第一話 倭国と百済
若干解説多めです。
金光3年、西暦572年9月1日、百済で日食が観測された。
後に威徳王と呼ばれる、百済の国王・余昌は、若い頃から外敵とも勇敢に戦ってきたことで誉れの高い王であるが、今や即位してから19年、年齢も四十半ばを過ぎ、彼のカリスマ性も若い頃ほどでは、なくなってしまっていた。
百済で日食が観測されるのは、これが初めての事では、ない。
余昌が即位してから六年目の夏にも、日食が観測されている。
古代において、日食は不吉である、とされていた。13年前のその日、太子の頃から戦場で勇ましく戦っていた余昌も、さすがに弱気になってしまっていた。
何しろ、彼自身は、政治があまり好きでは、なかった。外敵が来れば躊躇することなく戦うが、政治というものには、あまり興味がない。第一、戦争をするのに、政治はいらない。中国では武官は文官よりも低く見られるというが、百済でも軍人たちがどこまで政治的なセンスを持っているのか、疑わしい。
前の国王である父親も、余昌に戦争での戦い方は教えたが、国の治め方は教えなかった。そうした中で即位したのだが、最初の方は「出家したい」とばかり言っていた。当時の百済では、仏教が盛んで、戦場に出向いてばかりいた余昌は「生・老・病・死」の四苦から逃れる道を説いているという、仏教に大きな関心を持っていたのである。
それでも、なんとか官僚たちの声を聴きながら国を治めていた中で、日食が起きたのが13年前だ。あの時は、なんとか求心力を高めようと隣国・新羅へ出撃したが、千人以上の死者を出して敗退してしまった。それ以来、余昌は戦争をせずに、内政に専念することとした。
にもかかわらず、天は13年間の余昌の努力を、評価しなかったようである。
再度の日食は、官僚たちに動揺を走らせ、百姓たちの間での王の権威も揺らぎ始めた。
この時、余昌も含め、まだ、彼らは知らなかった。余昌の治世は、まだまだ、あと20年以上も続くのだ、ということを。
「私の時代も、いよいよ終わりなのかなぁ。」
余昌は、側近にそう語りかけた。
「新羅や高句麗の動向が、気になりますね。」
側近も、余昌の言葉を、否定はしない。余昌の父である前の国王は高句麗軍に殺され、余昌は一緒に戦っていた倭国の兵士に助けられて命からがら戦場から逃げ出した。新羅とは13年前に戦って大敗したことは、前述のとおりである。
臣下も、国の未来は楽観したいものだが、余昌を勇気づけるだけの根拠は、残念ながら、どこにもなかったのだ。
「あと、親陳派の官僚が、今回の件は斎と手を組んだのが原因である、としきりに訴えております。」
「なんだ、斎に朝貢すると、天が怒って日食になった、とでもいうのか?」
「中国の正統な王朝は陳であり、斎の如き野蛮人の皇帝とは手を組むな、ということだそうです。」
朝貢とは、相手の国の君主を皇帝と認めて、服属することである。当時の中国は、西部を支配する周、南部を支配する陳、北部を支配する斎の、3つの国に大きく分かれていた。そして、この三つの国の君主が、それぞれ「皇帝」を名乗っていたのである。もっとも、モンゴル系の王朝である周は、中国風の名称である「皇帝」ではなく、「天王」という称号を名乗っていた時期もあったが、このころには他の中国の王朝と同じく「皇帝」を名乗るようになっている。
また、かつて存在した梁という国の生き残りも、しぶとく「皇帝」を名乗ってはいるが、実態は周の傀儡であるという。三国の中では、周がもっとも強い国であるとされているが、朝鮮半島南西部を支配する百済からすると、中国西部を支配する周とは、国交を結ぶことさえ、困難であった。それに、モンゴル族の人間が皇帝を名乗る国を、中国の正統な王朝と認めることができるのか、という問題もあった。
すると、残るは斎と陳であるが、このどちらの国を支持するか、を巡って百済の官僚たちは激しく対立した。中国では、正統な王朝は一つだけであり、「二つの中国」は決して認めない、という伝統的な考えがある。斎と陳の両方と国交を結ぶことは、不可能なのだ。
21世紀になっても、中南米やオセアニアの諸国では中華人民共和国と中華民国のどちらを国家承認するか、が大きな問題になることはあるが、この時代も事情は同じである。百済にとって、陳と斎のどちらを支持するのかは、重要問題なのだ。
何しろ、一度、相手の国の君主を皇帝を認めて、朝貢を行うと、今後、その国を百済は宗主国として崇め、この国の皇帝を「天子」として崇拝しなければならない。でなければ、最悪の場合、中国とは戦争になる。
百済は歴史的に陳とはつながりが深かったが、2年前、親斎派の官僚たちの意見を聞いて、余昌は斎に朝貢することとした。当時の百済にとって、最大の敵は満洲を拠点とする遊牧民族である女真族の国家で、朝鮮半島北部をも支配下に置いている高句麗だ。余昌の父親も高句麗に殺されたことは、既に述べた。
当時、斎には斛律光という、強い武将がいた。彼が戦争を指揮すると連戦連勝は確定、と言われていた。この、斛律光率いる斎の軍隊と手を組めば、憎き高句麗に勝利し親の仇を打てるかもしれない――余昌は、そう考えたのだ。
しかし、保守的な官僚たちの抵抗は、思いのほか、強かった。佐内という、大臣クラスの政治家からも、異論が出るぐらいだった。特に、激しく反対したのは、木刕文次という外務官僚であった。彼らの動きが、今回の日食による動揺を通じて活発になるのは、避けられなかった。
百済の貴族の家に産まれた木刕は、官僚たちや民衆からの支持も厚い政治家であった。外務官僚として才能を発揮し、現在は、大臣に相当する佐内という地位に就いている。もっとも、担当は外交ではなく、内法佐平――礼儀・儀式の担当であった。
だが、外務官僚時代に築いた情報網は、木刕の手元に活きていた。外務官僚時代、木刕は百済の諜報組織の整備を行った。当時の朝鮮半島では、諜報合戦が盛んであったからである。
木刕は、13年前、百済が新羅に負けた敗因は、その情報網の拙さにある、と分析した。
そこで、彼は百済に強力な諜報網を築くよう、全力を尽くしたのである。その過程で、新羅や高句麗のスパイの多くが摘発された。また、新羅や高句麗にも彼のスパイが入り込んだ。さらに、木刕は高句麗の背後にある、中国大陸の斎にも、スパイ網を築いていた。
木刕にとって、中国の正統な王朝は陳であり、百済の宗主国も、陳である。その陳の敵である斎は、百済の仮想敵国だ。おまけに、最近、斎と高句麗の仲が良くなっている、とのうわさもあった。念には念を入れよ、との言葉通り、木刕は百済のために、斎へスパイを送り込んだのである。
ところが、肝心の国王である余昌が、斎に接近してしまった。それでも、木刕は斎への情報網は残し続けた。彼は、斎を基本的に信じていなかったのだ。
そして、遂に、素晴らしい情報が入った。
「君、それは、本当かね?」
「木刕様、本当であります!我々のスパイが、今から2か月前に得た情報だそうです!」
外務官僚時代の部下が、喜びを隠せない、という顔で語った。
「これで、百済が斎に媚びる理由は、無くなったな。牙のない虎を恐れる訳には、行かない。」
そういうと、木刕は使用人に言った。
「今から、国王殿下に面会に行く!直ちに用意をしろ!」
余昌が宮殿で側近と会話をしていると、一人の秘書が駆け込んできた。
「王様!木刕様が、至急、王様のお目にかかりたい、ということです!」
それを聞くと、余昌は「やれやれ」という顔をした。
「ほら、早速、やってきたぞ?」
そう、側近の方を向いて苦笑いした後、秘書に言った。
「わかった、会おう。」
側近と秘書は、退室した。しばらくして、木刕が、部屋に入ってきた。
「王様、今、馬鹿な者どもが、日食を不吉な兆候であるととらえておりますが、これを信じてはなりませぬ。」
「ほう、木刕殿は、日食が吉兆である、とでもいうのかね?」
「吉か凶か、と言われれば、吉、でしょう。先ほど、素晴らしい情報が入ってきましたよ?」
「素晴らしい情報、とは?」
「斎の名将・斛律光が、粛清されました。二か月前のことです。」
金光3年(572年)7月、連戦連勝を誇った斎の武将・斛律光が、無実の罪で逮捕され、処刑された。皇帝の側近と対立していたことが原因の、でっち上げの容疑での死刑判決であった。
「斎の民衆は、高潔な武将であった彼の死を、悲しんでいます。もはや、斎の皇帝の言うことは信じられない、そういう声が国中に満ちている、ということです。」
若干の笑みを浮かべながら、木刕は落ち着いた声で、淡々と語る。
「なんということを・・・。皇帝は、乱心されたのか・・・。」
余昌は、唸った。斛律光は単に連勝の名将であるだけでなく、人格的にも素晴らしい武将であるとして、有名であった。その名声は、遠く朝鮮半島の百済へも届いていた。
「王様、これは、チャンスですぞ?」
木刕は、余昌に告げる。
「――もはや、斎は長くはありません。陳が中国を統一する日も、近いでしょう。我が国は、今のうちに、陳への朝貢を再開すべきです。」
「確かに、君のいう通りかも、知れない。」
「幸いにも、我が国は長い間、陳の朝貢国として友好な関係を保ってきました。再び、陳との好を回復することに、何の問題があるでしょうか?」
「君の言いたいことは、わかった。これまでの外交政策は、見直すこととしよう。」
「ありがとうございます。それでは、これで失礼します。」
そういうと、木刕は退室した。
宮殿の廊下を歩きながら、入り口に向かおうとすると、一人の青年とすれ違った。
「おお、君は日羅君ではないかね?」
日羅と呼ばれた青年は、振り向いた。
「これはこれは、木刕様とは気付かず、挨拶もせずに通り過ぎてしまい、申し訳ございません。」
そういうと、日羅は木刕に向かって、頭を下げた。
「いや、君、そこまで気を使わなくても、いいよ。君のお父さんは倭国の貴族と聞いたが?」
「はい。しかし、私も生まれたばかりの頃は倭国に住んでいましたが、幼い頃に父に連れられてこの国に住んでおります。ですから、私にとっての故郷は、倭国ではなく、百済であります。」
「そうか。それは頼もしい。だが、倭国もいい国だよ?私も若い頃は、倭国に行ったことがあるが、その時、君のお父さんともお会いしたよ。君が幼い頃に朝鮮半島にも来たようだが、結局、会う機会がないまま、彼は帰国してしまった。もし会えていたら、お互い若い頃の話でも使用に思ったのに、残念なことだ。」
「私も、倭国の人たちが訪れたら、よく彼らが私のところへやってくるのですが、確かに父の話を聴くと懐かしい気分になりますね。しかし、父は私に、『お前は百済のために尽くせ』と命じました。それ以来、私は父には合っていませんし、倭国に帰る気もありません。」
「それは、立派な心掛けだ。倭国のお父さんも喜んでいるだろう。ところで、君は何か宮殿に用事でもあるのかい?」
「はい。ちょっと、重要な話がありましたので・・・。」
「そうか、将来有望な君のことだから、きっと、大切な仕事を任されているのだろう。期待しているぞ?」
「ありがとうございます。」
そういうと、日羅は再び頭を下げて、宮殿の奥へと向かった。
「日羅、かぁ・・・。」
一人になった木刕は、呟いた。
日羅の父は、九州の肥後の領主であり、倭国の名門貴族である。
当時の倭国は、大和ではなく、九州が中心であった。天孫降臨と呼ばれる神話の時代から、九州王朝は成立した、と言われている。大和王朝――後に、日本列島の元首となる天皇家は、まだ、九州王朝の分家にすぎなかった。
百済・新羅・任那と言った朝鮮半島南部の諸国は、倭国=九州王朝に朝貢していた。その倭国も陳の朝貢国であったはずなので、倭国と百済の親陳派は仲が良かったはずであった。しかし、倭国は陳を表向きは正統な中国の政府であると認めつつ、正式な使者を送って中国に朝貢することは、なかった。
それどころか、倭国の王は自ら「天王」と称し、独自の年号を定めることになった。これが、後世「九州年号」といわれる年号の事である。517年のことだ。同じころ、中国ではモンゴル族が周を建国し、同じく「天王」を名乗っていたが、彼らはやがて中国式に皇帝を名乗るようになった。
倭も、周と同じく、天王を称することにより、中国に対抗しようとしているのでは、ないか――そんな、疑惑が百済の内部に流れた。同じころ、倭国の属国であった任那が新羅に、事実上滅ぼされたため、百済国内での親倭派の勢力は急速に衰えていた。
だが、倭の貴族の家に産まれた、日羅はその優秀な才能を認められ、百済国内で出世していった。木刕も彼の優秀さは認めており、彼を自分の派閥に引き込もうとしたが、日羅は派閥争いにはあまり関わりたくないようであった。
「敵につかなければいいのだが…。」
そう、呟いたあと、木刕は宮殿を後にした。
「要するに、君は、ここは慎重に動くべきだと、言いたいわけだね?」
「はい。陳は今、かなり政府が腐敗しているとの情報が入ってきています。ここで軽々しく動くと、国を亡ぼすかもしれません。」
日羅は、余昌に、陳への朝貢再開を思いとどまるよう、訴えていた。
「しかし、木刕は斎には未来がない、と言っていたが?」
「私も、そう思います。ですから、この混迷の時期、中国とは迂闊にかかわるべきでは、ないでしょう。」
「なるほど。わかった。――ところで、それは、君の意見かね?」
「はい。私がどこの派閥にも属していないことは、王様もご存知だと思いますが?」
「そうだったな。若いのに立派なことだ。」
「いえ、実は、そのことに関して、一つ、お願いがあります。」
「何かね?」
「様々な派閥の方が、私を引き抜こうと勧誘に来ます。しかし、私はそのような派閥抗争には、巻き込まれたくありません。――私に、出家の許可を頂けないでしょうか?」
余昌は、しばらくの間、黙り込んだ。
そして、言った。
「許す。」
そして、6年の月日がたった――
倭国の元首で九州王朝の王である斗玉天王は、仏教を篤く信仰していた。そこで、1か月のうち8日・14日・15日・23日・29日・30日の6日を「六斎日」と定め、国民にはこの日の殺生を禁止し、朝廷では仏教の経典の講義をさせることにしていた。
賢称3年(578年)2月14日、倭の多くの官僚が焼香の儀式を行う中、経典の解説が行われていた。斗玉天王は、滞りなく儀式が進む様子を見て、満足していた。ただ、惜しむらくは、一部の貴族・官僚が、この式典への出席を拒否したことであった。
「父上、喜んでください。出席率は、過半数を超えています!」
式典の終了後、皇太子が、天王に話しかける。
「だが、中には、仏法が神道を汚す、というものも、いるのだろう?」
天王は、悩むように言った。
「明日には、全員が参加してほしいのだが・・・。」
「父上、やはり神と仏では名前も違えば、働きも異なります。臣下が戸惑うのも、当然ではないでしょうか?」
すると、皇太子の弟である多利思北孤が口を開いた。。
「しかし、三分の一を超える官吏が陛下が主催する式典に参加しなかった、というのは由々しき事態です。このままでは、天王と朝廷の権威が揺らぐ恐れもあります。」
「弟よ、その心配はない。反対派の官吏も父上のことは尊敬しておられる。」
多利思北孤は皇太子とは兄弟であるといっても、母親が違うため、かなり年齢は離れていた。
「そうですか?兄上はいつも、楽観主義的なところがあり、私は不安になるのですが・・・。」
「心配することはない。では、私はまだ公務があるので。」
そう言って、皇太子は退室した。しばらくしてから、多利思北孤も部屋を出ると、外が騒がしかった。
多利思北孤は部屋の外に控えていた舎人に、何が起こったのかを聞いた。
「弟王様、皇太子殿下が暗殺されました!」
「え?」
「先ほど、門の近くで何者かに矢を射られたようですが、犯人はすぐに逃走し、いまだ捕まっておりません!」
「わかった。直ちに天王陛下に報告する。――それと、これは、恐らく、排仏派の仕業、だな?」
「恐らく、そうかと。」
「こういうこともあろうかと、排仏派のリストを作成しておいたのだ。今回の事件が排仏派によるテロであることが判明した以上、このリストも父上に見せなければ。」
登場人物の内、一名だけ、明らかに史実とは異なる設定になっていますが、彼は主要キャラクターではありませんので、歴史マニアの皆様は真面目に怒らずに、間違い探しのつもりでお楽しみください。
それ以外の方は、普通にお読みください。