怪物の片鱗
意外にも小柴との時間の都合はすぐにつきます。その報告をしてくださった太田さんなりの作戦があったようで、最初こそ少し渋った小柴を勤務中の時間を使うことでその気にさせたと自慢げに話してくださいました。もちろん面談の目的を正直に話すことはなく、「今後の人生設計について相談でもしてこい」と、あくまで仕事上の付き合いから生じた軽い乗りだということを前提に送り出したそうです。
最初の面談は清掃を行った週が明けて間もない火曜日の午前十時から始まりました。この日は朝から強い雨が降り続ける一日で、私は精神科医でありながら、こんな些細なことで気持ちの浮き沈みが生じ、自らを奮い立たせないと仕事モードに入るのは難しいのですから、人間の心理とはいかに繊細で複雑かがよくわかります。そのような気乗りしない朝から、私と小柴との静かなる、そして壮絶な戦いが始まるのです。
相談者及び患者が少しでも落ち着ける環境を作るため、ヒーリング音楽やクラシック音楽を微音で流し、リラックスできる香りがするアロマを焚いた診察室で待っていた私を小柴が訪ねてきたのは、九時五十四分。約束した時間の六分前です。太田さんが仰っていた通り、時間には律儀な男でした。
「おはようございます」
この段階ではまだ小柴のことを軽く見ていたので、私は外の天気を引きずり、いつものように自分の気持ち以上の明るい挨拶ができませんでした。そのせいもあって、小柴の挨拶もはっきりと聞き取れないくらいで、大切なスタートの過ちを後になって後悔したものです。
「どうぞ、お掛けください」
私は沈んだ気持ちの中でも出来る限り明るい声を出すように努め、テーブルを挟んで小柴と向かい合って座りました。この際に見せる相手の座り方や姿勢が最初に注目すべき点となります。小柴の場合は椅子の深くに座り、猫背の姿勢で両手を股に挟んでいました。全体的に捉えるとその姿勢に無理な様子はなく、とても自然。視線も落ち着いているので、多少の緊張感はあっても、この時点ではそれ以上に考慮する感情はないと判断できました。
患者自らの判断で検診に来て頂く場合は面談前に問診票をお渡しし、自覚症状と既往症、そして簡単な履歴と家系図、最近の私生活などについても事細かく書いてもらうのですが、小柴の場合は渡していません。人生相談の延長程度で終わると思っていたからです。肝心の虚言癖については太田さんの思い過ごしであろうと、重くは受け止めていませんでした。
「本日の面談内容については小柴さんもご存知かと思いますが、今、太田さんのもとでお仕事をされていて何か不満はないか、また、今のお仕事を続けていかれるお気持ちはあるかどうかなどを堅苦しくなくお話ができればと思います。もちろん、太田さんに知られたくないことは秘密を厳守しますし、小柴さんが太田さんにお話しにくいことは私なりにオブラートに包んでお伝えしますので、出来る限り本音でお話ができれば幸いです」
「はあ」
その薄い反応は想定の範囲でした。小柴の心理状態としては、「何故、伯父さんはこんな大袈裟な場所に俺をよこしたのだろう。まぁ、勤務時間も潰れるし、適当に対応すればいいか」。そんなところでしょう。
「どうぞ、こちらからお好きな飲み物を仰ってください」
テーブルにあるメニューホルダーを見せると、小柴はほとんど迷うことなく「じゃあ、ブラックコーヒーをホットで」と低音の効いた声を出しました。この注文方式は少しでも喫茶店のような空気で話をしてもらうために設けたものです。私は席を立って自分の飲み物も併せて用意を始め、奮発して買い揃えている高価なパック用の簡易コーヒーにお湯を注ぎ、私もブラックのまま面談用のテーブルに並べました。
「インスタント物で申し訳ありませんが」
「いえ、いただきます」
一瞬だけ目を合わせ、小柴は前傾姿勢のまま頭を下げました。
「ほぼ初対面の相手に難しいかもしれませんが、お茶でも飲みながら世間話をする感じでいいので」
そんな気休めを言ったところで遠慮はするでしょうが、少なくとも言葉に表して自ら実践することで話しやすい空気を作るのも私の仕事ですから。私は率先してカップを持ち、まだ熱いコーヒーを何度か冷ましてから少しだけ口にします。
勤務時間を使っての面談ということを私は知らない前提なので、小柴が作業着を着ていることを話の発端にしてみました。
「この後もすぐお仕事なんですか?」
「あ、はい。一時から一件仕事が入ってるんで、十二時には会社に戻らないと」
「大丈夫ですよ。長くても一時間程度で終わりますから」
簡単に話をしてみた第一印象は、仕事に真面目な人なんだなということです。彼が話したことが嘘には聞こえなかったのですが、もし本当に虚言癖が出てこの話が嘘だったとしても、仕事を持ち出しての嘘ですから、仕事への意識は高いことが窺えます。そして見逃してはならないのが話すときの視線です。小柴は自身で話す際に、しっかりと私の目を見ていました。これが自然にできるということは至って真面目でまっすぐな性格で、人と話すこと、更に言えば女性と話すことが苦手ではないと推測できます。
「お仕事はいかがですか? まだ始められて二ヵ月ほどしか経っていませんが」
「そうですねぇ……」
太い首を傾げながら下を向き、少し考える小柴。
「……まぁ、せっかく社長が誘ってくれた仕事なんで、始めたからには続けていかなきゃいけないという気持ちはありますね」
「そのことは太田さんにお話していないんですか?」
「特に聞かれていないので」
「仕事を続けたいという意思表示をしてあげたら、きっと喜ばれると思いますよ」
「そうですかね」
「うん、絶対に話した方がいい」
伯父にあたる太田さんのことを「社長」と呼ぶことに関しては、小柴にとって太田さんがまだ近い存在ではないことを感じさせますが、一方では雇ってもらっているという経緯であり、ビジネス上の呼称と考えれば特に気にする必要もなさそうです。
小柴の見た目はやや老けて見えますが、恐らく三十代中盤から前半くらいで固いのではないかと初見から判断していました。少なくとも、三十七歳の私よりも下であることは間違いないと。本来なら問診票で相手の年齢を明確にした上で診察を始めるのですが、今回の場合は改めて年齢を確認する必要はないと感じたので、このまま話を進めました。
「隠す必要もないのでお話しますけど、太田さんは小柴さんのことをできれば跡継ぎにしたいとも考えているそうですよ」
これは太田さんからお聞きした事実です。この日の面談を組むための日時調整をする際に、太田さんのお考えはある程度伺っています。
「初めて聞きました」
だからと言って小柴に驚いた様子はありません。淡々としています。だからこそ突っ込んでみたくなりました。
「小柴さん自身にその気はあるんですか?」
「その気ですか? ん~……」
再び首を傾げて考え出す小柴ですが、答えは間もなく出ます。
「まだ現実味がないので、そういう状況になったら考えます」
至って冷静な答えです。もしかすると自分の中に答えがあったのかもしれませんが、私の前で本音を出さないということを考えれば、深謀遠慮の素性も考えられます。それは私に対してだけでなく、太田さんに対しても。
この後も仕事に対する思いをあの手、この手で聞き出そうと試みますが、どれも明確な本音を導き出すには至らず、会話を発展させる手がかりにも結びつきません。
そのまま仕事に関する話題は出尽くし、ここで私と面談をする表向きの理由がなくなってしまいました。小柴がこの場で話した内容の真偽はともかく、彼には今の仕事を続ける気持ちがあり、後継ぎについてもあからさまな拒否反応はないことが表面化したという点は新たな発見であり、太田さんに知らせるべき確かな事実と言えるでしょう。
「話はもう終わりですか?」
そう言いながら今にも立ち上がりそうな小柴を私は冷静に止めます。
「いえ、もう少しだけよろしいですか」
「……はあ」
不服そうに返事をして再び重心を椅子に落とす小柴。彼からすれば、ここに来た理由を知っている以上、もう話すこともないのでしょう。しかし本来の隠された目的は、彼の虚言癖について調べることです。ここは早急に別の話題を作らなければいけません。
このタイミングで小柴が初めてコーヒーを口にしました。私も続けてカップを手にすると、その僅かな静けさに外の雨脚が強まっていることに気づきます。
「更に強くなってしまいましたね」
五階建てビルの二階にある診察室の窓越しに外を見て、私は独り言のように呟きました。それにつられて小柴も視線をそちらに向けたので話を広げてみます。
「今日はまだお昼ご飯を用意していないんですよ。お弁当を買いに行くまでには弱まってくれればいいんですけど」
主題と関係のない話に小柴は「そうなんですか」とやはり素っ気なく、この話題にも乗ってくる様子はありません。無駄話をしたくないのでしょう。それならばと、少し遠回りをして踏み込んでみることにします。
「ところで、太田さんは普段どんな伯父さんで、どんな社長さんなんですか?」
小柴にとって義理の伯父にあたる太田さんの話から発展させ、小柴の家族構成、家庭環境までを本人の口から聞き出してみたかったのです。
「社長ですか……」
やはりここでも小柴は考え込み、慎重に言葉を選んで話し始めます。
「一緒に働き始めてまだ時間も経ってないし、それ以前に特別交流があったわけじゃないですからね」
「それは伯母さんとも?」
「はい。子供の頃に一、二回会ったかどうかくらいで、ちゃんと話をするようになったのは本当にここ最近のことです」
ようやく受け答えが長くなり、会話も続くようになりました。話を広げるチャンスです。
「ちなみに、伯母さんは小柴さんからするとどのような繋がりに?」
「母の姉になります」
「なるほど、お母様の。すると、親戚の集まりなどで会う機会も少なかったんですか?」
「うちはそんな集まりも特になかったので」
「そうだったんですか。それでも今の仕事に誘ってもらえたというのはありがたいことですね」
「はい、感謝はしています」
太田さんに対して初めて「感謝」という言葉が出てきました。
「離れていてもずっと気に留めていてくださったんですね」
「まぁ、偶然の一致もあったんでしょうけど」
「偶然の一致?」
「昨年末に母が死んで、その葬式で伯母たちと久しぶりに会うことになって、少し話をして、だからその後すぐに社員の欠員が出たときに、俺がフラフラしていたことを思い出して連絡をくれたんだと思います」
ひょんなことから母親を失って間もないことが発覚しました。この話が事実かどうか気になるところですが、内容が内容だけにまだそこまでズケズケと入って行くわけにはいきません。
「すみません、お話しにくいことを聞いてしまって」
小柴は一定の調子を崩さず、「いえ、別に」と気にしていない素振りをしてくれましたが、困ったのはこれ以上、家庭のことを聞きにくくなってしまったことです。こうなっては別の角度から攻めなくてはいけません。次に開拓したかったのは、小柴の私生活です。自分に近い内容ほど我が出やすいので、虚言癖の性が出る可能性も高くなります。
「少し話を戻しますね。太田さんに誘ってもらったときはすぐにお世話になろうと思ったんですか? 前職に未練みたいなものは……」
「まったくないですね。誘ってもらってすぐに行こうと決めました」
「ちなみに、前職は何をされていたのか、よろしければ」
「コンビニの店員です」
「期間はどれくらい?」
「四、五年はやっていましたね」
「もしかして、この近くでされていたとか?」
「いえ、亀有の方です」
「あ、そうなんですね。お住まいも亀有で?」
「はい」
「でも今の会社は荻窪ですよね。通勤が大変では?」
「その辺は臨機応変に、仕事先によっては直行、直帰もできますから」
スラスラと迷いなく発言される様子からは小柴が嘘をついているようには聞こえませんでした。思いついたことを適当に答えている可能性もありますが、小柴本人が今後も今の仕事を続けていく気があるのなら、私に嘘をつくリスクの方が高いわけで、彼がそこまでの計算ができないようにも思えません。
「今のお仕事はちゃんとお休みはあるんですか? 時間を拘束されてプライベートの時間が持てなかったりするとか」
「いえ、公務員みたいな時間体系なので、時間はある方だと思います」
「それなら趣味なども充実できそうですね」
「まぁ、そうですかね」
相変わらずの前傾姿勢で、両手は股に挟んだまま小柴は答えます。こちらがあらゆる角度から趣味の話を広げようと試みるも、いずれの話題もやんわりとかわしていく様は、それはもう私を困らせるのを楽しんでいるかのようです。打っても響かないとはまさにこのことで、話をしていく中でボロを出させるのは難しいと判断しました。
同時にここで疑問が湧いてきます。小柴が虚言癖というのは、もしかすると太田さんの勘違いなのではないかと。例え虚言癖が事実だったとしても、身近な人にしかその小さな癖は出ないのかもしれず、問題視するほどの虚言癖ではないのかもしれません。それでも、恩人であり、雇い主、または義理の伯父でもある太田さんに得意先へ行って来いと言われれば、気乗りしなくても行かなければならないだろうし、ある程度の体裁は取り繕わないといけない。このときの小柴の態度も、それらを考えればごく自然で、当然の対応と言えました。現にここまで彼の言動を注視してみて、過去に出会った虚言癖患者の傾向とは合致しなかったのです。
まず、一言で虚言癖と言っても、仲間内だけで冗談の延長線上で嘘ばかり言う場合と、病的で本格的な治療が必要な場合まで幅広くあります。大抵は虚言癖の本人か、または周りが気にして我々を頼ってくるケースがほとんどです。その中でも虚言癖患者は主に二つの基本的な傾向があります。ここで二例だけ、私が出会ってきたそれぞれの平均的な虚言癖患者についてご紹介しましょう。
今のクリニックを開業する前のこと。卒業した大学病院の精神神経科に属していたときに出会ったのが、母親に連れて来られた中学一年生の男の子でした。都内の有名私学に通う、見るからに勉強が得意そうな優等生タイプの少年です。名前はA君としておきましょうか。
問診票を基に、まずは母親同伴で面談を行いました。明らかに無理やり母親に連れてこられた様子で、A君の機嫌は優れません。私がA君に質問をしても反応は悪く、ほとんど母親が代わりに答えます。頼りの問診票も母親によって書かれているため、こちらとしてはA君の声を聞きたいのですが、母親がそうさせてくれません。しかし、おかげで親子のはっきりとした主従関係がよく見えました。ですから、この場では好きなだけ母親を喋らせることにします。
母親同伴の面談でわかった事実としては、A君が塾へ行くと言ってずっとサボり続けていたことや、学校での出来事をほとんど虚偽報告していたこと。また、手をつけていない食事を食べたと言ったり、友人の家へ遊びに行くと言ってゲームセンターへ行っていたというような、子供の頃に誰もがついてきたような嘘ながら、母親の口からはA君がついたという嘘が止めどもなく出てきました。それに加え、学校の先生からも「A君は嘘をつくことが多い」という話をよく聞かされていたそうです。ここまでの話だけでも、A君が普通の子よりも嘘の頻度が多い気はしました。
その中で、母親がA君を病院へ連れて行こうと思ったきっかけが詳細に語られます。面談の二日前に母親の仕事場に学校から電話が入り、A君から学校を休むという連絡が来たので、確認のために母親へ連絡したとのこと。毎朝、A君よりも先に家を出る母親は、その日もA君が学校に向かう準備を済ませ、いつも通りの様子で朝食を摂っている姿を見てから会社へ向かったそうです。結果的にA君は仮病でした。母親は帰宅後にA君を叱責すると、A君は「虐められているから学校に行きたくない」と初めて告白してきたのです。
事を重く見た母親はすぐに学校へ連絡すると、担任の教師は虐めの事実について調査すると言い、翌日、つまり面談の前日に調査報告の連絡があったそうですが、虐めの事実は確認できなかったと。逆に、クラスメイトたちを相手に話を聞いている過程で、数多くの生徒からA君がすぐに嘘をつくという証言を得たと報告を受けたのです。そこで改めて母親が虐めの詳細をA君に尋ねたところ、虐めについても嘘だったことがわかります。
私は親子での三者面談の直後、あえて母親と先に個人面談をすることにしました。母親はこちらの質問に十倍返しで一方的に喋り、いつの間にか自身の苦労話ばかり話すようになります。A君が一歳のときに離婚をしてシングルマザーとなり、仕事と家事に追われる中、A君の嘘に振り回される自身の苦境を嘆くばかりです。
続いてA君と個人面談で話を聞くことにします。母親の前では返事しかできなかったA君は二人きりでも終始俯いたままで、たまに視線を上げてこちらの様子を確認するも、すぐに視線を落とすのを繰り返すばかり。しかし、こちらの質問が増えていくと返事だけでなく返す言葉もポツポツと増えていき、徐々に心の内を吐露するにつれて涙を流しながら本心を話してくれるようになりました。彼は自覚症状があったのです。告白の核心を挙げるなら、A君は母親に怒られ、命令され、何をするにも急かされながら、汲々と育ってきたということでしょう。A君は幼少期の早い時期から母親に恐怖心を抱き、嘘をつく度に自己嫌悪に陥りながら育っていたのです。
私に似た境遇ですね。しかし彼はその逃げ道を「嘘」に見出しました。もちろん無意識のうちに。これは一つの自己防衛策でもあります。母親に怒られそうになると、嘘をつくことで何とかその場を回避しようとしていたのです。それが常習となり、学校でも先生から怒られないために嘘をつき、また友達から嫌われないように嘘をつき、嫌なことから逃げてきた。本人にとっては正当防衛だったかもしれませんが、このまま嘘を積み重ねていくと本人の意図しないところで嘘が肥大化し、そのうちに取り返しのつかないことになってしまう可能性が高い。そこで私はA君に「今後も何度か話を聞かせてほしい」と遠回しに虚言癖の更生に取り組むことを告げました。
ただ、このケースはA君一人で更生できることではありません。何せ彼の場合、母親の存在が大きく影響しています。特に未成年の場合、親の保護下にあるわけですから母親の意識から変えていく必要がありました。私はその旨をはっきり母親にも説明し、時間をかけて両者の意識改革を計ったのです。
このように、自身を守るための正当防衛の道具として嘘をつくというのが一つ目の例になります。A君は不運にも、傲慢で自己主張の強い母親を持ってしまったことで、悲しくも嘘をつく癖がついてしまったのです。
ではA君の例が小柴に当てはまるかというと、この時点ではそう思えませんでした。彼の言動もそうですが、母親の葬儀に参加する程度の関係性はあった太田さんに誘われて今の仕事をしているということは、小柴が虚言癖持ちだということを太田さんは事前に知らなかったはずです。A君ほどの病的な虚言癖を持っていれば、どれだけ遠回りをしても噂が入っていてもおかしくありません。また、コンビニの店員を長年続けていたことが本当なら、太田さんが私に相談したくなるほどの虚言癖では勤まらないでしょう。従って、小柴の虚言癖は何らかの理由で、それほど遠くない過去に身についた可能性が考えられます。小柴が実際に虚言癖であれば、の話ですが。
もう一つの例もご紹介しておきましょう。こちらは面談を重ねるにつれて、患者が虚言癖を持っていたことがわかった例です。
A君の来診より約二年後に私のもとへ訪れたのは、世界にも名が通るような化粧品メーカーに勤める二十五歳のOLでした。同性からも好感の持てるスタイリッシュな装いなのですが、せっかくの美貌が明らかにやつれていたのをよく覚えています。OLの名前はCさんとし、Cさんが勤めるメーカーをK社としましょう。時系列で記録していくので、そこは誤解されないように。
Cさんによると、自分は鬱病なのではないのかということで病院を訪ねてきました。ここ数ヵ月は何もやる気が起きず、遂には仕事をする気力もなくなり、病気と偽って一週間も会社を休み続けている不安が恐怖心に変わったことで、本当の鬱病になる前に何とかしようと。本人の自覚症状や体と心の調子を自己申告した内容からも、Cさんが鬱病患者であることは明白でした。ですから、この時点で「虚言癖」という言葉は私の頭にはありません。
詳しい話を聞くと、幼い頃よりお化粧に興味を持っていたCさんは、中学のときよりK社に憧れを抱いていたそうです。そのため、K社に就職するためには良い高校、良い大学に入り、就職活動に専念することが最短の道だと考え、盲目的に勉強をし、そして企業研究に励んでいました。そして結果的にその努力が報われ、Cさんは晴れてK社から採用通知をもらいます。この境遇も、どこかで聞いたことのある話に似ていますね。
しかし人生とは思い通りにいかないもの。憧れのK社の一員となったことでバラ色の社会人生活が待っているはずが、Cさんが配属されたのは人事部でした。そこはCさんが希望していた広報部ではなかったのです。最初こそ落ち込んだCさんですが、働きぶりを認められれば希望の部署への異動が通ると上司から聞かされ、Cさんは再び受験生時代、就活時代に戻るつもりで仕事に打ち込む決意をしたそうです。
しかし周りの社員も世界的なメーカーに入社してくるだけあって実力者ばかり。Cさんがそんな彼ら、彼女らに対抗する術は、同僚をすべて敵と見なすことでした。仕事以外での関係を断ち、隙を見せて蹴落とされることがないように、仕事でも細心の注意を払って付き合うことで同僚を出し抜いていくという方法です。これを聞いたときに、Cさんが元々、鬱病患者によくある被害妄想の気質を持っていることがわかりました。
外から羨望の目で見ていたK社が、Cさんが思い巡らせていた理想とはかけ離れていたことも不幸だったようです。Cさん同様、向上心というよりも、欲深い出世欲に駆られた社員が多く、出世競争に敗れた者はやる気を失い、元から出世欲のない女子社員は玉の輿婚を狙って資質以上に着飾って現を抜かすという社風。
そんな連中に負けまいとするあまり、Cさんは仕事に振り回されながら身を粉にして余裕を失い、どんどん卑屈になっていくのです。その結果、社内の友人はおろか、プライベートの時間も犠牲にしてきたせいで、Cさんには社内外問わず、何でも語り合えるような友人もいない状態でした。それでも本当にやりたい仕事をするため、Cさんは前だけを向いて頑張ってきたと力説します。
確かにCさんは鬱病を患っていました。原因は本人の強い出世欲と職場環境にあり、私は意識改革をする方向で治療していく施術法を取ることにします。しかし、何回も面談を重ねていくうちに話の辻褄が合わなくなってきたのです。不審に思い始めた私は、受付へ行ってCさんの保険証を確認すると、彼女が勤務していたのはK社ではなく、名前も聞いたこともないような繊維業のH社だったことが判明しました。
ここでようやく「虚言癖」という言葉が頭に浮かびます。私はCさんが本当に勤務している会社のデータを調べ、また実際にH社の前まで行って、表面的ではありますが調査したところ、とてもじゃないですが、彼女がいつも着飾っていたスーツ、装飾品、時計、ブランドバッグなどが身の丈に合った会社ではないと推測しました。そしてそのことを前提に、これまでと違った角度から改めてCさんの経歴やプライベートを聞いてみると、次々とボロが出てきたのです。
私は「あなたのためだから」と断ってから、本当のことを話すようにCさんを諭すと、彼女は泣きながら本当の経歴を語り始めました。
実際のCさんは偏差値が高いとは言えない私立高校から短大に進学し、学校の紹介でM社という貿易会社の事務を始めましたが長くは続かず、その後も転職を重ねてH社に辿り着きます。彼女がそれまでに話してくれた事実としては、小さい頃から化粧をすることが好きで、K社に憧れていたこと。主だったものではそれくらいでした。ほとんどが妄想を語っていただけだったのです。
彼女は虚栄心の塊でした。これこそが虚言癖患者のわかりやすい傾向のもう一つなのです。見栄っ張りの性格が自分を良く見せようと嘘を重ね、信用を失うことで、仕事、そして友人を手放してきたことがCさんを孤独にし、追い詰め、悩ませ、遂には鬱病に罹ってしまったのでした。そこには憧れていたK社への就職を果たせなかった無念の思いも、少なからずあったようです。
このタイプの傾向が小柴にあるかと言うと、やはり当てはまらない気がしました。このときの小柴は面談直後に仕事へと向かわなければいけないこともあり、作業着姿で装飾品は国産メーカーのデジタル時計を身に着けているだけ。見栄を張っている様子も自慢話もないですから、もし虚言癖があるのならA君タイプの自己防衛による虚言癖か、それともこの代表的な二つの例に当てはまらない別のタイプか――。どちらにしても、残りの時間で小柴の本性だけでも炙り出さなければいけませんでした。
趣味の話にも乗ってこない小柴に対し、私は更にプライベートを踏み込んでみます。
「せっかく太田さんがこのような場を作ってくださったわけですから、何か相談事とか、悩み事でもあればお聞きしますよ。仕事柄、一応、それなりに場数は踏んでいるので、クラブのママに話すつもりでお話していただけませんか」
「……悩み、ですか」
今度は視線を上げ、私から見て右斜め上の方を見て考える小柴。首を捻りながら「う~ん」と唸ってみせるも、結局は「特にないかなぁ」で済ませてしまいます。しかしこれも想定内のこと。次の質問をするためのきっかけにすぎません。
「じゃあ代わりに、私の話を聞いてもらってもよろしいですか?」
思いもよらない切り返しだったのでしょう。小柴は普段なら切れ目のせいでよく見えない黒目をはっきりと見えるくらいに広げ、「はあ」と頷きながら、自分の意志ではないような返事をしました。
「先週末のことなんですけど、友人に誘われてお笑いライブというものに初めて行ったんです」
私が何の話をするのかというような顔で、小柴は明らかに興味を持って私を見つめます。
「その友人が言うには、テレビでも活躍しているような芸人さんたちが出ていたみたいなんですが、普段、バラエティー番組を観ない私はライブに出ている芸人さんたちのことをよく知らなくて、そのせいか一度も笑えなかったんです。隣の友人だけじゃなく、会場も終始笑いっ放しだったのに。そのことが今も少し引っ掛かっていて、私はこういう仕事をしているくせにいつも話題性に乏しいんです。だからコミュニケーションのバリエーションを広げるためにも、ライブに行ったことをきっかけに話題を広げたいんですけど、未だに何も行動できていないままだったので、これを機会に小柴さんのお勧めのお笑い番組とか、芸人さんがいたら教えて頂ければと思いまして」
あまりに軽く、どうでも良い話に小柴も面を食らったようですが、戸惑いを見せながらも上体を背もたれにあずけ、両腿に挟んでいた腕を上げて胸の前に組んで考え出しました。今までになかった反応です。そして「そうですねぇ……」と間に一言入れてから、改めて私の目をしっかりと見つめてきました。
「コンタマンキっていうピン芸人が俺は好きですね」
「コンタ?」
「マンキです」
小柴の表情が若干ではありますが緩やかになっているのがわかりました。自分から何気ないプライベートを話すことで、口の堅い小柴の懐に入る手法が功を奏したのです。ただ私は本当にバラエティー関連の話題には疎いので、コンタマンキという芸人のことを知りませんでした。
「その、コンタ、マンキという方は、テレビにもよく出ているんですか?」
「テレビですか。そうですね。あいつは神出鬼没ですから、いつテレビに出てくるかわかんないんです。たまに出てきては大爆笑をかっさらうと暫く姿を消して放浪の旅に出掛け、また現れては大爆笑をかっさらうということを繰り返すさすらい芸人ですから」
「さすらい芸人……」
そんな芸人もいるのだと、私は当たり前のようにその話を受け入れます。
「すると、やっぱりさすらいの旅であった出来事をネタにでもするんですか?」
「いえ、ヤツにとって旅ネタはタブーなので、旅の話はしません」
「さすらい芸人を自称しているのに?」
「はい。代わりに、社会をめった斬りにします」
小柴は表情を変えることなく、左手で右肘を支え、その右手で顎ヒゲを触りながら言いました。私にとってはあまりに未知の分野なので、段々と「コンタマンキ」という男に興味を持ち出している自分に気づきます。
「……というと、社会風刺みたいな形で笑いを取るとか?」
「そんな知的なものではないですよ。ニュースや新聞、雑誌で話題になった人間をただただ罵るだけ。『出る杭は俺が打ってやる』が口癖なんです」
「へぇ、じゃあ、弱者の味方という立ち位置がウケているんでしょうか」
「それも違いますね。あいつは弱者も容赦なく斬りつけますから。この前もホスピスの老人たちをボロカスに罵倒していました」
そのとき、小柴には私の顔がどう映っていたでしょうか。コンタマンキという人物像がまったく想像つかない私は、その突拍子もない芸人に呆れていました。そして、そのコンタマンキが好きで、私に勧めようとしてくる小柴にも。
「それが、面白いんですか?」
「まぁ、あいつがそんな刺激的な内容をボソッと話すから笑っちゃうんでしょうね」
「それが許されるキャラ……」
「ですね。彼自身が死にかけの老人ですから。鼻に管を通し、点滴を打ちながらテレビに出ているお前に言われたくねぇよっていう」
詳しい話を聞くにつれても、コンタマンキという男の姿がまるで想像がつきません。実際に彼のネタを観てみないとわからないのでしょうか。私には小柴が話すコンタマンキの面白さがまったく理解できないのです。
「死にかけというのは、そう装っているんですか?」
「意見は真っ二つに分かれているみたいですけど、俺は真性だと睨んでいます。あの青白い顔や皺だらけの不健康なやせ方からして、先は長くないだろうなって」
「え? 本当の老人?」
「もちろんです」
そのとき私の中に込み上げてきたものは、怒りでした。
「よくテレビ局はそんな病気の老人を使いますね」
「それは俺もビックリしてます。まぁ、単純に視聴率がほしいんでしょう。ヤツの見た目といい、ネタといい、そのインパクトというか破壊力は凄まじいですから、俺も含めて視聴者は釘づけになるんだと思います」
僅かながらも、私は二人のスタッフを抱える経営者でもあるので、時間があれば様々な交流会に出かけては他業種の方たちと知り合い、伝手を広げているのですが、その中にはテレビ業界の方たちも何人かいました。おかげで頭に浮かぶのは、彼らテレビマンたちの卑しい顔、顔、顔です。そこまでして視聴率がほしいのかと。
「お気に召さないですか」
再び腕を組み、私の顔を覗き込むようにして小柴は聞いてきました。
「そうですね。できれば他のお勧めがあれば」
「だったら、コンタマンキの対極にいるような芸人がいいですね」
「是非お願いします」
組んでいる左手で支えていた右手を今度はおでこにやり、下を向きながら考えた小柴。少しだけ間を開けて二度「う~ん」と唸ってから閃いたのか、おでこにあった右手で私を指差しながら言います。
「四次元坊やなんてどうでしょう」
「はい?」
私は思わず聞き返してしまいました。
「四次元坊やです」
「四次元、坊や……」
当然、そんな奇天烈な名前、私は聞いたことがありません。
「はい。それはもう、この子は健康的でして、いつも半袖半ズボ……」
「ちょ、ちょっと待ってください。もしかして、その子も本当の子供?」
「そうですよ。小四です」
驚愕の事実でした。確かにコンタマンキの対極かもしれませんが、子供が芸人として活動しているなんて、私には考えられないことだったのです。
「この子はまだテレビに出てきたばかりで、これから人気が出てくるんでしょうけど」
「その小学四年生が、どんな笑いを?」
「四次元坊やは、とにかくもう、エロいんです」
「はあ?」
自分でも素っ頓狂な声を上げてしまったことがわかりました。でも、それが仕方ないくらい衝撃的だったのです。
「ネタとしては、およそ子供とは思えないエロ漫談で、放送時間が深ければ深いほど内容もグロくなるからほとんどがピー音で消されてしまって、ときには半分以上、何を言っているかわからないんですよ」
私は驚きを通り越し、呆れて何も返せません。それでも何とか持ち直して会話を続けようと試みます。
「今のテレビは、そんなことが許されているんですか?」
「コンタマンキの件じゃないですけど、面白ければ何でもいいんじゃないんですか? ネタ番組じゃないバラエティーに出るときもえげつないですよ。共演する女優とかアイドルにズケズケと卑猥なことを聞いたりボディータッチをしたり、セクハラのし放題で、それでもその実態は愛くるしい顔をした少年だから、すべて許されてしまうという」
言葉になりませんでした。テレビ業界はそこまで堕ちたのかと。
まだまだ興味は尽きなかったのですが、ここで隣の部屋から「チン」と優しいベルの音が聞こえました。診察室には時計がなく、私も腕時計をせずに面談及び治療を行うので、いつも葉那さんに終了五分前を知らせる合図をお願いしているのです。
同時に、自分が本来の目的を忘れて小柴の話に聞き入っていたことに気づきます。普段ならある程度の経験と感覚で制限時間を過不足なく予定通り使うことができていたのですが、この日は結局、小柴の虚言癖を引き出すことなく面談が終わってしまいました。
「時間みたいですね。申し訳ありませんでした。最後は関係ない話で時間を潰してしまって」
小柴は自身の腕時計を確認しながら「大丈夫ですよ」と言い、残っていたコーヒーをたいらげ、「ごちそうさまでした」と軽く頭を下げます。席を立たれる前に、面談の表向きの目的を果たせたことを申し合わせないといけません。
「それでは、前半部分で小柴さんがお話されたことはそのまま太田さんにお伝えしてもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ。照れくさいですけどね」
そう言う割に、小柴の顔は落ち着いていました。そのまま小柴は立ち上がり、「それでは」と頭を下げてくるので、私もお礼を言って頭を下げ返し、順番に診察室を出て待合室へ向かいます。受付に座っていた葉那さんもカウンターから出てきて、出口の前で一緒に挨拶を交わし、小柴はクリニックを後にしました。
その直後、私は太田さんに電話をし、残念ながら時間内では虚言癖の傾向は掴めなかったと、謝罪を込めた報告をします。太田さんは「そうでしたか」と寂しそうな声でしたが、すぐにお礼を言ってくださり、さらに「お支払いは約束通りに」とまで申し出てくださるので、それは丁重にお断りしました。面談の後半部分は私の責任で話が脱線し、成果を挙げられなかったわけですから、お金を頂くわけにはいきません。
電話を切った後も、私の胸には何とも言えないモヤモヤがしばらく残っていたのですが、それは単に依頼を遂行できなかった悔しさと、ただの心残りだと思っていました。そして小柴とは、これでまた定期的にお願いをする清掃会社の一社員と依頼主の関係に戻ったものと、完全にそう思っていたのです。
しかしそれは浅はかな考えでした。この日が小柴との戦いの始まりだったのです。