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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
怪談長屋騒動記
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絵怪ノ二.道外方と女幽霊




 立花陣衛門と宇喜田宗虎が向かった先、采女ヶうねめがはらの馬場は、火除け地を兼ねた武士が馬術を磨く場所である。


 江戸にはこうした馬場が点在し、庶民もこの様子を見物する事が出来るには出来たのだが、あまり人気のある場所とは言えない。

 もっぱら人気であったのは、馬場周辺にある芝居小屋や音曲の小屋であった。

 道外方・鶴屋与一という優男もこの芝居小屋に出入りする役者の一人で、この界隈ではなかなかの人気を誇っていたようだ。

 だが最近はなぜか舞台に上がる事がめっきり減ってしまった、と語るのは鶴屋与一が通う芝居小屋の座長である。

 昼八ツ(午後一時頃)の鐘が鳴ってより随分経った頃。

 陣衛門と宇喜田、それに何時からか姿を現し二人に同行していた陣衛門の妻・タキは、心ゆくまで芝居を見物した後、芝居小屋の座長から話を聞くために役者が詰める楽屋に押しかけた折、そう聞かされたのであった。


「――では親爺。今日は鶴屋与一はここに来ておらぬというわけか」

「へぇ、お役人様。与一の野郎、ここの所どうもおかしな事をわめいては、家に引き篭もりっぱなしになってやして」

「おかしな事?」

「なんでも、『女の幽霊に祟られたぁ』とかなんとかいってやした」

「ほほ、その鶴屋与一という役者、余程の色男と見えるな」

「黙っていろ、タキ。宇喜田の邪魔をしてはならぬ」


 芝居小屋の裏手、雑然として狭苦しい楽屋の中。

 やけに艶めかしい女の声に中に居る者達の視線が集まる。

 生唾を呑み込む音が聞こえて来そうな刹那の静寂の中、只一人、陣衛門を除く男達の視線を捕らえていたのはタキである。

 身なりは何時の間に着替えたのか、宇喜田の家で来ていた絢爛な着物では無く、町娘が着るような少し明るめの色をした振袖であった。

 本来陣衛門が妻と口にするタキは、歯黒をし夫の身分相応に庶民とそれ程変わらぬ地味な服装で在るべきで、振袖などもっての他な立場であるのだったが。

 しかし当の本人にはその当たりの常識は持ち合わせてはいないらしく、言動も服装も貴人のように思うがまま振る舞う事が多く見られた。

 また、陣衛門も口の上ではそのようなタキを窘めるのではあるが、強く出るわけでもなく、どちらかと言えばあまり興味が無いような態度である。

 だからか、そんな夫婦の在り様は非常に目立ち、しかしタキの美貌はそれらを帳消しにして見る者の思考を奪う代物でもあった。


「“女の幽霊”、か。……親爺、与一の家はこの近くか?」

「――、あ! へぇ。その、よろしかったらその、あたしが案内いたしやすが?」

「良いのか? まだ演目が残っておるのではないのか?」

「いえいえ、とんでもございやせん。お上あっての芝居小屋でありますし。それに、そこのお嬢様とそちらのお侍様もご同行するのでしょう?」

「うむ、まあ、な」

「特に、そこの美しいお嬢様が与一の野郎の家に行こうってもんなら、何されるかわかりやせんので。あたしもご同行いたしやす、はい」

「うふ、心配せんでも、妾は優男の役者などには心惑わされたりはせぬよ。とうの昔に心を捧げた殿方がおる故」


 甘えるように言って、タキは当たり前のように陣衛門の肩にしなだれ、座長に視線を流した。

 仕草は吉原の花魁もかくやと思えるほど洗練され、何より妖艶である。

 一方、喧嘩早く気風の良い役者ばかりが集まる楽屋であったが、男の役者“など”と聞きようによっては嘲るような物言いに、怒りを現す者はいない。

 いや、ある種怒気のようなものは渦巻き始めていたが、それはどちらかというとタキに甘えられる陣衛門への嫉妬に近いのかもしれない。

 そんな中、既に老人の域に達しようかという年齢の座長であったが、妖しく淫靡な眼差しを投げかけられ、年甲斐も無くドギマギとして声を上ずらせタキの言葉を否定した。


「いえいえいえ、そうじゃねぇんで。与一の野郎、“女の幽霊”がどうだかしらねえが、ここの所若ぇ女とみるや誰彼構わず喧嘩をふっかけるんでさ」

「どういう事だ? 鶴屋与一は女を怖れるようになってしまったというのか?」

「……わかりやせん。あたしや仲の良い役者仲間が側にいりゃ、流石に見境が無くなる事は無いんでやすが……一度、奴の贔屓だって言ってた娘さんが何処の誰に聞いたのか、与一の家に押しかけた事がありやしてね。――あ、お侍様。悪いですが、こっから先は」

「心配するな。ここだけの話にしておく。拙者も同心だ、その手の約束は守らねば町も歩けぬようになる事位、心得ておる」

「へぇ。――で、そのここだけの話って奴ですが、野郎何をトチ狂ったのか、包丁持ち出してこの娘さんを追い回そうとした事がありやして。いや、その時は偶々世話を焼きにあたしが訪ねて行った所、鉢合わせたんで大事にはならなかったんですがね」

「成る程な。タキ殿を連れて行けば平静さを失いかねん、というわけか」

「そういう事で。ですので、あたしが同行して――」

「――いや、その必要は無い。タキ、お前はついてくるな。長屋に帰っておれ」

「そんな後生な!」

「わはは、枯れた爺ぃが色気付いてやがるぞ」


 笑い声がどっと楽屋の中に満ちる。

 どうやら座長の親爺は、タキ目当てに案内を申し出ていたらしい。

 親爺は色などとうの昔に枯れ果てたかにみえる年齢に見えたが、盛大に笑う役者達に怒って見せるその様子から、まだまだ現役である事が伺えた。

 いや、かといって盛んであるとははやり見えず、むしろそのような老人でさえ血迷わせるような、怪しげな魅力をタキが振りまいていた為であろう。


 果たしてタキは、陣衛門の言いつけを守るでもなく、座長の案内で鶴屋与一が住む長屋まで着いてきたのである。

 鶴屋与一の住む長屋は芝居小屋からそう遠くない場所にあり、特に是と言って特別変わった場所ではなかった。

 日はまだ高かったが訪れた長屋の一室は薄暗く、床には酒が入った徳利と猪口が転がっており、煙草盆までもが倒れ灰をぶちまけたままなのが見て取れる。

 室内はとても人気の役者が住まう部屋とは到底思えぬ程荒れ果てており、陣衛門らは与一の名を呼びながら奥へと上がり込んでゆく親爺の背を眺め、互いに肩を竦めあった。

 不意に。

 室内にぱっと日光が満ちて、宇喜田とタキはう、と呻き手で目を覆った。

 どうやら鶴屋与一の住まう長屋はそこそこに上等な物件であるらしく、奥に縁側が設えられているらしい。

 光は与一の部屋に上がり込んだ親爺が、締め切られていた戸を開け放ったが為のものであった。


「ああああ!」


 ほぼ同時に、奇声があがる。

 何事かと眩しさに思わず目を瞑っていた宇喜田が見た物は、隣りにいたタキの目と鼻先に浮く、包丁の刃先である。

 ぎょっとして思わず刀の柄に手を伸ばしながら視線を更に移動させると、随分とやつれた男が包丁を握り、タキの美しい顔に刃を突き立てんとしてしかし、陣衛門に腕を掴まれ制止させられている姿が確認できた。

 どうやら男は薄暗い部屋のどこかに潜み、不意打ちに襲いかかって来ていたらしい。


「うふ、あなうれしや旦那様。このタキめを助けて下さったのじゃなぁ?」

「……宇喜田、少し不用心だぞ。お主を狙われていたら斬るより他なかった」

「う……む、す、すまん。面目ない。いや、拙者の不覚であった。タキ殿、怪我は……」

「旦那様が側におるのじゃ。するわけがなかろ? ほほ」

「タキ。下がっておれ。――親爺。この者が鶴屋与一か?」


 あわやという所で助かったとは思えぬ、品のある女の笑い声が落ちる中、一人落ち着いた物言いの陣衛門に問われ、奥であまりの出来事に呆然としていた座長がやっと我に返った。

 座長は慌てて陣衛門に包丁を握る腕を掴まれもがく与一に駆け寄り、その包丁を奪い取ろうとしながらへぇ、と返事をする。


「与一! て、てめえ、なんて事を!」

「ほほ、よい、よい。お陰で妾は中々良い目に逢うた。ここの所旦那様に庇われるなど、とんとなかったしのぅ」

「ああああ! くそ! 畜生! 離せ!」

「こらてめぇ、聞いてんのか与一!」

「すまぬが宇喜田。今のも“見なかった事”にして貰えるか?」

「それはいいが……陣衛門。見たところその男、とてもではないが話を聞ける状態には見えぬが……」

「離せ! 離せってんだ!」

「てめえが包丁を離すんだよ与一! 野郎、この……そこのお侍様は北町奉行の同心だぞ! そんなにしょっ引かれてぇのか!」


 北町奉行の同心、という言葉に与一はやっと我に返ったらしい。

 陣衛門からまるで鬼の様な力で腕を掴まれたまま、与一は突如として大人しくなり、そのまま包丁を落としながらもがっくりと脱力したのであった。

 そんな様子から観念したと見て取った陣衛門は、やっと与一の腕を解放してその場に座らせる。

 与一は先程の威勢はどこへやら、陣衛門達が居た土間に力無くへたり込んで項垂れてしまった。

 それから、力無く小さな声で一言、すまねぇと口にし、やがてう、う、と嗚咽を上げ始めたのである。


「与一! てめえ、泣いて済まされる事をしでかしたんじゃねぇんだぞこの野郎! もう少しで」

「親爺、そう怒るな。与一に話を聞く為訪れたのは、我々の方だ。それに拙者も陣衛門も、何よりタキ殿も不問に処すると言ったでは無いか」

「はぁ。しかし、ですな」

「何かわけあっての事だろう。なぁ、親爺? ここはこの同心・宇喜田の顔に免じて怒らないでやってくれないか?」

「そうよな。妾としてはむしろ褒めてやりたいが」

「そんな勿体ねえ! この野郎は――」

「親爺、すこし黙っていてくれ。……鶴屋与一、だな? 話を聞かせて欲しい。“女の幽霊”についてだ」


 宇喜田やタキ、座長のやり取りを尻目に陣衛門は跪き、土間に胡座をかいて泣きじゃくる与一に語りかけた。

 その声は素っ気なくも、どこか優しげである。

 与一は“女の幽霊”という言葉にびくりとして泣くのを辞め、涙と鼻水でドロドロになった顔を上げ、まじまじと陣衛門の目を見つめた。


「それは――」

「今日訪ねて来たのは、その“女の幽霊”事を聞きに来たのだ」

「……聞いてどうしようっていうんですかい?」

「なに。ある仕事を引き受けておってな。手がかりがお主の言う“女の幽霊”にありそうなんで、そいつをどうにかしようと思ってな」

「ほ、本当かい?!」

「ああ、本当だ。こちらの経緯を話してやらん事は無いが、日が暮れそうな上時間が無い。手短に質問に答えて貰えるな?」

「あ、ああ! ありがてぇ! なんでも聞いてくれ!」

「では、まずは“女の幽霊”について知っている事を話してくれ」


 与一はそれまでの様子とは打って変わり、陣衛門の言葉に表情を明るくした。

 それから、ぽつりぽつりと“女の幽霊”の事を話し始めたのである。

 話の内容はこうだ。


 ある時、そう遠くはない夜での事。

 住処である長屋の一室でその日の疲れを癒すべく寝ていた与一は、いきなり全身に痛みを感じて飛び起きた事があった。

 痛みは体を切り裂かれるかのようなもので、だが瓦灯(小さな陶器製の照明具)に火を灯し体を確認するも、特に異変は無い。

 はて、と首を傾げながらもその夜は再び就寝した与一であったが、以後夜な夜なに様々な苦痛が襲い来るようになり、精神を削られて行くのである。

 なにせ毎夜のように、ある晩は炎に身を焼くような、またある晩は息が出来なくなるような苦痛に襲われるのだ。

 それどころか苦痛は徐々に変化していき、最近では念仏が一晩中聞こえたり、奇天烈な呪文と共に殴られたかのような衝撃が体を襲って、幾日も寝られぬ夜を過ごすようになる。

 最近では妙な女の幽霊が出るようになって、あろう事か与一に求愛の言葉を投げかけ、断ろうが承諾しようが関係無く強く噛みつかれ、血を啜られるのだと与一は説明した。


「ううむ……なんとも妙な話だな」

「嘘じゃねえ! 本当だよお役人様! 喰い付かれた時の傷なんて残らねえが、確かに本当なんだ!」

「して、番所に届出は……いや流石に無理か。与一、祈祷師や坊主に相談はしたのか?」

「したさ。だけども、おいらはこう見えても役者だ。妙な噂が立っちまったらおしまいだし……」

「は、もう立ってら! 優男・鶴屋与一がとうとう女の幽霊にまで手ぇ出してえれぇ目に逢ってるってな!」

「う、浮き名はいいんだよ親爺! それに江戸っ子が幽霊なんかを怖がってちゃ、馬鹿にされちまうじゃねえか!」

「何いってんだよ、てめぇ、さっきまでびーびー泣いてたじゃねえか!」

「何を!」

「やめないか二人とも。陣衛門、さっさと聞く事を聞いてくれ。どうにも、纏まらない」

「承知した。親爺、少し黙っててくれ。なぁ、与一。俺が聞きたいのはあと一つだ。その一つで多分“終わる”。いいか?」

「あ、ああ! なんでも聞いておくれよ! おいら、知っている事ならなんでも話すよ!」


 一時、罵声を浴びせてきていた親爺に見せた威勢は何処へやら、鶴屋与一は縋るように改めて陣衛門へと向き直った。

 当然と言えば当然であろうが、余程夜な夜なに起こる怪異に参っているらしい。

 そんな与一に、陣衛門は酷く気の抜ける質問を投げかけ、タキは白い目をじとりと、宇喜田や親爺、与一からは丸く拍子抜けをした目を向けられてしまうのである。


「与一。その“女の幽霊”なのだが……美人であったか?」





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