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師走  作者: 皇 凪沙
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あの夜

 そわそわと落ち着きのない師走の往来を、身を切るような風が吹き過ぎてゆく。見上げれば細く冷い月が、雪雲の端から僅かに覗いている。

 おとこが捕らえられたのは、そんな夜のことだった。その夜に起きた事を、おとこはしかし、覚えていない。外には細かい雪が舞っていた。ひどく、寒い夜だったのだろうと思う。それでも、いつものように昼から飲み続けた酒に酔っていたおとこは、その寒ささえも碌に覚えてはいなかった。

 その夜のことでおとこがわずかに思い出すことができるのは、晩の支度に小さな流し場に立つ女房とその膝に纏わりつく幼い娘だけで、幼い娘はおとこが水を持って来いと言うと嬉しげに頷いたように思う。それは、いつもと変わらぬ夕暮れ時の情景だったが、次におとこの頭に浮かぶ光景は、血だまりの中で捕方に囲まれている自分の姿だった——

 血だまりの中には、女房と娘の姿があったように思う。戸口では大家が血を流して呻いてもいた。何やら騒々しかったから、隣近所の連中も集まっていたのだろう。しかしその辺りはなんともはっきりしない。連れ出され、引き立てられたのは悪夢の中のことのようで、次に気がついた時、おとこは小さな牢の中にいた。格子の隙間から落ちる光が眩しくて、頭が割れるように痛んだ。

 一度目を閉じ、ゆっくりと開ける。

 自分が何処にいるのかが判らず、おとこはしばらくぼんやりと天井を見上げていた。

 ひどく嫌な気がした。

 嫌な気持ちに急かされ、気怠さの残る身体をゆるゆると起こす。

「目が覚めたか」

 不意に声を掛けられ目を向けると、格子の向こうから牢番らしき男が、呆れた顔でおとこを見ていた。

「使え」と水の入った手桶が差し入れられる。

 気がつけば両手も着物も、乾いた血で赤黒く染まっていた——

 おとこがはっきりと覚えているのは、此処からだ。

 だからおとこは、自分に哀れむような目を向けて、「死罪は免れないだろうから、覚悟しておけ」とそう云った牢番の顔は覚えている。洗っても、洗っても、こびり付いて落ちない血の色も、手を洗ったその水が、肌を切るほどに冷たかったことも覚えている。

 それでも、どれだけ訊かれても、あの夜あの時に何があったのかを、おとこは思い出すことができなかった——


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