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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
怪談長屋騒動記
54/76

高女ノ三.謝礼




 船宿『えぼしや』は深川富岡八幡の側、大和町にある小さな船宿である。


 当時深川の船宿は明暦の大火以降に置かれた木場で働く職人衆の会合や、吉原に船で繰り出す者達の待ち合わせ等に使われ、本所も近い事から武士の利用も珍しい事では無かった。

 だがそうかといって、決して貧乏な庶民が足を運べるような場所でも無い。

 まして陣衛門のような見るからにみすぼらしい浪人者には、豪勢な二の膳、三の膳を運ばれるようなもてなしどころか、客として訪れるような縁すら無い場所であった。


「……梅吉殿。これは?」

「お気になさらず。これらはあっしのおごりでやんす」

「夜も遅いというのに、よくこれだけの料理を……」

「うちの板前を叩き起こして作らせやした。なんせ、立花の旦那にはあっしをかどわかしから救っていただきやしたから」

「いや、だがいくらなんでもこんなには食えぬぞ」

「ならば包ませましょう。奥方様への土産にでもしてくだせぇ」


 梅吉はそう言って、三味線を脇に置いたまますくと下座から立ち上がり、料理が盛られた三つの膳を挟んで陣衛門の正面に移動し座ったのである。

 それから白い手で徳利をつまみ、両手でついと陣衛門の前に差しだして一献、と口にした。

 が、陣衛門は猪口を手に取るでも無く、困ったような顔を浮かべて右手で梅吉が差し出す徳利の口を塞いだのである。


「すまぬが、酒は飲めぬ。明日の朝、もしかしたら貴人と言葉を交わすやもしれぬからな」

「そう、ですか。そういえば旦那は待ち合わせをしていると仰っていやしたね」

「ああ」

「詮索はいたしやせんが、それで松の間への部屋替えをお断りに?」

「そんな所だ。『えぼしや』の女将が拐かされ、侍に助けられて戻って来た、という騒動は宿中に知られたやもしれんが、これ以上は目立ちたくなくもある」

「う……すいやせん、旦那。どうもあっしは柄に無く舞い上がっていたようで」


 客に素っ気ない反応を返されるのは初めての事なのだろう。

 肩を落としながら梅吉は優雅な仕草で徳利を脇に置き、しかし元の下座に戻り三味線を弾くでも無く所在なさげにその場に座り続けた。

 その姿は実に威風堂々としたものに見えなくも無いが、視線は忙しなく泳いで彼女の戸惑いが手に取るようにわかる。

 また陣衛門にしてみても、正面にこの界隈で評判の辰巳芸者を据えての夜食となれば、これはもう居心地の良いものではない。


「……梅吉殿。好意は有り難いが、そう正面に鎮座されては食い辛い」

「しかし立花の旦那。あっしとしてみれば、どうにか感謝の気持ちを伝えてぇんです」

「俺のような貧乏浪人には、このような夜中にこのような馳走を用意して貰えれば十分だ」

「それじゃああっしに立つ瀬がございやせん。こう見えてあっしはこの界隈じゃ鳴らした芸者でやんす。そのあっしが酌を断られたとあっちゃ、他に何ができやしょうか?」


 ――三味線があるではないか。

 指摘しかけて、口に白米を運び一緒に噛みつぶして飲み込む陣衛門。

 時刻は夜八つ(午前二時)をとうに過ぎている。

 先程“明日の朝、もしかしたら貴人と言葉を交わすかもしれない”と口にした陣衛門の手前、この時刻から弾くのは辞めにしての愚痴であると気が付いたからだ。

 いくら本所が近いとは言え船宿や木場が集まる深川に、早朝から職人でもない貴人が邸宅から徒歩でやって来るとは考えづらい。

 となれば、その貴人は『えぼしや』か、それともこの近所のどこかに予め泊まって居る事が予想するのは容易くもある。

 なにより遅い時間から売れっ子の梅吉が三味線を弾けば、嫌でもその客がどのような輩かと、噂が立ちやすくなるだろう。

 否、今宵梅吉の窮地を救った陣衛門の行いはそれだけで噂の種となり得るのだが、船宿を利用し貴人と待ち合わせしているという立場がどのようなものか、理解出来ぬ梅吉では無い。


「ではこうしよう、梅吉殿。今夜の一件、この飯以外に後日改めてこちらから謝礼を求めるというのはどうだろうか?」

「ってぇ、いいますと?」

「見ての通り、俺は“このような場”での遊び方も知らぬし、得意でも無い朴念仁だ。今は酒も飲めぬ」

「の、ようでやんすね」

「しかし梅吉殿はこの飯を振る舞う以上に、俺に感謝の気持ちを伝えたいと考えている。相違ないか?」

「へぇ。旦那になら、体を好きにしてもらってもかまわねぇ位、感謝しておりやす」


 言いながら、先程までとは違い真っ直ぐに目を合わせてくる梅吉。

 芸妓らしい艶がありながらも真剣な表情は、その言葉に二言は無いと訴えかけて、内心陣衛門を焦らせたのだった。

 勿論、色香に惑っての事では無い。

 嫉妬深い女房の事を想い、“梅吉の身を案じた結果”から来る焦りである。


「梅吉殿。冗談でもそのような事は言う物では無い」

「冗談でもこんな事は言いやしやせんよ、旦那」

「……確か。辰巳芸者は春をひさぐ事はせぬと聞いているが」

「へぇ。ですから、こいつぁ余程の事だとおもって下せぇ」

「困る」

「旦那、立花の旦那。あっしはそんなに色気のねぇ女ですかい? それとも、芸妓の体が穢れたもんだと考えている口で?」


 江戸の気風がそうさせるのか。

 売り言葉に買い言葉とばかりに、梅吉は徐々に言葉の端に昂ぶりゆく感情を乗せてずい、と身を乗り出してきた。

 “あの”梅吉が男に言い寄っている姿は、見る者が見れば卒倒しかねない珍事である。

 もっとも梅吉にしても心の底からそうであるわけでなく、拐かしに遭い、すんでの所で助けられ、その相手が妙な侍であったと来て、半ば捕らえどころの無い現実にあてられての行為であるのだが。

 しかし当の本人はどこか夢心地で、揺らぐ胸の炎の赴くまま、感情が辰巳芸者・梅吉を塗りつぶさんと沸き起こった頃。


「そうではない。ただ――」

「ただ?」

「ただ、俺は女房一筋でな。梅吉殿のような美女がてずから体を差し出してきたとして、しかし困るのだ」


 陣衛門はそう言って、ぽりぽりとこめかみを掻いてから湯飲みに入っていた茶をズ、と啜った。

 一方梅吉は毒気を抜かれ、乗り出した体を元に戻しふと、膳に盛られた料理が半分程平らげられ、箸が置かれている事に気が付く。

 ――自分は一体、何を必死になっていたんだろうか。

 引き潮のように冷えて行く心に梅吉は、先程の必死さを恥じて息を一つ深く吐いた。

 胸を焼くような先程の激情はナリをひそめ、残り火のようなものが胸の奥で燻っている。

 その熱は先程、永代橋の上で感じたものと同じで梅吉を僅かに苛立たせるものであった。


「……失礼しやした、旦那。あっしは何分、これと決めたら見境が無くなる性質でして。はしたない真似をいたしやした」

「いや。俺とて、辰巳芸者が――梅吉殿がどのような気風の者かはわかるつもりだ。先程の言葉も決して安いものではないともよく理解している」

「そう言って頂けるとありがてぇです」

「そうか。いや、俺の方も恥をかかせて申し訳ない」

「よしてくだせぇ、旦那。ここにはあっしと旦那の二人きり。恥なんてありやしませんよ」

「そういうものなのか?」

「船宿ってぇ所はそういう所です。しかし、参りやしたね。飯は食ってもらいやしたが、酒も芸事も、やぶれかぶれに差しだしたあっしの体もダメだってぇと、旦那が後日求めてくる謝礼とやらが急に怖くなってきやした」


 半ば自嘲気味に、もう半分には恨めしさを込めて梅吉は笑う。

 陣衛門は居心地の悪さを誤魔化すように、もう一度ズ、と音を立てて茶を啜りはぁ、と息を吐いてため息を隠し肩をすくめた。


「何。この旨い料理と酒を、今度は女房と友人に振る舞って欲しいだけだ。……日を改めてな」

「それはもうかまいやせんが……そんな事でいいんですかい?」


 言葉尻には呆れた心情を隠しもせず吐露する梅吉。

 その眼差は雄弁に“また女房か”と語られて、陣衛門の首筋にじっとりとからみつく。

 同時に、世辞にも生活に困ってはいないとは言えぬ目前の浪人の、深川一の芸者の誘惑に微塵もなびかせぬ女房とはどのような女なのかと興味がわく梅吉でもある。


「――わかりやした。それで一先ずは引き下がりやしょう。ただし」

「ただし?」

「旦那、今後も何かありやしたらあっしを頼ってください。何、金策でもなんでもいい。喜んで手助けさせていただきやす」

「……相わかった」

「では旦那、話が纏まった所でそろそろ膳を下げて布団を敷きやしょうか。残った料理はオリにでも詰めておきやす」

「頼む。――ああ、すまん。その前に茶をもう一杯もらえるか?」

「わかりやした」


 梅吉はそう返事を返しながらすくと立ち上がり、障子を開けて廊下の向こうに何か声を掛けた。

 程なく人の気配が増え、奉公人が数名室内にやって来たかと思えば膳を下げ、ある者は隣の部屋で寝具を用意し、またある者は熱い茶を運んで来る。

 しかし慌ただしいのは一時の事で、すぐに室内は陣衛門と梅吉の二人だけに戻った。

 それから、陣衛門が熱い茶を啜る頃には梅吉は下座に戻り、深々と礼をして部屋を後にしようとしたのだが。

 待て、とこれを呼び止めたのは他ならぬ陣衛門である。


「何でしょう、旦那。やはり今宵は女房の事を忘れ、羽目を外したくなりやしたか?」

「いや、そうではない」


 悪戯っぽく笑いながら冗談を口にする梅吉に、陣衛門はしてやられたとばかりに苦笑いを浮かべた。

 今夜、何度目かの苦笑いであったが、梅吉が目にする陣衛門の色濃い感情が張り付く表情はこれが初めてであるかもしれない。


「その、今度連れてくる友人なんだが……」

「へぇ。数が多いんで?」

「いや。女房とそいつ、二人だ」

「――なら、手に入る品ならば大概はなんとかなりやす」

「うむ。そこだ。その友人がな、大の甘党でな。菓子も付けてやれるなら頼む」

「へぇ。わかりやした」


 言い残して部屋を後にする梅吉。

 後に残る陣衛門は、茶を飲み干し床に就く準備をはじめる。

 その最中、ふと陣衛門はこの日いつもよりやや口数が多かった自分に気が付いて、もう一度苦笑いを浮かべた。

 勿論、その事実も含め今夜の事はすべて妻・タキに筒抜けとなろう事を予想して、まるで他人事のように自身の苦労を想像したからである。

 果たして、いつもより饒舌であった理由は思いがけぬ飯の為か、美しい芸者の熱にあてられたからか。

 床に就き微睡む陣衛門は、夢にタキを見てその理由すら筒抜けであった事を知るのであった。

 ――どうやらタキの言っていた“女難”とやらは続くらしい。


 翌朝目覚めた陣衛門は何時の間に付いたのか、右腕にくっきりと浮かぶ心当たりの無い小さな人の歯形を見て、やはり苦笑いを浮かべるのである。



 陣衛門が与力・斉藤真之介から聞いていた、高原藩への“渡り”となる人物との顔合わせは確かに『えぼしや』で行われる手はずであった。


 詳細は偶然を装い、先方から声を掛けてくるのを待つべし、というものである。

 陣衛門はこれに自室に留まっていたり、意味も無く廊下を歩いたりして機会を待ち続けたのだが、それらしき人物が現れる事は遂に無かった。

 そしてとうとう朝を過ぎ、昼九つ(正午)より少し前となった頃。

 部屋でさてどうしたものかと首を傾げる陣衛門の元に、一階から何やら怒号が飛びかい始めるのが聞こえて来たのだった。


「てめぇ、どの面下げてここへ来やがった!」

「失せな三下。今日は梅吉には用はねぇよ」

「何をこいつ! 昨日の夜、てめぇらが何やろうとしたか、しらばっくれる気か!」


 降りて覗いて見ると、店先に柄の悪そうな若い男が四、五人。

 加えて『えぼしや』の番頭らしい初老の男がこれに声を荒げ、人だかりを作っていた。

 どうやら男らは昨夜梅吉が言っていた徳丸一家の者達であるらしく、性懲りも無く『えぼしや』にちょっかいを出してきているのか、ふてぶてしくも激高する番頭に何かを要求している体に見て取れる。


「俺達ぁ、なにもしてねぇよ。言いがかりはよしてくんな」

「何をいけしゃあしゃあと!」

「本当だって。今日だって、親分が入れ込んでる梅吉姐さんを救ったっていう、お侍を見物しに来ただけなんだからよぉ」

けぇれ! 帰らねえと、拳骨をてめぇの鼻っ柱にブチこんでやるぞ!」


 言葉面を捕らえれば、番頭の方が破落戸の類に見えるだろう。

 しかし陣衛門を含む周囲の人間は、男達の方こそ無法の徒であることは十分に承知で、また昨夜何があったのか理解しているだけに番頭を諫めようという人物は現れない。

 だが一触即発で喧嘩沙汰となりそうな空気の中、誰かが番頭を止めねば大騒ぎになる事は確実である。

 それは陣衛門にとっても、船宿『えぼしや』にとっても好ましい事では無く、また徳丸一家の者と思われる男達にとっては好都合な事だ。

 故に陣衛門の決断は疾く、近くに居た奉公人に自身の藁草履を用意させ、音も無く店先に姿を現し激高する番頭に声をかけたのだった。


「番頭。世話になった」

「あん? 今取り込みちゅ……た、立花様?!」

「どうやら“待ち人”とは逢えぬようでな、今日の所は引き上げる事にする」

「ああ、少々、少々お待ちを。女将より立花様には何日でも逗留して頂いてよいと伺っております」

「いや、それには及ばぬ。それに丁度俺に用がある者らも居るようだし、店に迷惑がかかるとまずい」

「……失礼、お侍様。もしやお前さんが梅吉姐さんを拐かしから救ったという、噂の?」

でめってろ! この御方はてめぇには関係ねぇ!」

「番頭、気にするな。……噂の主かどうかはしらんが、如何にも俺は昨夜梅吉殿を“憑き物”から助けた事は認めよう」


 瞬間、店先で番頭と言い争いをしていた男達の表情がさっと厳しいものに変わる。

 睨みつけるような眼差しからはどれも殺意に近い敵意が混じっていたが、陣衛門は動じる事無く涼しげに一人一人の顔を見て回っていた。

 ――正確には、見ていたものは顔では無く、幾人かに纏わり付いていた特異な気配を見ていたのであるが。


「そうですか。……いや、申し訳ねぇ。あっしらはここらを仕切る徳丸一家の者でして」

「そうか。――では番頭、これで失礼する。梅吉殿には馳走になったと礼を言っておいてくれ」

「ああ、立花様! お待ちください、今女将は所用で出ておりまして――立花様!」


 焦ったように、当然の如くスタスタとその場を後にする陣衛門の背に、焦る番頭の制止の声と周囲の呆気にとられた視線が注がれた。

 一拍置いて破落戸共は陣衛門の後を追いはじめ、またそれらの気配を感じて安堵を覚える陣衛門である。

 徳丸一家の者達が拐かしに失敗した翌日、梅吉でなく自分を訪ねて来た事を鑑みて、『えぼしや』に留まる事は得策ではないと判断しての行為であった。

 何故に高原藩への“渡り”となる人物が約束の刻限に現れなかったか、疑問と目立ちすぎてしまった自身への心当たりはあるが、なんにせよこれ以上騒動を大きくするのは避けた方が良いだろう。

 陣衛門はそう考えながらも、後からついて来る男達に意識を向け、もう一度先程“見た”気配を確認する。

 ――昨夜斬った“あの面”の気配をまとう者が三人、か。

 そういえば、鶴姫襲撃の下手人も面を被った破落戸だったか。

 少々出来過ぎているように感じるが……どこかで繋がっているのかもな。

 タキは“蠱惑魔”を操る妖術師が背後に居ると言っていたが……さて。


「旦那」


 暢気と言うべきか、眼中に無いと表現すべきか。

 悪名轟く徳丸一家の破落戸数名に背後からついてこられ、しかし身の危険を感じるそぶりも無く昼前の深川から日本橋へと歩いて居た陣衛門を、破落戸の一人が呼び止めた。

 丁度、永代橋が見える川沿いの道中である。


「……ん? まだ何か用か?」

「用って程ではございやせんがね。旦那、悪い事はいわねぇ。『えぼしや』から手を引いちゃくれやせんか?」

「手を引くも何も、俺は端から手など出しておらぬ」

「では、梅吉が徳丸の親分の元に行く事をもう邪魔しねぇ、と?」


 ドスを利かせた声で、破落戸の中の一人が懐に手を入れながらそう言った。

 白昼堂々と、川沿いの道で懐の匕首に手を伸ばすというのは中々の暴挙である。

 いや、もしかしたらそれがまかり通るだけの力を徳丸一家が持っており、そのような輩を相手にしていると陣衛門が認識していなかっただけなのかもしれない。

 しかし陣衛門は相も変わらず、表情を変える事も無く凄む男達に向き直って、あろう事か首を横に振った。


「邪魔をする、しないではない。同じ場面に出くわせばつい手を出してしまうのは、人情というものではないか」

「じゃあ、仕方ありやせんね」

「まあ、まて。懐の獲物を抜く前に、ちと確認したい事があるんだが……その返答如何では悪いようにはせん」


 嘘である。

 陣衛門としては、梅吉に肩入れする積もりは無くても“面”の件もあり、徳丸一家と今以上に揉める事は不可避となる予感は強く在った。

 結果としてどうなるかまでは見通せはしないものの、彼らが怪異と関わり、自分と妻・タキと遭ったならば恐らくは、只では済まないだろう。

 なれば、その果てに女が一人助かり、その縁を手繰って探し人に行き当たる事もあるのではないか、と考える陣衛門だった。

 故に嘘は降りかかる火の粉を払うためでなく、火の粉の出所を探る目の役割を担い男達に投げかけられた。


「お前とお前、それとお前。昨夜俺が面を斬った連中だろう?」

「なっ?!」

「何で――て、てめぇ!」

「まあまて。あの面、どの様な品か知っていてつけていたのか?」

「それがどうした!」

「……実は最近、さるお屋敷で“蠱惑魔”というあやかしが取り付いた面をした破落戸が捕まったらしくてな。可哀想に、面に操られていただけだというのに、身に覚えのない罪で獄に付き責め殺されてしまったらしい」

「……何が言いたい?」

「“蠱惑魔”は妖術師が扱う妖だ。これを面に込めると、魅入られた者は力を得るが妖術師に操られる事になる。俺は縁あってそういう品には鼻が効くのでな、それで昨夜声をかけたのだが……心当たりはないか?」

「そんな、出鱈目――」

「そうか? 本当に仲間がここ数ヶ月で何人か消えていたりしてないか?」


 陣衛門の問いかけに、男達は無言でもって応えた。

 それだけではない。

 かれらを取り巻いていた敵意には明らかな動揺が混じり、視線も泳いでいる。

 ――案外、江戸も狭いのかもしれぬな

 思いながら陣衛門は踵を返し、再び歩き始める。

 背後の破落戸共はついて来る気配は無い。

 陣衛門にしてみれば彼らの事など興味は無く、また破落戸とはいえ殺めたり傷つけたりすれば色々と面倒な事になる為、荒事になるにせよ話し合いで解決するにせよ、極力関わり合いにならぬようにする事を是としていた。

 唯一梅吉の件については気がかりで無いと言ってしまえば嘘になるが、流石に拐かしにあった昨日の今日で梅吉も警戒するであろうし、再び攫われることはない筈だ。

 後日、宇喜田を連れ『えぼしや』に赴き、“謝礼”を受け取りがてら公儀に徳丸一家への対応を任せてしまえば、これ以上余計な面倒事に巻き込まれる恐れは無いだろう。

 何より――


「荒ぶったタキでは下手をすると、妖術師の操る妖もろとも連中を喰い尽くしかねんからな」


 漏れ出た呟きは、誰の耳にも届いてはいない。

 やがて陣衛門は永代橋にたどり着いた頃、昼九つの鐘が遠く耳にして振り返った。

 そこにはあの破落戸共の姿は無く、様々な人々が慌ただしく行き来する姿が目に入ってくるばかりだ。

 その光景に陣衛門は何を感じたのかしばしばし眺めて、徐に踵を返し『えぼしや』へと戻って行くのである。


 この日、陣衛門が一体誰の身を案じて行動をしていたのか、この場には理解出来る者は一人として居なかった。





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