後編・諦められない想いは
これはどうしたものだろう……。
浅井からの白い紙袋。
その中には、いかにも手作りのアーモンドチョコレートトリュフの瓶詰めと薔薇の花模様の一通のメッセージカードが入っていたのだ。
”吉原先輩
先輩の面白くて、人に優しいそんなところが好きです。
私とおつきあいしてください。
返事はLINEじゃなくて来週の部活の後、直接聞かせて下さい。
嬉しいお返事を待っています。
浅井優奈”
丸っこい今時の女子文字だけど、薔薇の花と同じ色のピンクのペンで丁寧に書かれている。
これって……『告白』、かあ?
浅井はショートボブで小柄、見た目は普通。でも、明るくて、何かと場を盛り上げようとする性格は俺と同じと言って良い。
去年の新入生勧誘会の直後、真っ先に入部届を出しに来た。流行りのお笑いが何より好きで、実質五人しかいない部員の中でもコアな芸人の話もできる貴重な存在だ。
去年の『済陵祭』の部の出し物では、俺ともコンビを組んでネタを披露した。
180㎝近い俺とチビの浅井とは『凸凹コンビ』と言われたが、ネタは大盛況だった。
そんな浅井を嫌いなわけがない。
ないのだが……。
俺は神崎が好きだ。
去年の『遊園地グループデート』で告白もしないうちに玉砕した。しかし、『お試しおつきあい』のあの一週間は、フラれたものの俺にはキラキラ光る一生の宝物のような大切な想い出だ。
目の前のミッフィーの無表情なうさぎチョコと、丸いやや歪なアーモンドチョコトリュフ。
それをしげしげと眺める。
どちらから食べよう……。
それは、意外に悩ましい選択だった。
俺は、よし!と腹を決めた。
まず、最初に貰った神崎からのチョコレート……箱の右端の茶色いミッフィーチョコを口にした。
それは、ややほろ苦いビターチョコでそれ以上でもそれ以下でもない。
でもやはり、神崎から貰ったチョコレートと言うだけで俺は心底感動に打ち震える。
そして、充分にミッフィーを堪能した後、浅井からもらった手作りのアーモンドトリュフを一粒口にした。
……美味い。
飴を絡めたアーモンドの食感は歯ごたえ良く、ミルクチョコのすごく甘い味がする。
暫し咀嚼し、味わった。
ベッドに仰向けになって、あのメッセージカードをもう一度、読んでみる。
女子からの告白なんて、生まれて初めてだ。
そんなことがあればそれこそ有頂天になって、その娘以外目に入らなくなるものだとばかり思っていた。
でも。
俺は……。
残っているミッフィーチョコを見つめる。
俺は一生このチョコレートは食えないかも知れないな、などとぼんやりと考える。
あの神崎からヴァレンタインチョコをもらうなんてもう二度とあるわけがない。
かたや浅井からのチョコレートはどうだろう。
案外、普段食ってるジャンクフードみたいに普通に食っちまうんじゃないだろうか。……浅井の想いが詰まっているチョコを。
「来週の部活の後、か」
俺は改めてまじまじと、ミッフィーチョコとアーモンドトリュフを眺める。
俺はその『初体験』をしたヴァレンタインデーから一週間、眠ることのできない長い長い夜を越えることになった。
◇◆◇
「浅井。俺、今から鍵を職員室に返してくるから、靴箱のとこで待っててくれるか」
いよいよ、あのヴァレンタインデーの翌週の放課後。
部活が済んだ後、阿辺にも他の誰にも気づかれないように俺は浅井に耳打ちした。
浅井は耳たぶを真っ赤にしながら頷いた。
そして───────
「ごめん」
靴箱で俺を待っていた浅井に俺は一言、はっきりと言った。
「お前の気持ちは嬉しい。チョコもめちゃくちゃ美味しかった。でも……」
「先輩は。好きな人がいるんですよね」
浅井の低く呟いたその言葉に俺は一瞬、言葉を失った。
「知ってます。先輩と同じクラスで才媛の神崎先輩。最近、お付き合いなさってましたよね。でも……このところお二人でいるところを見かけないから、別れたものだと思ってましたが」
「ああ。元々、正式に付き合ってたわけじゃないからな。神崎には、はっきりフラれたよ」
「だったら……!?」
「俺はあいつが好きなんだ」
「フラれても……ですか……?」
「ああ。どうしようもないほど好きだよ。こんなに好きな女の子はもう一生現れない。とまでは俺も言わないけど、今は俺の気持ちは彼女のモノだ」
浅井は目に涙をいっぱい溜めている。
何をどう伝えようか、逡巡している。
しかし、
「……私も。先輩が好きです。この気持ちは、吉原先輩が神崎先輩を想う気持ちにも負けません」
浅井は言った。
「だから……。今、どれだけ言葉を尽くしても、私の想いが先輩の心に届かないことも理解できます。今はこれ以上のことは言えません。でも」
その時。
浅井の瞳から初めて涙が零れた。
それは美しく、浅井のふっくらと丸い頬から一筋、流れ落ちた。
次の瞬間。
浅井はふわりと笑って、言った。
「私、先輩のこと諦めませんから」
普段の浅井とは別人のように愛らしく、まだ幼さを残しているあどけない顔で。
失礼しますと行儀良く一礼すると、浅井はその場を走って行った。
「……強ぇなあ。女の子って」
その場にでくの坊のように立ち尽くしていた俺は、ふうっとひと息、溜め息を吐いた。
スクバから白い紙袋を取り出す。
その中には、一粒食べただけで残したままのアーモンドチョコトリュフの瓶が入っている。
浅井に返そうかと思っていた。
想いが詰まっているのがわかっているからこそ、食べるのが忍びなかった。
でも。
それがどんなに残酷な仕打ちか、迂闊にもやっと今、俺は気づいた。
今はまだ。
まだ、神崎のことが忘れられない。
こんな気持ちで浅井と付き合うわけには断じていかない。
でも。
いつか──────
こんなとびきり甘いチョコレートみたいな関係に……。
俺は、その瓶の中から一粒つまんで口に放り込んだ。
「うん。美味い」
チョコはやっぱり手作りらしい素朴な味がして、その優しいミルクチョコの甘さは今の俺の心にそっと寄り添ってくれているかのようだった。
了