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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
サムライ×フロンティア
6/76

Bullet◎6




 月は弓張り。


 群青の夜空を上弦に登り、赤い荒野を照らしている。

 小さな牧場の、小さな家を取り囲むアウトロー(法の外に置かれた者)達はその夜、始めて日本刀を目撃した。

 弾丸によってあけられた穴だらけの扉を開き、家の中から出てきた小男がその手に握っていたのである。

 刃長二尺六寸(約七十九センチメートル)、重ねは厚めで反りは古刀であるらしく浅い。

 銘は刻まれてはいないが鬼目一“蜈蚣”(おにのまひとつ“むかで”)と呼ばれ、来歴もはっきりとはしないほどの古より在った、百振りの“祟り刀”最後の一差しだ。

 刃は月光を受けて青白く光り美しく儚げに輝いていたが、一筋、赤い血が垂れており刃の美しさをすでに汚しつつある。

 陣十郎がアニーを庇ったときに右の二の腕に被弾した傷から、血がしたたっているが為だ。


「て、てめぇ! よくも出てきやがったな!」


 右手首から先が無い男が、もう一方の手で銃を構え憎悪の声を上げた。

 又、無法者達はふらりと家の中から出てきた陣十郎を確認して、一斉に銃を構え照準を定める。

 陣十郎は特に慌ても刀を構えたりもせず、だらりと腕を垂らした姿勢のまま、家を取り囲む男達を見渡した。

 数は三十から四十程。

 馬に跨がっている者、馬から下りている者と様々だ。

 構えている獲物は皆、ライフルばかり。

 いや、自身の目の前にやって来て、銃を構え罵倒しているあの男だけは拳銃だ。


 ……無法者とは言え流石に荒野に生きる者として馬が惜しいのか、アニーの愛馬が居る馬小屋の方には人垣が薄い。

 恐らくはクララベルは無事であろう。

 それよりも。

 陣十郎はおぞましき右手の感触に嫌悪を感じつつ、心中で独りごちた。

 ――これだけの人数を斬るには、骨が折れそうだ。

 腕から流れしたたる血は未だ止まらず、また無数の銃口は尚己に向けられているにもかかわらず、その思考は。


「いいか! こいつは俺が殺る! お前ら、手を出すんじゃねえぞ!」


 一方、そんな陣十郎の様子など意にも介さず、右手首から先が無い男は拳銃を掲げながら仲間達に吠えていた。

 己の肉体の一部を奪った相手に対して、その憎悪は強く燃え上がり、闘志となって痛む手首を忘れさせる。

 陣十郎が銃を手にしていない事も、男に勝利を確信させ強気な態度に出させてもいた。

 男は。

 陣十郎に向けた銃の引き金を引けば何時でも終わらせられると確信した、その男は。

 唯々棒立ちとなり、家から出てきただけで一向に動こうとしない陣十郎に気が済むまで罵声を浴びせ、命乞いをしろと笑う。

 流石にその表情は確認できないが、家を取り囲む他の男達も恐怖のために動けず、命乞いすらままならない小男に嘲笑を浮かべていた。


「まず、その右腕からだ! てめぇの持っているそのでかいナイフで、同じように手首を切ってやる! いいや、両手両足をな!」


 台詞と共に、男は引き金を引いた。

 弾丸は陣十郎の肩口を掠めて、背後の扉に当たった。

 陣十郎は未だ、身動き一つしない。


「次に、女だ! 中で生きてんだろ? てめえ目の前で犯して犯して、犯し抜いてやる! ここに居る、全員でな!」


 再び男は発砲した。

 今度は陣十郎の太ももの辺りを掠めて、やはり背後の扉に銃弾が当たった。

 狙いが今ひとつなのは、痛む手首のせいか、それとも嬲る為か。

 陣十郎はじっと“両目”で男を見詰め続け、口を閉ざし続ける。

 その、片方の目には瞳はなく、代わりにナニカが丸く紅く蠢いているのだったが、男達はソレに気付くことはない。


「最後にてめえの体中に鉛玉をブチ込んで、それからそのナイフで体の皮を剥いでやる! インディアンの連中がするようにな!」


 男はそう言って、今度はゆっくりと銃を構えた。

 狙いは陣十郎の股の付け根。

 今までは、恐怖を煽る為にワザと外していたのだ。

 舌なめずりをしながら、男はゆっくりと引金を引き絞る。

 同時に撃鉄がゆっくりと動いて、遂に雷管を叩いたとき。

 銃声と共に一筋の銀光が陣十郎の前で煌めいて、火花と共にギィン、と金属音を辺りに響かせた。


「へ?」


 予想外の事態に、手首から先が無い男は思わず間の抜けた声を上げ、今、確かに引き金を引いたよな、と思考を巡らせる。

 それから、弾が不発だったのか、それとも痛む手首のせいで力の入れ方を間違えたのか、確認しようと手にした銃を見やった。

 しかし、視線を手元に移動した先には。

 先程まで照準を定め、罵倒していた男の姿が見え、代わりに銃を持っている筈の手首が“無い”。

 痛みも感じない。

 ただ、違和感が胸にあって、ソレは徐々に全身へと広がってゆく。

 男は思考が定まらぬまま、違和感の正体を確認しようとして尻餅をついた。

 そして遂に、自分が小男に何をされたのか理解した。

 胸に白く鈍く光る剣が突き立てられていたのだ。

 一体、何時?

 どうやって、距離を縮めた?!

 いや。

 それより。

 “これはなんだ”?

 胸から、切り落とされたばかりの手首から、血が全く出てはいない。

 代わりに、ナニカが体の奥そこで蠢き、血の代わりに吹き出てくる。

 ――否。

 無数に“這い出して”くる、それは。


「ひ、ひ、ひぃ! た、助けて……助けてくれえ!」


 陣十郎は男の意識の虚を突き、一気に距離を詰めて銃を持つ手首を切り落とし、その心臓めがけて“祟り刀”を突き立てていた。

 その神速に男の意識は付いてはこれず、通常ならばそのまま絶命するはずであった。

 だが、男を刺し貫いたのは、鬼の情念が込められた“祟り刀”である。

 男は心臓に突き立てられた刀を引き抜かれると、絶命するどころかなんと悲鳴を上げ、仲間の元へ駆け寄ってゆく。

 そのあまりに異様な光景に、陣十郎と家を取り囲む男達は射撃を行う事も忘れ、手首から先が無い男へと視線を集めていた。


「た、助けて、くれ、え!」

「ひ?! お、お前――来るな!」


 陣十郎に“祟り刀”を突き立てられた男にすがられた仲間は、間近で見るその姿に思わず悲鳴を上げる。

 その新たに無くした手首から、その刃を突き立てられた胸からは、血の一滴も滴らず代わりに無数の赤い百足が蠢いていたのだった。

 百足はどこから沸くのか、すぐに男の体を覆う程に増えて、男が縋った仲間もろとも骨も残さずに全て喰らい尽くし消える。

 後に残ったのは、その場に居た者達の耳へと届いた、短くも壮絶な断末魔の叫びだけであった。


「あ、ああ、あああああああああ!!!」


 新たな仲間の悲鳴に、『サンド・スネーク』の男達は我に返る。

 気を逸らしてしまっていたが、いつの間に移動したのか馬に跨がっていた仲間の一人が、陣十郎に切り伏せられ、あの百足の大群に覆われていたのだ。


「こ、殺せ! あの妙なもんを使わせるな!!」


 だれかが半狂乱で叫ぶ。

 男達はすぐに反応し、一斉に陣十郎目がけて発砲した。

 近くにいた仲間もろともに無数の弾丸が陣十郎へと撃ち込まれる。

 だが、その判断は間違いであった。

 陣十郎は巻き沿いになった男達を盾にして、姿勢低く地を駆ける。

 その目は、あるいはその肌は、夜にもかかわらず、正確に自身へと向けられた銃口を把握していた。

 すなわち、致命傷となりえない部位や体を移動させることで掠めてしまうような向きの銃口は放置し。

 致命傷となる、体や頭を正確に狙う銃口には。


「くそ! どうなってやがんだ!!」

「あ、あたらねえ!」

「し、信じられねえ! 野郎、あの棒っきれで銃弾を打ち落としてやが――」


 男達の罵倒が終わらぬうちに、ぴう、と音を立てて黒い風が一陣、駆け抜ける。

 後には腕に、手の甲に、太ももにほんの毛筋ほどの斬り傷を負った男達が、振り返りもう一度銃を構える姿であった。

 狙いは小賢しくも手にした刃物を振り、走る小男の背中。

 しかし、その引き金を引くより早く、陣十郎に斬られた僅かな斬り傷から無数の百足が吹き出て、見る間に男達を覆い、骨も残らず喰らい尽くす。


「ひ、ば、化け物!」


 正面から迫る陣十郎の背後に、百足の大群に集られる仲間達の姿を視界に入れながら、その男は遂に悲鳴を上げた。

 地を這う闇のように迫り来る陣十郎へ狙いを定め、遮二無二引き金を引き続ける。

 しかし、その弾丸が陣十郎へと届くことはない。

 引き金を引き銃声を轟かせる度に、月光を反射した銀の筋と火花が陣十郎の前方に現れるばかりだ。

 やがて夜の牧場に銃声混じりの恐怖の叫び声が満ちて、その数は徐々に減って行った。

 『サンド・スネーク』の男達は、その場から逃げることすらできぬまま、“祟り刀”の贄となりその命を散らしていく。


 陣十郎は男達を逃がさぬよう、馬に乗っていた者達から順に屠り、地に居る者達には最大限の恐怖を与えて引き金を引く以外の思考をさせぬよう努めていたのだった。

 その狙いは実に有効であったらしく、男達はいとも簡単に恐慌へと陥り、地を這うように動く陣十郎へ向けてひたすらに銃を撃ち続けていた。

 彼らの目には、馬に跨がる者は斬りつけられやすく、背を向けた者からあの恐ろしい刃物で襲われるという恐怖しか映ってはいない。

 なにせかすり傷一つでも負えば、世にもおぞましい死に方で屠られるのである。

 未だ生ある者には、無数の百足にたかられ凄まじい絶叫を上げる仲間達の叫び声が、耳について離れなくなっていた。

 生々しい断末魔の合間に、小さな無数の蟲がボリ、コリと骨をかみ砕く音が混じり心を蝕む。

 そして、次々と加わる新たな叫びは彼らの判断力をより奪い、一層恐怖をかき立てる。


 ――そう、彼らは間違いを犯していたのだ。

 まだ、人数のあるうちに一目散に逃げるべきであったのだ。

 その、恐ろしい荒魂が宿った刀を見た瞬間に。

 やがて、男達はすべて鬼目一“蜈蚣”(おにのまひとつ“むかで”)の贄となり骨も残さず消え失せる。

 ただ一人、集団の最も後ろで成り行きを見守っており、早い段階で草むらの中に身を隠していた“指撃ち”バートを除いて。


「化け物め」


 バートは知らず悪態をついて、最後の一人を斬り伏せ、肩で息をしている陣十郎の背に銃を向ける。

 手にした最新型のウインチェスターの照準は、目にした地獄のような光景に小刻みに揺れた。

 一拍おいて、バートは恐怖を殺意で塗り込め震える体を押さえ込み、そして引き金を引く。

 同時に、陣十郎はつむじ風のように身を翻し、銀光と火花が一つ、彼の背後であった空間に出現した。

 バートは舌打ちを一つして、弾を装填し次射に備える。

 が、一向にこちらに斬りかかっては来ない陣十郎にバートは緊張がほんの少し、しぼんでゆくのであった。


 おかしい。

 なぜ、こちらに斬りかかっては来ない?

 いぶかしげながらも、バートは草むらから体を起こし、敵の姿を確認する。

 月光に照らされた小男は、傍目にも分かるほど疲労し肩を揺らして呼吸を荒げ、体のあちこちから血を流していた。

 恐らくは。

 致命傷となる銃弾のみをはじき、その他は対応してこなかったのだろう。

 バートの思考は、目の前の荒野の魔物のような小男に対して、ほんの僅かな勝機をたぐり寄せていく。

 そうだ。

 こいつも、疲れないような、傷を負わせられないような怪物ではない!

 きっと、そうだ!

 あれだけ動けば、常人ならばとっくの昔にへばっている。

 如何に化け物じみた動きができるとはいえ、こいつだっていつかは疲れ動けなくなるに違いないのだ。

 現に――


 ドン、とバートの持つウィンチェスターが火を噴く。

 今度は銀光と火花は煌めかず、銃弾は陣十郎のふくらはぎの辺りを掠めて大地に着弾した。

 こいつは。

 現にこいつは、はじく弾丸を“選んで”やがる。

 それはきっと、全部はじいていたらそれだけ早く疲れるからだ。

 同時にそれは、こいつが少なくとも、不死身の魔物ではない事を意味している。

 ならばどうする?

 目に見えて疲労を見せている今こそ、この化け物を殺す、いや殺せる機ではないか?

 バートが見た勝機は果たして。


「化け物め、ぶっ殺してやる」


 もう一度悪態をつき、“指撃ち”バートは陣十郎の心臓目がけ続けて引き金を引く。

 重い銃声とギギンという甲高い金属音が連続して轟き、月光に照らし出された剣閃が火花を散らす。

 しかし、陣十郎は遂に疲労が足に回ってしまったのか、その場から動けずにいた。

 更に、バートが意図的に照準をブレさせて撃っていた銃弾が、肩とふとともに被弾し熱く焼けるような痛みを陣十郎に与える。

 痛みは剣閃を鈍らせ、一層陣十郎の残り少ない体力を削った。

 バートはウィンチェスターに込められた弾丸を全て撃ち尽くすと、間髪入れず腰のホルスターから愛銃を抜き撃った。


 銃声は更に三発、夜の荒野に響く。

 実際には六発の弾丸が発射され、その神速とも言える早撃ちに陣十郎は赤い染みを増やして遂に片膝をついてしまっていたのだった。

 この時、バートは勝利を確信し、悠然と撃ち尽くしたリボルバーに弾を込め直す。

 陣十郎は唯一、相手に斬りかかる機を目の前に、息を荒げ動けずにいた。

 やがて向けられる銃口。

 装弾は六発。

 引き金に指をかける男は、達人の域である。

 もはや、これまでか。


 陣十郎は“祟り刀”を握る手に力を込めた。

 すでに銃弾を斬り落とすだけの余力は残っては居ない。

 目の前の男は恐ろしいほどの手練れだ。

 此処で残せば、家の中に居るアニーは只では済まないだろう。

 なれば。


 陣十郎は鬼目一“蜈蚣”を額の前に翳すようにして横に構えた。

 其処にさえ当たらなければ、なんとか相打ちに持ち込めると判断した為である。

 死の覚悟などとうの昔に終えていた陣十郎はこの時、記憶を久々に手繰っていた。

 それは“祟り刀”と共に海へ送り出された時よりも更に前。

 恐らくは、受け取れば必ず祟り殺される刀の物語を聞き、いつか生まれて来るであろう守るべき少女の存在を知った時。

 当時陣十郎は案外アッサリと己の運命を受け入れ、あとはどう死ぬか、それだけを考えていた。

 やがて哀れな少女がこの世に生まれ落ち、十四年の月日が流れる。


 年の離れた二人が形式上の許嫁として引き合わされた、あの日。

 その一年の間だけ二人に逢瀬を許すしきたりは、陣十郎の心を惑わす。

 百合と名付けられた少女は、意外にも陣十郎によく懐きその運命を呪っていた。

 お慕い申し上げます、と何かと頬を染めながら口にするその姿は、陣十郎の心と士道を激しく揺さぶる。

 親子ほども離れた年を弁えず、一時期は本気で百合と逃げようかなどとも考えもした。

 しかし結局陣十郎はしきたりに則り、百合と顔を合わせてより一年後、一夜限りの契りを結び“祟り刀”を手に海へと向かう。


 ――守りたい、と思ったからだった。

 手を取り合い逃げたところで、自分はいずれ祟り殺されるのがオチである。

 陣十郎もまた、“祟り刀”に関わる一族だ。

 その真偽はいまさら疑う余地はない。

 故に。

 彼はしきたりに則り、少女に降りかかる祟りをその身に引き受けたのだった。

 少女も結局悲しみながらも、その運命を受け入れた。

 恐らくは今頃百合はどこぞ、身分の高い者の元へ嫁がされているだろう。

 あれだけの器量と家柄だ。

 彼女を妻にほしがる公家や武家は星の数程もある。

 そう、新大陸で“祟り刀”に込められた鬼の想いが解けたところで、陣十郎にはすでに帰る場所などなかったのだ。

 にも関わらず、自刃もせず小さな希望を抱き新大陸までやって来た陣十郎の心中は果たして。


「まあ、こんな死に方でも悪かぁねぇな」


 薄く笑い、既に駆け出した足の痛みに耐えながら陣十郎は手繰った記憶をしまい込む。

 最後に浮かんだそれは、百合の笑顔であった。

 次いで見た相手が構えている銃が火を噴いた。

 腹に、腕に、弾丸がめり込む。

 一発だけ、額に構えた剣に当たり火花を散らした。

 そして。

 相手の銃口が己の心臓へ向いたことを陣十郎は感じた。

 まだ、刀の届く距離ではない。

 地を蹴る足は既に思い通りに動かず、陣十郎はいよいよ雑念を捨て気力だけで数瞬体を動かせるよう、意志を強く刀に乗せた。

 瞬間、心臓に向いていた銃口が大きくぶれる。

 遠く銃声が聞こえて、なぜか、百合の声が聞こえた。


「ジュウロウ!」


 その叫びは紛れもなくアニーのものであったのだが、不思議と故郷に想いと共に置いてきた少女の声と思えた。

 陣十郎は最後の力を振り絞り、慌てて弾かれた銃を拾うバートへと突進する。

 やがて、荒野に動く者は消え失せ、後には一人力なくへたり込む侍の姿が其処にあった。

 彼の脇では未だ、おぞましい程の百足の群れが蠢いて、その肉と骨をむさぼっている。


「ジュウロウ!」


 もう一度、今度は近く陣十郎を呼ぶ声がした。

 陣十郎は意識を手放しそうになりなりながらも、気怠げにそちらを振り向く。

 そこには、“百合”を預けたあの女が、銃を片手に駆け寄ってくる姿が見えた。

 荒野を群青に染める月夜の下、全ての敵を討ち滅ぼした陣十郎は果たして。



「あいつ、その時私の事を『YURI』って呼んだのよ? 信じられる? 命の恩人に対して。ほんと、頭に来たわ」


 不幸の町、ミスフォーチュン唯一の酒場、『ワイルド・ブル』にて。

 アニーは少し不機嫌にそう語り、グイと手にしたグラスを一気に煽った。

 記者の男は非現実的な話に少し困惑しつつも、それは酷いね、と応じる。

 余程悔しかったのか、アニーはその日彼の前で始めて濃い感情を表に出し、不機嫌に乾燥したコーンを口中へ放り込みボリボリと噛んだ。


「それで、そのあとどうしたんだい?」

「事前にジュウロウに言われた通り、“YURI”を抜いて、唾を吹きかけて彼に……突き立てたの」

「へ?」

「言いたいことは分かるわ。私だって、未だに理解できないんだけどね。後で聞いた話、なんでもTATARIを鎮める儀式だったそうよ」

「……ふうん、まるでインディアンの儀式だね。ほら、どこかの部族が体中に骨を刺して倒れるまで踊るっていう、あれさ」

「それは知らない。とにかく、なんだか頭にきてね。つい、思いっきり彼の太ももに刺してやったのよ」


 思い出して少し気が晴れたのか、アニーはフフンと鼻を鳴らし形の良い口の端を上げた。

 記者の男は彼女が語った事実を全て手帳にまとめ、絶句する。

 なんだ、これは。

 こんな、奇妙な事件……どうやって記事にすりゃいいんだ。

 『サンド・スネーク』壊滅の真実はいいネタなんだが、これじゃ……くそ、この男は“いつもこう”だ。


「信じられないって顔してるわね?」

「まあ、ね。だけど、信じるよ。いや、信じるしかないというか……」

「どういうこと?」


 ほろ酔いとなったアニーの問いに、記者はため息をつきながら手帳の前の方のページをめくった。

 そこには、以前謎の東洋人について取材した内容がしたためられている。


「実は、前にも“センチピードの男”が関わった妙な事件を追ってね。それがきっかけで彼を追い回しているんだけど……」

「センチピード(ムカデ)の男?」

「そう。最初はインディアンのシャーマンかと思ったんだ。そこでも、ムカデに食い殺された破落戸が話に出てきてさ」

「どんな話?」

「えっと鉱山経営者をだまして乗っ取ってしまった無法者が居てね」

「うん」

「騙された経営者には娘が居て。で、この無法者の愛人にされそうになったところで“センチピードの男”が颯爽と登場」

「無法者は骨も残さずにムカデに食い殺され、美しい娘は“センチピードの男”に惚れ、甘い夜を過ごすも男はいつの間にか消えた?」

「……当たり」

「マスター! テキーラをちょうだい。今夜は酔いたいわ!」


 アニーは怒声混じりにバーテンの親父を呼んだ。

 その表情は、記者の男が羨むほどにありありと嫉妬が浮かび上がっている。

 程なく運ばれてきた強い酒を、彼女は一気に煽り糞、と小さく呟いた。

 記者の男は彼女が酔いつぶれてしまわない内に仕事を終わらせるべく、恐る恐る質問を再開することにした。


「で、そのあと……どうしたんだい?」

「……傷だらけの彼を介抱してね。驚いたことに、私が刺した奴が一番の深手だったわ。あのKATANA、本当によく斬れるの」

「それで?」

「……彼の故郷の話を聞きながら、一月程介抱したの。連中の死体は残らなかったけれど、銃や持ち物は残ってたから賞金は出たわ」

「そりゃ、すごい!」

「ええ、あんなお金を見たの、生まれて初めて。ジュロウはそのお金はいらないって言ったから、私が貰って。それで牛を買ったわ」

「どれくらい?」

「多くはない。一人で見れる牛の数なんてしれてるもの。残ったお金で家を修理して、贅沢しなければ二人でも一生暮らしていける位残ったかな?」

「二人?」

「……ジュウロウと、二人。きっかけがいつだかは分からないんだけど、気がついてたら私、あいつに夢中になってたのよ」


 そう、吐き捨てるように言ってアニーは新たに供されたテキーラを今度はゆっくりと口に運んだ。

 それで怒りが収まったのか、グラスから口を離した彼女は胸の内を落ち着かせるように深く一度、ため息をつく。


「でね、傷の具合を診ている時に……そうね、あの夜から三日後くらいかな? 私からジュウロウのベッドに入って、抱いて貰った」

「はは、妬けるね。僕もお願いしたい位だ」

「娼婦で我慢しときなさい。この町には居ないけど。……で、彼が突然居なくなったのは、その日から大体一月後」

「なるほど。じゃあ、最後に一つ。今では彼のこと、どう思ってる?」


 記者の質問に、アニーはしばし考え込む。

 その白いうなじは酒のせいかほんのりと朱がさして艶めかしい色気を発していた。

 そして、アニーは初めて記者に年相応の花のような微笑みを浮かべ、愛した男を呪うように口を開く。


「少なくとも、その間だけは私は幸せだったわ。何度も抱いてもらう度に、涙が出るほど悦んだってわけ。今じゃ、野垂れ死にしろって思ってるけれどね」


 果たして想いは強く、新たな怨念となるかのように陣十郎の元へ届くのであった。





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