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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
月に叢雲花に蟲
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雷獣




 雷鳴と稲光を伴って、雨は激しくそして唐突に降り始めた。


 陣太郎は運悪く夕立に遭遇してしまい、急いで目に入ったスーパーへと逃げ込んでいた。

 某市唯一のレンタルDVD店から、借りていたDVDを返却した帰り道である。

 スーパーの大きな庇のある駐輪場に自転車を停め、店内を覗くとそこには人がギッシリと詰まっていた。

 時刻は夕方の五時。

 丁度タイムセールを行っているのか客は主婦が多く、幾つかあるレジにはすべて長蛇の列がうねって見えた。

 左目に白い眼帯をして、肩にギターバッグの吊りベルトを引っかけていた陣太郎は、それを見て中に入る気があっという間に削がれてしまった。

 かといって、折角雨宿りの為に寄った場所を離れる気にもなれない。

 そこで陣太郎は、自転車の駐輪場と外売り場が兼用されている、大きな庇の下で雨宿りをする事に決め込み恨めしそうに黒い空を見上げた。


 空からは大粒の雨粒が降り注ぎ、バチバチと音を立てて灼けたアスファルトの駐車場を打ち、みるまに水溜まりを作り出してゆく。

 そんな、涼しげな情景見ている内に陣太郎は喉の渇きを覚え、徐にポケットから小銭を取り出して、近くに設置されていた自動販売機からお茶が入ったペットボトルを買う事にした。

 ガコン、と音をたてて取り出し口に落ちてきたそれはよく冷え、体内に篭もる熱を冷やすには最適な代物だ。

 冷えたお茶を取り上げ、その場でパキリとペットボトルのキャップを回し、一息に冷えたそれを喉に流し込んだところで、陣太郎はふと。

 つい、なんとなく、何時の間にか隣にいた女の子と目を合わせてしまった。

 見た目は小学校低学年位の少女は、陣太郎と同じく雨宿りをしているのか、はたまた店の中で買い物をしている母親をまっているのか。

 とにかく、少女はそこに居たのだ。

 女の子は恐らくは後者なのだろう、店内には連れては入れぬ大きなネコ程の生き物を抱きかかえ、目があった陣太郎にニコリと微笑む。


「あのね、このこ、ポコちゃん」


 少女は人懐っこく笑いながら、聞いてもいないその生き物の名前を得意げに陣太郎に伝えてきた。

 生き物は一目で犬でも、ネコでもないと分かる姿であり、どちらかと言えばフェレットやアライグマに似た風貌であろうか。


「……かわいいね。なんて生き物?」

「んとね、ハクビシってママが言ってた」

「ハクビ……ああ、ハクビシンか。珍しいね、お兄さん初めて見たよ」

「えへへ、いいでしょー! 一昨日ね、カツマタで買って貰ったの! ねー、ぽーこちゃん!」


 ――まて。

 それはどう考えても狸の名前だろ。

 というか、女の子がポコポコと口にするのは、なんだか、危険な響きがする。

 陣太郎の脳内にいくつかのツッコミの台詞が浮かんだが、流石にいたいけな少女に無粋を働く程空気が読めないわけでもない。

 だから陣太郎はよかったね、とだけ口にした。


「まだ、カツマタにはいっぱい、いるよ! お兄ちゃんも買っておいでよ!」

「そうだね、考えてみるよ」


 カツマタ、と言うのは市内でいくつかあるペットショップの名前であり、陣太郎も利用したことは無かったが名前だけは知っていた。

 記憶が正しいならば、市内で最も大きな駅から二本ほど下った駅前の、寂れた商店街の一角にそのような名前のペットショップがあったはずだ。

 勿論、陣太郎はハクビシンをペットにする気などは更々無い。

 条件付きでの肯定は、ただ少女に合わせて応えていただけである。


 ――陣太郎は知らない。

 この時のやり取りは彼の記憶に永らく焼き付き、その狸のような、イタチのような生き物の姿をしばらくは忘れられなくなる事に。

 この後すぐに会話は雷鳴によって断ち切られ、夕立はますます勢いをまして荒々しく天から恵みの雨を大地に注いだ。

 陣太郎は途絶えてしまった少女との会話など意識の外に置いて、何か時間を潰せることはないかと思考を巡らせ、手にしたペットボトルを口に運ぶ。

 程なく、彼は肩にかけたギターバッグの重みにふと、つい先日、何年ぶりかにまともな会話を交わした幼馴染みとの会話を思い出すのであった。



 天之麻家は千年以上の歴史を持つ、非常に古い家柄である。

 嘘か誠か、その昔は鍛冶を司る一族として名を馳せ非常に優れた鍛冶技術を有していたと伝えられていた。

 ある時。

 跡継ぎが無く、困り果てていた鍛冶師の元に、独りの若い男が弟子入りを希望してやって来た。

 めでたく鍛冶師の弟子となった男は、みるみるうちに上達し、やがて一人前となったのだが。

 この鍛冶師の美しい一人娘に恋心を抱き、嫁に欲しいと師に懇願するに至る。

 師は言う。

 一晩で刀百振り打って見せよと。

 男は師の言葉を疑わず、躊躇無くそれを実行した。


 やがて夜空が白む頃。

 夜通し鋼を打つ音を響かせていた男の様子を見に来た鍛冶師は、覗いてはならぬと釘を刺されていた鍛冶場を覗き、男の正体を知ることとなる。

 ――男は、一つ目の鬼であった。

 玄翁を振り上げ、鬼気迫る表情で刀を打つその姿は恐ろしく、人のそれではない。

 鍛冶師はそんな男の姿に恐怖を抱いて、何とか娘を守らんとその場で鶏の鳴き真似をした。

 男はその鳴き声に朝が来た物と勘違いをして、悲嘆に暮れ、疲労かはたまた絶望か、その場に倒れ込みそのまま絶命してしまった。

 その時、男が打ち後は銘を入れるばかりの刀は丁度百本目。

 男の遺体を前に鍛冶師は改めて考えて、人ならざる弟子の誠実な在り様に思い至り、死んだ男が急に不憫に想えて彼を祀る祠を鍛冶場の側に立ててやることにした。


 それが、天之麻神社の成り立ちである。

 幼なじみから改めて聞かされたその話は、実の所特に珍しい伝承ではない。

 一つ目の鬼の鍛冶の伝説は日本全国に散らばる、割とポピュラーな“お伽話”なのだ。

 だが、天之麻家に伝わる伝承はそこでは終わりではなかった。


 祀られた鬼は“荒魂”となり、その後鍛冶師の家を祟ったのだ。

 以来、鍛冶師の家は女児しか生まれぬようになり、その姫と契る男子あらば。

 百振りの刀に因み、忽ち魑魅魍魎が現れこれを喰い殺すと伝えられ、事実多くの男が命を落としたと伝承にあった。

 困り果てた天之麻家の者は、知恵を方々に求め、やがて如何なる経緯を経たのか陣太郎の家――臼木家が選ばれた。

 勇壮だが貧しく身分も低かったその武家は、祟り成す百振りの刀の怨念をその男子に引き受ける事を命じられ、家の存続と引き替えに文字通り命を捧げる。

 選ばれた男子は形式上は天之麻家の許嫁として扱われ、やがて年頃となった姫と初夜を契る事を許され、仮初めの夫となる。

 そして翌日の朝、“祟り刀”を一本持たされて海へと独り送り出されるのだ。

 帰還することは決して許されぬ、死出の旅である。

 この儀式を行うと、その代の姫は以後祟られなくなり、第二子からは普通に男児が生まれるようになった。

 ただし。

 この男児がやがて天之麻家を継ぐとやはりその子は必ず姫が生まれ、儀式が執り行われるのである。

 どうやってこの方法を見つけ出したのかまでは定かではないが、この忌まわしい儀式は百本の“祟り刀”が無くなるまで続けられた。


 故に。

 伝承が絶えてしまっていた陣太郎の家、臼木家は未だ天之麻神社の側にあって、幕末から明治の初めまでこの儀式は続けられていたようだ。

 そんな、先日幼なじみから聞かされた少々物騒なお伽話を、陣太郎は思い起こして背にある重いギターバッグを担ぎ直す。

 中に入っているのは何の因果か臼木家に戻ってきた、百本の“祟り刀”最後の一振り『鬼目一“蜈蚣”(オニノマヒトツ・ムカデ)』である。

 どういうわけか最後の生け贄として“祟り刀”を手に海へ漕ぎ出した陣太郎のご先祖様は、アメリカの地を踏みそこで子を成していたらしい。

 更に運が悪いのか、あるいは最も強い念が込められた最後の一振りであるためか、時を経て“祟り刀”は臼木家……否、天之麻家に戻ってくる。


「きっと、この刀に込められた“荒魂”がそれだけ凄まじいものだったのね」


 そう、背にしたギターバッグの中にある刀を見て幼なじみは言った。

 ――迷惑な話だ。

 陣太郎はやり場のない怒りを感じ、左目にした眼帯の奥をすこし疼いた気がした。

 現代の天之麻家の姫である幼馴染みの見立てでは、いまだその怨念は強く、晴れてはいないとの事。

 しかしそれまでに祟った人の数が膨大であるため、とりあえずは陣太郎自身がいきなり喰われることもないようだ。


「多分これ、相当数の命を“祟ってる”はずよ。そうでないと、臼木くんは刀を抜いた瞬間に百足によって喰い殺されているはずだもの」


 さらりと恐ろしいことを口にした幼馴染みの美しい顔を思い出し、陣太郎は思わず顔を引きつらせてしまう。

 幸い先日斬った蛇の荒魂が百足にとっては好物であったらしく、しばらくは“和魂”として大人しくしているだろうと彼女は付け足した事が唯一の救いか。

 ただし、一度鞘から抜き放てば忽ち荒魂となり、祟りをまき散らして贄が足りなければその場で陣太郎は百足に喰い殺されるとの条件が付与されていた為、気が休まるかどうかは微妙な所であろう。

 高校生になったばかりの、平凡以下である陣太郎にとって何とも物騒極まりない話である。

 ついぞ数日前までの彼ならばオカルトと断定して、その話を一笑に伏していただろう。

 だが、恐ろしい祟りの当事者となってしまっていた今、とてもではないがその話を疑うことなどできようはずもなかった。


 何より、あの夜。

 彼は確かに、見たのだ。

 大蛇の形を。

 百足の形を。

 祟りとして顕現した、荒魂の神威の形を。

 その形を思い出し、身震いをした時である。

 雷鳴が三度轟き、陣太郎ははっと我に返った。

 思考に耽るあまり、結構な時間を惚けていたらしい。

 側にいた女の子の姿は既に無く、手にしたペットボトルのお茶は水滴をまとわりつかせ、大分ぬるくなっていた。

 町の外れの、さらに外れにある彼の家までは雨宿りをしていたスーパーから自転車で十五分はかかるが、雨勢は大分弱くなっており、夏ということもあり陣太郎はそのまま濡れて帰ることにした。


「これくらいの雨なら、大丈夫だろ」


 呟いて、陣太郎は停めてあった自転車に跨がり、必死にペダルを漕ぎ始める。

 そして、四度目の雷鳴。

 轟音と光は近く、陣太郎は思わずわっと声を上げた。

 雷はどうやら陣太郎のいる位置から家の方角、数百メートル先に落ちたらしい。

 遠く、しかし近くに落雷によって何かが破壊されたのか、薄く煙が立ち上り始めている。

 それを見て陣太郎は弱く雨にうたれながらも、野次馬根性が湧き出てきてしまい、落雷の現場に急行する事にしたのだった。

 その行為は後に、贄となった少年を深く後悔させる事となる。



「で、なんでこうなっちゃったの? 臼木くん?」


 天之麻神社は社務所にて。

 巫女服のままはしたなく足を組み椅子に腰掛け、水が滴り落ちるファッション誌を摘みあげながら、天之麻甘菜はじっとりとずぶ濡れの陣太郎を睨む。

 小遣いを手渡し“町”に出るついでに買ってくるよう頼んでおいた品が、勢いが弱まったとは言え雨の中陣太郎が移動したために台無しになっていたからだ。

 ファッション雑誌というものは縁の無い者にとって、意外に思える程値段が高い。

 得に、女性用のものは。

 彼女の静かな怒りは当然と言えるだろう。


「ごめん、その、途中までは無事だったんだ。濡れねーように懐にいれてたし。でも、妙なもんみちまってさ。つい、その場で惚けちまって」

「妙なもの?」

「天之麻さん、ハクビシンってネズミというか、イタチみたいなの、知ってる?」


 質問に対し質問で返されて、甘菜は不機嫌にうなずく。

 二人はあの夜の一件から、かつての関係にある程度は戻りはしたものの、未だ名字で呼び合う微妙な距離感があった。

 それでも顔を合わせれば短く言葉を交わすようになり、どちらかが町へ行く用がある時は使いを頼んだりする回数も増えつつあった。

 正確には、主に陣太郎が頼まれるだけの、一方通行ではあるが。

 いまだ友達とすら言えぬような気安くはない関係であったが、それでもお互いの家の宿業を共に体験した二人は。

 果たして、奇妙な連帯感を共有しこうやって心の距離を空けつつも、表面上は言葉を交わすようになっていた。


「帰りがけにさ、雨宿りしたスーパーで、それを抱いた女の子が居て。で、考え事してたらいつの間にか居なくなってて」

「……私、臼木くんの幼女観察報告なんて興味ないんだけど?」

「いや、いやいやいや、こっから! でな、そのハクビシンってのがポコちゃんって名前でさ」

「……狸じゃあるまいし」

「でな? 帰りがけに落雷があってさ。それが、偶然にもカツマタの店の人が乗った車に落ちてて」

「あー、あの、評判悪いペットショップの?」

「そうなの?」


 陣太郎の問いに甘菜は不機嫌な表情のまま、コクリとうなずいた。


「噂だけどね、いつも適当に動物仕入れて、売れないと保健所に持ち込むって噂よ」

「ひっで」

「ま、バチでも当たったんでしょうね」

「そこそこ! 車に乗ってたおっさんは無事っぽかったんだけど、車が大破しててさ」

「む?」

「その車は、なんか動物を運ぶ途中だったらしくて」

「……で?」

「横転した車から、ハクビシンが大量に逃げ出してたんだ」


 微妙なオチである。

 甘菜は珍しい出来事とは言え、得意げに話す陣太郎にどういう反応を示すべきか、苦悩を始めてしまった。

 目の前の濡れ鼠に気を遣う必要はないだろうが、反応に困る話をされるとつい、どうにかして納得のいく反応をしたくなるのは甘菜自身も自覚する彼女の欠点である。

 真面目な性格というべきか、はたまた頑固と表現すべきか。

 かといって、長々と思考すべき話題でも愛想を振りまかねばならぬ相手でもない。

 一瞬だけ考えて、彼女が出した答えは保留に近い、極めて事務的な反応であった。


「ふぅん?」


 ――あ、この顔。

 心底、バカだと見下した奴に合わせてやってる、って感じのこの顔。

 陣太郎は昔取った杵柄か、幼馴染みの心情を正確に把握して、ほくそ笑む。

 なにしろ、この後に続く話こそが真のオチであるからだ。


「で、ここからなんだが、その現場にはポコちゃんを抱いた女の子が居てさ」

「うん」

「傘も差さずに立っていたんだけど、徐に抱いていたポコちゃんが俺の方を向いてしゃべったんだ」

「はぁ?」

「なんて言ったと思う? 『小僧、お前のソレ、おっかないが旨そうだな』だってよ。俺、ビックリしてさあ」

「……それで?」


 陣太郎の話は、果たして気むずかしい甘菜の興味を著しく引いたようであった。

 その様子に陣太郎はさらに気を良くして、得意げに話を続ける。


「で、驚いてると、もう一度今度は俺の目の前で雷が落ちて。まあ、この通り無事だったんだけどさ」

「……その女の子とポコちゃんが消えた、と?」

「そそ! あま、天之麻さん、よくわかったな!」

「分かったも何も……そのポコちゃん、ううん、女の子も多分『雷獣』よ。はぁ、あんた、早速祟りが出てきてるわね」


 意外にも。

 甘菜は話に驚くどころか、この世の不幸を背負ったかのようにはぁあ、と深く濃く、ため息をついた。

 陣太郎はそんな彼女に首をかしげつつも、少しむきになってしまう。


「ほえ? ハクビシンだぞ? 中国とか、東南アジアからの輸入ペットじゃん。外来種ってやつだろ」

「知ってる? 臼木くん。ハクビシンってね、昔から日本にいるのよ? 主に、四国地方にね」

「嘘?! マジ? へぇ、知らなかったわ、それ」

「へぇ、じゃない!」


 暢気な陣太郎の反応に、甘菜はうがと声を荒げた。


「あんた、鬼目一“蜈蚣”を濡らしちゃったんでしょ?!」

「あー、うん。天之麻さんがなるべく持ち歩けて言ったからさ、ほら、このギターバッグに入れて。カックいいでしょ」

「バカ! 蜈蚣の御神体を濡らすなんて! ――もう、しんじらんない! いい? 百足は水が嫌いなのよ? それを濡らすとどうなると思う?」

「……どうなんの?」


 甘菜のただならぬ様子に陣太郎は、この時初めて事の深刻さを感じ取った。

 何か悪いことをして怒られる寸前の子供のように、背筋に怖気が走る。


「濡らすと、間違いなく機嫌が悪くなる。折角この前の大蛇を喰べて“和魂”になってたのに、あんたのバカのおかげで一時的に“荒魂”に変わってしまったんだわ」

「え? でも、百足なんて出てこなかったぞ?」

「雷獣と出会ったでしょ? いい? 臼木くん。祟りってのはね、なにも大百足が出てきて頭からボリボリと食べられるばかりじゃないの」

「どゆこと?」

「祟りはすなわち、神威の形の一つなの。早い話、災難全般ね」

「へぇ」

「へぇ、じゃないっての! 今回は祟りとして雷獣に出会ったのよ、きっと」

「雷獣って、ハクビシンが?」


 恐る恐るといった様子で聞き返す陣太郎に、甘菜は険しい表情のままコクリと頷いた。


「そーよ? まあ、形はどうでもいいの。形が近ければね。ぬえとはよくいった物で、地方によっては狸だったり狢だったりするわ」

「なんか、ぱっとしないな。ハクビシンとか可愛らしいし」

「そう言っていられるのも今のうちよ。あんた、これからしばらく寝込むわよ?」

「げ! そなの?!」

「雷獣は雷と共に現れて、側にいた人間に祟りを成すのよ。病気にしたりするのが多いかな?」

「うへぇ……」

「雷獣の好物はムカデやゲジ。だけど、流石にあんたのソレには手が出なかったようね。その点は幸運だったかも」

「ううう、祟りごと喰ってくれてもよかったのに……」

「何バカいってんの。その時はあんたごと、喰われるわよ」

「あ、それはダメ。て、俺、そんな危ないことになってたのか……」

「そうよ、このバカ。いい? 今すぐ家に帰って、トウモロコシをありったけ用意しなさい。無いなら昨日私が買ってきた奴あげるから」

「なんで、トウモロコシなんだよ?」


 問いに、はぁ、と深いため息を吐く甘菜。

 にじみ出る態度からは、出来の悪い生徒に頭を悩ませる教師というか、言いつけを守れない子供に苦悩する母親のような倦怠感が漂ってくる。

 事実、無知故にかこの後に及んで何処か暢気な陣太郎の態度に、怒りを通り越して呆れてしまっているのだろう。


「それも雷獣の好物だからよ。それを食べてれば、体に入り込んだ雷獣という荒魂の神威が出て行くから」

「……キツいの?」

「伝承によっては発狂する人もいたそうよ?」

「うわぁ……。ゴメン、天之麻さん、トウモロコシ、わけてくれる?」

「いいわ、ちょっとまってて」


 甘菜はそう言って、一端社務所の奥に引っ込み、程なく大きなスーパーの袋一杯にトウモロコシを詰めて戻ってきた。

 その袋を陣太郎へ無造作に手渡し、改めて腰掛けるや渋々濡れたファッション誌をゆっくりとめくりはじめる。

 表紙に張り付いた巻頭特集ページを慎重に開いた際、甘菜は手をひらひらとさせ、陣太郎に早く帰るよう促した。


「あ、先に言っとくけど、看病には行かないからね。とっとと帰って寝ときなさい」

「うう、ツいてねえ」

「“蜈蚣”を濡らすのがいけないのよ。いい? 帰ったら体調が悪くなる前に丹念に“蜈蚣”を拭きあげること。乾いた、柔らかい布でね。鞘袋も新しい物を用意するか、キチンと乾かしてから使うこと。間違っても抜刀しちゃだめだからね」

「ううう、わかった……。でもさ、そんなんでコレの“荒魂”が鎮められるのか?」

「“蜈蚣”が喚んだ『雷獣』の分はね。この前の蛇神の件で“和魂”になった所に、雨に濡らして少し障っただけだけだし。本体の祟り自体は大丈夫だと思う」

「……なあ、また、お前の唾液くれない?」

「やーよ、死ねこの変態。あれは非常事態だったからしてあげたの。それに、天之麻の女の唾液じゃなくても効果はあるわよ?」

「ほ、本当か?!」

「その場合は何か刃物に唾をかけて体内に入れなきゃいけないけどね」

「あ、パス」

「ま、そもそも千年以上も祟りをなしてた代物だし、それ。これに懲りたら、私がいい祟り祓いの方法見つけるまで慎重に行動しなさい」

「そ、そうだ! こいつで雷獣のしんい? を斬れば!」

「もう無理よ。私の時の蛇女と一緒。自分の体を斬るわけにはいかないでしょ? それに、雷獣位じゃその蜈蚣は満足しないと思うわ」

「最、悪……」

「だからほら、早く帰って寝なさいって。質はそう悪い荒魂じゃないはずだから、寝てればいつかは良くなるわ」

「うう、そうするわ……」

「あ。まって。最後に確認」

「んだよ?」

「その、車から逃げたハクビシン達、どっちの方角に向かってた?」

「……天之麻さんちの、鎮守の森にまっすぐ、むかってた気がする」


 しばし、沈黙。

 社務所の屋根を叩く雨音だけが二人の耳に届いていた。

 否、雷音が近く立て続けに鳴り響く。

 どうやら夕立は再びその勢いを強めてきたらしい。


「……私もあんたの祟りに巻き込まれたかな? 悪いけど、そのトウモロコシ、返してくれる?」


 甘菜はそう言うや、べっと陣太郎からスーパーの袋を奪い返して奥へと持って行ってしまった。

 陣太郎は彼女の優しさのかけらもないようなその行動に、どっと疲れが押し寄せて程なく自宅で寝込むに至る。

 何とか甘菜に言われた通りに鬼目一“蜈蚣”を拭きあげた事が、唯一の救いであろうか。

 それとほぼ同時に甘菜も自身の予想通りに原因不明の熱をだしてしまい、結局残り少ない夏休みを布団の中で浪費することになった二人であった。


 ――ちなみに。

 その年は、やけに雷雨が多い夏であったという。





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