漆黒の魔王
椅子の上で眠っていたゼノアが、目を覚ました。
ゼノアが目を覚ました瞬間、空気が震える感じがするから、すぐに分かる。
私が職探しで家にいない時は、一人でいて貰っているけど。
ゼノアが目を覚ましている時間はそれ程多くないし、私にはしなきゃいけない事がある。
ずっと眠っているゼノアを見守っている事は出来ない。
でも、大抵私が家にいる時に目覚めているように思う。
「おはよう」
何時に起きても、そう声をかけている。
「……ああ」
返事はいつも、一拍遅れて返ってくる。
返事が面倒なら、何も言わなくても良いのに、いちいち付き合ってくれている。
こういうところが、魔王っぽくない。
……でも最近、“魔王っぽい”のが何なのか分からなくなっている。
勇者に討伐された魔王は別として、他の魔王達は、人間が攻め込まなければ何もしなかった筈で。
魔族達だって、ただの正当防衛をしただけ。
他の魔王を見た事がないけど、どんな性格なのだろう?
蘇ると言っていたけど、死んでからどれくらいで蘇るのだろう?
やっぱり、肝心な情報は教えて貰えないまま。
人間を警戒しているようには見えないのに……
ゼノアにとって、人間はどんな存在なのだろう?
ただの愚かな存在?
……でも、勇者の遺体を保管しているようだし、人間自体を忌避している訳ではないのだろうか?
ゼノアの全体像が、未だに把握出来ない。
「…………」
「?どうかしたの?」
自身の手を見ているゼノアが気になり、声をかけた。
手を見ながら溜め息を吐いていたら、普通なら怪我でもしたのかと思うんだけど……ゼノアが怪我って考えられない。
「そろそろ魔界に戻る」
「えっ!?」
彼は魔王なんだから、後から考えればそれは当たり前の言葉だったんだろうけど、想定外だった。
「魔界に戻るの!?」
思わず近寄り、問うてしまう。
「俺は現在、魔王としての役目はない。……だが、このまま人界に留まっている事は、避けるべき事だろう。俺の力は、元に戻りつつある」
「…………力が戻っているから、魔界に帰るの?」
でも、ゼノアの言った説明では、納得が出来ない。
「だって、魔族達は境目を通って人界に来ていたじゃない!」
何度も人界に来ていた魔族もいる。
……それとも、ゼノアが魔王だから駄目なの?
何か不都合があるの?
「……魔族や、他の魔王達なら、まだ良かったのだろうが……俺の力は強大な為、力が溢れる。周りに影響を及ぼす。人界で俺の力を制御する事は難しい」
だけど、淡々とした声で返され、二の句が告げられない。
行って欲しくないと思う私の気持ちとは、温度差が激し過ぎる。
「レニーが魔界に来ない限り、もう会う事もないだろう」
椅子から降りたゼノア。
声をかける間もなく、子供の姿が一瞬にして成長した。
造り物のように、完成された美しさを感じる容姿。
体躯のバランスも良く、それでいて隙がない。
思わず見惚れてしまう姿。
私と同い年か、少し年上位に見える顔。
……でも、魔王で。
「じゃあな」
その一言を最後に、背を向けて歩いていく。
思わず手が伸びるも、彼に届くまでに止まってしまう。
そうしている間に、ゼノアの姿が扉から出ていってしまった。
シン……とした部屋。
ゼノアが来る前に戻っただけなのに、ゼノアがいても騒がしい事なんてなかったのに、途端に寂しくなる。
でも、“寂しいから居て欲しい”なんて言えない。
ゼノアが人間だったとしても、それは同じ。
──私とは関係のない人だから。
私の家族でもないし、恋人でもない。
そんな相手に、我儘を言えない。
その上ゼノアは魔王で、住む世界も違うのだから。
(陛下に報告しなきゃ……)
ゼノアが魔界に戻った事を言わないといけない。
……再び人界に現れる可能性が低いという事も。
────
──
「そうか……」
陛下が顔を顰める。
でも、何処かホッとしているようにも見える。
やはり、自国に魔王がいる事は嫌だったのだろう。
……でもどうして諸手を挙げて喜ばないのだろう?
「何か問題でもありましたか?」
……その様にしか見えないけど。
「実は……この国は魔王を討伐すべき勇者を輩出しているとして、他国からの抗争は今まで抑えられていた。……しかし、此度の魔王からの情報が、他国にも知れ渡ったようだ。勇者でもなく、魔王を討伐も出来ないどころか、再三魔界へ赴き、魔界の怒りを買ったとして、抗議の声が挙がっている。他国から攻め込まれるのも、時間の問題だろう。……魔王には、他国との話し合いに出席して欲しかったが……人界の様子を察して、魔界に戻られたのかも知れないな」
「そんな……」
どうやら、直に戦争が起こるかも知れないらしい。
しかも、偽物だと判明した、私達勇者のせいで。
魔王討伐を命じた陛下のせいで。
……でもそれを、ゼノアに頼ろうとしていた陛下に情けなくなる。
それでも、ゼノアに縋ってしまいそうになる自分にも愕然とする。
戦争が起こって欲しいなどと思う人はいないだろう。
防げるのなら、回避出来るのならば、誰にだって縋りたいと思ってしまう。
……でもそれは、私達の傲慢でしかない。
私達の我儘でしかない。
ゼノアにとって、人界の争いなんかどうでも良いだろうに──
「勇者として認定していた者達には、戦争が起これば召集する事になるだろう。心してくれ」
「……分かりました」
やっと戦わなくて良くなったと思っていたのに……
しかも、今度からの相手は、同じ人間。
“愚か者”という、ゼノアの声が聞こえてきそうだ。
そんな事を想像してしまい──溜め息が溢れた。
戦いたくない。
……でも、国の為に戦わなければいけない。
“勇者”でなければ、戦に出る必要もなかった筈なのに。
でも、殆ど男にしか女神の祝福が授からない理由は、何なのだろう?
いっその事、男にしか授からなければ良かったのにと思っていたけれど……
ゼノアの知り合えたのは、私が勇者として認定されたからでもある訳で。
僅かな日時しか一緒にいられなかったのに……どうしてそんな風に思うのだろう?
確かに、人に飢えていた。
話し相手が欲しいと思っていた。
ゼノアはそれを与えてくれたから、こんな風に思うんだろうか?
私が魔界に行かない限り、二度と会わないだろうと言われた時、“会いに行けば良いんだ”と思ったのは、どうしてだろう?
……そして、既に魔界へ向かいたいと思っている自分が分からない。
本当は、そんなにも孤独に堪えられていなかったって事なんだろうか?




