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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
月に叢雲花に蟲
9/76

枕翻




 残暑、と呼ぶにはあまりに暑い夕暮れ。


 暦は九月に入り新学期が始まって最初の休日となった土曜日、その少年は市内の外れにある天之麻神社に足を運んでいた。

 その道のりは彼の家からは遠く、自転車を利用しても片道四十五分もかかる行程である。

 少年は神社にたどり着いた頃にはすっかり汗だくになり、鳥居を潜り石階段を登りきる頃にはすっかりほうほうの体となっていた。

 彼の年は十六。

 体力精力にみなぎった年頃であるはずなのだが、体には贅肉が至る所に付いて運動能力を著しく低下させている。

 暑さも手伝ってかひぃ、ふぅ、としばらく境内で息を荒げた後、少年は徐にゆっくりと神社を見渡してふー、と深く満足げに鼻を鳴らした。


 ――ここまで来た甲斐があった。

 感慨深げに辺りを見回して、少年は満足げに頷く。

 人気のない、境内。

 ほとんど手の入れられてない、古めかしい建物の数々。

 町の神社だと何かと改修されているからか、“こう”はいかない。

 それに、拝殿の奥の深い森。


 「うん。『彼女』のイメージにピッタリだ」


 少年は呟いてふふと笑い、背にしていたリュックサックからデジタルカメラを取り出して、やおらシャッターを切り始める。

 ピ、ピ、と幾度か電子音が境内に響き、それをツクツクボウシがかき消した。

 ひとしおシャッターを切り終えた少年は、やがて拝殿の前まで移動してポケットの中から小銭を取り出し、賽銭箱に放りなげる。

 それから、ガラガラと大きな鈴を鳴らし、ぱんぱんと手を打って一瞬何かを念じた。

 かと思えば、すぐに顔を上げてそそくさと社務所の方へ移動を再開したのであった。

 なんとも、せわしない行動である。


「すいませーん! だれか、いませんかー?」


 唯一、神域にあって現代的なアルミサッシが取り付けられた社務所の窓を開きながら、少年は大きな声を上げる。

 目当てはその窓の向こう側に置かれた、何も書かれていない絵馬だ。


「すいませーん、だれかー?」

「はい、なんでしょう?」


 返事は意外にも、彼の背から聞こえた。

 肩を跳ね上げて驚いた少年が慌てて振り向くと、いつの間にそこにいたのか、白と緋色の巫女装束を纏った、見覚えのある顔。

 勿論、少年が一方的に知っているだけであり、彼女の方からは少年が誰であるか認知はできないであろう。

 彼女は少年が通う高校の生徒であり、恐らくは全ての男子生徒の憧れの的であった為、“そういうの”には縁遠い少年でも良く知る顔であったのだ。

 巫女装束の少女――天之麻甘菜は、驚く少年の後ろで僅かに開いた社務所の窓を見てあ、と声をあげ、得心が行ったような表情を浮かべた。


「何か、入り用ですね? ちょっと、待っててください」

「はぁ、お願いします」


 伝えて、甘菜は竹箒を持ったまま社務所の裏手へと走り去ってゆく。

 少年はまさか、話には聞いていたがここがその学校のアイドルの家だったとは露程も知らず、密かな後悔を胸に抱いた。

 彼がここへ来た目的を、他人にはあまり知られたくは無かったからだ。

 まして同じ高校に通う女子、しかもアイドル的存在であれば尚更であろう。

 彼女が通う学校の、大概の男子生徒はこの天之麻神社こそが彼女の家だと把握はしている。

 が、早々と恋愛を諦めていた少年にとって甘菜は手の届きようのない存在であり、かえって興味がわかず情報を持ち合わせてはいなかった。

 それが仇となってしまった、と少年は考えるも、今更目的と結果が学校の者にバレでも特に問題はないか、と改めて考え後悔を振り払う。


 ――そうだ。

 恋愛をするつもりなど無いのだから、女子に何を思われようと関係ないじゃ、ないか。

 僕はやりたいことをやる。

 誰にも邪魔はできないさ。

 そう思いながら、少々気まずい状況に少年は己を鼓舞した。


 しかし。

 しかし、である。

 そんな風に考える少年であっても、性欲もあれば恋愛をしたいと思う気持ちはある種、誰よりも強い。

 ただその方向性が他の一般的な者たちとは違い、それはつまり男色でも女児愛好でも、ましてや熟女嗜好でもなく、つまりは。

 少年の愛は、いわゆる二次元の少女への愛へと向かっていたのであった。

 彼が慣れぬ運動をしてまで今日、此処へやって来たのも、現在彼が恋をしているキャラクターのテーマがひとえに『神社』であったからだ。

 やがて数分も経たぬ内に甘菜がガラリと社務所の中から窓を開け、居心地の悪そうにしている少年にて一つ頭を下げ、営業用の笑顔を浮かべた。


「はぁい、お待たせしました。何が入り用でしょうか?」

「あ、あの……絵馬、ください」

「はい、絵馬ですね。センエンになります。あ、マジックか筆ペン、貸しますよ?」

「じゃ、マジック……」

「はいどうぞ。……はい、千円戴きます。ありがとうございました」


 甘菜は少年に何も書かれてはいない絵馬とマジックを手渡し、ゆっくりと窓を閉めて社務所の奥へと引っ込んでいった。

 少年は視界から彼女の姿が消えたことに少し安堵して、徐に絵馬になにやら記入をしていく。

 内容は以下のようなものであった。

 『咲夜ちゃんは俺の嫁。アニメが二期三期と続きますように!』

 愛らしい少女のイラストと共に、書かれた文章である。

 咲夜ちゃん、というのは彼が今入れ込んでいるアニメキャラクターの名前であろう。

 咲夜ちゃんのイラストは会心の出来であるらしく、少年はしばしその笑顔に魅入った後、奉納すべく辺りを見渡した。

 程なく、境内の脇に茂っている神木の根元に質素な絵馬掛が設置されているのを見つけ、そそくさに移動しする。

 あまり参拝者がいないのか絵馬掛には殆ど絵馬がかけられておらず、少年は少し考えて真ん中の目立つ場所へかける事にした。

 そしてもう一度、背にしたリュックからカメラを取り出し、絵馬の近影と神木を含めた遠影を撮影。


 ――これで、ミッション完了。

 あとは家に帰って、ブログに画像をアップするだけだ。

 あ、それと。

 神社の境内で取った神秘的な写真には、昨夜書いた、咲夜ちゃんのイラストを重ねて一緒にアップしとかないとな。

 少年はそのように考えて、おもわずにやける頬を撫でてみる。

 それから、ブログに書き込まれる同好の士からの反響を想像し、心を弾ませて神木に背を向けた。

 と、同時に。


「あの」


 何時の間に社務所の外へ出て来ていたのか、目と鼻の先に彼の通う学校のアイドルが立っていた。

 先にも見た竹箒を手に目に鮮やかな朱色の緋袴に白衣といった、咲夜ちゃんのコスプレ――もとい、本物の出で立ちで。

 その姿は清廉として、一瞬ではあるが現実の女性には目もくれないはずの少年の視線をやはり支配した。


「マジック、レンタルなんで……」

「あ、ごめん、なさい」


 差し出された白い手に、少年はマジックを慌てて乗せた。

 その手に自分の手が触れないようにして。

 それからすぐに彼女に会釈し、気恥ずかしさから視線を逸らしながら境内を後にしようと早歩きで立ち去ろうとする。

 が、それも叶わずすぐに少年は少女に呼び止められた。


「まって!」


 声は少し不機嫌である。

 少年は何故か不安と不快感を胸に感じ、ゆっくりと後ろを振り返った。

 見ると、小走りに巫女服姿の同級生が駆け寄ってきている。

 さっきまで持っていた竹箒の代わりに、ついぞ先刻、奉納したばかりの自分の絵馬を抱えて。


「ね、きみ」

「え、あ……」

「これ、だめだよ」


 同級生は、そう言って絵馬を差し出した。

 少年はなんだか、自分と自分の大事な物を否定された気がして、つい声を荒げてしまう。


「べ、別にいいだろ! ぼ、俺が買ったもんだし! 絵ぐらい、書いたっていいじゃないか!」

「え? 違うわよ、そうじゃない」


 少年の剣幕に甘菜は片眉を上げて不機嫌そうな表情を少しだけ和らげた。

 一方、甘菜の意外な反応に少年も戸惑い、次いでバツの悪さを覚えて言葉を飲み込んでしまった。


「絵を描くのが悪いとか、そんなんじゃないわ。願掛けだもの、すきにしたらいいと思う」

「じゃ……」

「ここ、鍛冶や冶金の神様を祀っているの。この内容じゃ、成就しないわよ?」

「え? ……別にいいよ、それでも。それに神様だし、ちょっとくらい」

「こっちが良くないの。……ねえ、きみ。悪いこと言わないから、今からでもキチンとお参りし直して、撮った写真も消しときなさい?」

「な、なんでだよ?!」

「きみ、自分の部屋に靴も脱がずに他人が入ってきて、写真撮られたらイヤでしょ? しかも無茶な注文までされて」


 そこで二人の会話は途切れた。

 鎮守の森から聞こえるツクツクボウシの鳴き声は、狂ったかのようにけたたましく境内に響いている。

 少年は甘菜の言葉にうつむいて、ぐっと歯を噛んでいた。

 少々気が利かないところがあったが、決して腐ってはいない彼の心中では道理と感情が激しくせめぎ合っている。


「ね? ここで祀ってる神様、怒りっぽいし、下手すると祟られちゃうかもしれないよ? 参拝方法わからないなら、教えてあげるからさ。写真消して、やりなおそうよ」


 その言葉は、少年の天秤を一気に感情側に傾けさせる。

 教えて“あげる”というフレーズと、子供を諭すような口調がバカにされたように感じて、激しくプライドが刺激されたからだ。


「あ、ちょっと!」


 気が付くと少年は、差し出された甘菜の手から絵馬を乱暴にもぎ取り、そのまま境内の外へと駆け出していた。

 その背に、甘菜は焦ったような制止の声がかけたのだが、少年は最後まで振り返ることはなかった。

 そして、残暑を告げる蝉の鳴き声だけが神域に響くのである。



 ――くそ、くそ、くそ!

 口から漏れる呪詛は、あの美しい同級生へと向けられていた。

 暗い部屋の中、少年は床にあぐらをかいてひたすらに指を動かし続ける。

 見詰めるその先は小さめの液晶モニターがあった。

 その下には、天之麻神社から持ち帰った絵馬が飾られ、少年が書いた『咲夜ちゃん』がニッコリと笑っている。

 モニターに映し出されているのは、細く半裸の少女が身の丈もある大剣を振り回し、迫り来る大量のモンスターをなぎ払っている姿。

 つまり、TVゲームである。


 昼間の出来事は未だ少年を苛つかせ、気分転換にと最近発売したばかりのアクションゲームへ彼を駆り立てていた。

 キャラクターを操るコントローラーを握る手は、まるで別の生き物のように動き、それに呼応して画面の少女はめまぐるしく動き回る。

 それは才能であるのか。

 少年はゲーム全般が非常に得意で、発売したばかりのソレも既に極めていた。

 画面の中の異形の敵は、あらゆる攻撃を繰り出してきて。

 しかし、少年の操る少女にはただの一撃すら、与えられずに屠られていく。

 その集中力は一種、剣客の達人のようである。

 だからか、少年に最初の異変が権限するには時間を要した。


 それは少年がゲームの中で圧倒的な強さを発揮し、数時間後での事。

 何度目かの最難関ステージに到達した時か。

 画面の中の少女は、異形の敵がはき出した炎を見切れずに掠めるようなダメージを負ってしまった。

 それによって興が削がれた少年は、その日はそこでゲームを終了したのであるが。


「痛っ、……?」


 同時に二の腕に噸痛が走り、少年は首を傾げた。

 はて、と痛みの元をみれば、そこは小さく赤く腫れ、まるでやけどをしたかのような痛みが広がり始めたのである。


「痛……なんだ、これ。今日神社に行ったときに、虫にでも刺された? ……くそ、ほんとツいてねえな」


 独りごちて、少年は家にあった軟膏を塗り、その日は早々に寝ることにした。

 ――翌日。

 ブログに先日とった写真と、昨夜ちゃんの合成イラスト、そしてWebスラングが入り乱れた“報告”を書き込んだ後である。

 少年は再び昨夜やっていたアクションゲームを楽しむ事にした。

 モニターの下の台では、変わらず『咲夜ちゃん』がニッコリと笑っている。

 少年は自分が描いたその笑顔に顔をほころばせながら、未だ高価な最新型のゲーム機を起動させた。

 中に入っているゲームは発売日の三日後にクリアしていたが、中々にやり込み要素が多く、『隠しステージ』などもいくつかある仕様である。

 その日取りかかった隠しステージはチャレンジ型で、ダンジョンの奥へと進むにつれ敵が無制限に強くなっていくという物であった。

 ステージ終了の条件は、一定の距離を進むと出現するボスモンスターの撃破。

 その時に更に奥へ進むか、それともそこでステージの外へ出るかを選べる仕組みである。


 プログラムである以上、敵の強さは最終的には頭打ちしてしまう仕様ではあったが、その強さは全国で話題となるほどであった。

 なにせ、敵が最も強くなった状態でのボス攻略を為し得たプレイヤーは、未だ出現しては居ないのだ。

 当然、これをクリアきればインターネット上で有名になり、彼は全国のゲーマーから賞賛されるであろう。

 少年はブログの反響をチェックしながらも、その光景を想像して早速ステージの攻略を始め、しばらくは鼻歌まじりに敵をなぎ倒していた。

 画面の中の少女は華麗に舞い、かつ縦横に大剣を振り回して醜い敵をあれよと屠ってゆく。

 そんな調子でゲームを進め、その内最初のボスモンスターが出現し、少年はこれを難なく撃破した。

 数秒後、画面に出現する奥へと進みますか? という問いかけに少年は『YES』を選択する。


 十分後。

 再び同じ問いかけの画面へたどり着き、少年はそこでも『YES』と選択した。

 二十分後。

 敵は結構強くなっていたが、達人の域である少年が操る少女には、ダメージを負わせることができない。

 それはボスモンスターも同じであり、やはり無傷でこれを撃破して、少年はその後も何度か『YES』を選択した。

 画面の中の少女はもうダンジョンのかなり奥までやって来ている。

 敵の攻撃も、ザコのものですら強力な代物となっていた。

 慣れぬ物がプレイしたとして、数秒も経たずにゲームオーバーとなるであろう苛烈さだ。

 しかし少年はそれでもかなり余裕があるらしく、脇にノートパソコンを置いて先程からブログに書き込まれたコメントを眺めていた。

 コメントは少年と同じ、アニメの同好の士からで少年が書いたイラストへの賞賛がいくつも並んでいる。

 ――これがあるから、ネットはやめられない。

 そうにやけて、少年は何度目かのWebブラウザの更新ボタンをクリックしようとした時である。

 あぐらをかいた足に、激痛が走った。


「う、うわあ!?」


 思わず悲鳴を上げ、痛みの発信源である脛を見る。

 脛は何か鞭のようなものに強打されたような痕が浮かび上がり、じんじんと痛み続けていた。


「な、なんだあああ?!」


 混乱し、なぜそうなったかを考えている間に、再び激痛が走る。

 今度は背中。


「あ――! ぐ、ど、どういう……」


 部屋でのたうち回りながら、少年はある物に目を奪われた。

 ソレは、ゲーム画面が映る、モニターの向こう。

 さっきまで少年が操っていた少女のステータス画面に、体の何処にダメージが受けたのかが表示されていた。

 それは、“偶然”にも少年が痛みを感じた場所と同じ体の部位を示していて――瞬間、脳裏に走る昨夜の火傷のような傷の記憶。

 ――まさ、か!

 驚き尚も混乱する少年の眼前で、敵の吐いた火球が少女の左肩にヒットする。


「うが!!」


 焼けるような痛みが少年の左肩に広がる。


「う、うそだろ!?」


 少年は激痛に耐えながらも、急いで放り出していたゲーム機のコントローラーに飛びつき、慌てて指を動かし始めた。

 それから、半信半疑で回復アイテムを使用する。

 不安と悪い予感は見事に的中し、画面の中の少女と連動して少年の体中から痛みが引いていった。


「なん、なんなんだよ、これ……」


 答える者はいない。

 かわりに、なぜか冷静になってきた彼の頭脳は、絶望的な状況を認識した。

 今やっているステージは終わりがない、チャレンジ型だ。

 しかも奥へ行く程に敵は強くなる。

 唯一、ゲームをやめられるタイミングは、一定間隔で配置されたボスモンスターを倒すことのみ。

 ……幸い敵はまだ、裁ける強さだ。

 少年は心を落ち着かせようと、一端ゲームを一時中断させようとした。

 だが。

 いつの間にか、ゲームは一時中断がきなくなっていた。

 画面では敵が容赦なく迫ってくる。


「くそ、一体どうなって……痛!」


 焦りは操作ミスを生み、画面の中の少女は敵の鋭い爪でその腕を引っ掻かれてしまう。

 同時に、少年のコントローラーを持つ二の腕に三筋、パックリと何かに引っかかれたような傷が浮かび上がり血が滴り始めた。

 慌てた少年はもう一度、回復アイテムを使用する。

 すると、やはり先程と同じように傷口は綺麗に消えていくのであった。


「くそ、くそ、くそ! い、一体どうなってるてんだ! 畜生!」


 絶望と恐怖はあっという間に少年の体に広がった。

 ――なんでだ?! なんで、“こう”なった?!

 必死に画面に現れる敵を屠りながら、少年は考え続ける。

 そして思い出す、先日の気まずい出来事と、同級生の言葉。


 ――ここで祀ってる神様、怒りっぽいし、祟られちゃうよ?


「まさか!」


 思わず口を突いて出た、言葉。

 ――まさか、まさか、まさか!? そんな馬鹿な!

 祟りなんて!!

 少年は冷たい汗でぐっしょりと衣服を濡らしつつ、不意に浮かんだ非現実的な心当たりを否定し続けた。

 敵の攻撃の合間を縫い、比較的敵に見つかりにくい位置に操作キャラクターを移動させ、隙を見て電源ボタンに手を伸ばす。

 パチパチと音がするものの、画面にはなんの反応も無い。

 電源が、切れなかった。


「なんで、なんでなんでなんで! なんでだよ! さっきから主電源を切ってるだろ!」


 コンセントも引き抜いてみたが、やはり電源は落ちない。

 液晶モニタも同様である。

 少年は一定激しい混乱に見舞われながら、時折操作キャラクターを発見し襲いかかって来るモンスターをいなしつつ、必死に思考を巡らせた。

 それからすぐにはっとして、最後の希望を発見するのである。

 その先にいる、ボスを倒せば……ゲームを終えられる事に思い至ったのだ。

 幸い敵の強さはまだ、何とかなる。

 ちいさな、最後の希望は不安を伴いつつも、少年に冷静さを取り戻させた。

 やがて出現する、巨大なボスモンスター。

 攻撃は苛烈で、容赦無く少年を襲った。

 少年は希望を胸に、液晶モニターの前で画面の中の少女と同じく全身に傷を負い、血まみれになりながらも遂に強大な敵を倒す。


「やった! これで解放される!」


 少年は喜び、使う暇もなかった回復アイテムをすべて使用し、全身に負った傷を消した。

 そして数秒後、ボスモンスターを倒したファンファーレは停止して、待ちに待った選択肢が出現する。

 ただし、ダンジョンの奥へと進みますか? という問いかけに、『NO』という選択肢――地獄からの出口はそこになかった。

 絶望のあまり、少年は視界を揺らがせる。

 選択肢の下ではプレイ時間水増し対策であるのかカウントダウンが始まっており、何もしなくても十秒も経たぬ内に現在選択している項目が選ばれるようになっていた。

 程なく、先程よりも熾烈な地獄が始まるだろう。

 ゲームコントローラーを握りしめ、少年はとうとう悲鳴を上げ助けを求めた。

 最中、ふと目に入ったモニターの下の台では、『咲夜ちゃん』が変わらずそこで、しかしニタリと笑っていて少年に確信をもたらすのである。

 すなわち、これは祟りなのだ、と。



 某市立病院。


 四階の病室にて、吉田ヨシオという少年は昏々と眠り続けていた。

 側には彼の母親が心配そうにその寝顔を見詰めている。

 少年は、通う学校の新学期が始まって最初の休日となった土曜日の夜から、ずっと眠り続けていたのだった。

 その日は丁度一週間が経った、日曜日である。

 吉田少年は交友関係が狭く、入院した最初の日に幾人かの友人が見舞いに訪れたきりで、以後今日まではもっぱら母親が主な見舞いの客となっていた。

 そんな彼の部屋に珍しくもノックの音が転がる。

 吉田少年の母親はノックにはい、と返事をして部屋の主の代わりに入室の許可を与えた。

 果たして、ノックの主は検診にやって来た看護婦ではなく、吉田少年の同級生……臼木陣太郎であった。


「あなた、は……ヨシオのクラスの子?」

「あ、いえ。吉田くんのクラスの、隣のクラスです。臼木と申します。お見舞いにきました」

「まあ、わざわざ、ありがとう」


 母親はそう言って頭を下げて見せ、陣太郎が持参した小さな果物の盛り籠を受け取る。

 笑顔は柔和で非常に嬉しそうであった。

 対照的に、見舞いに来たはずの臼木陣太郎の表情は笑みを浮かべているもののやや硬い。

 それもそのはず、吉田少年と陣太郎の間には熱い友情おろか面識すら無かったからだ。

 ――くそ、なんで俺が。

 陣太郎は笑顔で籠を同級生の母親に渡しつつも、内心では小間使いを頼んできた幼なじみへ毒を吐いた。

 しかし、その毒は彼の脳内で威圧的に笑う彼女へは届かず、それどころか女帝のようにすら感じられる幼なじみはこれからすべき事を命令し始める。


 ――いい? 臼木くん。

 吉田くんに祟ってるのは、恐らくは“枕翻”(マクラカエシ)ね。

 妖怪のイメージが強いけど、元は神域に在る神木なんかの“荒魂”で。

 これに祟られると、夢の世界から帰ってはこれなくなるのよ。

 古来からこの世は常世と常闇に分けられているって考えがあって。

 常闇は早い話、あの世って意味で、これは夢の世界にも通じてるの。

 ほら、亡くなったおじいちゃんとかと夢の中で逢えたりするじゃない?

 昔の人はそういう夢を見て、常闇と繋がっていると考えたのよ、きっと。

 枕はその境目を象徴してて、これを寝ているときにひっくり返されると夢の中……つまり常闇からこの世である常世に帰ってこれなくなるってわけ。

 実際に枕をひっくり返されたワケじゃなくて荒魂の神威だけど、ま、そのあたりは気にしなくても良いわ。

 とりあえず、ヨシガくん、もう一週間寝込んでるらしいし――え? ヨシダ? ヨシダだっけ? んー、どっちでもいいわよ。

 と、も、か、く、彼、結構寝込んでるからそろそろ荒魂の気も晴れてきているはず。

 “枕翻”(マクラカエシ)の神威なら、枕をもう一度ひっくり返せば多分起きると思うから。

 このままほっとくのも気が引けるじゃない?

 で、臼木くん。

 きみ、私に引け目、あるよね?

 ん? んー?

 あ、そうそう。これ、不運を払い幸運を呼び込む霊験あらたかな当神社謹製のお守りなんだけどさー、この、いっちゃん高い奴なんてヨシダくんの枕に差し込んであげると効果覿面なんじゃないかなーって思うんだぁ。

 えっ?! いやいやいや、勿論無くてもイケる、とは思うけど……ねぇ?

 ……あの雑誌、結局読めなくなっちゃったページ、多かったんだよねぇ。

 奇しくもこのお守り、あの雑誌と同じ値段なんだけど……。

 だから、ね? 臼木くん。

 きみ、私に引け目、あるよね?

 わかるでしょう?

 そういうわけで、あとはよろしくぅ。


 風の噂に奇妙な事で入院してしまった同級生の病状を聞いた甘菜が、その心当たりを思い出し、得意げに陣太郎に語ったのは昨日の事である。

 陣太郎は珍妙な儀式を押しつけてきた彼女の顔を思い出して、口をとがらせた。

 ――なんで俺がこんなことをしに病院に行かなきゃなんねぇんだよ。くそ。

 いくらこの前の雑誌の件があるからってさ……

 自転車で片道2時間とか、バッカじゃねえの?

 バス使おうにも、小遣い残ってねぇし。

 くそ、絶対“ついで”に頼まれた制汗スプレーは買わねぇかんな。


「あの……お母さん?」

「はい」

「吉田くんの枕、ちょっと抜いてもいいですか?」

「はい?」

「これ、お守りを買ってきたんです。体の悪い所に置くと結構効くって噂を聞いて……これを吉田くんの枕に差し込ませてください」

「まぁ……ええ、いいわ。ありがとうね、臼木くん」


 陣太郎はそう言って、甘菜に半ば無理矢理買わされたお守りを取り出し、昏々と眠り続ける少年の枕を一端引き抜いて、カバーの中へ差し込んだ。

 それからさりげなく枕をひっくり返し、再び彼の頭の下へ設置してやる。

 これでその内目が覚めるはずだ。

 ……彼が目覚めぬ理由が、甘菜の予想通りの祟りであれば、だが。

 程なく、彼は一週間ぶりに目を覚ますこととなる。


 目を覚ました少年は、それから間を置かずブログを閉鎖し、しばらくは決してゲーム機に近寄ろうとはしなかった。





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