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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
怪談長屋騒動記
56/76

高女ノ五.想い違い




 修羅場である。


 何処が、と問うならば深川に店を構える船宿『えぼしや』は二階、陣衛門が昨夜逗留した梅の間。

 上座には陣衛門が座り、その肩にしながれるようにして妻・タキが寄り添って居る。

 二人の前にはまだ日が高いというのに酒と、少々変わった趣の膳が二つ並べられ、うっすらと白い湯気が立ち昇っていた。

 タキは桜色に上気したうなじも露わに、時折夫から手にした杯に酒を注がれてはこれを飲み干して、ふぅ、ふぅ、と妖艶な吐息を陣衛門の胸元に吐きかける。

 だから、という訳かどうかは定かで無いが、部屋の中は酒の臭いとは別のなまめかしい香のような匂いが燻り広がって行く。

 そんな二人に正対するのは船宿『えぼしや』の女将であり、深川界隈では特に人気の辰巳芸者・梅吉である。

 梅吉は昨夜披露出来なかった三味線をしっとりと弾き、しかし眼前で繰り広げられる痴態のようなタキの戯れに内心では眉をひそめながらも平静を装うのであった。


「ほほ、どうした、梅吉とやら? 自慢の三味線の音が乱れておるぞ?」

「……気のせいでござんす」


 返答と同時にベン、とやや高く三味線が鳴る。


「それ、気のせいでは無いでは無いか」

「辞めないか、タキ。強く出る事が出来ぬ梅吉殿の弱みにつけ込むようなからかい方は、無様にみえるぞ」

「あーい」

「気にしないでくだせぇ、立花の旦那。悋気(嫉妬心)を起こせど表に出さぬが江戸っ子ってもんですが、偶には田舎者のそれを目の当たりにしてみるのも悪くねぇもんで」


 ベベン、と高く三味線が鳴る。

 それから梅吉は三味線を傍らに置き、深々と頭を垂れた。

 タキはそんな梅吉をジロリと睨みつけ、梅吉も顔を上げた瞬間からこれを真っ直ぐ冷たい目でにらみ返す。

 そこに先程の鬼気迫るタキに戦慄した感情は無く、在るのは芸妓としてなのか、女としてなのか、嫉妬に似た苛立ちの灯火であった。


「梅吉殿も。これでは飯も酒も楽しめぬ」

「ほほ、旦那様。この席は妾の物なのでしょう? タキは楽しゅう、ございます故」

「仰る通りでさ、旦那。あっしも、偶にでくわす“行儀”の悪い客を三味線を弾いてあしらう様を奥方様に見せてぇんで、これに応えるのも辰巳芸者でやんす」


 修羅場である。

 にらみ合う二人の女の間、薄氷を踏み割るかのような音を聞いたかのかもしれない。

 陣衛門は流石にたまらぬとばかりに苦笑いしながら、上機嫌に梅吉を嘲るタキを窘めていた。

 そんな夫の取りなしが効いているのか、それともタキの為に特別に用意させた“少々変わった趣の膳”――ももんじい(獣肉)屋から取り寄せた、牛肉の煮込み料理が気に入ったのか。

 タキは相も変わらず梅吉に突っかかるものの、あの、鬼気迫るような妖気漂う怒りは見せず、梅吉もまたこれに応戦するのである。

 ――これは、決して梅吉が“にぶい”わけではない。

 “思い出せない”のだ。

 先刻タキに感じた、恐怖そのものを。

 時に庶民や下級武士の妻などが決して斬る事が出来ぬ派手な着物を纏い、この世の物ならぬ美貌と妖気を恐怖と共に振りまくタキを、噂好きの江戸っ子が誰も口にせぬ事と同じように。

 何故そうであるのか、と問われるならばただ“そうであるのだ”と答えるであろう陣衛門は、しかし心労が無いとも言えず、妻と梅吉のやり取りに内心ではやきもきするのだった。


「……梅吉殿。三味線はもうよいから、俺には茶を貰えるか?」

「あんら、旦那様。このタキめの酌はおいやでしょうや? それとも……そこの芸妓の酌が良いとでも?」

「いや。そうではない」

「では?」

「元々は今日の朝、ここで“まちあわせ”をしておったのだ。昨夜からの騒動が続いたからか、先方からの“渡り”がつかない以上、もう少し待ってみようと思うてな」

「あ、そういえばそうでやしたね、旦那」

「うふ、何を気になさっておいでかと思えば。一度はこの場を後になさろうとしておいでだったではありませぬか」


 言って、陣衛門を見上げニィと笑むタキ。

 屈託の無い笑顔はそれだけで何とも言えぬ色香がにじみ出て、見下ろすやや着崩した襟元から覗く鎖骨が生々しく白い。

 タキの指摘は今更何処で見ていたか、どうやって知ったのかなど問わぬ陣衛門であるが、何故か同席する梅吉も同様であるようだ。

 ――獣肉を口にして気は鎮めても、本調子とはいかないか。

 陣衛門は傍らで妖しくしなるタキに惑うでも無く、タキの矛盾極まる言に何の反応も見せぬ梅吉を垣間見て納得するのだった。


「お前が気の済むまで飯と酒を楽しんだならば、一度ここを離れるのも良いだろうな」

「では、もう少し、かかりましょうなぁ。ほほ、タキめが美事旦那様をその気に昂ぶらせたならば、そこから更に時が必要となりましょう」

「……生憎、『えぼしや』は茶店※じゃありやせんで」※(この場合は色茶屋・現代で言うところのラブホテル)


 女としてではなく、『えぼしや』の女将としてピシャリ言い放つ梅吉。

 言葉がやや固いのは、タキの痴態と挑発に苛立っているからか。

 しかし内心では同時に感心もあって、おくびにも出さぬ梅吉である。

 ――旦那は朴念仁ではないかと薄々感じては居たが、成る程、確かにそうであるらしい。

 いやそれどころか眼前の朴念仁は筋に金が入っているようで、絶世の美女にこうまで言い寄られて尚、微塵も揺るがず色を見せぬのだ。

 助平心も露わに鼻の下を伸ばす男は、傍目にはあまり良い見目ではないが、反対にそうで無い男は二割三割も増して凛と映る物である。

 まして、惚れた弱みを抱えて居るならば、それが二倍、三倍と膨れて見えるのだ。 

 これでは如何に深川界隈で鳴らした辰巳芸者であっても、歯が立つ道理は生半に立つわけがない。

 梅吉は半ばそう呆れながらも、或いは陣衛門が男色を好むのではなかろうかと考え、直ぐにこれを否定するのだった。

 そも、そのような男に見るからに誇り高く情の深そうな異様な女が、妻となりそこまで尽くす様になる筈は無いからだ。

 また陣衛門の方も、男色でありながら世間体を重んじて貴人のような女を娶る侍には、到底思えぬ身なりと言動でもある。


「すまぬ、梅吉殿。タキ、はしたないぞ」

「ほほ、臥所ふしどを共にするは夫婦の理。特に恥じるものではないでしょうや?」

「タキ。困らせてくれるな。お前が俺の“女難”となってどうする」

「……仰せのままに、旦那様」


 駄々をこねる女に言い聞かせるというよりも、取り付く島もないといった調子で窘める陣衛門。

 対して、素直に引き下がるタキである。

 こちらも惚れた弱みなのか、それともそれまでの惚気は遊びであったのかは、ぷくりと片頬を膨らませプィとそっぽを向く仕草を見れば一目瞭然であろう。

 否、あそこまで臆面も無く、見ようによっては必死に惚気でおいてのこの仕打ちは、例えいけすかぬ女だとて同情を禁じ得ぬ梅吉であった。

 ――旦那。それはちぃと、薄情ではないですかい?

 そんな彼女の気風が、不本意ながらも抗議を口にしようとした時である。


「もうそろそろ良いのでは無いか?」


 不意打ちに、陣衛門は少し大きな声で廊下の方に問いかけた。

 明らかにタキや梅吉へと掛けられた言葉では無い。

 一拍、戸惑うような空気が無音に沈んだ後。

 徐にゆっくりと障子が開き、何時の間にそこに居たのか、小柄な中年の男が姿を現したのだった。

 男は五十かそこらの歳に見えて、よく日に焼け小柄な体躯ながらも引き締まった体は、敏捷な猫を思い起こさせる。


「……へへ、立花様。何時からお気づきに?」

「お前さんは……確か」

「へぇ。ここの仕入れに先日雇っていたただいた、はちでさ」

「呆れた。お前さんが旦那と待ち合わせをしていたのかい?」

「申し訳ございやせん、女将さん。騙す……つもりではありやしたが、これには深いワケがありやして」


 八と名乗った男はそう言いながら頭を掻いて、白い歯を見せ愛想笑いを浮かべた。

 なんとも愛嬌のある笑みではあるが、突然の事に陣衛門は兎も角、梅吉の頭はついてこないようだ。

 そんな、呆気にとられる梅吉を置いて陣衛門は先程の八の問いに淡々と答えた。


「昨日の夜からこちらの様子を伺っておった事は気付いていたが、確証はついさっきだ」

「そうでやすか。流石でやすね」

「――、ちょいと八さん。あっしの話がまだ終わっちゃいないよ」

「うへ、女将さん、そう怒らないでくださいや」

「あっしを騙しといて怒るなとは随分な物言いだね?」

「その事についてはこの通り、謝りやす。本当に、すんませんです。でも、女将さん。さっきも言った通り、これには深いワケがありやして」

「じゃあ、すぐお言いよ。その深いワケって奴を」

「へぇ。そりゃあもう。……ここじゃ何ですから立花様、部屋に入っても? 女将さんに説明する深いワケってのは、旦那にも大いに関係あるんで」


 悪びれも無く飄々と言いながら、八は部屋に入って障子を閉め、改めて正座をしたのである。

 身なりと言動はどう見ても武士のそれでは無い。

 大方、高原藩が使う密偵か何かであろう。

 考えても見ればいくら与力・斉藤真之介の仲介があるとて、主家の姫君を中心とした騒動の渦中に得体の知れぬ浪人者の助力をおいそれと求めるには無理がある。

 場所柄、武家の者が“わたり”となるであろうと思い込んでいたが、こういった庶民に紛れ込みやすい者の方が自分と釣り合いが取れ目立たぬ分、適任であると高原藩の者は判断したようだ。

 陣衛門はそう考えながら、油断無く愛想を振りまく八の視線が傍らのタキに及んでない事に気が付いた。

 どうやら妻は“気を利かせた”ようで、その気配を極力押さえ込んでいるらしい。

 無理をするなと声をかけようと考えた陣衛門であったが、姿を晒せば晒したでまた一悶着を起こす絵が容易に頭に浮かび、口をつぐむのである。

 何より、タキ自身本当のところは己の性をわきまえて、悪戯に『えぼしや』で時を過ごすよりもさっさと陣衛門と二人きり、怪談長屋に戻りたい気持ちもあるのは、燃ゆる女心の複雑さ故なのか。


「しょ、と。失礼、立花様、女将さん。……さて、何から話して良いやら」

「まず、俺が請け負った件の話はそもそも梅吉殿の前で話せるのか?」

「へぇ、“噂話”の方は……お家的に問題ありやすが、立花様が関わるのは妖術師のほうでしょう?」

「ああ、そうだ」

「その辺、深川で船宿を営む女将さんにゃ、わきまえってもんがありやすし大丈夫かと。ねぇ、女将さん?」

「わかってるよ、それ位。つまらない詮索はしやしないから、それよりもさっさと深いワケとやらを説明しないかい」

「へぇ。それでは――」


 平身低頭、八は愛想笑いを絶やさずペチンと膝を叩いて、徐に説明を始めたのだった。

 その態度は謙虚に見えてどこかふてぶてしく、かつ堂々としているから思わず感心してしまう陣衛門である。

 さておき、さっとなされた八の説明は以下のような内容であった。


 ――“さるお屋敷”で頻繁に起きる仮面の怪異にほとほと困った家中の者らは、とあるつてを辿りある人物に頼る事となる。

 頼ったのは与力・斉藤真之介であり、そこから立花陣衛門を紹介をされたの一週間程前の事。

 が、“さるお屋敷”としては怪異に纏わり何処からか湧いたお家の不名誉な噂話もあり、おいそれと外部の者に頼るのもまた不都合がある。

 噂話は家中の者と親交のある斉藤真之介はさておき、公儀密偵の耳に届いてはいよいよ都合は悪い代物で、身分の低い陣衛門を頼るにはそれなりの信頼できる材料が必要であった。

 そこで家人らはかねてより内偵を進めていた、徳丸一家と『えぼしや』の騒動に陣衛門を割り込ませてみる事にしたのである。


 というのも、それまでも家人らは捕らえた仮面の男らの身元をある程度は調べており、彼らが徳丸一家の破落戸である事は突き止めていた。

 これに噂話に出てくる妖術師がどう絡んでいるのか、その内偵を手始めとして陣衛門に頼むつもりであったらしい。

 無論、一介の浪人者が徳丸一家のようなやくざ者らと対峙するのは無謀を通り越して自殺行為に近い。

 しかしだからといって“さるお屋敷”が直接公儀に働きかけこれを詮議するわけにもいかず、斉藤真之介の後ろ盾もある立花陣衛門ならば、直接対峙出来ずともいざとなれば公儀の力が及ぶであろう、という話に落ち着いたのだとか。


「言っときやすが、まさか昨夜と今日に、立花様がいきなり徳丸一家と事を構えるたぁ、思っても見ませんでした」

「しかしお前は“こう”なる事を狙っておったのだろう?」

「……へぇ。しかし、誤解しねぇでくださいやし。本当なら、今朝にでもお目にかかって、これこれこうして欲しいんで、と説明はするつもりだったんでさ」

「あっしには何の説明も無しにかい?」


 不機嫌な、梅吉の声に八は慌てて彼女の方へ向き直り、身振り手振りを加えながら弁明を続ける。


「や、や、や、女将さん。そちらもちぃっと誤解があるんでさ」

「どこがだい? さっきから話を聞いてりゃ、あっし――『えぼしや』はただ利用されているだけじゃないか」

「そりゃ、形の上ではそうでやすがね。しかし結果から言やぁ、立花様を介してこの『えぼしや』を、女将さんを救おうって話じゃあありやせんか」

「ふん。そんな話、今の今まで聞いちゃなかったんだけどねぇ?」

「だからですよ、女将さん。おらぁ、その話を今しているんですぜ」

「盗み聞きしていた弁明に、口から出任せを抜かしている風にも見えるぜ?」

「勘弁して下さい、女将さん。おらぁ、本当なら立花様が“何事も無く”『えぼしや』に逗留したその朝、女将さんを交えてこの話をする積もりだったんですから」

「ふん、どうだか」


 取り付く島も無い、梅吉の態度である。

 一方、陣衛門はただ無言のまま八の言葉に耳を傾け、何やら考え込んでいる。

 それから徐に、八に質問を投げたのだった。


「八、とやら」

「へぇ」

「“仕事”の委細あいわかった。が、二、三聞きたい事がある」

「へぇ。請け負う金子ですかい?」

「いや。徳丸一家についてだ。お前は“さるお屋敷”の下男か何かなのだろう?」

「左様で。へへ、時にはこういった“密偵”のような真似事もいたしやすがね」

「ということは、俺に仕事の話を持ってくるより前から徳丸一家の事をある程度調べているのだな?」

「そりゃあもう」

「ならば教えて欲しいんだが、連中、どのくらいの数が居る?」


 陣衛門の言は八にとって意外なものであったらしい。

 見るにみすぼらしい浪人者が、深川界隈を席巻するやくざ者一家と事を構える仕事を前にして、報酬の金子よりもあろう事か相手の数を聞いてきたのである。

 あるいは武士の誇りが銭勘定を後回しにさせたのかも知れないが、それならば徳丸一家が抱き込んでいる役人の名だとか、怪しい者が出入りしていないかだとか、先に聞くべき事があるはずだ。


「……ざっと百は下らねえかと。屋敷に腕っ節の強い奴、頭が回る奴があわせて二十程、この界隈に飼っている手下が八十って所でしょうか」

「居を構えている場所は?」

「『えぼしや』から深川富岡八幡を挟んで向こう側、山本町に『たつみ屋』という反物を扱う大店があったんですが、そこを乗っ取って根城にしているようで」

「そうか」


 徒党を組んだやくざ者にしてはかなりの規模である。

 しかし八の説明に淡々とした返事をした陣衛門は顔色一つ変えず、しばし迷った後――


「八、とやら。もし、その『たつみ屋』で騒動が起きたら、連中が懇意にしている役人どもはどのくらいで駆けつけるだろうか」

「な?! だ、旦那――」

「ちょ、立花様! 一体何を言い出すんで? まさか、ただ殴り込もうって腹じゃあ無いでしょうね?」


 などと、とんでもない事を事も無げに言い出し、慌てる八。

 対照的に梅吉は陣衛門の思惑に思いを馳せ、すぅと表情から血の気と感情を抜き取るのである。

 陣衛門が言わんとすることは、如何に手練れであるとて、どう考えても自殺行為であった。

 陣衛門自身はそれがわからぬ程鈍ではないだろうが、しかし慌てる八と何やら考え込む梅吉に頭を振るのだった。


「殴り込む、とは少し違うが些か考えがあってな」

「さ、左様で」

「して、八。どのくらいの時が掛かりそうだと思う?」

「連中、幾人かの廻り同心の弱みを握ったり、鼻薬を嗅がせたり(賄賂を渡したり)していやすからね。そうさなぁ」

「……半時※さ」(約一時間)


 それまでとは打って変わった、梅吉の冷たい声である。

 俯き呻くように吐き出した言葉は、怨嗟が確かに感じ取れた。


「あっしの死んだ前の亭主の話でやすが、前に『えぼしや』の前で徳丸一家の破落戸と喧嘩になり、腹を刺されやしてね。番頭の亀さんに急いでお役人を呼びにやって、ようやく来たのが半時経ってから。勿論、旦那はおっ死んじまってたさ」

「女将さん……」

「以来、あっしがこの『えぼしや』を切り盛りしてきやした。……ねぇ、旦那?」

「む?」

「もし徳丸一家の根城に殴り込みに行くなら、あっしも連れて行ってくださいやし」


 青白い、梅吉の顔色。

 台詞には迷いなどないようで、それが一層思い詰めたかのような彼女に凄味を増す。

 そんな豹変した梅吉に、今度は陣衛門が内心やや戸惑って、えぼしやはどうするのだと窘めて見たのだが。


「いや、申し訳ねぇ話でやすが、旦那や死んだ亭主に義理立てての事じゃねぇんですがね。なんというか、今日の一件やら亭主が死んだ時の事を思い出す内に、腹の底が煮えてきたような気がしやして」

「だからといって、梅吉殿が捨て鉢になる事はあるまい」

「いいえ、旦那。旦那にそこまでしていただくからこそ、あっしも覚悟ってもんが固まるんで」


 と、一層思い詰めたかのように頑なになる梅吉であった。

 恐らくは、これまでに徳丸一家から様々な嫌がらせ受け、“送り後家”などと陰口を叩かれながらも必死に生きてきた反動もあるのだろう。

 あるいは、ある日眼前に自分の為に命を賭けてくれるという者が現れたならば、全てを投げ出し殉じてしまうのも、無理からぬ話であるのかもしれない。

 ――さて、どうしたものか。

 陣衛門は人知れず途方に暮れる。

 彼にしてみれば、徳丸一家の根城に殴り込むよりも、自棄を起こして頑なになった梅吉の方が余程手強い。

 ましてこの場には気配が薄れどもタキがいる。

 下手に慰めると、またどの様に荒ぶるか想像するだに恐ろしい。

 ――まったく、タキの言う“女難”とやらは本当に厄介であるものだ。

 内心で愚痴を吐く陣衛門に、果たして意外な所から助け船が出た。


「ほほ、そのような覚悟、旦那様には無用じゃ」

「へ? あ……」

「奥方、様?」


 タキである。

 八にしてみれば何時からそこに居たか、という考えが浮かぶはずであるが、突如として現れたその美貌に思考を奪われ、もとより“そうであった”と信じ込まされるタキの妖気に、呆気なく疑問は霧散した。


「旦那様、お気持ちはありがたいですがこのタキめに気兼ねは無用なれば、存分に」

「……だが、流石に全て斬るわけには行かぬぞ?」


 陣衛門の言葉に、梅吉はこくりと頷く。

 そうだ。

 如何に立花陣衛門とて、すべて斬り伏せる事などむりな話なのだ。

 殴り込みに行くにしても、日や機を伺う必要があるはずだ。

 梅吉はそう“間違って”、自身の言動を棚に上げタキを睨む。

 しかしタキはこれに反応するでも無く、しなだれていた頭を上げて立ち上がると、八に向き直り見下ろして初めて声をかけたのだった。


「そこの」

「へ? へぇ」

「先に申した悪党共の根城、手練れと賢しいのが二十は居るとゆうたな?」

「へぇ」

「その内、侍の手練れはどのくらいじゃ?」

「へぇ。用心棒のお侍は五人おりやす。その内、五平親分が“先生”と呼ぶ用心棒が一番腕が立つようで」


 どうやら八は身分の高い(と思われる)者に弱いらしい。

 それまでのふてぶてしさなど何処へやら、タキの高圧的で貴人のような物言いにすっかり尻込みをして、頭を垂らしながらそう説明したのである。


「先生、というのは昼間の彼奴か」

「では高く見積もってあの“軽業師”が五人。こやつらを斬らば、あとの有象無象など霧散しましょうや?」

「む……それで済めば良いが」

「その時は根切りになさいませ。少々数が少のうございますが、タキは我慢いたします」

「いや、根切りに皆殺しては件の妖術師の所在が確かめられなくなる」

「そのような事。敷地に入らずとも、近寄れば所在はハッキリしよう程にはタキは回復してございますれば」

「……なるべく穏便にすませたいのだがな」

「そう仰るならば、今すぐ『たつみ屋』とやらに赴いて片っ端から斬り殺し、尋ねれば良いのです。妖術師はどこにいるのか、と」


 事も無げにそう言って、嗤うタキ。

 同時に、ここではじめて自分の“間違い”に気が付いて梅吉はゾっとした。

 陣衛門とタキは、決して悲壮にも“どのくらいの手勢ならば相手取れるのか”を話していたのでは無い。

 タキは、まるで草刈りの相談をするかの如く多勢の相手を“何処まで斬り殺すのか”、陣衛門と相談をしていたのだ。

 その口ぶりは陣衛門が何人斬ろうが問題は無いといいたげで、何より恐ろしいのはタキおろか陣衛門ですら、その気になればいくらでも皆殺しにできるといった口ぶりである。

 これには八も肝を潰されたようで、慌てて二人の会話に割り入り、タチの悪い冗談は辞めるよう取りなした。

 が。


「話を聞く限り、徳丸一家は公儀と一部繋がり、手に負えぬのだろう? なれば道理を通さずさっさと力尽くでどうにかした方が良い」

「それができねぇから、おらぁも女将さんも苦労してるんじゃねぇですか」

「そ、そうですよ旦那。ともすれば、お役人に咎められるのはこっちでやすし」

「その辺りは心配ない。俺がしかるべき方からこの仕事を回されたと言う事は、“そういう事”は気にする必要がないということだ」

「しかし旦那。宮本武蔵みたいな剣豪じゃあるまいし、現実に刃物ちらつかせた野郎を二十も三十も相手取って喧嘩できる奴なんざ、いやしませんよ」


 これではどちらが自棄になっているのか、わかったものではない。

 梅吉は急速に頭と肝を冷やしながらも、必死に陣衛門を諫めていた。

 具体的な仕事を持ち込んだ八とて同様である。

 しかし当の陣衛門は事も無げに今一度首を振り、心配するな、とだけ口にした。

 それからやっと、何かを思いだしたかのように――


「そういえば八。まだ報酬となる金子の額を聞いておらぬが……如何程になる?」


 などと暢気に尋ねて、困った風に後ろ頭を掻いた立花陣衛門である。

 その姿を楽しげに眺めるタキの顔は、朗らかなれど青白い上生気が感じられない。

 だが、それを見て梅吉は言い知れぬ不安と苛立ちを抱えて、不意に先程起こした自棄の正体を見た気がした。

 自身、徳丸一家への恨みだと思い込んでたそれは、眼前の男にしなだれる事が出来ぬ、女の悔しさではないかと感じたのだ。

 ――まいった。

 これじゃあ、どちらが“高女”かわかったものじゃない。


 久しく抱く事の無かった小娘のような嫉妬に、梅吉は戸惑いながらも持てあましていたのだった。





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