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クランケ・コシバ  作者: 中田
4/19

再戦へ

 小柴との面談を終えたその日、私はその日のうちに済ませておくべき業務がすべて終わった午後十一時ちょうどにクリニックを出ました。彩乃さんと葉那さんは既に八時過ぎ前後でそれぞれ帰宅しており、午後十一時というのは、私にとっては決して遅くない帰宅時間です。雨はすっかり上がっていましたが、まだたっぷりと水が浮かんでいる地面を除けながら、人通りのない暗い夜道に響くヒールの音を控えめに鳴らします。

 普段は自転車でクリニックまで通っているのですが、雨の日は使えません。自転車なら一〇分もかからないところを、二〇分程度かけて歩いて帰ります。今日はその途中で少し遠回りをし、夕食を買うために青梅街道沿いにあるコンビニの前で立ち止まり、もはや必要のない傘を傘立てに収めて中へと入りました。

「いらっしゃいませ」

 その低い声に私の背筋が不意に伸び上がります。反射的に声がしたレジの方を見ると、若い長髪の青年が立っているだけ。私の異変について特別気に留めている様子はありません。

ホッとしたところで自分の異変について振り返ってみると、私の中で「コンビニ」と「低い声」が勝手にリンクし、そこにいるはずのない小柴の存在を疑ったものだということがわかりました。クリニックを後にしてからも胸のモヤモヤは依然として残っていましたが、それはあくまで仕事上のミスを引きずっていたから。そう信じ込んで、小柴のことなどすっかり頭にないつもりだっただけに、突如引き起きた「リンク」が必要以上に私を驚かせたようです。

 続いて頭に浮かんできたのが、小柴の話に出てきた「コンタマンキ」と「四次元坊や」の存在でした。面談中はあれだけ夢中になっていた二人の存在も、面談の後は頭から完全に消えていたのですが、小柴を思い出したことがスイッチとなって一緒に蘇ってきたのです。すると、私の胸の内が不意に慌ただしくなり始めました。一刻も早く帰宅し、小柴が話していた二人の芸人について調べたくなったのです。私は早足でレジを通り過ぎ、お弁当コーナーに行くと、数種類残っていたお弁当からほとんど迷うことなく唐揚げ弁当を手に取り、他の商品には見向きもせずにレジへと向かっていました。

 医師免許の取得と共に手に入れた一人暮らしの自宅へと戻り、玄関の灯りをつけたところで傘をコンビニに置き忘れたことに気づきます。それだけ私は焦っていたのでしょう。何も焦る必要なんてないのに。それでもコンビニへ取りに戻ることもなくリビングに行き、手始めにパソコンの電源スイッチを押しました。パソコンが起動する時間を使ってお弁当を電子レンジにセットし、手洗いを済ませ、冷蔵庫に保管してあるペットボトルのお茶を取り出してパソコンデスクに戻ります。

 操作可能になったパソコン画面を前に、私は逸る気持ちを抑えようともせずにネットを繋ぐと、ここで一つの疑問が湧いてきます。「コンタマンキ」という名前を何の疑いもなく話の中で使っていましたが、いざ字に起こすとなると、どう書けば良いのか。もしかして漢字で書くのかもしれないとも思いましたが、今さらどうすることもできないので、私は一発解答を信じて「こんたまんき」と平仮名入力することにします。そして右手をマウスに移し、検索ボタンをクリックすると、まるで合わせたように「チン」とキッチンから音がしました。

 検索結果は、一致するワードも該当項目もなく、「こちらでは?」という別ワードを案内される始末。もしかして間違って記憶してしまったのかもしれないという不安を覚えながら、念のためカタカナで「コンタマンキ」と入力し、スペースの後に「芸人」や「老人」「点滴」「死にかけ」などと、思い出せるだけの関連ワードを付け加えて検索し直します。しかし、それでも結果は変わりません。何せ聞き覚えのない名前ですから、「タコンマンキ」や「マンタコンキ」など、あらゆる文字の並び替えを試み、挙句は恥を忍んで「コンタマキン」でも検索してみましたが、それでもこちらが望んでいる結果は現れないのです。

 私は己の乏しい記憶力を呪い、気持ちを入れ替えて「四次元坊や」の方を検索してみることにします。こちらの記憶には自信がありました。最初から漢字を使って「四次元坊や」と入力し、願いを込めてクリックします。しかし、こちらも一発検索はできず。「四次元」と「坊や」が別々にヒットするだけで「四次元坊や」と連続する項目がありません。

 でもまだ望みはあります。小柴は四次元坊やがこれから人気が出てくると言っていました。今度こそ、という思いを込め、私は「四次元坊や」の後に「芸人」と入力し、期待を込めて検索ボタンをクリックします。その結果は、やはり不発でした。もうどうしようもないことはわかっていたんです。それでも強欲な私は諦めの悪い女でした。コンタマンキのときと同じく、記憶を呼び起こして「芸人」の代わりとなるワードを捻り出し、「小四」「エロ漫談」「半ズボン」などで検索し直してみますが、結果は変わりません。

そしてようやく思い出したのです。小柴が性質の悪い虚言癖の持ち主であることを。


 悔しさのあまり、眠れない夜をベッドの上で過ごした私は、一定時刻に設定されている目覚まし時計のアラーム音で「翌朝」になったことを知ります。このときには既に、小柴の治療を真剣に取り組んでいきたい旨を太田さんに申し出るという結論が出ていました。当然、お金を頂くつもりはありません。これは私にとって、安直なるプライドと意地だったのです。

 太田さんに電話をする際に小柴が近くにいることは避けたかったので、お昼はもちろんのこと、小柴が何時に出勤しているかわからない朝の時間帯も避けることにしました。そして午後八時になるのを見計らい、既に一人となっていた事務室で太田さんの携帯電話に発信してみます。間もなく「もしもし」という太田さん独特の擦れた声が聞こえました。

「こんばんは。突然すみません。高嶋です」

「あら、高嶋さん。どうしました?」

 その声のトーンから太田さんの驚きが読み取れました。当然でしょう。昨日の電話が終わった時点で太田さんの存在は私にとっても、「半年後の大掃除の時期まで」と書かれた札をつけて記憶の奥の方にしまい込んだばかりでしたから。

「実は、小柴さんのことで」

「えっ! あいつが何かやらかしていましたか?」

「いえ、やらかしたということではなくて……」

 私は一呼吸置いて、思いを告げます。

「小柴さんの虚言癖について本格的に調べさせて頂けないか、というお願いのお電話なんです」

「何と!」

 受話器から聞こえる声が割れるくらいに大声を出して驚いた太田さんに、私は昨日の経緯をすべて話しました。一転して「やはりそうでしたか」と声を落とす太田さんに対し、まだ断定したわけでないことを説明した上で了承を取りつけ、今後の流れを説明することにします。

問題はいかにして小柴をクリニックへ足を向かわせるか。これは前日の夜に最も思い悩んだことです。その末に見出したのは、正直にクリニックへ来てもらう理由を明かし、真正面から小柴とやり合おうという確固たる覚悟でした。新たな面談の目的を話しておけば、小柴の情報を揃えやすく、自覚症状もわかり、我々が不安視しているほどの虚言癖ではないことが早い段階でわかる可能性もあります。そもそも現在彼は、問題なく太田さんについて仕事をしているわけですし、重度の症状とは考えにくいのです。

それでもやはり、面談の後半部分で表面化した流れるような嘘は気になります。事前に用意でもしていなければ、常人では難しいほどの早いテンポで話をしていたので、私もすっかり騙されてしまいました。一方で、それは私の甘さ、そして未熟さかもしれません。彼が話す内容が未知の分野だったとは言え、本来の目的である疑うことを忘れ、情けないことに小柴の話に入り込んでいました。その葬り去りたい悔しさ、失敗を、自分の手で晴らしたい。となると、これは私による独りよがりの復讐に近いと思うのです。とても短絡的な。

「正直に言って、あいつ傷つかないかなぁ」

 太田さんはそう心配しましたが、「今は虚言癖の疑いがあるだけで、それをシロと証明するためにクリニックへ来てほしい」と話すことで納得させるようにお願いしました。もちろん面談の費用は頂かず、もしもグレー、またはクロの場合でも、こちらからお願いしているということで拘束時間に応じたお礼を本人に支払う約束も併せて。太田さんは自信なさそうに「わかりました」と言って電話を切りましたが、このときの私には沸々と沸き上がる意気込みしかありませんでした。

そして翌日の午後八時過ぎ。まさに前日、二人で相談をしていた時間とほぼ同時刻に太田さんより着信があり、小柴との約束を取りつけた旨の報告を受けます。まず、私は安堵しました。何故なら今回のお願いが小柴の気分を害し、断られる危険性もあったからです。更にもう一つ、前回の面談でついた小柴の嘘について、本人から「あれは冗談だった」ということで済まされなかったことも大きかった。新たな面談の約束を取りつけられたということは、小柴としても嘘をついていた心当たりがないか、もしくは嘘をついてしまうことについて真剣に悩んでいる可能性が高いのです。以上のことが明白になっただけでも価値ある決断でした。

クリニックに来てもらう理由を話したときの小柴の反応について太田さんに聞いてみると、彼は特に表情も変えず、またほとんど迷いもなく「わかりました」と了承したそうです。いざその話を聞くと、小柴らしいなと、そのやりとりが容易に想像できました。再戦は翌週の月曜日、小柴の仕事終わりとなる午後七時からです。

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