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師走  作者: 皇 凪沙
2/6

閻魔堂

 鋭い風が粉雪を巻き上げ、吹き過ぎる。空には研ぎ澄まされた刃のような月が、細く鋭く光っていた。

 寒さに襟元を合わせ、えんは小さく舌打ちをする。

 小道の両脇に広がる藪は冬枯れて、遠くが見通せた。ちらほらと積もる雪が月明りを反して、辺りは冷たく輝いている。

 凍り始めた泥濘を踏んで、えんは閻魔堂へと向かっていた。

 遠く見通す閻魔堂は、闇の中にぽつりと幽かな明かりを灯している。それを見て、えんは小さく溜め息をついた。昨夜遅くに起きた出来事については、既に様々な噂を聞いている。話半分としても、その顛末は余りに痛ましいものだった。滑り始めた足元へ目を落とし、えんは閻魔堂へと足を早めた。

 やがて堂の扉の前に立ち、えんはひとつ大きく息を吸う。

 冷たい冬の夜気が、胸の内を刺した。

 昨夜死んだのは、幼い女の子とその母親で、二人の命を奪ったのは、父であり、夫である男であるという。様々に語られる噂話の、どれがどれだけ本当であるかは知らないが、それだけは間違いがないようだった。今この堂内にいる筈の幼い子とその母に、掛ける言葉が見つからず、扉に手をかけたままえんは寸の間逡巡する。

 冷たい風が吹き過ぎて、えんはわずかに自嘲の笑みを浮かべた。

 いつまで小雪の舞う真冬の戸外に立って居ても仕方がない、事は既に起きてしまっているのだから。

 扉に掛けた手に力を込め、細く開いた隙間から、えんはそっと堂内を覗いた。


 須弥壇に灯る蝋燭の炎が揺らめく。

 中央には、厳めしく壇下を見下ろす閻魔王。

 その傍に、袖を絡げて鉄札を掲げる具生神。

 左右には、赤青の獄卒鬼。

 蝋燭の炎を映して輝く浄玻璃の鏡の前には、幼い子供とその母がひっそりと座っている——

「えん、入れ」

 閻魔王の声が響き、えんは扉の隙間から滑り込むように、堂に入った。


「お願いいたします——」

 懇願する女の声が聞こえた。

「さて、どうしたものか——」

 閻魔王が、思案顔で首を捻る。

 えんは、そっと母子を見る。幼子はやはり女の子で、まだやっと三つ程か。

 まだ若い母親は、少しやつれていた。

 優しげで大人しげな女は、閻魔王をじっと見据えて訴える。

「あの人は、何も分からないままなのです。」

 優しげな顔が、悲しげに歪む。

「今さら、恨みごとを言うつもりもございません。ただ言葉を交わさせて頂きたいだけでございます。このままでは——わたくしたちもどこへも行けません。」

 そう言って、女は幼子を見る。幼いその子供はおそらく自分が父親に殺された事も分かってはいないのだろう。機嫌良さげに、無邪気に母に寄り添っている。

「この子は、父親が大好きでした。邪険にされても、懸命に縋り付いておりました。ですから——」

——この子にも、ちゃんと別れをさせてやりたいのです。

 女はそう言って、幼い娘の額に落ちる髪を掻き上げてやる。子供は何も知らぬ気に、母の膝にすとんと腰を下ろした。

 女の訴えに、難しい顔で腕を組む閻魔王を見上げて、えんは言った。

「いいじゃないか。どうせ、そう長いことはかからないだろう」

 閻魔王が咎めるような顔でえんを見る。

「この人だって分かっているだろうさ」

 須弥壇の上の閻魔王を見上げたまま、えんは言う。

「女房、子だけならまだしも、騒ぎを聞きつけて駆け付けた、家主の親父も刺してるそうじゃないか。いずれ、死罪は免れないよ——」

 えんの言葉に、女は項垂れた。

「私たちのことはともかくも、家主さんにはお世話になりっぱなしでございましたのに——」

 呟く女にえんは言う。

「あんたのせいじゃないだろう、仕方がないさ。——それにまだ、大家の親父は死ぬと決まったわけでもない様だよ。」

 そう言うと、女は僅かに安堵したようだった。

「いいだろう?」

 えんは閻魔王に問う。

「どうせ、お仕置になるまでの、ほんの少しの事さ。言いたいことのひとつぐらい、云わせてやったらいいじゃないか。」

 何を言われた所でおとこの自業自得だと、えんがそう言うと閻魔王は不承不承頷いた。

「よかろう。おとこの裁きの前に、言いたいことがあるのなら言うがいい。それまで、お前達は控えて居れ。」

 閻魔王がそう申し渡すと、母子の姿は静かに消えた。

「あの二人の裁きはどうなるんだい。」

 尋ねると、具生神が口を開いた。

「道を外れた亭主に比べ、あの女は心清き女のようです。幼子はもとより穢れのないもの。二人揃って下天へなりと送ってやりたいところではありますが——」

 自分達を殺した父に、夫に会って、どうするか。そこが分かれ目と言う事なのだろう。具生神は、曖昧に言葉を濁す。

「本人が、そうしたいと云うんだ——」

——仕方がないさ。

 二人が消えた辺りを見つめて、えんは小さくそう呟いた。

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