高女ノ六.血風
夕刻、徳丸一家が根城とする『たつみ屋』は、蜂の巣をつついたかのような騒動が持ち上がっていた。
所は深川富岡八幡の側、山本町である。
騒動は“一人”の浪人者が現在の『たつみ屋』の主、徳丸一家を率いる大親分・徳丸五平を尋ねて来た事に起因した。
浪人者は立花陣衛門と名乗り、今や江戸で一二を争う規模となった破落戸集団である徳丸一家の根城へ、特に気負いも無くまるで野菜でも買いに来たのかといった体でひょっこりと現れたのだ。
一方驚いたのは徳丸五平である。
というのも、その日の昼頃、懸想している深川界隈一の辰巳芸者・『えぼしや』の送り後家こと梅吉の元へ押しかけた折。
今日こそはと梅吉を脅しすかし、後一歩の所で屈服させようかという所で、得体の知れぬ妖艶な女が突如煙のように現れ、横やりを入れてきたのだ。
この、まるで幽玄のような恐ろしさと艶やかさを持ち合わせた女はただ者では無かった。
荒事を日常とする五平や手練れの用心棒の侍までもが知らぬ間に脂汗を浮かべ、童のように正体の無い恐怖を抱いて対峙したのである。
――恐怖の中身は何だったのだろうか。
武士が振りかざす白刃が、鼻先を掠める類の恐怖ではない。
長年必死の思いで溜め込んだ、銭を失うような類でも当然ながら違う。
もっと根本的な、神仏の祟りを目の当たりにしたような、そんな恐怖。
あの場に居合わせた者ならば、皆口を揃えてそう表現するだろう。
この、凄艶な威を振りまく女と五平達が『えぼしや』でにらみ合っていた所、同じようにひょっこりと現れた浪人者こそが立花陣衛門だ。
立花陣衛門はそれこそ、そよ風に向かうようにして人外のような恐怖を張り付かせた女に向き直り、二、三語りかけたかと思うと――
――気が付けば五平以下『えぼしや』に押しかけあの女を見た者達は、外で待たせていた手下と懇意にしている岡っ引きに付き添われ、『たつみ屋』に戻っていたのだった。
正気に返った五平が手下に聞いた話では、まるで魂が抜けたかのように皆呆けて、何故そうなったのか誰も分からなかったとの事。
狐につままれる、とは正にこのような事であるのだろう。
そのように五平達が正気を取り戻し首を傾げていたのが、日もすっかり暮れかけた暮六つ頃(十八時頃)か。
忘れもしない、『えぼしや』に現れそして昨夜は五平の企みに邪魔の手を入れた浪人者が訪ねて来たのだ。
「てめぇ! 黙って聞いてりゃ図に乗りやがって!」
「生きてこの屋敷から出て行けると思うなよ!」
「みてろ、てめぇだけじゃねえ! てめぇの女房も知り合いも、全部ひっくるめて地獄を見せてやる!」
怒号が渦巻く、『たつみ屋』の座敷。
広めの庭に面したその部屋は、元は主が商い先の者と商談を行う為の間である。
部屋は上座に五平がどっかと座り、その両隣りには用心棒と思わしき刀を持った侍が数名。
対峙しているのはみすぼらしいなりの浪人者、立花陣衛門。
その周囲には無数の手下である破落戸がギラギラと目に敵意を込め、先程陣衛門が発した言葉に一斉に凄んでいた。
「まあ、まておめぇら。――お侍さん、あんた、正気かい?」
「うむ」
「……手土産も無しに押しかけてきたかと思えばこの俺に、この徳丸一家を仕切る徳丸五平に、ワケのわからねえ言いがかりをつけた上、金輪際『えぼしや』には近づくなと、本気で言っているのか?」
「うむ」
徐々にドスが効かせてくる五平の確認に、陣衛門は何の躊躇いも無く肯定の意思を示した。
同時に、気色ばむ手下と五平に近い場所で陣取る五、六人の用心棒らしき侍らが、一斉に飛びかかろうとする。
しかし五平はさっと手を翳しこれを制して、ふぅ、と一つ大きな息を吐いた。
煮えるような怒りを抑え、今一度冷静になる為だ。
「なあ、旦那。一つ教えちゃあくれねぇかい?」
「む? なんだ」
「単身ここへ乗り込んでくる旦那のクソ度胸もそうだが、何をどう考えりゃ、旦那の無茶な要求を俺が受け入れると考えたんだい?」
「ふむ、受け入れてはくれぬか」
「当たりめぇじゃねえか。こちとら旦那の言い分を聞いてやる義理なんざねぇんだ。……いいか、よく聞け三下。世の中、銭と力で回ってるんだ。この二つをもつ奴だけが、うめぇ汁をすすれる仕組みなんだ。てめぇの様にな、ふんぞり返って頼み事を口にした所で猫の子一匹聞く耳を持ちやしねぇよ」
「うむ」
「ましてこちとら徳丸一家の大親分、徳丸五平だぞ。頼み事をするなら、相応の銭を用意して頭を床にこすりつけやがれ! てめぇ、生きてこっから出て行けると思うなよ!」
冷静になれど凶暴な本性を現した五平は陣衛門を睨みつけ、ドンと音を鳴らし片膝を立てて脅し文句を口にした。
その迫力たるや流石のもので、居合わせた関係の無い筈の手下達でさえ圧倒され生唾を飲み込む音が聞こえてくる。
――が、やはり陣衛門には暖簾に腕押し、なんら気負うでも身構えさせるには至らないようだ。
それどころか伸びてきた無精髭に手をあて、ショリショリと掻いていたかと思えば不意にああ、と声をあげたかと思うと、そういえばと続けたのである。
「済まぬ。一つ、忘れておった」
「あん? 交換条件でも出そうって言うのか?」
「いや。ここに面を扱う妖術師がいないか? 昨夜、『えぼしや』の女将を拐かす連中が付けていた品を作った者だ。その者の居所も教えて欲しい」
静寂。
無理も無い。
この後に及んで浪人者は、あつかましくも新たに要求を一つ追加してきたのだ。
これでは五平の面目は丸つぶれとなってしまう。
即ち、その行為は代償に命を差し出さねばならぬ事を意味して、その場にいた者らはいよいよ陣衛門の事を狂人であると“誤認”したのだった。
「……ふっ、ふふ、くく、こいつは……」
「詳細は言えぬが、その妖術師はさる貴人のお屋敷で騒動を起こしたようでな。縁あって真偽を突き止める必要があるのだが……どうだろう、五平親分。どちらも受け入れても、そちらには特に“失うもの”はないかと思うが」
「いい加減にしやがれ! て、てめぇ、俺を馬鹿にするのも大概にろってんだ!」
「無理か?」
「かまわねぇ、ぶっ殺せ!」
成立している風に見えて、終始成立してはいなかった対話が終わった瞬間である。
五平の怒号のような命令に、陣衛門の周囲にいた手下達が一斉に動いた。
彼らの手にはそれぞれ得物が握られ、匕首や長ドスの刃先が四方から陣衛門の体目がけて殺到してゆく。
瞬間、大量の血が吹き上がり天井にまで達して、大広間の座敷には文字通り血の雨が降った。
五平は陣衛門を囲んだ手下の背中ごしにそれを見て、僅かに溜飲が下るのを感じながらも未だ醒めきらぬ怒りを持てあまし、早々とこれからの事に思いを馳せた。
――くそ、今日はなんて日だ。
忌々しい食い詰め浪人め、余計な手間を増やしやがって、糞が。
……まあ、いい。
これで邪魔者は消えたんだ、これから『えぼしや』に押しかけて今日こそは梅吉のアマを手籠めてやる。
畜生、死んだ亭主との寝間で裸にひんむいて、一晩中ひぃひぃ鳴かせながら俺に逆らったらどうなるか、たっぷり体に刻んでやるんだ。
……ふん、丁度いい。
この馬鹿の死に様もついでに教えてやろう。
梅吉め、俺は身逃さなかったぞ。
“あの時”、確かにこの浪人に色目を使ってやがった。
“何でかは詳しく思い出せねぇが”、俺が呆けてここへ帰ぇったのを良いことにきっと、そこの馬鹿に言い寄ったにきまってんだ。
くそ、くそ、くそ、苛立つアマだ。
まってろ、いま俺がてめぇを文字通り雌犬のように――
「だから言ったではありませぬか、旦那様。獣に人の言葉など、通じる道理などございませぬ」
聞き覚えのあるのに“初めて聞く”、女の声。
五平は得体の知れぬ胸騒ぎに、声のした方、無礼な浪人を幾重にも囲う手下達の背を見やった。
派手に吹き上げる鮮血は未だボタボタと床に落ち続けて、天井から滴る血と相まり地獄絵図さながらだ。
その、手下達が。
不意にグラリと崩れ落ち、その向こうから抜刀してしゃがむ浪人の姿と艶やかな紅い着物に身を包んだ、女が姿を現した。
――女には見覚えが無い。
男ならば誰もがその肌に触れたいと願うだろう、匂い立つような色気を纏う美女である。
何時の間に入り込んだのか、どうやってそこに居るのかはわからないが、確に女には“見覚えが無い”、五平だ。
その日の昼『えぼしや』で間違いなく遭遇し、先程までは思い出せていた故、記憶を辿れば易々と思い当たる筈なのだが――
しかし五平は、女から吹き出る妖気に似た色香と壮絶な威圧感に覚えある恐怖に困惑し、理由もわからずその場に固まってしまうのだった。
そんな彼の耳に届くのは、食い詰めた浪人然とした男の変わらぬ抑揚のない声。
「道理を通さぬ相手なればこそ、道理が通らぬ無茶な願いを或いは聞き届けるやもと、賭けてみたのだが」
「ほほ、旦那様は賭け事が苦手であるのをお忘れかや」
「忘れてはおらぬ。だがタキ、お前は一つ勘違いをしておる」
「何を、でしょうや?」
「如何に獣とて、犬や猫は人の言葉を解する。牛や鶏すら世話をしてやり情を移さば、心を感じ取るものだ」
「うふ、確かに。……ではこの者らは、何と見ましょうや? 獣以下となれば」
「……餓鬼の類ではどうか」
男女の問答に、徳丸一家の者達は一歩も動けずただ耳を傾けていた。
床に倒れている仲間達は皆、首を跳ねられて事切れ血を噴き出している。
浪人の手には何時抜いたのか、白刃煌めく大刀。
傍らの美女は、天井から滴る血と床に広がる血を紅の着物に染みこませながら、優雅に口元に手を添え凄艶に笑っていた。
「成る程、流石は旦那様。六道の内、天道、人道、修羅道、畜生道、地獄道は確かに当てはまりませぬ。ほほ、欲に溺れる餓鬼道の亡者に相違ないですわなぁ」
「感心している場合ではなさそうだが。――タキ、“味”はどうだ?」
「うふ。本物の餓鬼ならばいざしらず、“蠱惑魔”すら憑いておらねば味どころか空腹も紛れませぬ」
「結局家捜しをせねばならぬ、か」
轟、と室内に風が吹く。
場違いにも思える男女の会話に、我を取り戻した手下共が各々の得物を手に再び躍りかかって来たのだ。
しかし先程と同様、陣衛門の台詞も言い終わらぬ内に手下共は血しぶきを天井にまで上げ、糸の切れた人形の様にその場に崩れ落ちたのだった。
畳の上には先程のものと合わせ十を超える首がゴロリと転がり、あまりに凄惨な光景に流石の五平もひぃ、と悲鳴を上げてしまう。
「ひ、ひぃ、てめ、ぇ、や、ややや、やりやがったな!」
「うむ」
事も無げに陣衛門は答え、そこでやっとすっくと立ち上がる。
それだけで周囲には威圧と成り、五平をはじめ既に数を半分近くまで減らしていた手下共は蛇に睨まれたカエルのように、その身を強ばらせるのだった。
あとは何か一つキッカケがあれば、彼らは恥も外聞も無く悲鳴を上げ、散り散りに逃げ去ってしまうだろう。
だが陣衛門は――
「皆、動いてはならん」
と宣言し、ゆっくりと刀を鞘に納めたのだった。
「……親分、どうだろうか」
「な、ななな、なんだ!」
「先程の件、『えぼしや』の件だけでも呑んではくれまいか。実の所、人を斬るのはあまり好きではない」
あれ程人を斬っておいて、言い草はまるで他人事のように聞こえる陣衛門の言。
故に五平は初めて眼前の侍の恐ろしさを悟り、一も二も無く首をガクガクと縦に振り続けた。
それを切欠としてわっと手下共が蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
呆れたことにその中には用心棒の侍達も含まれて、場には陣衛門とタキ、五平だけが残ったのだった。
「と」
否。
もう一人、残った者が居る。
五平の背後から陣衛門に向け剣閃が奔り、陣衛門の顎先をあわやという所を掠めてゆく。
声を漏らした陣衛門が意図的に避けたのか、それとも剣の主が意図的に外したのかは不明だが、只ならぬ一振りなのは確かだ。
剣の主は『えぼしや』で五平が先生と呼んだ、あの用心棒である。
「……ふん、元々掠めるだけのつもりだったが、避けた、か」
「せ、先生!」
「五平親分。雇われ賃分は働かせてもらおう」
「おお!」
「……それに、そこの女にも俺の剣を愚弄した落とし前を付けさせねばならぬ」
「ほほ、誰かと思えばあの“軽業師”かえ」
「減らず口を!」
不思議なことに、用心棒は五平と違い昼間タキと邂逅したことを思い出せるらしい。
居合いの使い手なのだろうか、彼は激高し一歩前に出ようとして、しかしその刃は既に鞘の中である。
左手に持ち腰に溜められた鞘は通常よりも長く、柄に添えた右手から繰り出す抜き打ちの一撃は悠にタキの細い首を両断するに違いない。
また、先の一撃を見ても長刀を振るにしてはあまりに速く、神速と評してもあまりある斬撃だ。
逃げた手下は勿論、他の用心棒と比べても彼はずば抜けて腕が立ち、剣においては達人と見て間違い無いようだ。
そんな彼が、有無を言わさずタキの首を刎ねないのは女を斬らぬ武士の矜持があるからでは無い。
絶妙な間で陣衛門がタキと用心棒の間に体を割り込ませたからである。
「タキ、侮りすぎだ。この御仁はお前の事を覚えているようだぞ」
「うふ、そのようですなぁ旦那様」
「……まずは貴様からだ。俺は栗生清太郎」
「立花陣衛門。参られよ」
短く名乗りを上げ、両者は示し合わせたかのように一歩下がり各々の間合いを計った。
つられるようにして、五平とタキは陣衛門と栗生清太郎から距離を置き、成り行きを見守る格好だ。
両者共に剣は鞘の中。
傍目には栗生清太郎の鞘の方が陣衛門よりも一廻り程長く、間合いでは圧倒的に陣衛門が不利に見える。
先程の斬撃を思い起こせば、長物特有の剣速の遅さも彼には関係無いのは明白。
「栗生殿」
にもかかわらず陣衛門は。
栗生清太郎の殺気と剣気に満ちる重い室内で、やはり緊張の感じられぬ平常心のまま、声を掛けるのだ。
「妻の無礼で怒っておるのなら、詫びよう」
「何を」
「こちらの目的は既に達している。これ以上は血を流す必要はないと思うが」
「問答無用!」
裂帛の気合いと共に、栗生清太郎は横薙ぎに抜き打ちの一撃を繰り出した。
陣衛門は確かに非凡ならぬ剣の使い手であるが、その手法は相手に場にそぐわぬ声をかけ、のらりくらりと応答し、拍子を外した所を制する――
そう“見誤って”いたからこそ、先に動いた栗生清太郎である。
だが結果は想像を超えて、栗生清太郎を大いに驚かせるものとなった。
「と」
先程と同じく陣衛門は声を漏らしながらも、あろうことか後に体を引いて栗生清太郎の一撃を躱したのである。
少しでも間合いを見誤れば、頭を上下に両断されてしまう無謀な行いだ。
先の一閃を避けたのは偶然では無いやもしれぬ、と考えていた清太郎であるが、これには流石に度肝をぬかれてしまった。
しかしそうかといって呆ける程栗生清太郎は甘くは無い。
驚きながらも二の太刀を繰り出すべく、切っ先を素早く制して二度目の斬撃を袈裟に振り下ろす。
だが陣衛門はそれを許さず、清太郎の右腕を目にも止まらぬ疾さで抜き放たれた剣により、呆気なく打ち据えてしまった。
血では無くボキリと骨が折れる音がしたのは、陣衛門が抜いた刃を裏返し峰を使ったからである。
その余裕は彼我の実力差を明確に現し、栗生清太郎を大いに愕然とさせた。
「勝負あり、でよいな」
「ぐ、き、さま――、なぜ――」
「長い鞘と長い柄を見せ、その実刀身を短くして抜き打ちの神速を得るのは良い。が、そう何度も見せては否応無しに間合いが知れよう」
「なっ」
「斬らぬのでしょうや? 旦那様」
当然といった体で尋ねたタキに、陣衛門は小さく頷いた。
それから、もう一度。
ゆっくりと刃を鞘に納め、柄の頭に手を添え音も無くはばきを鞘の中へ押し込む。
「斬らずにすむならばそれでよい。それに、人を喰うのはお前の体にあまり良くは無い」
「まあ。根切りも辞さぬかと思えば、まるで妾の事を幼子のように言われるのですね」
「……そんな事よりも、妖術師の方はどうだ? 人は随分と減っているはずだが」
「あい、確かに……今は気配は感じ取れまする、旦那様」
「分かった。――五平親分」
突然会話の矛先を向けられ、びくりと肩を跳ね上げ驚く五平。
陣衛門の圧倒的な強さを見せられ、先程の威勢など面影も残ってはいない。
「妖術師の方はこちらで勝手に探すから良いとして、『えぼしや』の件は確かに約束してもらうぞ」
何度目かの言葉であるが、五平には今度ばかりはどんな脅しよりも恐ろしい言葉に思えたのだろう。
一も二も無くコクコクと頷く五平を残し、陣衛門はその場を後にすべく踵を返した。
しかし何を思ったか、陣衛門は部屋の外に差し掛かった所で不意に体の向きを変え、部屋の中へ戻って来てしまう。
そうかと思うと、不意に栗生清太郎の前に立ち徐に頭を下げたのだった。
「今の内に言っておく。このとおり、悪かった。妻の無礼、許されよ」
突如そう言い残し、陣衛門は座り込む二人に背を向けて抜刀した。
その背からはこれまで感じられなかった、緊張感が漂ってくる。
五平と清太郎は何が起きたか理解出来ぬまま呆気にとられ、夢でも見ているような心地に陥ったのだが。
しかし眼前に残された地獄絵図がそれを否定する。
首の無い骸と切断された頭部の数々。
未だ天井から滴る血の雨と、生臭く畳に広がる血の海。
それから、血臭立ちこめる中確かに香る女の甘い匂い。
「ほほ、折角の旦那様の心遣いじゃ。二人とも獲り込まれたくなくば、息を潜め動くでないぞ」
何時の間にそこに移動したのか、清太郎と五平の背後から妖婦の声がした。
同時に先程陣衛門が出て行こうとした座敷の入り口から、先程逃げていった筈の手下と用心棒達がぞろ戻って来たのである。
まるで、魂を抜かれ幽鬼のようにのそり、のそりと。
彼らは全員、目の所をくり抜いただけの白い面をしており、思わず発せられた訝しがるような五平の呼びかけにはまったく反応しない。
以後五平と清太郎に焼き付く悪夢は、そこから始まったのである。




