01ー6 : ドラゴンの涙
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「せっかくのオヤツだ、ド静かな所で食べるんだぞっ!」
プリンセスを抱えたまま、中華風のドラゴンは王都守備隊の攻撃をゆうゆうかわして空を3分ほど飛び、やがて地上へと降りた。
プリンセスが辺りを見回すと、そこは王都から約300キロほどの距離にある切り立ったガケの上だった。
ガケの横には、大きな洞穴が開いていた。
岩の口は荒々しい獅子のキバたるごとしであったが、ドアを開けてひとたび中に入ると、岩の間の清水は冷ややかで内部にはキラキラ7色の鍾乳石が柱のようにたっており、まるで間接ランプのように洞窟内をやさしく照らしている。
「……静かなとこ」
「そだろー?」
よし、ここならもう、邪魔は入らない!
全身のダメージと高所恐怖で、顔を真っ青にしながらプリンセスは立ち上がる。
そしてもう一度、扇を666の字に振って、その先を静かにドラゴンへと向けて呪文を唱えた。
「……なんだ? 疑問だ! あいまいだ!」
「そうだ! みたいだ! 本当かな?」
「涙! 悩みだ! 大問題!」
「答えてちょーだい、ダイモーン!」
――ステータスッ! オープン!
「ジョーゲくん、私の友達になって!」
パンッ!
しかし、魔法のカードは、竜の手ではじかれて消えてしまった。
「あっ。」
「ドやだ! だってその魔法くらうと、お腹減るんだぜ?」
それに、オマエ、自分より劣るヤツと友達になりたいと思うのか?
悪魔は、友達になるには、強さが必要だと問いかけた。
友達がいなかったので、プリンセスは答えに窮した。
「そ、それは……」
「それに自分より "劣る" ヤツと友達やるのって、それは友達じゃなくて、奴隷や道具だ。」
ドラゴンの言葉は、真実だった。
それだけに、剣のようにプリンセスの心に突き刺さった。
「じゃ、いただきまーす!」
ドラゴンの爪が、目の前に迫る!
「……!」
考えが足らなかった、話が出来ても友達になれるとは限らない、それは人間だって同じじゃないか。
密室裁判であれほど痛い目を見たのに、まだ、希望を捨てられていなかった……
人間とも仲良くなれないのに、価値観が根本から違う悪魔と、友達になんて、なれるはずなどなかったのだ。
もう終わりだ。
最後の最後でつまずいた。
プリンセスは覚悟を決めた。
自分は死ぬ、冒険は終わり。魔法はここで消える。
涙がひとつぶ、姫君の頬を伝って落ちた。
こんなところで自分の命は終わりか。
王族の末っ子で、誰一人として最後まで心開いて会話することができず、友達もいない世界で、たったひとり、終わる、消えていく。
それが、プリンセスには、とてもさびしかった。
だが、その前に、少女には知りたいことがひとつできていた。
「……最後にひとついい?」
「なんだ? はじめて人間と話せて面白かったから、それくらいはいいぞ」
が、次の瞬間。
プリンセスの口から出たそれは、心そのままの本当に素朴な疑問だった、
「…… ″劣る″ って何?」
「え? 力がないことだ!」
ドラゴンは虚を突かれて心そのまま単純に、答えた。
「……??? 力があれば優れてるの?」
プリンセスの疑問は、真実だった。
それだけに、剣のようにドラゴンの心に深く突き刺ささった。
「ん? 待て、違うのか?」
「……力の強いサタンでも、弱いサタンに助けられること、ない?」
「ないぞ! おいおい、逆にそんなことあるのか?」
気づけば、最後の質問が、もう3回も繰り返されていた。
だが、ドラゴンは全く気にしなかった。
姫君と竜のその会話は、まるで友人同士がやるような、心そのままの本当に素朴な会話だった。
「……ある!」
「いいや! ゼッテーないね! お前みたいな小さく、弱く、力もなく、惨めで矮小な人間が最強ドラゴンである、オレを助けることなんて、ないったらないもんね!」
悪魔は、ツンとそっぽ向いて、腕を組んだ。
まずい! 逆鱗に触れたか!?
少女は、今度こそ、死を覚悟した。
と、その瞬間のことだった。
パキッ、と足を組みなおしたドラゴンの足もとで、軽い音がした。
「ぃてっ!」
ドラゴンがあわてて足を持ち上げると、剣を何本も重ねたような恐ろしく太い爪の先に、小さな小さな、本当に小さな木の枝が刺さっていた。
しかも、その先端には小さなトゲがついている……
「ドラゴンを刺すとはこいつめ!」
悪魔は毒づいて、指をかいた。
「ドぁっチクショウ取れない!」
ドラゴンのつめは鋭く強く大きく、触れるものはなんでも切り裂いたが、その根元はやわらかく、自分の爪の隙間に入り込んでしまったトゲはいっこうに抜けなかった。
こうなるともう、お姫様そっちのけで、ドラゴンはトゲを抜こうと、ごろんと横になって身体をくねらせたり、しっぽをブンブン振り回したりして悪戦苦闘をはじめる。
「ドア゛ーッ!」
それでもトゲは抜けなかった。
そうこうしているうちに、傷口からは赤い血が流れだし、ドラゴンも最初のうちは何も感じなかったのに、だんだんと痛みがましてくるような気がして大いに不愉快な気分になった。
ちくちくとした痛みは、もがいてももがいても消えない!
そのときふと、ドラゴンは昔お母さんから聴いた話を思い出した。
ほんのわずかな傷口から目に見えないほど小さな悪魔が、無数に取り付いて入り込み、最後には全身が腐り落ちて、ドラゴンゾンビになってしまうお話だった。
「ふざけるな! オレは最強だ! こんな小さなトゲに負けるはずがない!」
オレは強い。
強いんだ!
吼えたける紅き龍の怒りを聞いて、洞窟の外の森の動物たちはみな、その場から逃げ出した。
しかしドラゴンがいくらわめいても、トゲはとれず、ただ時間が過ぎ去るだけであった。
すぐにドラゴンはもう、痛みのことしか考えられなくなってしまっていた。
10分もたつと、ドラゴンはすっかり弱ってしまい目には小さな涙が浮かび、傷口からは熱も出てきた気がして、こうつぶやきました。
「オレは、死ぬのか?」
と、その時のことだった。
「えいっ、」
それまでドラゴンがすっかり存在を忘れていたお姫さまが、ふいに足に近寄ると、足の指を口に含んで、とげに噛み付いた。
そして、あごを引いて、ぬるんスポンッと棘を、抜いてしまった。
「……ぺっぺっ!」
口の中の棘を吐き出す、プリンセス。
「えっ?」
ドラゴンは、目をパチパチさせた。
まさに一瞬の早業で電撃ゴールデンショットだった。
すぐさまドラゴンの治癒力により傷口はふさがり、あんなにも強かった痛みは、ひとときの夢幻かとも思われるようになった。
「?」
ドラゴンは目の前を見た。
少女は相変わらず、小さく、弱く、力もなく、惨めで矮小な存在だった。
それも、両手は関節が外れて、満足に動かせない存在だ、
悪魔の竜にとって吹けば飛ぶような存在だ。
しかしドラゴンの心にはまだしっかりと、先ほどの痛みが残っていた。
「なんでだ?」
ドラゴンは、尋ねた。
見捨てることも出来たはずだ。
そのまま逃げたほうがよかったはずだ、だがこの小さな人間は、自分を助けた。
お姫様は、ドラゴンに向かって、花咲くように微笑んだ。
「…………力の強いサタンでも、弱い人間に助けられること、あったでしょ?」
それを聞き、ドラゴンは、プリンセスに向き合った。
そして、悪魔は、非力な少女に頭を下げた。
「オレ、間違ってた。 この痛み、心にド刻んで、生涯かたときも忘れることないようにする」
命のたどる道のりは、長く、悲しく、不条理で、辛いことの連続だ 、
だからこそ、それを肯定できるのは、力だけではないのだ、
どんなに強い者でも、時には弱い者に助けてもらわなければならない事がある、
力だけが強さではないということを、ドラゴンは姫の非力で小さな腕と弱い小さな口に助けられ、悟ったのだ。
「小さく、弱く、力もなく、惨めで矮小な存在が、最強ドラゴンであるオレを助けることがある、お前の言葉、本当だった!」
お前の勇気が、俺を助けた!
叫んだその瞬間、ドラゴンの全身が光った。
そして、巨大な赤い体が縮んで、13歳のプリンセスよりも、頭ひとつ分小さい――愛らしいピンクの小竜へと変化した。
その尻尾の先はふくらんでおり、悪魔のシンボルであるスペードの記号をかたちつくっていた。
だが悪魔の尻尾は反対から見ると、心の形そのものだった。
敵であれば、恐ろしい。
友達になれば、愛らしい。
視点を変えれば、言葉も姿もすべてが変わる!
「敵」《サタン》とは、なんと不思議な言葉だろうか。
西洋では大悪魔のドラゴンでも、東洋の国では、神そのものだ!
「……少しだけわかった、悪魔の正体。」
プリンセスは、つぶやいた。
「……相手の心をさかさまに見ること、それこそが悪魔の正体。」
それを聞いた竜はさっきまで牙の生えていた顔を、にぱっと崩して笑った。
そして、回復魔法を、プリンセスの両手に向けて、使った。
「……ド決めたぜ! オレはお前の友達になる!」
これが、プリンセスとドラゴン、二人の世界を股にかけた、正義を倒す大冒険の、そのはじまりの。
小さな小さな、第一歩だった。