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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
月に叢雲花に蟲
7/76

蛇女




 うだるような、暑い午後。


 某県某市のとある山の麓には、鄙びた神社が訪れる者もなく、ひっそりと在った。

 そこは西日本に位置し、海が近く山もあるありふれた町。

 人口は数万人であり、都市かと言われればそうではなく、かといって田舎であるかと言えば違うであろう、なんとも半端な町だ。

 コンビニは結構あるし背の高いマンションもいくつかあるが、ゲームセンターや洒落た服を扱う店は無く。

 若者がたむろする場所といえば町に一件ある、駐車場の矢鱈広いレンタルDVDショップ兼本屋兼CDショップ兼ゲーム店がある町。

 若者以外にとっての娯楽は、最近できたメディアセンターと最近やけに増えたパチンコ屋しかない町。


 天之麻甘菜アマノマ・アマナはそんな町にある、天之麻神社の今時珍しい巫女であった。

 天之麻家は代々女系の家で、父も入り婿であり神社の祭事はもっぱら女達が取り仕切ることの多い珍しい神社でもある。

 ただ、町の外れに位置しているためか訪れる者もなく、その存在を知る人間は少ない。

 周囲には家が一軒あるだけで、神社からまともな集落のある場所に出ようとすると、車で5分程もかかってしまう。

 今年で十六になる甘菜はそんな立地条件の悪い実家の拝殿にあって、床に置かれた鏡を前に腕を組み眉間に皺を寄せていた。


「ああ、もぅ。何が『大した品じゃない』よ。とんでもない品じゃない」


 愚痴は真に憎悪が込められ、その場にいない誰かに向けて呪詛となり形の良い唇から漏れ出た。

 甘菜は目に鮮やかな朱色の緋袴に白衣といった正装で、しかし拝殿にありながらはしたなく胡座を汲んでうむむ、と先程から唸り続ける。

 その姿を見る者がいたならば、恐らくは皆が目を奪われる程の清廉とした姿であるが、その姿を汚すように白衣から覗く組んだ腕は醜くひび割れていた。

 ひび割れた腕は、白くまるで魚や蛇の鱗のように痛々しく端がめくれ上がって、甘菜は忌々しげに鏡と自身の腕を見比べる。

 そんな甘菜の可憐な容姿に影を差させるその腕は、別に病気とかアレルギーの産物であるというわけではない。

 それどころかつい先頃までは細く白魚のような乙女の腕であったのだ。

 甘菜はちっ、と舌打ちを一つして苦々しく歯を噛んだ。

 床に無造作に置かれた鏡は青錆が浮いたいわゆる銅鏡というものであり、曇ってはいるが整った彼女の顔を映し出しはしない。


「……しかし、どうしよ、これ。御神体で斬ろうにも、流石に自分の体に向けて斬りつけるわけにはいかないし……」


 独り愚痴を吐き、ううむと甘菜は唸る。

 そんな彼女を逆撫でするかのように、拝殿の奥の鎮守の森から蝉が狂ったようにわしわしと鳴き喚く声が響く。

 しばらくして思考はいかなる順路を辿ったのか、やがて彼女の父親への罵倒を生産するに至った。


 ――あのバカ親! 愚図! こんなんだからお母さんに先立たれてしまうのよ! 碌に家には寄り付きもしないくせに、仕事は張り切っちゃってさ!

 怒りで体温が更に上がり、シャツどころか下着すら身に着けていない巫女装束の内に、じっとりと汗がにじみ出てくる。

 甘菜は乱れた心を落ち着かせようと大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。


 ――父さんへの愚痴は後。今は、コレに集中しなくては。

 銅鏡を見つめ、心を鎮めようと努める。

 そう、これくらいのピンチはいままで幾度も……なかったわね、くそ。

 違う事を考えて心を鎮めようとした甘菜であったが、現在彼女を蝕むそれが中々に大事であると自覚して失敗に終わってしまった。

 今までも彼女の生家、天之麻神社にはよく“いわく付き”の品が持ち込まれ、これを祀る事はよくある日常であった。


 その役割分担ははっきりとしており、父親が依頼を受け“いわく付き”の品を受け取り持ち帰り、甘菜が“御神体”でこれを鎮める、というものだ。

 “御神体”とは天之麻神社の祭神・天之麻比止都禰命あめのまひとつねのみことの名を冠した霊刀であり、これを持って“いわく付き”の品を鎮めるのである。

 この霊刀は天之麻家の女……それも子を成していない女人にしか触れることは許されず、一人娘の甘菜はその役割を任されていたのだった。


 しかし今回はどうか。

 『大した品ではない』との父の言付けに油断した甘菜は、銅鏡に棲む“荒魂”に気がつかず、いつもの九十九神の品だと思い込み迂闊にも障ってしまったのだ。

 結果、荒ぶる神に祟られ腕に――否、徐々にその神威が全身に現れつつあった。

 甘菜は幾度も床に置いた銅鏡と醜くひび割れた腕へ交互に視線を移動させつつ、どうしたものかと悩み続ける。


 “荒魂”(あらみたま)とは神の怒りだ。

 これを鎮め“和魂”(にきみたま)に変えるためには、荒ぶる神を鎮めねばならない。

 大概は祝詞を唱え、その神が好む供物を捧げ、時間をかけて祀れば荒魂は和魂へと変わり、神威である祟りは消え失せる。

 どうにもならない程の荒ぶる神であっても、御神体である古刀“天目一命”(アマノマヒトツノミコト)で打ち据えれば滅する事もできよう。

 だが、目の前の銅鏡は。


「まさか、こんなに強い蛇神が棲んでいたとはねぇ。まずいわ、ほんと、これ。うぅうう、どうしよぅ、最悪ぅ。マジ、ツいてないわ」


 甘菜は頭を抱え込み、綺麗に後ろで束ねた黒髪をわしわしと引っ掻いて、胡座を組んだまま前に倒れ込み床に頭を打ち付け始めた。

 ゴスゴスと派手に音を立てるその行為は、彼女の心情を如実に表す。

 やがて。

 派手に頭を打ち付けて妙案が浮かんだのか、彼女はある案を思いついた。

 その案は甚だ不本意ではあるが、背に腹は替えられぬ。

 愚図の父親は銅鏡を置くやさっさと姿を消し、何処をウロついているのか分からず家には他に男が一人も居ない。

 そもそも、一刻を争う事態なのは確かで、ボヤボヤしていると神威である祟りが全身に回り、遠からず蛇女になってしまうだろう。

 そうと決まれば、善は急げだ。

 甘菜は意を決し、銅鏡をそのままにして拝殿の外へと駆け出した。

 向かう先は、天之麻神社唯一の隣家である臼木家である。



 その日、臼木陣太郎は朝からツいてはいなかった。


 折角の夏休みだというのに特に遊びに行く予定もなく、遊びに誘ってくれる友人も、誘う程気安い者も無く。

 興じるTVゲームも無く、かといって鬼のようなしごきが待つ部活動に勤しむでもなく、唯々家でゴロゴロとするばかりである。

 それだけならばいつもの彼の日常であったが、その日は家中のエアコンと扇風機の故障と左目のものもらいが加わった。

 ものもらい、と陣太郎は考えていたが、別に派手に瞼が腫れているわけではなくただ朝起きたら開かなくなったていただけであったのだが。

 恐らくは、先日アメリカに住んでいる、遠い親戚の家に母親と二人で遊びに行って帰ってきた父親が病気を持ち帰ったのであろう。


 ――あのクソ親父め。

 陣太郎はそう決めつけて、その日も母親と二人きりで海水浴に繰り出していた父親を心中で罵るのであった。

 開け放たれた掃き出し窓からは、近所の神社の裏手にある、鎮守の森からの風がゆっくりと流れ込んでくる。

 しかし、暑気を追い払うには至らず、陣太郎はゴロゴロと悶えるように転がってどうしようか悩み始めた。

 ――図書館か本屋か、コンビニに逃げ込もうか?

 ……だめだ。

 遠すぎる。

 目医者にいこうか?

 いやいや、金がない。

 親が置いていった五百円玉じゃ、医者どころか昼飯もままならねぇ。

 ……近所にそれを使える施設は、JTで数種類の、しかも見たこともないような銘柄ばかりのジュースを売る自動販売機ただ一つであるが。

 親の財布を漁る手もあるが、間違いなく後でブンなぐられる。


 じゃ、誰か誘って、遊びに行くか?

 だめだ。面倒くさいし、遠すぎる。

 考えても見れば、話し相手は幾人かいるが、学校外で遊ぶ程仲の良いクラスメイトはいねぇや。

 中学の時に仲良かった連中が一人も居ない高校に入ったのが間違いだったかな。

 ……でも、こっからあそこ以外は、チャリで往復二時間はかかるし。

 今でも、往復一時間のツール・ド・オレん家だし。

 くそ、何処行くにも遠すぎるんだよ。

 バイク通学許可してる高校がないのって、ここらだけだぞ、多分。

 ああ、いつもつるむような親友、欲しいなあ。

 それか、東京に住みてぇ。

 シブヤとか、イケブクロとか、ハラジュクとか繰り出して、こう、青春を満喫したい。

 ……ま、俺だとアキバに入り浸るのが関の山かな。

 小遣い、少ねぇからそれも無理か。

 ケータイもさあ、今流行のスマートフォンとかにしてぇよなあ。

 ……ネット、速いのはここまで来ないんだよな。

 今時ADSLはねえよ、ちくそ。

 そもそも、シブヤとか、イケブクロとか、ハラジュクとか、繰り出して何したいのかもわかんねぇし。


 とりとめもない想いは、陣太郎を悶々とさせて更に暑く感じさせた。

 わしわしわしと蝉の声が鎮守の森から寝転がる居間に駆け込んできて、殊更彼を苛つかせる。

 じわりと額に汗がにじみ、くそ、と呟いて陣太郎は幾度目かの寝返りを打った。

 瞬間、ふと視界に釣り竿の竿入れのような筒が目に飛び込んできた。


 先日両親が米国の遠い親戚の家から持ち帰った品である。

 親戚、とは言っても陣太郎に外国人の血が流れているわけではない。

 彼の遠い祖先が、ひょんな事から米国に渡り、つい先日目の前にある品を縁として親戚であると判明したのであった。

 そのいきさつは陣太郎には詳しく説明をされてはいなかったが、驚いたことに長年“あちら”の家の者が臼木家を探していたらしい。


「そういや、これ、甘ん家に持って行けって言ってたな、父ちゃん」


 呟いて、陣太郎は幼なじみの事を思い浮かべた。

 その年から同じ高校に通うようになった彼女は、容姿端麗であり成績も優秀。

 おまけに運動神経も抜群でなんと神社では巫女をやっているという、『萌え』要素まで持ち合わせている存在である。

 当然、学内では入学初日でアイドルと化したのであるが、人を寄せ付けないその雰囲気と少々キツい物言いのため、未だ“陥落”してはいない。

 つまり、彼女とお付き合いしている異性・同性は公然として居ない状態であり、陣太郎にとっては幼なじみでお隣という、美味しいポジションにありながら決して手の届かぬ高嶺の花であった。


 勿論、中学、いや小学校の高学年位から急に綺麗に感じて、意識をしてはいた。

 しかしながら、陣太郎は自分の容姿や中身をよく弁え、釣り合わないと早々に結論付けてもいた。

 実際、彼の身長は百六十センチメートル。

 お世辞にも高い、とは言えない。

 むしろ、低い部類ですらある。

 顔も人並みである(と思いたい)し、洒落た趣味……たとえば、バンドをやってるとか、バイクに乗るとか、そういった物もない。

 頭も良くはないし、いやそれどころか赤点補習の常連ですらあり、対照的に彼女の方は学力テスト上位の常連である。


 昔は彼女の家と許嫁を出し合ったりしていたらしいが、情報化社会である現代において、そんなロマンチックな話などあろうはずもない。

 彼女もその辺は眼中にないらしく、ここ数年で口をきいたのは偶然、町のレンタルDVD屋で鉢合わせたときの「や」という一言だけ。

 その「や」も、挨拶なのか、やだ、鉢合わせちゃった! の「や」であるのか微妙であったが、ともかく疎遠な存在であることには間違いなかった。

 ちなみに。

 彼女の身長は百七十センチメートル。

 陣太郎よりも百ミリ程高い。

 これでは“釣り合わない”。

 何より、陣太郎は彼女にするならば、自分より身長の低い相手が良いと考えるタイプであった。


 そういったわけで、身近な“恋愛対象候補”は早々に諦めていた陣太郎は、その彼女の家に向かう事にときめきよりも、気まずさと面倒くささを感じてしばし考え込む。

 今更ながらに、美しいが決して手の届かぬ幼なじみと顔を合わせ、口をきくのが恥ずかしく億劫であった。

 両親が帰るまで、放置しておくか?

 それとも、本屋に避難するついでにさらっと置いていくか?

 視線の先、竿入れ用のバッグの中身を思い起こしながら、陣太郎は悩み続ける。

 昨夜興味本位で覗いた中身は、一降りの不気味な日本刀であった。

 なんとなく、その日“ツいていない”と感じていた陣太郎は、ふと思い起こして立ち上がり、カレンダーを確認する。

 ――仏滅、さんりんぼう。

 ますます、いやな予感がわき起こる。

 理由は無いが、あのバッグの中身を思い起こした途端に落ち着かなくなってしまった陣太郎であった。


 ――くそ、今日はなんとなく、ツいてねえ。

 ああ、もう。

 左目が開かねーし、ゲーム買う金もねえし、何より、クソ暑いぞちくしょう。

 独り心中でごちる陣太郎はすこしイラついて、眉をしかめた。

 開け放った窓からは、風は少なく、かわりに大量の蝉の鳴き声がわしわしわしわしわしと進入してくる。

 それから陣太郎が決断を下すまでは、さして時を経たりはしなかった。

 ポケットに賽銭と少ない小遣いが入った財布をねじ込みながら、陣太郎は幼なじみの家に向かう事にしたのだ。


 果たして、簡単な準備を済ませ、気味の悪い刀が入ったバッグを担いだところで玄関からいつか聞いた、声がした。

 どういう風の吹き回しであるのか、幼なじみである天之麻甘菜がそこに立っていたのである。


 陣太郎が初めて見る、涼しげな巫女装束で、だ。



 暑さも和らぎ、日もとっぷりと暮れた頃。


 鎮守の森からいくらか冷たくなった風が、天之麻神社の拝殿へ流れ込んでいた。

 蝉の声も大分少なくなっている。

 陣太郎は拝殿の一角にて微妙な気持ちで正座し、その手には銅鏡が持たされていた。

 それだけではない。

 彼を中心に四方はしめ縄により結界が張られ、その顔には目隠し代わりにバスタオルが巻かれている。

 何故か。


「見えてないでしょうね?」

「見えるわけ、ねえだろ?」


 甘菜は矢鱈と棘のある言葉で、陣太郎に釘を刺した。

 彼女もまた、同じ結界内に在って陣太郎に銅鏡を持たせ、自分に向けさせてひたすらに酒を混ぜた水を浴びているようである。

 なぜそう思うのかと言うと、目隠しをされる前に甘菜が水を張った木桶に酒をドバドバと入れて、なにやら準備をしている姿を見ていたからだ。

 だが、その目的までは今の今になっても不明のまま。

 辺りにはうっすらと酒のにおいが漂って、彼女が何をしているのか理解できない陣太郎はますます混乱を深めていた。


「……なあ、甘」

「天之麻さんって呼んでくれる? 臼木くん」

「……天之麻さん、俺は一体なんでこんな事してんだ? 俺、そろそろ帰りたいんだけど」

「これが終わったらいいわよ」

「いつ終わる?」

「わかんない」


 酒を混ぜた水を張った木桶から、ぱしゃ、とひしゃくで体に水をかける音がした。

 なかなか涼しげな音ではあるが、陣太郎は玄関に甘菜がやって来て助力を請われた後、神社で数時間待たされた後。

 やっと拝殿へと案内されたと思ったら、今度は目隠しをされて訳も分からぬまま、ナニカを持たされ正座を強要されてより、数時間がさらに過ぎていた。

 いくら、可愛い女の子による呼び出しにちょっとドキドキしていたとはいえ、あまりにあんまりではないか。


「なあ……」

「ちょっと! タオル取っちゃダメ! 今私を見たら警察呼ぶわよ!」


 取り付く島もない。

 しかし陣太郎は、濡れて透けた巫女服を着る甘菜を想像し、その理不尽な扱いへの怒りをほんの少し静めるのであった。

 むしろ、青少年の青い性欲を刺激され、正座による足のしびれを一時忘れさせる。

 が、やはりきついものはきついのか、程なく陣十郎は根を上げて撤退よりも条件の緩和を懇願する運びとなった。


「なあ、天之麻さん? せめて、足崩していいかな? も、限界」

「……ま、いいよ、臼木くん。ほんとは最後までして欲しかったけれど、こっちも協力してもらってるしね」

「さ、さんきゅ……あだ、あだだだだ」

「タオルは取っちゃダメだからね?」

「わかってるよ。でも、なんでこんな事を急に、しかも俺に頼むんだ?」


 返答はない。

 陣太郎はしびれる足に耐えながら、今日はツいてねぇや、と薄く愚痴を吐いた。

 次いで、ぱしゃり、と水音が拝殿に転がる。


「……儀式よ、祟り祓いの。あんたの家も、私の家と深く関わってるんだから詳しくは言わなくていいでしょ?」

「まー、父ちゃんから昔はそうだった程度には聞いてるけどな」

「……私の手、見たでしょ?」


 甘菜の言葉に、陣太郎は先頃目隠しをされる前にチラリと見た彼女の腕を思い起こした。

 それはまるで……


「……前、TVでみた皮膚病みたいになってたな。あま……天之麻さん、酷いアトピーとかもってたっけ?」

「昨日まではこうじゃなかったの。じん……臼木くんが今持ってる、銅鏡のせいでこうなったのよ」

「うげ! これ、呪いの品かなんかなのか?!」

「はぁ、あんた、呪いと祟りの違いもわかんないの? 臼木家ってうちと同じくらいには伝承が残ってるとはおもってたけど……」

「昔はそうだったみたいだな。でも、少なくとも俺はなんにも聞いてないよ。アメリカの親戚の家にはなんか、伝わってたようだけど」

「そういや、臼木くん、何か私の家に持ってきてたわね」

「父ちゃんがさ、そのアメリカの親戚から持ち帰って、天之麻さんちにもってけって言ってたんだ」

「ふぅん? めずらし。臼木くん、外国人の血が入ってたなんて初耳ね」

「俺もつい先日知ったんだ。ただ、ご先祖様が渡ってそれっきりだったらしいから、直接血が入ってるわけじゃねえよ」

「そうね。もしそうなら、そんなに背が低いわけないもの」

「うっせえ。……で? この銅鏡、俺が持ってても大丈夫なの?」

「大丈夫よ。ソレ、女にしか祟らないから」

「そうなの?」

「そ」


 短く答えて、再びぱしゃり、と音がした。

 陣太郎は大分足のしびれが直ってきた為か、ほんの少し、手にした銅鏡に興味を抱く。


「なあ、これ、一体なんなんだ? 何で、祟るんだ?」

「蛇女って知ってる?」


 陣太郎の問いは、甘菜の問いによって返された。

 蛇女。

 珍しい言葉ではないが、日常的に聞くような言葉でもない。


「しらね。口裂け女とか、ソレ系?」

「全然。簡単に言うと、女の強い怨念が“荒魂”となって蛇神と結びついたのがソレよ」

「へぇ」

「そもそも、蛇と言うのは古来より、神として崇められ続けた存在でね。祟りもすごく厄介で」

「どっちかって言えば、邪神とかじゃね? 八岐大蛇みたいな」

「まさか。あれは、“荒魂”としての側面が伝わっただけよ。元々、蛇神は竜神でもあるし」

「あらみたま、てなんだ?」

「……神様が、怒った状態。で、あんたの持つ銅鏡にはかつて、男にこっぴどく袖にされた女の嫉妬が篭もってて、蛇神の荒魂と結びついてるの」


 甘菜は面倒くさくなったのか、お座なりに説明をして再びぱしゃり、と水を打つ。

 陣太郎も空気を読んでか、それ以上彼女に質問は投げかけたりはしなかった。

 しかし、沈黙には耐えられず、とりあえず蛇神への疑問を押し殺して、『今何をしようとしているのか』を追求する事にしたのだった。


「なぁ。何してるのかしらねぇけどさ。病院に行った方がいいんじゃねえか?」

「無駄よ。コレ、祟りだもの」

「……天之麻さん家、確かに宗教家だけどさぁ」

「言いたいことは分かるわよ? 臼木くん。だから、お願い。だまって付き合って?」

「そりゃ、知らない仲じゃねえし、赤の他人に頼めるような事じゃないってのは分かる、けどさあ?」

「……一万円」

「ほえ?」

「バイト代。口止め料込みで。どう?」

「乗った! 俺、がんばるよ天之麻さん!」


 現金なものである。

 陣太郎は、彼にしてみれば法外なバイト代にコロリと態度を変えて、言外に込められた、甘菜の黙れという言葉すら感じとって口を結んだ。

 少しうずく左目も気にならず、陣太郎は素直に臨時収入を喜び、最近話題のゲームは何であったかを思い出して皮算用を始める。

 甘菜は陣太郎のその豹変ぶりに、最初からそう交渉しとけばよかったと後悔しつつ再びぱしゃり、と水を体に打った。

 それから、何やら祝詞を唱え始める。

 陣太郎は今までに無い、新たな音に興味を抱きつつも1万円のバイト代に心を奪われ黙って成り行きに身を任せた。

 何も見えはしなかったが、彼女の口から漏れるその言葉は徐々に大きく、呻くようになっていき、心なしか辺りに満ちる酒のにおいが強くなっていく。


 不意に、手にした銅鏡が重くなった気がした。

 あれ? と陣太郎は思いつつも視界を奪われたまま、手のひらに神経を集中させる。

 確かに、重くなっている。

 耳から入る甘菜の祝詞はますます大きく、そして艶めかしい息継ぎを伴ってやがて途切れ途切れになっていった。


 ――まて、おい。

 それ、まるで……アダルトでえっちなDVDのあれのような、声じゃねえか。

 陣太郎はしばし、一万円の他に新鮮な夜の“おかず”を手に入れたような気分に浸ったが、その内に甘菜の喘ぐような声が、苦痛に歪んだものであると察して異変に気がついた。


 ――なんだ? 一体、甘の奴、何をしてんだ?

 まさか、目隠しをした俺の前で、実は存在していたカレシとイたしてる……ってわけじゃあないよな?

 いぶかしげ、少し状況に奇妙な疑いを持ち始めた陣太郎は、ふと結構重くなっていた銅鏡が軽くなるのを感じた。

 同時に、ばたん! と派手に音が聞こえる。

 どうやら甘菜が倒れたらしい。


「天之麻、さん?」


 返事はない。

 軽くなった銅鏡と、やけにうずく、今朝から開かない左目がイヤな予感を増幅させていく。


「おい、甘?」


 久しぶりに口にする、幼なじみの愛称も否定されない。

 陣太郎はいつのまにか、早鐘のように打っている胸に気がつきながら目隠しにまかれたバスタオルを外し、彼女の様子を見た。

 そこには。


「な?!」


 一糸まとわぬ、濡れた肢体を床に投げ出した幼なじみと、彼女に巻き付く巨大な大蛇の姿。

 甘菜は気を失っているのか、大蛇に怪しく巻き取られながらぐったりとしている。

 その形の良い胸や申し訳程度に毛が生えた股が陣太郎に強い刺激を与えたが、それよりも彼女の全身を覆う痛々しい鱗のような皮膚が彼の目を引いた。

 鱗、とは言っても魚や蛇のソレとはちがい、ボロボロに角質化してまるで、白い瘡蓋のように見えて、陣太郎は言葉を失った。

 その、あまりに痛々しく異様な姿に。

 否。

 原因は美しい幼なじみの、変わり果てた姿ではなく。

 自分など、ぱくりとひとのみにされそうな程大きな大蛇にこそ、あっただろう。


 ――いったい、どこから?

 いつから、そこに?!

 いや、いやいやいや。

 それよりも、それよりも、だ。

 陣太郎はしゅぅ、と音を立てる大蛇に、本能的な恐怖を呼び起こされながらも辺りを見渡す。


 ――助けねば。

 甘菜を、助けねば。

 何か、何か武器になるような物は。

 陣太郎は目の前にある、乙女の裸など気にもとめずに必死に武器を探す。

 怪異に対する恐怖よりも、自身に降りかかるかもしれない脅威よりも、この時彼の心には幼なじみの安全を願う心だけがあった。


 そして程なく、彼は“呼ばれる”。

 広い拝殿に、気を失った乙女を祟る大蛇と対峙する、その少年を呼ぶ声が。

 そう、彼は声を確かに聞いて、ソレを手に取ったのだ。

 釣り竿入れ用のバッグの中にあった、その刀を。

 我を手に取り、姫を守れという声を。

 お前が憎いという、呪詛の声を。

 ソレこそが、臼木家と天之麻家を繋ぐ、目の前の蛇神などよりもずっと恐ろしい祟りの権化であるとは知らずに。


 思えば、初めてそれを見たときから陣太郎は祟られていたのかもしれない。

 刀は、彼の先祖を祟った一振りであった。

 すなわち、神世の時代より天之麻家に代々降りかかっていた祟りを、ずっと引き受け続けた一族である臼木家は。

 百本あった“祟り刀”を一本一本、己を贄として封印してきた臼木家の男達は、長い年月の果て、遂に全ての祟りを封じることに成功したはずであった。

 陣太郎が手にした、『鬼目一“蜈蚣”(オニノマヒトツ・ムカデ)』を除いて。

 その一振りは、ひょんな事からアメリカに渡り、今日まで彼の地で保存されていたのだった。

 そして、その怨念は。

 長い年月の果て、再び憎き者を祟る為、忘れ去られた地に戻ってくる。

 キン、と清廉な音と共に、陣太郎は大蛇と対峙してその剣を鞘より抜き放つ。

 同時に神威の顕現として封じられた、左目が開く。

 その眼に瞳孔は無く、代わりに赤い百足が丸く蠢き、陣太郎の目の替わりとなっていた。

 抜き放ったソレは、刃長二尺六寸(約七十九センチメートル)、重ねは厚めで反りは古刀であるらしく浅い。


「甘から、離れろ」


 ズシリと重い刀を構え、陣太郎は大蛇に向ける。

 大蛇はしゅぅ、と音を立て、威嚇するようにその牙を剥いて見せた。

 陣太郎は意を決し、思い切り大蛇へと刀を斬りつける。

 しかし刃は蛇のぬらぬらとした鱗に阻まれ、僅かに傷を付けるに止まった。


 だが。

 決着は実にあっけないものであった。

 陣太郎が斬りつけ、血も出ぬ程小さく付いた傷口から、大量の百足が吹き出して見る間に大蛇を覆い、跡形もなく喰らい尽くしてしまったのだ。

 不思議なことにおぞましく大量に蠢く百足は、巻き込んだ甘菜には一切の危害を加えず、呆然とする陣太郎の目の前で霞のように消えていった。


 やがて神域に静寂が戻り、陣太郎は我に返る。

 拝殿の中央で倒れる甘菜の体には既に鱗のような物はなく、割と成熟した艶めかしい肢体を晒していたのであった。

 陣太郎は彼女のあられもない姿に我を取り戻し、慌てて先程まで顔に巻いていたバスタオルを拾いあげ、胸と股間が隠れるよう甘菜にかけてやる。

 それから恐ろしい刀を鞘に収めると同時に、先程まで開いていた左目が再び開かなくなっている事に気がついた。

 程なく。

 う、と甘い声を上げて甘菜が呻く。


「おい、甘! 大丈夫、かああ?!」

「ん、陣、ちゃ……」


 沈黙。

 陣太郎は、状況を忘れて不意に上体を起こした、幼なじみのむき出しの胸に目を奪われ。

 甘菜は、陣太郎が持つ刀に目を奪われて、いた。

 それから視線を、陣太郎は下に、甘菜は彼の顔……改めて見る、閉じた左目に移動させる。

 沈黙。

 静寂。

 瞬間。

 甘菜は焦ったかのように、陣太郎の顔を両手で掴んで、いきなり柔らかな唇を陣太郎の口に押しつけ、その小さな舌を彼の口中にねじ込んだ。

 混乱する陣太郎の喉に、彼女の生暖かい唾液が流れ込む。


「むぅ、ぷぁ、な、なな、甘菜?!」

「あんた、ばっかじゃないの!? なんでそんなもの、持ってるのよ?!」

「え?」

「ほんと、もう、信じらんない! もぅ、最悪!」

「何のこ」

「あんた、ソレがなんなのか、わかってて抜いたの?! 分かってないでしょ?!」

「お、おちつけ! あま」

「落ち着けぇ?! あんた、よくそんな……」


 激高し、再び左目を閉じて刀を持つ陣太郎に詰め寄っていた甘菜は。

 天之麻家に伝わっていた、神世より祟る恐ろしい、しかしすべて消えたはずの“祟り刀”の神威を押さえるべく、陣太郎の体内に百足が苦手とする唾液を流し込んだ、甘菜は。

 一糸纏わぬ自身の体に気がついて、もう一度激高し、思いつく限りの罵倒と暴力をもって“祟り落としの贄”となった幼なじみに報いるのであった。

 つまりはその日、陣太郎と甘菜は恐らくは人生で最もツいてない一日を過ごしたのだ。


 幼なじみの二人は古よりそうであったように、揃って神威に祟られたのである。





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