれるし? ってか椿には喋ってもええかー思ってたから話すわ。カミングアウトっちゅうやつや」

 完全に混乱に陥った俺をよそに、笹塚は一人でどんどん話を進めている。しかも裸で。俺は流石にいたたまれなくなり、頭が上手く働かないながらも、とりあえず、と前に置いておいた自分用の着替えを差し出した。

 笹塚が「ありがとうな」と嬉しそうに笑いながら、俺の服に脚や顔を突っ込んでいく。

「そんで続きなんやけど、俺大学のときにな、南アルプスに山登り行ったんよ」

 着替えも終わっていないなか、笹塚が早く喋りたいと言わんばかりに口を開く。そこそこ大切……というか現実離れした話をするはずなのに、こいつの飄々としたノリではどうも緊張感に欠ける気がするが。

「そのとき完全に道に迷ってもうてなぁ、気が付いたら、ちょっと開けたところに出ててん。んでな、そこに女神様がおってんよ」

「女神様……。あのな、笹塚」

「そうそう。あ、比喩とちゃうで? 想像できる? ホンマにな、あの斧を池に落とす話あるやん、あんな感じの女神様やってん」

「いや想像できるっていうか、そもそも」

「ほんでな、その超絶美人な金髪女神様が」

 聞けよ!

 俺の今世紀最大のツッコミが、脳内で木霊した。こいつは人のペースというものを考えないのか。いくらなんでも情報過多すぎる。馬鹿なのか。今もまだ話し続けているし。普通の人に女神様の話をして、受け入れられるはずがないだろ!

「なぁ、おい椿? 聞いとる?」

 反応がなくなったことに寂しさを覚えたのか、笹塚が眉を下げて覗き込んできた。悪いが途中から全く聞いていない。

「ま、要するにや。女神様に、あなたの理想の姿ってなんですかーって聞かれて、俺が犬! って答えたからな、月に一回くらい本物の犬になってまうようなってん。でもまさかポメラニアンや思わんかったけどな!」

 なにが楽しいのか、笹塚は俺の顔を見ながらずっと笑い続けている。味覚とか好みまで犬っぽくなってんでー、今もめっちゃ雪ん中走りたいわーと、もはや犬の方がもっと大人しい気がする。そもそも、理想の姿を聞かれて、なぜ犬と答えたのかも分からないが、

「じゃあつまり、さっきの犬が笹塚……」

「言うてるやん! いやな、犬になる発作みたいなんがあんねんか、それが今月早くてなぁ。ついさっきやってんけど。道歩いてるときやったし、どないしよ思ってん。しかも家の鍵もなくしてもうたし。そしたらな、この交番見つけてん。あ、椿がおるとこちゃうん、って!」

「それで、犬になる前に、ここで倒れた」

「そういうことや! ちゃんと紙に『助けてください』って書けたんは、我ながらようやった思うわぁ」

 しみじみ、と効果音付きで笹塚が零す。俺はツッコミ諸々、全てを諦めた。

 あまりにも訳の分からないことが続いたとき、そして、相手がここまで自分の世界だけで話しているとき、人間ってこんな気分になるものなんだな、なんてぼんやりと思った。

 まだ飲み込めてはいないが、友人を助けられたのだから、まぁ、良かったのだろう。多分。後で浅田にも礼を言わないと。だが

「そこでや。ちょい、椿の家と、あと自転車の鍵、貸してくれへん?」

「え、あ、おう」

 しまった、と思ったときにはもう遅かった。

「頼む! 椿ん家に泊めてくれ!」

 二つの鍵を握りしめた笹塚に、盛大な土下座をされてしまったのだ。

「なんでだよ、断る!」

「さっきも言うたやん、俺自分の鍵なくしてもうてん! 帰れへんねん!」

「知るか! というかそれは犬となんの関係もないだろ!」

「そんな硬いこと言わんと、頼むて! な、これも人助けや思ってさぁ」

「そっ、そんな媚びた顔しても駄目なものは」

「あっ、ちょ、もう先行っとくで! また犬なりそうやねん!」

 言うが早いか、俺の静止を無視した笹塚は、自転車に乗り、颯爽と雪の中へと消えていってしまった。俺、本日、三度目の硬直。

「先輩、凄い大声が聞こえたんですけど、どうかした……ってあれ、犬は?」

 後ろから、浅田の声が聞こえた。笹塚の開け放していった扉から、冷たい風が流れ込む。

「さっきのポメラニアン、どうしたんです?」

「…………笹塚だった……」

「は?」

「悪い、俺、帰るわ。犬は心配しなくて良いから!」

「え、先輩⁈」

 コートを羽織り、俺は真っ白な世界へと飛び込んだ。なにも話していない状態で、今、俺の部屋に入られるのはまずい。

 足の下で、雪が潰れる音がする。


 ――俺は……俺は、猫なんだけど⁈

読んで下さってありがとうございました!

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